第79話『危険なピクニック』

 秘書の女を始末した俺は、竜人娘の居た辺りへと戻った。


 そこには、荒れた林の様子と、そこに佇む竜人娘レンゲが立っていた。

 全身に刀傷があり、特に右の手首は重症なようでダラリと垂れ下がったままだった。


 彼女が躰篭を使えば、十分支部長に勝てる目算だった。

 なぜそのような傷を負ったかは予想が付いた。


「意地を張ったな」

「……」


 彼女も自覚はあるようで、意図的に俺の言葉を無視した。

 ナイフを鞘に納めると、数度、拳を握ったり開いたりして何かを確かめている。


 後は此処を去るだけだが、任務が成功した証拠があった方が良いだろう。


 俺は地面に転がる支部長の上半身に近づくと、ナイフで支部長の首を切り落とした。


 それを掴み上げたのと同時に、草が擦れる音がした。


「……ケホ、なに、が……」


 気絶させていたアレックスが起き上がる。

 状況を把握するように、こちらを見ると、転がった母親の首を持ち上げている俺と目が合った。


 アレックスの目が大きく見開かれる。


 俺はその瞬間に彼の背後から影の棘を伸ばし、その左胸を貫いた。


「……カハッ、ぁ」


 小さく呻き声を上げて、その場に倒れ込んだ。


「うん?」


 手応えに違和感を感じてもう一度、影の棘を伸ばそうとしたその時、高速で何かが地面に飛来した。


 同時に、グイと腕を引っ張られながら、莫大な気の存在を感じ取った。


 俺の横を通って、細い細い一本の筋が林の中を抜けていった。


「ハッハァ」


 尖った赤い髪と、緑色の瞳。

 見覚えのある特徴を持った男が地面に降り立つ。


 男は心底楽しそうに笑った。

 その右手には振り切った後の剣が握られている。


「——ッッッ!」


 俺はこれまでに無いほど濃密な死の気配を感じた。


 今現れたこの男は、師範よりも強い。


 尻餅を付いた姿勢の俺の頬に、血飛沫が掛かる。


「は?」


 俺の前に立つ、竜人娘レンゲの左の腕が、肘の上から無くなっていた。

 ドス、と遅れて重々しい何かが背後に落ちる音がした。

 地面に着いた俺の手のすぐ横には、大きな溝が出来上がっていた。


 数秒の間に竜人娘レンゲが追い詰められた。

 いや、違う。追い詰めたのは俺か。


 彼女が俺を庇って前に出たのだ。

 頼んでもいないのに、彼女が、勝手に……。



「よォ、クソ餓鬼ども、こんな夜にピクニックたァ、洒落てるな。記念にテメェのそれと俺のコレ、交換するかァ?」


 ハッとして男の左手を見れば、その手には師範の首があった。

 数十分前まで話していた人間が死んでいる事への動揺は少ない。


 そんなものはこの世界で何度も経験しているからだ。

 目の前で人が死ぬ瞬間を何度も見ている。


 男が纏う気はその手に持つ剣のように鋭い形をしている。

 これまでに見たことの無い気の形をしている。



「スゥ」


 隣で、大きく息を吸い込む音がした。

 俺は手で両方の耳を押さえながら、距離を置く。


 ガア”■”■”■”ッッッ——!!!


「……ッ!」


 赤髪の男へ向けてブレスが放たれる。

 その中で男が剣を振ったがそれで相殺される筈もなく、衝撃の波で背後へ押し流される。

 わざと収束を甘くしたことで、男へのダメージは少ないが、行動の阻害ができた。


 指向性が加わっているお陰で、背後に居る俺の被害は片側の鼓膜が弾けるだけで済んだ。


「……餓鬼がァ」


 再び莫大な気が動く。

 さっき、竜人娘レンゲの片腕を襲われた技が来る。


 命の危険を察して、時間が引き伸ばされたような感覚に陥る。

 こんな時こそ思考を回せ。


 『この男は誰だ?』

 『何を目的でここに来た?』

 『なぜ、師範を殺した後にこの場所に来た?』

 『どうすれば逃げられる』『竜人娘レンゲは走れるか』

 『男は足を怪我している』『おそらく師範が傷を付けた』

 『背中を見せれば一瞬で切られる』

 『この場所は屋敷だ』『足元の亀裂から、地下の通路が見えている』『そうだ、街の地下には通路があった』

 『赤い髪と、緑の瞳』『支部長と同じだ』『顔立ちは、似ているか』

 『男は怒りを纏っている』『そして剣士』『二十代中盤』


「……これは、返してやるっ!」


 握っていた支部長の首を出来るだけ速い速度で、剣を構える男へ向かって投げつける。

 避けてしまえば、木の幹にぶつかって潰れるくらいの速さで。


「……クソがァ」


 悪態を吐きながら、男は柄から手を離した。

 そうして、首を受け止めようとする。


 やはり、男は支部長と何らかの繋がりがある。

 


 同時に俺は影へと気を込めると、周囲の地面を円の形に削った。


 そして、さらに俺が持ちうる全ての気を影へと注ぎ込んで、巨大な顎門を作り出し、男を包み込んだ。

 どうせ一瞬で突破される。目隠し代わりだ。


 その隙に地下に落ちた俺達は、【迅気】を纏って、地下通路を走る。

 直ぐに影の顎が破壊されたのを察知するが、追手は……来ない。


 静かに安堵しながら、念のために遠回りをしながら走る。


 逃走の経路は確保しているが、全体を把握している訳でもなく、ただあの男から遠ざかるように走っていただけなので、今どこにいるのかも把握していなかった。


 一度上に出る必要があるだろう。

 

「はぁっ……はぁっ」


 竜人娘レンゲの息が上がっている。

 支部長との戦闘は相当な負荷だったが、彼女の体力は一度の戦闘で失われるほどには少なく無い。


 腕を切断された影響だろうか。


 俺は地下に落ちる時に回収した彼女の腕を差し出した。

 その断面は血が滲んではいるが、惚れ惚れする程綺麗だった。


「繋がるか分からないが、固定する」

「分かった。やれ」


 俺は服の繊維を解いて糸にする。


 そうして、一部を使って彼女の腕の付け根をキツく縛って止血する。

 さらに針を取り出してまげて糸をその後端にひっかけると、彼女の腕を縫合していく。


「……」


 その間、彼女は僅かに顔を顰めるだけだった。

 本当に痛みに強い。


 心臓を躰篭にしている間も、彼女は呻き声を漏らすだけだった。


 俺に人体の知識はあっても、医療の知識は無い。

 とにかく血が巡るように、腕の血管と皮膚だけを繋ぐ。神経を繋ぐなんてことは俺にはできないが、血管を繋いだだけでも感謝してほしい。


 血が巡れば、気も巡るようになる。

 その後治るかは、彼女の治癒力次第だ。


「む」


 彼女は固定した腕を眺めると、その傷口へと気を集める。


「ふぅ……はぁ」


 未だに彼女には疲労の色が見えた。

 不自然に思った俺は眼球の躰篭によって彼女の内側を覗く。


 彼女の内側の気の流れがかなり乱れているようだった。


 もしかすると、心臓の躰篭の影響か。

 内臓を通る気の回りが悪くなり、それが疲労として表に出ているらしい。


「レンゲ、心臓の躰篭は切った方が良い」

「そうか」


 彼女は瞼を数秒の間閉じると、彼女が放つ気が減った。

 躰篭とのパスを切ったようだ。



 俺は血だらけの両手を壁に擦り付けて拭うと、これからの行動の指針を考える。


 任務は達成した。

 しかし、師範は死んだ。

 これが一番不味い。俺達はこの後、里に戻る方法が無いということを意味する。後で、里の人間が合流するのだとしても、俺達はここに止まることは出来ない。


 そういえば、屋敷には気絶したオグが置いたままになっている。

 彼が見つかれば、事情を聞かれる。その時に俺達の動きが発覚することになる。

 もちろん、逃走経路である地下の通路に関しても知られる。

 彼に知らせたのは通路の入り口の場所だけだが、それでも地下を通って逃げるつもりだったことが知られれば、そこに網を張られる。


 いや、あの赤髪の男には地下を通ることは知られているか。


 とにかく、今晩の内に街を出ることは決定だ。

 

 問題は、ウェンとエン、そしてエルフの少女を回収するか。

 それともこのまま逃げるか。


 歩きながら二つのメリットとデメリットを比べる。彼女らにリスクを冒す価値はあるか……。


「回収する。レンゲは先に街の外に出ていてくれ」

「なぜだ」


 彼女だけを先に逃す理由を尋ねているのだろう。

 自分だけが背中を向けることに不満を抱いているのが分かった。

 できることなら俺だけでも逃げたいところなのが本音だ。


「その気の量だと街の中で動くには目立つ」


 それに腕の治癒を考えると、纏う気が絶えない方が都合が良い。


 最も俺のリスクが少ない方法を考えた結果、俺が最も危険を犯さないといけないのは腹が立つが、隠密行動においては誰にも負けない結果を残している。


 地上に人がいないのを確認して、影で天井に穴を開けると、そこから飛び出す。


「合流場所は、街の外の街道沿いにある大きな岩だ」


 街に入る前に馬車でその横を通ったので覚えている筈だ。

 街中にあってあの赤髪の男に気付かれない勝算が俺にはあった。


 おそらく、彼らの気の感知能力はそれほど高くは無い。

 竜人娘との戦いの最中、遠くから監視する俺に支部長は気付かなかったし、赤髪の男は実力では勝っているにもかかわらず追って来れなかった。


 彼らは感知に長けていないか、その範囲が極端に狭いのではないか。

 剣士は正面からの戦闘を得意とする。ならば、立ち合いの間合いよりも先へ届く感知能力が不要になる。

 この想像は間違ってはいないだろう。


 地上に出たことで、街のどの辺りにいるかが把握できた。

 俺と彼女は二手に分かれて走り出す。


「……早く来い」


 そう言って、街壁の方へと走り出した。

 彼女は【猿歩】によって壁を登って外に出るつもりだろう。


「……」


 俺は静かに気の出力を下げると、路地の闇の中を音も無く走り出した。




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