第78話『処理』

「……」


 聖剣機関の支部長、ミグレイ・ブレイドは焦りを募らせる。


 視界の端に見える自身の息子はその足首から、ゆっくりと血を流している。加えて毒でも飲まされているのか、目が覚める気配も無い。


 僅かに上下する胸元から、彼が生きているということは分かるが、残された時間は少ない。


「……シィッ!!」


 剛撃、とでも呼ぶべき重く鋭い攻撃。

 それにナイフとしての小回りの良さが重なって、小さな竜巻を相手にしているような気分にさせられる。

 九割以上の衝撃を受け流してなお、こちらの体力を削られるような威力のあるそれが片手で繰り出され続ける。


 ミグレイは剣の表面に受け流すような斥力を発生させる、【流水】の剣技によってその攻撃を誘導する。


 それと同時に高速の移動と斬撃を繰り出す【音切おときり】によって擦れ違い様に彼女の腕を切り落とすつもりで、剣を振るった。


「……」


 皮膚を超えて骨に届くような手応えがあった。

 にも関わらず、断ち切るには至らない。


「気の量だけではないですね。この骨の硬さ……貴女、体を改造されていますね。……それに痛覚も」


 斬撃を与えたにも関わらず、ピクリとも表情を動かさない彼女は、おそらく痛覚も破壊されているとミグレイは洞察した。


 竜人の少女は、だらりと血だらけの右腕を垂らしながら、一度大きく後ろに飛び退くと、木の枝に

 左手にナイフを持ち替えると、右腕の傷の周囲に気を纏う。


 ゆっくりと出血が止めるが、傷が治りきるほどの治癒速度は無い。

 内側の筋肉までその傷は及んでいる。


 これで少女の力は少し落ちた。

 既に彼女の全身には生傷が絶えない。

 致命傷となる首回りの攻撃は避けているものの、少しずつ血も流れている。


 段々と、死が近づいている。


「……チッ」


 この結果は想像がついていた。

 ミグレイと組み手をした時点から彼女の引き出しの多さには気づいていた。しかし、剣技を覚えればその対処はできるかもしれない、という楽観的な観測もあった。


 彼女が舌打ちを漏らしたのは蛇人族の少年の言った通りになるのが癪であったからだ。

 相手が正面からぶつかるタイプであったならば、おそらくは彼女の圧勝であった。しかし、ミグレイは一回もまともに正面から攻撃を受け止めたことは無かった。


 これから、竜人の少女の前に現れるのはきっとこういう者達ばかりだろう。彼女に対して、搦め手や技で対処するような者ばかり。


 彼女は技や搦め手を吸収して適応してきたが、それでも追いつくことはできない者もいるだろう。

 相手は自身の倍以上の時を生きてきた剣士だ。


 負けても仕方が無い。

 仕方が、無い。


「……そんな訳が無いだろう」


 認められない、自分の弱さを、それ以上に敗北を。


 負けないためなら何でもやる。


「何か、おかしいですか?」


 歯を剥き出しにして笑う。

 楽しいという感情の発露では無く、純然たる攻撃性が表情に出ただけだ。


 目の前でミグレイが怪訝そうな顔を浮かべているのを見て、溜飲が下がる。


「せいぜい、後悔しろ。わたしを本気にさせたことを」


 ——例え、悪魔に魂を売ろうとも、勝つ。


 誰にも負けず、前へ進み続ける、それが彼女の『王』の在り方だった。

 師範によって、彼女の理想は何度も折られ続けたが、一度だってその憧れへの渇望を忘れたことは無い。


——ドクドク、と彼女の拍動が強く鳴る。



「……っ」


 地面に音も無く降り立った少女に対して、ミグレイは息を呑んだ。

 これまでにも似たような連中とは何度も戦ったことがある。

 それらは例外無く、彼女は殺している。


 彼らはいつも機械的にミグレイを狙ってきた。

 共通して彼らは感情の無い、無機質な目を持っていた。


 しかし、目の前の少女はそれらとは真逆、むしろ子供とは思え無いほどの激情を秘めている。

 並の竜人以上の膂力、そして異常なまでの気の量も少女の持つ武器に過ぎない。


 全ての核にあるのは、その才を以てしても分を越えた傲慢だ。



——少女の心臓が拍動を打つ度に、その気配が大きくなっていく。


 彼女の纏う気の量が増していく。

 既に、その小さな肉体に収まり切ることが信じられない程の密度になっていた。


「これは、明らかに人の分を超えています……っ。こんな、まるで……」

「分、か。おまえの底でわたしを測れるか?」


 先程、躰篭となった心臓が本格的にその力を発揮し始める。これまでは、そのパスを繋がない状態のまま闘っていたのだ。


 まずは自分一人の力で、闘ってみたかったからだ。


 でも、まだ届かない事は分かった。

 それ程距離は無いことも、確かめられた。


 後は勝利を得るだけ。


 心臓に効果を付与する時、彼女の力を受け流すような技や経験を駆使する相手に対してどうやって対処するか、彼女は非常にシンプルな答えを出した。


 技や経験を押し潰す、圧倒的な力が有れば良い。


 そして、彼女の心臓には三つの効果が刻まれた。

 『干渉強化』により心臓全体の働きが活性化する。もちろんその中には気の発生も含まれている。

 『気量増加』によって心臓が発生させる気の量をさらに増加させる。

 『気操作補助』によって心臓で行う【迅気】などの気の変換でのロスを減らした。これでさらに変換自体のラグも減る。


「お前はもう、わたしの影にも触れられない」


 彼女の速度が、力が、気術が、一段階も二段階も上に進化する。


 静かに、彼女の体が前に前進する。

 そう思えば、コマ落ちの映像のように、少女の姿はミグレイの目の前にあった。


 戦いの中で彼女が何度も見せた剣技だ。


「……な、【縮ち」


 少女が振り上げた大振りのナイフを受け止めるように、彼女は剣を掲げた。【剣気】を厚く纏ったこの剣ならば受け止め切れる自信があった。


 だが、忘れていた。

 彼女相手に正面から受け止めるのは不味いということを。

 剣の半ばまでナイフの刃が切り込んだ。


 そのナイフの刃には極限まで圧縮された気が走っていた。


 さらに刃が進み——


「……は?……」


 ——気づけば、彼女の上半身は空を舞っていた。


 視界には、少女の瞳が走った軌跡が金色の残像となっていた。

 その最前にある少女と眼が合う。


「……ぁ」


 粘着質な衝撃音を立てながら、彼女の上半身が地面に落ちた。

 遅れて、立ったままだった下半身は前に倒れる。


 霞み始めた彼女の視界に、銀色の髪が見えた。


 彼らの目的はきっとミグレイ自身だ。

 ならば息子を人質に取る理由はもうなくなった。

 彼女は戦う最中も息子を使って脅すことは無かった。


 彼女ならば、態々息子を殺すことはないだろう。そういう確信が不思議とあった。

 彼女の実直さはナイフの刃を通して存分に伝わったから。


 ならば、一度は志を捨てた彼女だが、剣士としてこの少女に言葉を送るべきだろう。


「……み、事です」

「……ふん」


 素直な称賛を送ったミグレイに対して、少女は不機嫌そうに息を吐いた。




◆◆◆◆




 それらとほぼ同じ時間帯。

 一人の人物が、屋敷の中を歩いていた。


「賑やかになってきたね」


 蛇人族の師範、儡蛇ライダは穏やかな声色で呟きながら、横目で廊下の窓から、街の官吏達が剣士を伴って屋敷へと押し入ってくる様子を眺めている。


 官吏たちは見て分かるほどに数が多いが、屋敷の兵士の中には、里での訓練を受けた者も混じっている。


 戦力で言えば、今のところ屋敷の方が優勢だろう。


 そんな剣撃と怒号が飛び交う外の様子と同様に、屋敷の中にも次々と蝋燭の明かりが灯り、使用人たちが廊下を行き交う。


 そんな中で、誰も彼を警戒することは無い。

 何度かこの屋敷には顔を出していたから、完全に仲間だと思われているのだ。


 彼の歩調があまりにも落ち着いていることに疑問を浮かべる者はいても、彼がいることへ不信感を覚える者は居なかった。


「うん。前と変わらないね」


 薄く気を広げて、目的の対象を見つけると廊下を曲がって奥の部屋へと歩く。


 以前にこの廊下を通ったのは、既に20年以上は前だ。

 懐かしむような表情を見せながら、その心中な凪のように静かだった。


 奥の部屋から一人の人間が慌てたように出てきた。


「おや。こんばんわ、商会長」

「……これはこれは、プラット殿が来ておられましたか。外が騒がしいようですが、どうかされましたかな?」


 商会長も怪訝そうな顔をしながらも、ライダがここに居ることを咎めることはしない。


 ライダは口元に笑みを作ったまま、彼が右手に持つものへと視線を向ける。


「それは?」

「む?これですか。少し遊んでいたのですよ。歳を取ると、どうにも……」


 そんなことを言いながら、自慢げに手に持った棍棒のような形状のものを見せびらかしてくる。

 そこにはベットリと血液が付いていた。


 商会長に遅れて、森人族エルフの少女が部屋から出てきた。


 既に瞳から感情の失せている彼女の様子を見て、中で何が行われていたか、ライダは察した。


「どうやら、管理がこの屋敷に攻め込んできたようです。撃退するまでこちらの部屋に隠れていた方が良いでしょう。心配はありませんよ。私も貴方を守りますから」

「うぅむ、それはよかった。儂の護衛を務めるヌカが先ほどから見当たらないようで困っていたんですぞ」


 彼は素直に部屋の中にライダを招き入れる。


「少々、散らかってはおります。趣味の部屋を人に見られるのは、気恥ずかしいですな」


 ライダは仰々しく配置された拷問器具や、血に濡れたベッドをゆっくりと見回す。


とは趣が違いますね」

「え、いぜ……」


 商会長が違和感に気付いて振り返ろうとした途端、その手の甲に何かが刺さる。

 見下ろせば、小さな針が刺さっていた。


「わ、儂の手に何をするのだ、プラットぉ!!」


 裁縫に使うようなサイズの針を商会長は手で抜き取って捨てると、ライダに向かって声を荒げる。


「手だけじゃ無いよ」


 足の甲にも針は刺さっていた。


「……っ、くそ、この」


 商会長は自身の腹の肉で邪魔されながらも、その針を抜いた。


「こんな事をして、無事に済むと思うか!?」

「済まないだろうね。明らかに任務の情報を隠蔽していた君たちは特に」


 商会長は目を見開く。


「だとしても、儂が殺される謂れは無い!儂の命はお前達よりも重いのだ!!」

「それは違うよ」


 ライダは少し笑った。


「命の価値は等しく無だよ。その生も、金も、肉も……全てはに与えられたものだからね」

「そんなのは、建まっ……え?」


 反論しようとした商会長は、体から力が抜けて転がる。

 体を支えようとして、手を着いた瞬間、激痛が走る。


「イギッ!……なんだ、これは!?」


 掌が黒ずんで、腐肉のように柔らかくなり崩れ落ちてしまっていた。


「特別性の毒だよ。末端からゆっくりと、君の肉を溶かしていく。……今は痛みは無いだろう?でも神経まで侵されたら、激痛で言葉も話せなくなる。その後もじっくりと痛みを堪能した後で……君はやっと死ぬことができる」


「は……は?」


 既に傷口を焼かれるような激痛を感じているのに、これ以上の痛みが来ると知って、商会長は絶望に目を見開く。


「し、死にたく無いっ!!」 

「お、その意気だよ。ここにはいろんな道具があるようだからね」


 ライダは無造作に置かれたノコギリを地面に突き立てた。これで刃が地面に固定された。


「その手だと、鋸を握ることも出来なさそうだから、僕なりの餞別だよ。このノコギリで君の四肢を切り落とせば、君は毒から助かるよ」

「ひ、ひ」


 緊張で浅い呼吸をする商会長を、ライダは無表情のままじっと見下ろすと、ニコリと笑顔を作った。


「さようなら、マリウス・ラビンソン」

「ま、待て!!」


 中から悲鳴のもれないようにと、厳重に作った扉が、皮肉にも彼の声を遮断した。もう、誰も助けには来ない。





「ふぅ」


 一仕事終えたライダは、小さく息を吐いた。

 この後は屋敷から姿を消して子供達を回収、そして上層部に対して、任務の不備を徹底的に追及する。


「うん?」

「……」


 廊下には森人族エルフの少女が無言で佇んでいた。


「君は」

「……ッ」


 手の届く距離に近づこうとした瞬間、彼女の体が硬直したのが分かった。

 ライダはそれを見て薄く笑うと、手を引いた。


「リルス、だったね。君はフウロウェンを探しなさい」

「わ”、わかり”、ま”した」


 彼女の喉は枯れていた。

 その後ろ姿をライダは見送る。

 傷つき切っているが、まだ生きる事を諦めていない彼女を見て、彼は少し感心したような表情を見せる。


 その瞬間、大きな気の気配を察知して、彼は飛び出した。

 不格好に走る森人族エルフの少女に向かって横合いから放たれた斬撃に割り込んだ。


「剣、と言うには随分と見境が無いね」

「テメェ、まさか、闇の使徒か」


 沈黙で肯定するライダに対して、彼はニィと笑みを浮かべた。


「そうだよ。私が間見える剣聖は君で二人目だ」

「俺は当たりを引いたようだなァ、ゴミの使徒ォ」


「それは私の台詞だよ」


 ライダは余裕そうな笑みを浮かべた。


「剣聖の中でも成り立ての雑魚を相手にできるなんて……運が良い」

「ハッ」


 剣聖は額に筋を立てながら攻撃的に笑った。




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第78話『処理』

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