第73話『天分』

「尊き彼の慈悲に感謝を」

「はい」

「……」


 俺達は手慣れた祈りの姿勢を組んで食前の挨拶を終える。

 数秒、形だけの祈りを捧げた後に、食器を取って食事を始める。


「父さん、降臨祭って何か知ってる?」


 今は監視をしている人間もいないので、演技をする必要は無い。

 しかし師範から『任務に臨んでいる間は、設定が事実であるつもりで演じるんだよ』と言われている。

 こういった意識は細かい部分で差を生む。

 そもそも、家族というものを知らない俺達にそれを言うのは無理があるとは思うのだが……。


「女神教の祭日だよ。それが降臨した日を祝っているんだよ」


 これは既にウェンから聞いている。

 問題はその宗教的な側面に関してだ。


「女神。そんな人物がいるの?」

「いないよ」


 師範は、そう断言した。


「そもそも、女神教自体が数百年前からの宗教だからね。それより前には、女神なんて存在は確認されていないんだよ」


 ならば、は存在するのだろうか。


 その疑問を汲み取ったように師範は続ける。


「私たちが信じるのはだけで良いよ。たとえ表面では、『女神はいる』と演じることはあっても、心の奥底にだけが居れば良い。そして、それを他人と共有する必要も無いよ」

「そうだね……」


 の信者は排他的で、それでいて他の宗教の信者を装う事が多い。

 だからかの教えには、特定の決まりは存在しない。

 実は食前の祈りすら、強制されてはいないのだ。

 もしかするとに特定の名称を与えないのは、この宗教に特定の名前が与えられて広まらないようにするためなのかもしれない。


 本来、宗教とはその教義の中に拡散を促す要素が含まれている筈だ。『拡散を促す要素』とは、例えば『不信心者は地獄に落ちる』といった教えだ。

 これがあると、信者は信仰を持たない者に布教をしようとする。

 もちろん、自身の子供なら尚更だ。


 こういった教えを継承する教えが無ければ、宗教は残る事ができない。


 しかし、の教えにそれは無い。

 その異質さが、俺にとっては気持ちが悪かった。



 任務に思考を戻す。

 師範は俺たちの、所謂バックアップといった役割だ。

 もしも俺達が重大な失敗をした時に、それを取り戻す役割を担う。


「父さんは今、何の仕事をしてるの?」


 師範のフォークが止まる。

 これは余計なことを聞いたかもしれない。


「そうだね」


 切り取った肉を、フォークで深くまで刺しながら視線だけがこちらを向いた。


「前に会ったラビンソン商会の商会長、覚えてるかい?」

「うん」


「その護衛だよ」


 肉を持ち上げてこちらへ見せる。

 これは……設定か、それとも本当にそうしているのか、判断が難しいな。


 今度は師範の方が問いを投げてくる。


「オリヴィアは、どう?友達できたかい?」

「まだ、いない」


 その言葉に、思わず彼女の方を見た。


 、とはどう言う意味だろうか。

 まるで、彼女に友達を作りたい意思があるような言い回しだ。

 それとも単純に演技をしているだけか。

 もしかして、彼女は任務の事をどうでも良いなんて思っているのではないだろうか。


「オリヴィア」


 俺は咎めるように彼女の名前を呼んだ。


「煩い」


 彼女は鬱陶しそうに俺の言葉を切り捨てると野菜を口に放り込んだ。


「オリヴィア」

「……なんだ」


 もう一度名前を呼べば、彼女は食事の手を止めてこちらを見る。


「任務、忘れていないよね」

「しっている。何度も聞くな」


 彼女の憮然とした感情が邪魔して、花精族の性質では、その内心が読み取り辛い。

 彼女が態度に出したら、もっと分かりやすいのだが、澄ました表情を見せていると彼女が何を求めているのか判断できない。


 彼女の内心が見え辛くなったのは、彼女が成長したのもあるが、彼女と共にいる時間が減ったせいもあるんだろう。


「ふふ」


 二人の様子を見て師範が笑う。

 場を掻き乱すだけ乱して、自分は外からその様子を愉しんでいる彼は、控えめに言って性格が悪い。




◆◆◆◆




 窓の外に欠けた月が昇っている。

 この世界での経験から、あと数日で新月となるだろう事を知っている。


 俺は竜人娘との情報の共有の為に、彼女の部屋を訪れた。


「すぅ……ふぅ……」


 少し、訪れる時間が遅かったようだ。

 普通に考えるならば、中伝クラスの修練で披露していると思うかも知れないが、里よりもキツい訓練というのがあるとは思えない。

 恐らくは、瞑想の訓練が街の中でするには余りにも悪目立ちするから単純にする事が無かったのだろう。


「……」


 先程の会話を思い出す。


 聖剣機関というのは、里とはまた違った強さを探る組織だ。

 我を通すだけの力を求めている彼女にとっては、今回の任務は絶好の機会だろう。


 もしかすると剣技を習う為に、『友達』という関係を演じる事もあるかも知れない。



 グツグツと煮えたぎるものを感じる。


 時間が経てば、と俺の心は二つの中間あたりに落ち着くと思っていた。

 むしろ、俺の方が前世の経験があるので、の精神を押し潰すだろうと思っていた。


 実際、ほとんどの面ではのパーソナリティは薄まっていった。

 思考方法も、趣味趣向もほぼ俺のものが残った。

 少年の肉体を俺が掌握したようなものだ。


 しかし、ただ一つ、竜人娘への執着に関してだけは拭えないままだった。


 それがの最後に残った一つであるためか、どれほど時間が経っても消えようとしない。


 それどころか、この執着は煮詰められたように、より粘り気を帯びて、重たく腹の底を占有するようになった。


 

 幸いだったのは、彼女は孤独ではないものの、孤高であった事だ。

 妹派閥たちに崇められることはあっても、彼女の方から積極的に交流する事はなかった。


 しかし、今回の任務の間に、ウェンを助けようとする意思を見せたり、クラスの者と交流しようとする彼女を見て、執着心が首をもたげた。



 ——クラスの者との交流?そんなものは害悪だ!

 ——他人からの教えなんて竜人娘には不要だ!

 ——そんな腑抜けた事をすれば、竜人娘のが下がる。

 ——彼女は絶対的に孤高なんだ!不可侵であるべきだ!

 ——そうで無い事なんて、あって良い筈がない……



 ……そういった、面倒な執着心だ。


「ふす……」


 暗闇の中に彼女の銀の髪が仄かに光って見える。


 完全に気を絶っているためか、彼女が起きる気配は無かった。


 彼女はいつものように、自身の尻尾でとぐろを巻いて寝ている。

 その姿は鍋に収まる猫を思い浮かべる。


 尻尾の外側に指の甲を近づける。

 尻尾の腹側に対して外側の部分は、衝撃に晒されることも多いので、鱗が厚く、感覚も鈍くなっている。寝ている時に指先で触れるくらいでは気づく事は無い。


 指先が触れる直前に、尻尾がフイと逃げた。


「……」


 俺が顔を上げると、こちらを向いた二つの瞳があった。

 寝入ったばかりだったのか、彼女の表情に眠気は見えない。


「何してる」


 咎めるような竜人娘の言葉。


「……何も、してない」


 自分でも分かるほど苦しい言葉だ。


「そうか」


 彼女はジィと俺を見てくるが、問い詰める事はしない。

 俺などどうとでもなると考えているのだろう。俺は、彼女にとっては取るに足らない存在の一人なのだ。


「情報の共有に来た」


 強引に本題を切り出す。

 しかし、オグからの情報は既にエンから聞いている。

 俺が知りたいのは彼女のいるクラスの雰囲気だった。


「中伝クラスは初伝クラスと比べると、どうだった?」

「ほとんど、同じだ。……だが、里に近くなった」


 馴れ合いの空気が薄れて、より力を求める割合が増えたという事だろう。

 彼女はベッドから、起き上がった。


「……一番違うのは、あそこには、望んで来た者しかいない」


 だから強い、とも弱い、とも言わなかった。

 俺達里の子供は、命というものを天秤の片側に置いて、強くなり続けることを強制される。


 俺は別に構わない。生き残り続けるため、力が欲しいから。

 彼女も動機は違うがきっと力を欲している。


 里は弱い子供にとっては酷く苦しい。

 貼り出された順位は常に自分の価値を否定してくる上に、競い合っていた者たちが『特殊訓練』の教材となる姿を何度も見ることになる。


 『里外任務』に一部の子供しか選ばれないのも分かる。

 里で今、苦しんでいる子供たちにとっては、外の世界はあまりにも輝きすぎている。



「それと……いくつか剣技をみた」


 起き上がった彼女は壁に立てかけてあった木剣を手に取る。


「『灯牙』」


 家の中だからか、彼女はゆっくりと剣を振る。

 以前にAクラスの先生が見せていた剣技だ。


「『雷刃』」


 真っ直ぐに振り下ろした剣が途中で直角に曲がる。

 慣性を無視したような動きだが、よく見れば振り下ろす瞬間の肘の動きが妙だ。なるほど、マジシャンのスプーン曲げのような感じか。


 その後も彼女は十以上の数の剣技を見せる。

 それは僅か1日でそれらの技術を吸収して見せたことを理解する。

 彼女がらしくなく、他人と交流しているような態度を見せたのは、これらの剣技を観察するためか。



 本気でやる、と彼女は言っていた。


 彼女は自身の秀でる戦闘の分野において、支部長のアドバンテージを圧倒的な速度で埋めようとしているのだ。


 目的の為に。

 彼女は任務のことが疎かになっているかもと危惧したが、それは逆だった。支部長と戦うという最終地点を見据えて牙を研ぎ澄ましている。

 以前に俺が恐怖を覚えた、静かな熱を宿している。


 金の瞳は、確かな勝利の可能性を見据えているようだった。




————————————————————

第73話『天分』



ちなみに、聖剣流の階級は伝位と呼ばれる基準を使って居ますが、中伝は兵士なら心強いかな、という感じです。

伝位は途中までは習得した技の数で上がるので、強いけど中伝、みたいな人はいると思います。

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