第77話『黒蛇』

 月明かりさえ無い暗闇の中で、聖剣機関の支部長、ミグレイは剣を振っている。


 若干動きに鈍さが見られるのは、完全な暗闇での戦闘を強いられているからだろう。


 林の隙間を、金色の曲線が二本走る。

 少し遠くを動いていると思ったら、瞬きの間に彼我の距離を消し去る。


「……っ!あの時は、手を抜いていましたね」

「……それが、なんだ?」


 斜め後ろからのナイフを受け流される。

 あまりの衝撃で火花が散り、二人の視線が交差する。


 ミグレイが素早く剣の表面に気を流すと、剣の表面に横向きの力が発生して、竜人の少女の剣が横に押し流された。


 強引に力を受け流された少女は目を見開きながらも、次の瞬間には、地面に深く姿勢を落として尻尾によって足を払う。


 ミグレイは宙を後転して、踊るようにそれを避けると、回る勢いのままキレのある突きを二つ放つ。

 腹部を狙う攻撃をナイフで受け流し、肩を狙う一撃を身を逸らして躱す。


「……」


 【迅気】を纏いながら動いているにもかかわらず、攻撃を見切られた事実に竜人娘は苛立ちを見せる。


 しかし、ミグレイの方の剣技も、竜人娘は見切って避けた。


「あなたのような技を使う者を何人か見たことが有ります」


 ミグレイは鋒を向けて少女を牽制する。

 速度を重視するような気の運用と容赦なく弱点を狙う冷酷な戦い方。


「ですが、竜人がそうであるとは思っていませんでした。まして子供とは」


 ミグレイがこれまで見てきた者達はその全てが人族だったために、彼女がそうであるとは思ってもいなかった。

 竜人が同種族での結びつきが強い種族というのもその理由だった。


「……ですが」


 ミグレイの瞳に力が宿る。

 

「貴女達の卑劣を許すことは出来ない。一片たりとも」


 そして、剣を肩に担ぐように構えた。

 一歩二歩、そして三歩目でミグレイの姿が消える。


「……遅い」


 加速の剣技、【縮地】を見切った彼女は袈裟懸けに振るわれた剣を余裕を持って躱す。


「……ハァ!」


 しかし、肘が不自然に動いたと思えば、剣の方向が竜人の少女に向けて直角に曲がる。

 剣技、【雷刃】。慣性を無視した直角の方向転換を行う剣技である。


 聖剣流の中にはこういった、知らなければ躱すことの出来ない技がいくつも盛り込まれている。


「……ッ」

「……それは、もう見た」


 腰元でナイフの刃が剣技を受け止めた。


 中伝のクラスにいるときに、彼女はその剣技を一度見た。

 そして、覚えた。

 だから、対処もできる。



「本当に、勿体ない。今ならまだ間に合います。投降しなさい。まだ子供である貴女なら、更生の余地はあります。そうすれば、貴女の罪は許されるでしょう」

「……はぁ」


 竜人の少女は、深く息を吐いた。

 きっと彼女の背後にある里のことを話せば許される可能性はあるかもしれない。


 しかし、なぜ自分が生きるために、他人に許しを請わないといけないのか。

 心の奥底が煌々と燃えるのを感じる。

 抑えきれない彼女の気質が、その身を怒りで熱くする。


「……なら、屈服させてみろ。おまえの身の程を、おしえてやる」

「そう、ですか。なら教えてあげましょう」


 ミグレイはもう一度、肩に剣を担いだ。



「……聖剣流には、表目録と裏目録の二つがあります」


 突然語り出したミグレイを竜人の少女が怪訝な目で見る。


 表目録には気を用いない剣技が記され、裏目録には気を用いた剣技が記されている。


「表を全て修めれば表伝、裏を全て修めれば裏伝——」


 初伝は二つの目録の中で、一つの技を修めればなれる。

 中伝はその数が五つに増える。

 その次の伝位が表伝と裏伝となる。


「——そして、両方を修めれば、奥伝です」


 彼女が今、それを言った意味を竜人の少女は察した。



「私は聖剣流奥伝剣士、ミグレイ・ブレイド。剣士の誇りに懸けて貴女を誅します」


 ミグレイは剣を構えたまま、前に飛び出す。


 そして、二人の間合いが重なった瞬間、ミグレイの剣が高速で六連を描く。


「……ッッシィ!」


 聖剣機関では見たことの無い剣技。

 ミグレイの実力は支部の誰よりも先を行っているということを理解した。


 竜人の少女は、【迅極】によって速度の限界を超えてその全ての剣を受け切った。


 ミグレイは感心するような口調で彼女を褒めた。


「素直に称賛を送りましょう、その気量は全てを覆すだけの力がある。いつかは、私など超えてその先へ行くでしょう……」



「……ですが、今はまだ私には届かない」


 ツゥ、と少女の頬に走った傷から、血液が流れた。




 ◆◆◆◆




 二人が刃を交す様子を、俺は遠くから見ていた。

 俺は支部長へのバックアタックを狙っている……訳では無い。


 彼女ならば支部長にも勝てるという確信を得たからこそ、俺はその場を離れた。

 不測の乱入が無ければ、彼女は勝てるだろう。


 乱入しようとしても、彼女が咆哮を放った後でないと巻き添えが怖くて近づけない、というのもある。


「……?」


 屋敷の方に耳を傾けると、祭りの夜の喧騒に紛れて、異変を感じる怒号が聞こえた。

 おそらくは師範が、兵士を使って聖剣機関の剣士達を押し留めているのだろう。

 段々と、騒がしさが増していく。


 屋敷の中では外の異変を察して、蝋燭の明かりが増え、右往左往する気配が感じ取れた。


 そんな中で、一人だけこちらに向かってくる気配があった。


 その人物は黒色のローブに身を包んでいた。

 腰元にはナイフの柄で外からも膨らんでいるのがわかる。


 俺達にとっては馴染みの深い格好だ。


「おや、どうかしましたか?商会長の秘書さんですよね?」

「裏切り者と話す気は無いわ」


 ローブの隙間から青みがかった灰色の髪が覗く。

 彼女は商会長の護衛だろう。以前に見かけた時からその身にかなりの量の気を秘めていることには気付いていた。

 商会長が里とつながっていることを考えれば、里出身の者が彼を守るのも不思議では無い。


 俺は思わず、師範を呪いたい気持ちに襲われる。

 どうやら、彼らの視点では裏切ったのは俺達だったようだ。


 ならば、今すぐ逃げるか?


「やっぱり、亜人は信用ならない。馬鹿で野蛮な奴らよ」


 音もなく、ナイフを抜いた。

 そして、逃げるために踵を返す寸前で、違和感に気づいた。


 彼女の気配に、覚えがあった。

 初めて会った時はおそらく、気を抑えていたのだろう。


 戦闘が近づいている今はそれを抑える必要が無い。

 だからこそ気づけた。


「本当に、気持ち悪いっ」


 吐き捨てるような言葉は、彼女の纏う感情と一致している。


「……お前か」

「おまけに、言葉の使い方も知らないなんて」


 彼女が、以前に街で現れた追跡者の正体だ。


 その目的は読みとれないが、少なくとも一つのことが分かった。


「初めから、依頼を成功させる気なんて、無かったんだな」

「お前達に、実力が足りないだけよ?」


 女が纏う粘着質な喜色が、俺達の失敗を心底望んでいたという証明だった。

 そして、反対に師範は味方であるということも分かった。


 これは俺達の『里外任務』などではなく、人族至上派閥と亜人派閥の鞘当てだ。成功する目の薄い任務を俺達に押し付けてきた訳だ。


 そうなると、師範が言っていた野暮用の正体も想像が付く。おそらくは商会長の口を封じる。文句を言う者が居なければ問題は無いも同然だからだ。

 例え何かを言われても『任務に問題があった』で押し通せる。


 事情を知る者がいなければ……どうとでも。


「何、もしかして戦うつもり?」

「……死にたくないので、仕方なく」


 俺は、隠していたナイフを逆手に構えた。

 対する秘書の女は、片手にナイフを持ち、空いた手に針を構えた。


「シィッ」

「……ッ」


 女は初めから全力で来た。

 コマ落ちのような速度ですれ違い様の一撃。

 【迅極】による速度を活かした、一方的な攻撃。


 俺も同じように【迅極】を使って、その攻撃を防いだ。


 女の気の量は師範には及ばないといった所だが、少なくとも現在の俺よりは多い。


「……ツ!」


 体重の乗ったナイフを受け止める。


 林の中を駆け回りながら、女は身を隠しながら何度も何度も攻撃を加えてくる。交錯の度に火花が飛び散る。


 方向転換の勢いで、丁寧に剪定された木の枝が折れる。

 それだけのエネルギーを彼女の体は秘めていると言うことだ。


 その場にいるだけでは、ジリ貧だ。

 速度で張り合えばジリ貧になるだけだ。


 俺は木の多い方へと、少しずつ移動していく。


「里の人間に暗闇は意味無いってこと、知らないのね」


 女は嘲笑うように言った。

 どうやら蛇人族の性質である、第三の目ピット器官の事はすでに知っているようだ。

 余裕を見せてくる彼女に俺は言葉のナイフを投げかける。


「あなたは……俺の師範よりも気の扱いが下手ですね」

「……お前がそういう力を持っているのは知っているのよ」


 警戒するように、彼女の感情の色が消える。

 どうやら、精神的な防御は心得ているようだ。


 だが、見えなくとも『隠した』という事実から大抵のことは分かる。


「隠さなくても分かりますよ。そう言えば、使徒って何かご存知ですか?」

「……」


 飛んできた針を、ナイフで叩き落としながら、さらに尋ねる。

 

「どうやら『里外任務』の時には外にいる使徒がついてくれるそうなんですが、あなたは違いますよね。使徒だったら師範と同じくらいには筈ですからね?」

「……黙れ」


 半笑いでそう言えば、彼女の隠していた嫉妬と怒りの感情がはっきりと現れた。


「あぁ、やっぱり感情を隠すのもですね!」

「……ゴミが、喋るな」


 怒りで短調になった代わりに、攻撃が重くなる。


 このまま怒りで我を忘れれば、簡単なのだが……。


 

 ナイフと同時に手元から針を飛ばす。

 感情が揺れるくらいでは染み付いた里の動きは錆びないようだ。


「グッ」


 空いた左の指で針を受け止めれば、腹部に膝を受けて転がる。

 見えてはいたが、こちらの処理速度を超える連撃で押し込まれた。


 トス、と針によって服の端が地面に縫い止められる。


 怒りを超えて無表情を見せる女が、目の前に近づいてくる。


「……」


 ただ、俺を殺す瞬間を見逃さないように、俺に意識を集中させている。




「月が綺麗ですね」

「……は?」


 女が一瞬、疑問の表情を浮かべる。

 わざわざ上を向くまでもなく、今夜は新月だ。月なんて見える筈もない。


 屋敷から離れたこの場所には深い闇が広がっている。


 だから、を使える。


「——すぅ」


 深く呼吸を吐いて見せる。

 すると、不意に地面から影が


「お前、それはま……いや、躰篭っ!?」


 彼女の周囲の空間に夥しい数の黒い丸、いや棘が点々と現れる。


「馬鹿なっ、失敗すれば廃人になるのよ!?」


 だから何だ。死ぬよりは遥に上等だ。


 気付けば地面から伸びた影が、蛇のように巻き付いて彼女の体を拘束した。

 いくつかは彼女の手で叩き落とされるが、蛇の濁流を止めることは叶わない。


「待ッ………」


 彼女の逃げ場は無く、棘は全方位から彼女に狙いを定めている。

 何かを言いかけた瞬間、影の躰篭が彼女の全身を刺し貫いた。

 腹部から入り込んだ棘が肉体の中をズタズタに引き裂いてから、その皮膚を食い破って出てくる。


「……へ……ぁ”……」


 闇の中に、影で一本の木が出来上がった。


 磔の姿勢になった女から、吐息が漏れる。


 影の躰篭、それがこの一年半の間で俺が手に入れた奥の手だ。

 闇の中でしか使えない代わりに、格上にも通じる。



 遅れて女の体から、ゴポ、と息に混じって肺から血液が溢れ出る音がした。




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