第76話『不正解』

「あ、がっあ」


 竜人娘に向かって来たオグがボロボロになって倒れる。

 腕は処置しなければ一生剣が持てなくなりそうな程に粉々に砕かれているし、肋骨は拳の形に凹んでいる。

 顔は血で真っ赤に染まってロクに前も見えていない。


 当たり前の結果だ。

 里で竜人娘に勝てなかった者が、たった数日、剣を習っただけで勝てるようになるのかと言えば、そんな筈は無い。


 彼が生きているのは、俺達に仲間殺しが許されるのか、という疑問があるからというだけの理由だった。


「……」


 竜人娘レンゲがオグの首を締め上げる。

 もはや腕の上がらないオグは、無防備にそれを受けるしかない。


「へへ、怖くねぇよ」


 最後にオグはこちらを見て笑い、意識を失った。


 倒れた彼の後ろには、支部長の息子、アレックスが居た。


「驚いたよ、アレックスくん。馴れ合いなんて無駄だ、と言ってた君が、オグの心を掴むなんてね」

「なっ、あ?、は?」


 彼は目の前で起こっている光景が信じられないようだった。

 おそらくオグは何も彼に伝えて居なかったのだろう。

 彼からすれば、祭りからの帰りにいきなり通り魔にあったような感じだろうか。

 そして、その通り魔と襲われた友人が知り合いのようだった。


 きっと情報を受け止めることもできていない。

 剣術を習っているだけの、平和ボケした少年だ。


 尻餅をついた彼に向かって、手を伸ばす。

 とりあえず意識を落として、地下に運ぼう……


「……っ!」


 その寸前に、気配が一瞬で近づいて来て、俺に向かって剣を振るった。

 俺は体を引いて、大きく飛び退いて相手を視界に収めた。


「やっぱり報復しに来たか、ルフレッド」


 今にも走り出しそうな構えで剣をこちらに向ける犬人族の男は、Aクラスの先生だった。


 彼の言葉から、どうやら俺達の本当の目的は知っている訳では無いと気づいた。

 思った通り、オグは彼らに俺の事を話していない。

 もしも暗殺について教えたとしても、なぜオグがそのことを知っているか、という話になる。

 暗殺者当人であると言って信じてもらえる筈が無い。


 俺は彼から溢れ出る感情を眺める。


 表情の方は、子供を護る大人の顔をしているのだが、感情はそれよりも素直な色を見せている。


「先生、俺を痛めつけても支部長はあなたを振り向いてはくれませんよ?」

「……ルフレッド、出鱈目を言うのは感心しないぞ」


 彼の表情は全く変わらない。が、感情には羞恥の色が見える。

 これだけ感情が動くのは油断している証だった。恐らく現状を行き過ぎた喧嘩の結果だと思っているに違いない。

 俺は敢えて、背後のアレックスに話を振る。


「アレックス君。その先生、君のパパになりたいみたいだよ?君のお母さんのこと大好きだから。気持ちが悪いね?」

「ち、違う!出鱈目だ……」

 

 俺の言葉に対して、弁明するためにに後ろを向いた。

 向いてしまった。


「シィッ」

「……ッ、ルフレ……」


 気を纏いながら加速する。

 足に【迅気】を纏いながらさらに加速し、背中に隠したナイフを繰り出す。

 俺の気配が変わったのに気づいて剣をこちらに向けようとする。


 でも、遅い。


「……ット、かふ……」


 柄を伝って、滑りのある液体に包まれる感覚がある。

 ナイフの柄を捻ると、苦悶の声を上げる。


「おま、え」


 驚いた顔をしたまま彼は、そのまま息絶えた。


 ようやく、アレックスへと向かう。

 今度は向かってくる気配は無いのを厳重に確認した。


「時間が無いから、暴れないでくれると嬉しいよ」


 正面から頸動脈を押さえつける。


「ぐ……ぅ……」


 苦しさから目の端から涙を流しながら、アレックスは気絶する。


「オリヴィア、今から地下に連れて行く。適当に痕跡を残しながらついて来てくれ」

「……」


 竜人娘レンゲは、オグの体を持ち上げると俺の背後にぴったりと追ってくる。


「……ッ」

「良かった。きちんと警戒しているようだね」


 感知範囲内に、唐突に気配が現れて、驚いて背後を振り向くと、蛇人族の師範が立って居た。

 妙なことにこの街に来てからはずっと剣士の装いだったのに、今は既に里にいる時と同じような黒いローブ。

 おそらく、この格好が彼の本気の時の姿なのだろう。


 問題は、なぜこの瞬間にその格好をしているのか。

 嫌な予感が増す。


「君たちの計画は知っている。しかし、少し変更させてもらう」

「……?」


 今回の任務、始まる前に彼は『手助けはしない』と断言をして居た。それを翻したということはイレギュラーが起きたことを示す。


「さあ、その人質を渡すんだ」

「……なぜ、ですか?」


 俺と竜人娘は警戒するように、重心を下げる。

 そんな俺達に対して、師範は朗らかな笑みを浮かべた。


「今回に関しては、君たちの領分を超えた事態が起きている。そういう場合、バックアップの使徒、私が手伝っても問題は無いよ」

「……」


「大丈夫、計画に変更は無い。場所が変わるだけだよ」

「……分かりました」


 念を押すように言った師範に、俺は従うことにした。

 同時に俺は安堵の息を吐いた。

 彼らのことだから、例え任務が失敗しても放って置かれるのかもしれないと思って居たからだ。


 責任というものは意外と、精神を削る。

 命が脅かされるものならば、その負担はかなりのものになる。


 受け取ったアレックスの体を持ち上げた師範は、ナイフでアレックスの膝下を薄く切る。


 ポタポタと少しずつ赤色の滴が垂れて落ちる。


「あぁ、それと」


 思い出したように師範はこちらを向いた。


「仙器化はもう使っても良いよ。もう隠しておく必要も無いからね」

「はい、分かりました」


 仙器化の解禁。それによって俺達の使える手札がいくつも増える。




◆◆◆◆




 師範を追って辿り着いた先は、一つの屋敷だった。

 この区画の他の屋敷よりも数倍は厳重な柵と、警備が敷かれていた。


「ここからは、気配を消すんだよ」


 俺はその言葉に従って、気をゼロにまで抑える。

 竜人娘の方も難しい顔をしながら、気術を使えない人族と同等まで気を抑えた。


 警備の目を掻い潜りながら、俺達は屋敷の庭へと忍び込んだ。

 屋敷の庭は広く、光のないこの状況では森と見紛う程だった。


 なんとなく彼の策が読めた。


 おそらくは、この屋敷をデコイ代わりにして、アレックスを探す聖剣機関の剣士達を抑える予定なのだ。


 その間に標的である支部長を殺す。


 俺達の領分を超えた出来事、というのが何かは分からないが、それを抑える方法もおそらくは用意しているのだろう。


 開けた場所で戦わないといけない分、剣士に有利な戦場だが、仙器化を使えるならば今の内に準備ができる。


「それじゃあ、健闘を祈るよ。私は野暮用に……」

「一つ聞いても良いですか?」


 師範は俺の言葉に対して、体はそっぽを向いたまま、俺の方へと視線を向ける。かなり時間に追われているようだ。


「……一つだけだよ」

「ここは?」


「ラビンソン商会長の家だよ」


 そう言ってアレックスの体を落とした師範は、屋敷の外へと走って行った。


「……商会長は味方では無かったのか……?」


 居なくなった師範に向けて疑問をぶつける。


 ここで戦えば、屋敷の中にいるであろう商会長達を巻き込むことになる。

 味方の筈の商会長を巻き込んで、俺達は里から咎められることはないのだろうか。


 蛇人族の師範の裏切りの可能性が浮かぶ。

 しかし、彼が得る利益など無い。少なくとも知らない。


 盤面の状況が掴めない。

 師範が商会長を裏切っているのか、それとも互いに了承した作戦の内なのか。


 情報が足りない。


 何も分からないこの状況が酷く口惜しい。

 それに、足元から這い寄るような悪寒をずっと感じている。


「オリ……レンゲ」

「なんだ」


「嫌な予感がする、保険をかけたい」

「……本気か」


 俺の言う保険の正体に気づいた彼女は少しだけ目を見開いたが、彼女も同じ予感を共有していたらしく、直ぐに答えは帰って来た。


「……今回はお前がリーダーだ」


 そう言って手の届く距離にまで彼女は踏み込んで、薄らと二人の影が重なった。




◆◆◆◆




「はぁ」


 執務室で、赤髪の女性が大きく伸びをする。


 聖剣機関グルテール支部長としての仕事は激務だ。

 日々機関に寄せられる依頼や人材派遣に対して、意思決定を下すのが彼女の仕事だ。

 細々としたものであれば、剣士個人やまた別の組織への依頼として処理されるが、数十人の剣士を要するものだと、政治が絡むものが多いので、利益の相反が起こらないか彼女が判断する必要があった。


 そんな中で祭りに繰り出すこともできず、ここぞとばかりに溜まった仕事をこなして居た。


 彼女は赤い髪を結んでいた紐を解くと、解放されたように小さくのびをした。窓から外を見れば、僅かに夕暮れの赤さが残っている。


「今日は一緒に夕食を食べられそうです」


 自身の息子と食事を囲む様子を想像して、口元を緩める。


 帰ると決めた彼女は、即行動に移した。

 ペンを片付けると、机の横に立てかけて居た剣を、腰に差して明かりを消し、街の中に繰り出す。


 昼間とは異なり、宝石商などは露店を畳み、代わりに酒や食事を売る店が増えていた。


 彼女は祭りの雰囲気に酔いしれる彼らを羨みながら、家路を急ぐ。


 この曲がり角を曲がれば、その先に彼女の家がある筈だった。


「……っ、これは」


 彼女の家の前には見覚えのある者が倒れている。


「リエス」


 聖剣機関の『初伝Aクラス』の先生を任せている青年だった。

 その胸にはナイフが突き立てられている。

 胸元は既に瘴気で腐敗が始まっていた。


 明らかに致命傷だった。

 家の前で、部下が殺されるなんて尋常ではない。

 そして、最悪の想像が頭を過ぎる。


「っ、アレックス!無事ですか!」


 勢いよく扉を開けて家の中に入る。

 そこには誰の気配も感じない。


「アレックス、アレックス!居るなら返事してください!」


 その中をくまなく探しても、誰も居なかった。


「アレックス!!」


 もう一度、声を上げながら道に出る。

 道を染める、赤い血液。殆どは犬人族の青年から流れるものであるが、その中に一筋だけどこかへと続いていくものが見えた。


 彼女はそれを見つけると、直ぐに家の中に書き置きをしてから、直ぐに赤い痕跡を辿って走り出した。


「どうか、無事で居てください」



 赤い血液の筋を辿った先は有名な商人の屋敷だった。

 途中にはアレックスの剣帯が落ちていたので、この先には彼女の息子がいると確信を得ていた。


「すぅ、はぁ」


 翡翠のような瞳には憎悪が燃えている。


 堂々と門の側まで歩み寄って来た彼女に対して、兵士達は剣を抜きながら警戒するが、その姿が見えた瞬間に破顔する。


「支部長!こんなところまで、何か御用ですか?」


 どうやら、聖剣機関に縁のある人物だったようだ。

 大成はしなくとも、聖剣機関での教育を受けた者は私兵として雇われることも多い。それに目の前の兵士はまだ年若く、彼女が就任している間に教育を受けていたとしても驚きはない。


「えぇ、どうやら拐われた人物がこの中にいるようですので……、開けてくれますか?」


 焦りを見せながらも、言葉は丁寧だった。


 その言葉を聞いた兵士たちは、顔を見合わせて申し訳なさそうな顔をする。


「ええと、開けるのは無理です。……支部長だから申し上げますが、そのような怪しい人物は俺達の知る限りでは入って来ていないです」


 兵士たちは顔を見合わせると、小さく頷いた。


 本来ならば『そんなものは居ない!去れ』と跳ね除けても良いところだが、彼女が聖剣機関の支部長という立場にあることと、その実力を知っているために、なるべく親切に答えたつもりだった。


「そう、ですか」


 小さく呟くと、右手をゆっくりと剣の柄の上に手を置いた。

 兵士たちはその意図を察する。


「支部長、何を!」


 柄を通して、鞘に納まった刃の先まで気が巡る。


「死にたくなければ、その場を退きなさい」


 同時に剣が闇の中を走った。


 遅れて堅牢な柵が崩れ落ちる。


「こんなことをして、無事で済むとお思いですか!支部長!」


 震えながら剣を構える兵士。


「えぇ、無事で済ませるつもりはありませんから」


 彼女がその剣の先を指で押すと、剣の刃が細切れになって崩れ落ちた。


「ヒィ」


 兵士は怯えたように尻餅をついて何度も自分の体が繋がっていることを確かめると、安堵する。

 気づけば、支部長は既にそのさきへ進んでいた。


「アレックス?」


 彼女は息子の気配を察して顔を上げる。

 剣士としては察知範囲に自信があったが、この状況では狭く感じて仕方が無かった。


 彼女は向かってくる兵士をなぎ倒しながら、屋敷の側面から回り込んで走る。

 茂みの中に入ると、追跡は薄くなった。


 彼女は再び、周囲にある気へと意識を配る。

 探すのは、たった一つでいい。


「見つけました」


 足元に気を巡らせると、直線の軌道で地面の上を滑るように高速で進む。聖剣流剣術で【縮地】と呼ばれる、剣を用いない剣技だった。


 数秒の間に、茂みの中を雷のように駆け抜けていく。

 途中で人にぶつかれば相手を轢き殺す程の速度で向かった先は、少し開けた空間だった。


 木陰に寄りかかるようにして倒れている少年が目に入った。


「アレックス!!」


 彼女は息子に走り寄ろうとして、目の前に少女が現れて踏みとどまった。


「やっと、来たか」


 彼女は服の裾を整えると、腰から大振りのナイフを引き抜いた。

 そのナイフからは妙なプレッシャーが伝わってくる。


「あなたが犯人ですか……オリヴィア」


 少女の大きな尻尾が闇の中をうねり、その言葉を肯定した。




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