第83話『鬼は泣いた』

橙鬼オグの視点です。

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 オグは知っている。

 452期には4人の化物がいることを。

 

 模擬戦によって順位は頻繁に入れ替わる。

 なぜならば、模擬戦の環境は森だったり、砂地だったり建物の中だったり、さらにはその時間帯も大きく変わる。

 この世代は種族が豊かなだけあって、環境の影響が大きく現れるため順位の入れ替わりは他の世代よりも簡単に起こる。


 しかし、寮へと移った頃から4位より上とそれ以外が入れ替わる事は無かった。

 それは、どのような環境、状態でも5位以下に負ける事は無いと言う絶対的な差を表す。


 最強の竜人。

 最速の虎人。

 最巧の森人。

 そして最悪の蛇人。


 彼らはどこかが壊れているか、歪んでいる。

 オグは強い者が何らかの欠陥を抱えているということを、彼らから学んだ。


 彼が最も恐怖していたのは蛇人の少年だった。


 オグと彼は初めは同室だった。

 その時には特に違和感は無かった。

 他よりも熱心に鍛錬に励み、人当たりの良い落ち着いた少年、そういう印象だった。

 竜人の少女の世話を押し付けたのは、彼が竜人と同房だったからだ。


 違和感を持ったのは、その2年後だった。


 寮へと移る少し前、オグには理解できないが竜人と同室になりたいというものが増えて、蛇人へと交渉を持ちかけた時、蛇人は彼らを挑発して喧嘩をした。


 容赦が無いのは里の子供全員が持つ性質だが、蛇人は妙に痛みを与える方法で攻撃を行い、相手が動けるギリギリの負傷を狙っているようだった。


 その時はモンクに止められて、終わった。


 疑念が確信に変わったのはその一年近く後だった。

 蛇人は肉体を仙器に変える『躰篭』という手法によって身体能力を上げる手伝いをしていた。


 オグはそれを受けたことは無かったが、それによって大きく能力が上がるのも知っている。

 興味があったオグは、自身も試してみようと思い、その前に躰篭を施す瞬間を見に行った。


 彼は眼球への躰篭を施していた。

 施術されている少年は血涙を流しながら絶叫を上げている。

 その凄惨さにも驚いたが、オグが注目したのは蛇人の少年だった。


 背後から羽交い締めにしながら気を注入する彼の表情は微塵も揺らいでいなかった。

 施術に慣れたからこその自信などでは無い。

 彼の余裕は、施術に失敗して少年が失明しても一向に構わないからこそ来るものだった。


 モンクに何度も挑んで気術を磨く彼の執念を思い出した。

 もし、彼が自身の痛みを何とも思っていないのだとすれば、他人の痛みなどさらに考慮に値しない。


 オグはそこで、どうして彼が対価も要求せずに快く躰篭を施すのか、やっと分かった。


 蛇人によって歪に強さを得た子供達に負けないように、オグは自力で躰篭を行った。

 三度、失敗してのたうち回る位の負傷をした。


 そうしなければ追い落とされる、そういう恐怖だけが彼を駆り立てた。


 自分の肉を噛みちぎって生きているような気分だ。

 そうしなければ生きられない地獄へと蛇人が変えた。


 地獄に最も早く適応したのはエンだった。

 躊躇なく蛇人に躰篭を任せると、彼女は同期から頭一つ抜けた。

 蛇人には隠しているが、自分で躰篭を施すために彼からその技術を盗もうとしているようだった。


 彼女と順位が入れ替わらなくなったのはその頃だ。


 同時に、自分の中の何かが擦り切れていくのが分かった。

 生きるために自分を削れば削るほど、生以外の全てが薄まっていく。


 ただオグの頭には生とだけが占有するようになった。


 生以外が消えると、今度は生すらも薄まって行った。

 当然だ。怒りも喜びも、生を駆り立てる物を失ってしまったのだから。燃料の無くなった炎が尽きることは必然だった。

 もはや彼を動かすのは死への恐怖だけとなった。


 死ぬのは怖い、でも生き続けるのも同じくらい怖かった。


 こんなのは蟲だ。無機質に生を求めるだけの化け物。

 それに近づこうとしているのを自覚する。



 『里外任務』へと赴いたのはちょうどその頃だった。

 里とは違う環境に、僅かに心が動いたのが分かった。


 1日目で剣技を習得して中伝クラスへと上がったのは、情報収集のためだと思っていたが、今思えばどうにかして蛇人と顔を合わせたくないと思ったための苦肉の策だった。


「おい、そこのお前。暇なら俺と組み手しろよ」


 そう言って声をかけてきたのがアレックスだった。


「いいぞ」


 オグは彼の瞳に自分と似たような何かを感じた。



「お前、なかなかやるな。だが俺の方が強い」

「あ〜、後少しだと思ったんだけどな」


 アレックスは誇らしげに笑った。

 オグも悔しそうな表情を見せた。


 アレックスはそのまま何度もオグと組み手を行った。


「もう一回やれよ」


「もう一回だ」


「あと一回」


 手を抜きながら戦うのもうんざりして来て、オグは少しムッとした表情を浮かべながらアレックスに言った。


「オレ以外とも戦った方が、練習になるんじゃないか?」

「それは……」


 アレックスは口を噤んで周囲を見回すと、周りの者達は顔を逸らした。どうやらしつこく組み手を頼んだせいで他の者たちは相手にしなくなったようだと気づいた。


 オグは小さく溜息を吐くと、剣を構えた。


「オレが寮にいて良かったよな」

「……ハッ。寮生のくせに俺に負けるなよ」


 少しカチンとしたオグは、手が滑ってアレックスを負かしてしまった。そのせいでアレックスから付き纏われるようになった。


 彼はオグよりも弱かった。

 アレックスが2、3人いてもオグは勝てるぐらいの差が彼らの間にはあった。

 しかし、アレックスは躰篭などを使わずとも毎日、少しずつ、着実に実力を付けていく。

 里の子供が相手でも下位くらいの実力はあるかもしれない。


 オグは強制されずとも自身を鍛え続けるアレックスに興味を持った。


「俺は、強くならないといけないんだ」

「オレは、生きていけたら弱くても良いんだけどな……。アレックスは強制されてるってことか?」


 二人は剣撃を交わしながら会話を紡ぐ。


「……俺の母さんは剣士だった。『天才』って言われるくらいの強い剣士だった。でも俺が生まれたせいで母さんの時間を奪ったんだ。俺が母さんを弱くしてしまったんだよ!だから、せめて俺が強くならないと、母さんがなれなかった剣聖になって、俺を産んだこと、後悔しないで済むように……」

「そっか」


 親、という概念がオグにはピンと来なかった。

 ただ、彼の話を聞いていると、子は親に喜んで欲しいものらしいと分かった。彼はそのために頑張っているということも。


 他人のために努力する、という行為がオグには歪に思えた。

 そんなことをする人間は里ではモンクくらいだった。


 オグの生存本能が彼の努力を笑っている。

 無駄だと、無意味だと。


 オグは本能の指摘から目を逸らすと、彼の話から、母親との夕食の様子を想像した。

 暖かい何かが、とくとくと体の中を流れるのが分かった。


 彼が支部長の息子であると知っても、その情報を伝えなかったのは、もっと彼の話を聞きたいと思ったからだろう。



 アレックスは変な奴だった。

 口が悪いし、態度も大きい、そしてそんなに強くない。


 だが、人一倍寂しがり屋だ。


 『友達なんていらない』と突き放しながら、オグが話しかければ顔はそっぽを向きながら横目でこちらをチラチラと見てくる。


 剣術がそれほど好きでは無い癖に、母親に認められたい一心で、毎日掌から血が流れるまで剣を振っている。


 弱くて、不器用で、それでも誰かの為に生きる。

 時折間抜けな失敗をしてしまう彼にオグは、どうしようもなく憧れた。


 そうしてまた、心が暖かくなる。

 そのぬるま湯に浸るように新鮮な日々を過ごした。



 だから、蛇人がオグの考えを見透かしていたことに気付けなかった。


『な、んで、嘘を吐いたのか』


 呆然としたように呟く。


『いや、嘘は吐いていない。ただ、言わなかっただけだよ……お前と同じように』


 半笑いを浮かべた蛇人が、感情の感じ取れない黒い瞳がこちらをじっと見ている。

 計画の全容を教えられなかったのは、オグを疑っていたからだろう。


 支部長を助けられるとは思っていなかった。

 それでも、どうにかアレックスだけは巻き込まれないようにしたかった。



 その結果がこれだ。



「ハハ。ごめんな、アレックス」


 オグは牢屋の中で小さく呟く。

 商人の屋敷で拘束されたオグは、そこで支部長の死体と満身創痍となったアレックスの姿を見た。


 もしかしたらアレックスは死んでいるかも知れない。


 ゴツ、と牢屋の石壁に頭をぶつけて涙を流す。


 いつの間にか、こんな簡単に涙が流れるくらいに弱くなってしまった。目の前で餓死する子供を見ても、なんとも無かったのに。


 これから逃げ遅れたオグは闇の使徒について尋問を受けることになる。

 オグは組織について何も知らない。

 それでも尋問の果てには人知れず殺されることになるだろう。


 彼は座り込んだまま脱力し、地面のチリを見つめる。



「おー、ここかぁ」

「おい、黙れよ。外に聞こえる」


 気付けば牢の前に二人の男が居た。

 一人は茶髪の軽い雰囲気の男で、もう一人は堅物そうな青い髪の男だった。


「数分で見張りが起きる。早く始末しろ」

「わーってるよー」


 茶髪の男が懐から歪な形の短剣を取り出した。

 オグは目を見開く。それは里の祈祷室、その祭壇に飾られているものと同じ形状だった。


 オグは体を起き上がらせる。


「うん?起きてるのか」

「誰だ」


 オグの問いかけには肩を竦める。

 少し考えて青い髪の男が口を開いた。


「最期の質問はそれで良いのか?」


 事実上の死の宣告だった。

 オグの体を寒気が包んで、頭だけがグルグルとこれまでの記憶を巡った。


「アレックスは、無事なのか?」


 茶髪の男は青髪の男の方を振り返った。


「アレックス・ブレイドは死んでいない。残念ながらな」

「そっか」


「そっかぁ……よかったぁ」


 絞り出すような呟きと共に、もう一度涙が溢れる。


 嬉しかった。

 アレックスの無事を知ってこんなにも喜ぶことができることも、誰かを思って涙を流す何かが自分に残っていたことも。


 熱い、涙の流れる頬が。

 先ほどまで冷たかった体がこんなにも暖かい。


 これで……生を貪る蟲ではなく、誰かを思う人として死ねる。


 土下座をするように蹲るオグに向けて、茶髪の男が短剣を掲げる。

 男はオグに聞こえるように唱えた。



「■■■よ、に全てを返上せよ」


 男の言葉は、一部にノイズが混じったように聞き取れなかった。

 まるで、その単語だけオグが認識できないように黒塗りにされたような感覚だった。

 

 オグの両手が勝手に持ち上がり、自分の頭を掴んだ。

 容赦ない握力により、頭蓋が軋む音がした。


 限界以上の力を発揮した両腕は、そのまま、少しずつ首を回す。


 螺子を締めるように顎と頭頂を挟んだままオグの視界がゆっくりと回転する。


 視界にはオグに背を向ける二人の男の姿があった。

 それでも回る。


 上下が反転する。

 さらに回る。


 首の側面で筋肉が千切れる音がした。

 でも回る。



「お、まえは……生きて、く……」


 回る。


 そうして最期に

 ブツリと何かが途切れた。



 後には膝立ちになった少年の体と、そのすぐ横にオレンジ色の髪をした頭部が転がる。

 地面には所々水滴が滲んでいた。



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第83話『鬼は泣いた』



人は誰かに助けられた時よりも、誰かを助けたときの方が幸福を感じるそうです。


これにて第三.五章は終了です。

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