第三.五章

第81話『決意』

「う、ん」


 治療院で金髪の少年が目を覚ました。

 その瞬間、意識を失う直前の光景が頭を過ぎる。


 暗い闇の中、彼の母親の首を持ち上げる蛇人族の少年の姿が……


「母さん!!」


 叫び声を上げながら起き上がった少年、アレックス・ブレイドはすぐ側にいた赤い髪の男に詰め寄る。


「おい、お前、俺の母さんはっ、ミグレイ・ブレイドはどこに……ガっ」


 その瞬間に男の拳によって強制的に黙らせられる。

 容赦無く頬を殴られたアレックスは、治療院の病室を背中で滑り壁際で止まる。


「うっせェ、キンキン耳に響く声で叫ぶなや」


 苛立ちを含んだ声が、倒れ込んだアレックスの背中にぶつけられる。


「誰だ!?……ぉぐ」


 床に手をついて立ち上がろうとしたアレックスを男が踏み潰す。


「良いから黙ってろ、餓鬼の話を聞いてやるほど暇じゃねェ」


 そうして、アレックスの首根っこを持ち上げると、治療院の廊下を引きずって何処かへ連れて行かれる。


「離せよ!この手を離せ!!……ぅがっ」


 再び顔面を殴られて、やっとアレックスは黙った。


「ハッ、最初からそうしてろってんだァ」

「……っ」


 アレックスは馬鹿にされて苛立ちを覚えるが抵抗してもまた殴られる事になると、歯を食いしばって口を閉じた。


 そうして、男が引き摺るのに任せていると、無言を嫌ったのか、男が口を開いた。


「……テメェの心臓は、右と左どっちにあるか、知ってるかァ?」

「は?……左だ」


「普通はそうだなァ」


 アレックスの答えに対して、男が意味深に笑った。


「普通は?」

「テメェの心臓は右にあるらしいなァ」


「そんな訳っ」


 アレックスは男の答えを否定するように、自身の左の胸に手を置いた。そこには、傷口を守るように包帯がきつく巻かれていた。


「テメェの左の胸には穴が空いてたァ。クハッ」


 何が面白いのか、吹き出したように笑う。

 しかし、胸に穴が空いた、というのが真実ならアレックスの心臓は右側にあるのだろう。

 確かめるように右の胸の上に手を置くと、心拍を感じた。


 自分のことなのに、今まで気付かなかった。


 しかし、この男は何者なのだろうか。

 その身から立ち上る気はそれ程には感じない。

 にも関わらず身のこなしは熟練した剣士のものだ。

 下手すると、彼の母よりも上だろう。


 ずっと引き摺られたままなので、摩擦で彼の尻が熱くなってきた。


「母さんはどこにいるんだ?」


 再び男に問いかける。

 先ほど見た夢のせいで、不安が拭えないでいた。

 

「……直ぐに分かる、黙ってろや」


 答えは、先ほどよりも弱いトーンで返ってきた。

 治療院の地下へと連れて来られたアレックスは、ドアの手前から部屋の中に投げつけられる。


「ほら、テメェの母親だ」

「お前!良い加減にっ……は?」


 投げられたアレックスは素早く立ち上がると、男の方に怒鳴ろうとして、直ぐ横に簡素なベッドがあるのに気付いた。


 そこに敷かれた布の下には、丁度人と同じ大きさの膨らみが隠されていた。


「おい……冗談じゃ済まないぞ、お前」


 母が死んでいる筈がない。

 彼女は天才と呼ばれた剣士なのだ、そう心の中で反論する。

 わざわざ霊安室に連れて来て、こんな冗談を言う男に、アレックスは怒りを覚えた。


「……早くしろや」


 それに対して、男はただ顎で遺体を指す。


「こんなの誰も許さないからな」

「……クソ餓鬼が」


 文句を言って顔を確認しようとしないアレックスに痺れを切らした男が部屋の入り口を抜けて、ツカツカと遺体に歩み寄る。


「おい、やめろ!」


 アレックスは無意識に彼を止めた。

 きっと、それを見て終えば現実になるとどこかで分かっていたのかもしれない。


 赤髪の男は布を剥ぎ取った。


「……っ、母、さん」


 そこには腹部と首に大きな切断痕のある遺体があった。

 アレックスは両手で頭を抱えると、その場に蹲る。


「あ……ああぁ……アアア……あアアアアああああ!!!!」


 同時に、夢の記憶が鮮明に浮かび上がる。


 そして、自身の母の首を切断したのはあの男、ルフレッドだと理解した。

 初めから、奴らは彼女を殺すつもりで近づいてきたのか。


 理解しがたい。

 どうして殺されなければならないのか。

 母がどれほどの人を救ってきたと思っているんだ。


 その報いが、これなのか。

 こんな、惨い状態で死ななければならないのか。

 

 まだ、何も返せていないのに。



「なんで、なんでなんでなんで!!なんでっ……こんな目に。俺は……クソォ!!」

「……教えてやろうかァ?」


 悲しみを嘆いていると、男が口を出して来た。


「……」

「その女が死んだのは、そいつが弱かったからだァ」


「お前ええええええええ!!!」


 アレックスは母親への侮辱に対して涙を流しながら男に反発する。


「……それと、テメェだァ。テメェが弱いから、その女は死んだァ」

「……ッ!!」


 予想外の方向から責め立てられたアレックスは息を飲んだ。


「テメェが弱いから拐われてェ、それを追っていったそいつが待ち伏せを受けて死んだんだァ。分かるなァ?テメェが強ければ、そんな事は起きなかった。テメェが悪い。いや、テメェが悪い」

「な……んな」


 まさか自分が責められるとは思わなかったのか、アレックスは口を開いたまま驚きを表す。


「なんだァ、テメェ、まさか子供だから悪くない、なんて思ってるんじゃ無いだろうなァ?あァ?それで一丁前に泣いてんのかァ、クソ餓鬼。それじゃ、一生大人になんてなれねぇぞ?」

「ち、が。俺は」


 男は全身に気を纏って見せる。

 彼が持つ力は、アレックスの母親よりも遥かに上だった。


 思わず恐怖に身がすくむ。


「何も違わねェ。力は無ェ、技も無ェ、終いにゃ覚悟も無ェ。テメェにくれてやる時間が無駄だったァ。俺は一人でやる」


 アレックスから興味を失った男は背を向けて霊安室を出ようとする。


 去り際に放った一言が引っ掛かった。


「……やるって、母さんを殺した奴を殺すのか?」

「さあなァ、俺の敵は多いからなァ。その中にはそいつを殺した闇の使徒もいるだろうよ」


 ゆらりと立ち上がったアレックスに、男は背中を向けたまま語る。

 その顔には笑みが浮かんでいた。


 闇の使徒、それが殺すべき相手か。

 そうアレックスは認識した。


「俺を連れていけ」


 憎しみで濁った瞳を、男に向ける。

 男は振り向くと、その足を持ち上げた。


「が、っあ」

「言葉には気をつけろやァ。あと、態度もなァ。なんで生意気なクソ餓鬼を連れてかなきゃならねぇんだァ?」


 大きく笑みを浮かべた男が、アレックスを蹴飛ばした。


 アレックスは痛みに喘ぐことも無く、男の足元に擦り寄ると、地面に頭を着ける。


「お願いします。連れて行ってください。力も技もありませんが覚悟はあります。命は要りません。なんでもします。闇の使徒をぶっ殺す力をください」

「ハッ」


 いっそ卑屈なまでに男に謙るアレックスに、男はもう一度笑った。


「良いぜェ、この瞬間からテメェは家畜だ。俺の言う通り剣を振って、相手を殺す、それだけの生き物だァ。なれるかァ?お前みたいな甘やかされた奴によォ」

「闇の使徒を殺せるなら、なれます。なります。何と鳴けば良いですか?」


「クハッ。仕方ねぇな……近寄んなよ、離れろ」


 男は地面に頭を擦り付けたまま、靴ににじり寄って来るアレックスを足で押し除ける。


「姉貴の体を焼いたら、直ぐにここを出る予定だァ。準備しとけや」

「はい……姉貴?」


 アレックスの疑問に、男は眉を歪めた。


「……俺の名前はグレイル ・ブレイド、ミグレイ・ブレイドの弟だァ」


 その言葉にアレックスの目が見開かれる。

 母からは弟が居るなんてことは聞いたことが無かった。

 男、グレイル の方も弟である事を名乗るのは酷く嫌そうだった。


「だがァ、俺に剣を習いたいなら、分かるなァ?」

「はい、師匠」


聖剣機関うちは人手不足だからなァ、テメェみたいな餓鬼でも使い潰してやるよ。……そこから生き残れるかは、お前次第だァ」


 グレイルは口角だけを上げて笑うと、霊安室を出て行った。


 アレックスは、遺体から剥がされた布を丁寧に掛け直す。

 彼は物言わぬ母に語りかける。


「母さん、守れなくてごめん」


「弱くてごめん」


「俺、母さんを喜ばせることできなかった……」


「俺、迷惑かけてばかりだった。俺がいなかったら母さん、もっとすごい剣士になれたのに」


「俺が、生まれたせいで……」


「だから、俺が剣士として強くなればってずっと思ってた。全然強くなれなかったけど」


「……」


「でも、見ててくれよ」


 アレックスは涙を溜めた瞳で壁の先を睨んだ。




「母さんを殺した奴ら、全員殺すからよ」




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第81話『決意』

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