第80話『赤い』


 その日、ノーラは眠れないでいた。


 なぜならば、明日に迫ったパレードが楽しみだったからだ。

 いや、楽しみなのはパレードそのものでは無く、そこに付随するものだった。


 気になる男の子と一緒にパレードに行く、という特別な経験を前にして彼女が眠れるはずも無い。


 緊張と期待と不安とがないまぜになったような、不思議な感覚。

 苦しくてたまらないのに、ニヤケようと持ち上がる頬を抑えきれない。


 彼女は仰向けになって、両手を頬に当てて揉み解すが上がった口角がなかなか降りて来ない。


 とっくの昔に、隣のベッドでローラは眠っていた。

 彼女は明日が楽しみすぎて興奮した結果、夕方までで体力使い切ったようで、ベッドに入って直ぐに寝付いていた。


「……外、うるさい、なぁ」


 外で大きく騒ぐ者がいることも、寝付けない原因だろう。


 彼女はゆっくりと起き上がると、水を飲みに台所へ行く。


 家族を起こさないように、抜き足差し足で貯めておいた水をコップで掬い上げて少しだけ飲む。


「ルフレッドくん」


 彼には不思議な安心感があった。

 話し下手な自分の言葉でも、きちんと待って聞いてくれるし、ペースを大事にしてくれるのが分かる。

 彼と一緒にいる時間は心地良いし、その心地良い時間が続けば良いなと思った。


「目、覚めちゃった」


 考えないようにすればするほど、頭に浮かんでしまう。

 熱くなった頬を冷やすようにマグカップの側面を顔に当てる。

 ひんやりとして気持ちが良い。


 それでも話すと直ぐに熱くなる。

 まるで風邪に冒されたようだった。


「……」


 何となく玄関のドアを見つめる。

 そうして、背後を見て誰も起きていないことを確かめると、こっそりとドアから外に出た。



「ふあ」


 祭りの夜はいつもよりも明るかった。

 酒場だけで無く、道沿いにも明かりが灯っていた。


 祭りの非日常的な空気に当てられてさらに興奮が高まる。


 母親からは出歩かないように言われているが、今日の彼女は無敵だ。


 彼女の読んだ物語では、こういう日にたまたま街に出ていた王子様と恋に落ちるものがあった。

 そんな運命的な出会いを思い出したノーラは、物語のヒロインのような気分になりながら、路地に顔を覗かせる。


「ここに、ルフレッドくんが、いたりなんて……」


 そして、路地の奥にいた人物と目が合ってしまった。

 それは彼女が最も会いたいと思っていた人だ。


「る、ルフレッドくん!」

「……ノーラ」


 ノーラは彼の様子がいつもと違うのに気づいた。

 彼の掌から血が滴っていた。

 彼女はその掌を指差して声を上げようとする。


「る、ルフレッドくん!?それ……っ」


 前によろめいた少年を正面から抱きとめる。

 

「……ノーラ、助けて欲しい」

「うん、うん。な、何したら、いい?」


 いつもは余裕を見せる少年の切羽詰まった声に、頭の中の疑問が吹き飛んで、思わず何度も頷いた。


「ありがとう、ノーラ。さっき、いきなり人に襲われて、逃げたんだけど怪我しちゃったんだ。だから詰所に人を呼んできて欲しい」

「……任せて。すぐ、戻ってくる、から」


 彼女の心の中は心配と使命感でいっぱいだった。

 そうして抱きとめた彼から離れようとしたところで、もう一度強く抱擁される。


 同時に鋭い痛みを体の奥に感じた。

 その痛みはすぐに消えて、体の奥から熱くなってくる。


「……ひぅ!?ど、どうしたの」

「ありがとう、ノーラが居てくれて助かったよ」


 その言葉を惚けた表情で聞き入れるノーラ。

 抱擁を解かれた彼女は口角が上がらないように押し込んで少年に背を向けた。


「待ってて」


 ノーラは夜の街を全力で駆け抜ける。

 そんな彼女を怪訝そうに見つめる大人達の目も彼女は一向に気にならなかった。


「……ルフレッド、くん。うう」


 口に出すとさらに体の芯が熱くなったような気がする。

 その熱を覚ますように、もっと速度を上げる。


 詰所の場所は把握していた。


 聖剣機関への通り道で何度も見ていたからだ。


 少女とはいえ聖剣機関に通う子供だけあってその足は速く、詰所には直ぐに着いた。


 詰所の中にはいつもよりも明らかに多くの人がいた。

 ノーラは、祭りの期間であるせいだと勝手に納得する。


「おや、お嬢ちゃん。こんな夜に出歩いちゃダメだよ」


 官吏の一人が彼女の存在に気付いて優しく声をかける。


「……あの、えっと、うぅ」


 厳つい見た目の男性に近づかれて、燃えていた使命感が一気に萎んだ。

 体の熱さから意識が朦朧としてきた。


「ん?ちょっと触るよ。……熱っ、これかなりの熱だ。おい人を呼べ」

「……あ、ぁあ、ああああああ」


 彼女の体が急激に熱を持ち出す。


 我慢できないほどの熱だ。


 心臓から焼かれるような温度の熱が発生する。

 その背中から蒸気が立ち上る。


「あつい、あつい、あついよおおおお」


 詰所にいる兵士の目が彼女の方を向いた。

 そして、熱が彼女の体に留まる限界を超えた時。


「あ」


 彼女の体が燃え上がった。


「ア”ア””ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”!!!」


 彼女は暴れ回りながら、詰所の中でのたうち回る。

 すぐに彼女の持つ火は建物の中に燃え移った。


 官吏達は、逃げるように建物から出て行こうとする。


 中には消火しようと彼女に向かって水を掛けるが、すぐに再び発火する。

 彼女は苦しみに喘ぎながら、詰所の外へ出て行こうとする。


「ア”ア”ア”ッ!!」

「くそ、来るなっ」


 しかし、自身の命を守るのに必死な官吏によって蹴飛ばされ、詰所の中に閉じ込められた。


『あヅイ”イ”イ”イ”イ”イ”イ”イ”!!!』


「お前、何てことを!!」

「ちが、俺はみんなが危ないと思って……」


 苦しい言い訳をした男を殴りつけて、一人の官吏が詰所の中へ踏み込もうとした瞬間、建物が崩れ落ちた。


「延焼を防げ!ありったけの水を持って来い!!」


 もはや祭りどころでは無いと、周囲の人間達が集まり、消化作業が始まった。


 その間も火事の音に紛れて少女の叫び声が響いていた。




 ◆◆◆◆




 俺は『発熱』の躰篭と化したノーラを使って詰所を燃やした後、目的の合流地点へ向かった。

 火事による騒ぎのおかげで、この辺りの警備が極端に減ってくれた。


 路地の曲がり角を通って、地下通路の入り口へと辿り着く。


 そこには予定通り、エンとウェン、そしてエルフの少女がいた。


「騒ぎが起きている間に、街を出るよ」

「アスラはもう先に出ているの?」


 彼と同じく聖剣機関への潜入を行っていたエンが尋ねてくる。


 彼女達を引き連れながら、地下への入り口を潜ると俺は端的に答えた。


「裏切った。だから置いていく」

「……っ」


 置いていく、というよりも単に回収を諦めただけ、というのが真実には近いだろう。

 あの場所には赤髪の男がいる。迂闊に近づけば死ぬことになるだろう。


「気を最大まで抑えてくれ」

「……これでいいでしょ」


 自信満々に尋ねるウェンだが、僅かに気が漏れている。

 エルフの少女は気術を得意とする種族だけあって、かなり小さく抑え切れていた。エンは言わずもがなだ。

 

「まあ、いいよ」


 とりあえず、地下を走り回る小動物と同じ程度には抑え切れている。


 そう納得して、俺は彼女達に背を向けた。


「お姉様は?」

「……先に出ているよ」


 妹なら姉の無事くらい聞かれなくても察して欲しい。


「あの”……」

「何?」

「ひっ」


 早く脱出したいと逸る気持ちのせいで、少しだけ冷たい声色になってしまった。彼女はウェンに聞いた話だとずっと屋敷に囚われていた。

 そこで男性不信になる程度の待遇を受けていたことは把握している。


「ごめん、何かな?」

「その”、師はん”は?」

「死んだ」


 その言葉に彼女達は息を呑んだ。

 今の状況がそれだけ危険な状況であるということも理解したようだ。


 先ほどまでとは異なり、重い沈黙が地下の空間に満ちた。


 同時に、地下の空間に広げた影の躰篭が押し退けられるのを感じた。

 この感じは、おそらく光による干渉だ。


「……地下に人が入ってきた」


 まだ距離は遠いが、続々と人が入ってくる。

 官吏が動かないように詰所を攻撃したはずなのに、すぐにやって来た。

 この街の詰所は一つでは無いということか。

 地下を抑えに来たということは、地上の警備は万全ということだ。


 俺は官吏が近くたびにルートを変更しながら、ジグザグに街の外へ向かっていく。


「……」


 しかし、避けようが無い場所に官吏が立っているのを感じ取って、手で背後に合図を出す。


 どうやらランタンを持って歩いているらしい。

 俺は彼の背後に出来た影から、棘を伸ばして後頭部を貫いた。


「……がっ」


 力を失った官吏の手からこぼれ落ちたランタンを受け取って、音が鳴らないように死体を寝かせる。


 エンに視線で合図すると、少女達を引き連れて再び俺の後ろに着いた。

 

 しかし、後少しというところで、出口の直ぐ手前に数人が陣取っているのを察知した。


「……」


 強行突破しか無いか。

 しかし、兵士に足止めされている内に、例の剣士がやってくれば間違いなく全員が死ぬ。


「……ねぇ、どうしたのよ?」


 俺が考え込んでいると、ウェンが耳元で尋ねてくる。


「出口が塞がれた」

「あっちの方?」


 彼女が指差した方向を見て小さく頷く。

 俺はそれ以外の出入口は把握していなかった。


「少し横にずれたところに、外の風が入ってきてるわよ」


 そういえば、彼女は精族だった。

 地下であっても風が吹いているならば、彼女の領分ということか。


「方向だけ俺に教えてくれ」

「いいわよ」


 そう言って俺の背後にぴったりと着いたウェンに方向を指示してもらい、俺はその方向までのルートを影の躰篭で見つける。


 進んでいくと、段々と道の幅が狭くなり、天井も低くなってきた。


 さらに進むと、四つん這いで移動しないと進めないほどまで低くなる。


 やがて、真っ暗だった視界の先に光が見えた。


「……」


 出てきた先は街壁の内部、その地下室の排気口のような場所だった。

 これでは外に出られないとウェンを振り返ると、彼女は小さくその先を指差した。


 俺達は蓋を外して、人気の無い地下室に出る。

 すると、ウェンは地下室の中をスタスタと歩いていき、もう一つの排気口を指差した。

 なるほど、こちらは街の外に繋がっているということか。


 ウェンがその蓋を外すと、金属のぶつかる音がした。


「……っ」


 その瞬間に、上の階にあった気配が近づいてきた。

 俺は少女達を押し込んで、蓋を持ち上げて元通りに戻す。


「おい、誰かいるのか?」


 そうして、一人の兵士が入ってきて俺達が入ってきた方の通気口に視線を向ける。


「んだよ。蓋が落ちただけか。……ん?」


 兵士は通気口のふたが不自然に歪んでいるのに気付いた。


「おい!!侵入者だ!!!」


 そして、兵士が叫ぶ頃には俺達は通気口のかなり先を進んでいた。



 さらにそこから数十メートル匍匐前進で進んだ後に、俺は空気の入る小さな穴から身を乗り出した。


 最後尾が俺だったので、当然そこには三人が居た。


「早く逃げるわよ」

「分かっているよ」


 エンの言葉に小さく頷いた。

 背後では兵士たちが街壁の中を慌ただしく動いているのが分かった。

 この日から、俺達の逃亡が始まった。




————————————————————

第80話『赤い』




元々のタイトルは『赤猫』でした。

赤猫とは放火や放火魔のことを指すそうです。

ですが『赤猫』だと、勘の良い方なら「あー、誰か燃やして陽動するつもりなんだな」と分かってしまうので少しボカしてこのタイトルです。


そして、これにて第三章『里外任務』編は終了です。

第三.五章を挟んで次は第四章です。

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