第72話『心を穿つ』
俺は初伝Aクラスでの訓練を終えて子供達は解散となる。
竜人娘のいる中伝クラスは夕方まであるようで、今日は夜に彼女から情報を受け取る事にする。
俺は、広場にある掲示を眺める。
「ぎ、ちょう……議長、せん、選挙か」
現在この世界で使われている言語はどうやらアルファベットのように少ない数の記号を組み合わせて文字として表すことのできるもののようで、記号ごとの音さえ把握できれば問題なく読める。
流石に書く方は1日で習得とはいかなかった。
だが、俺の目的は情報のインプットだったので問題は無い。
前世だったら苛立つくらいの遅い速度で、その記事を読み進めていく。
おそらく、この街は市民達による議会による提案を、街を治める貴族によって拒否、あるいは受諾して政治を進めている。
そして、その市民会議の議長がもうそろそろ決まるということらしい。
〈獣〉の存在により、人口を分散させることが難しいこの世界では、街は惑星のように離れて存在しているのだろう。
そして、国は太陽のように属する都市を束ねている。
必然的に街同士の依存は小さくなり、独立性が高まる。
すると、それぞれの都市は小さな国のように振る舞う。
ここに書いてある『グルテール民会議長』という立場は、このグルテールという街の大臣のような役職と捉えられる。
「坊主に政治はまだ早えよ」
記事の文字を睨んでいると、横から揶揄うように声がかかった。
以前に、窃盗に遭っていた店の店主だ。
俺と目を合わせると、彼もそのことに気づいたようで顔を綻ばせる。
「お、この前の坊主じゃねえか!一丁前に大人のマネか!」
言葉はかなり攻撃的だが、微笑ましいものを見るような表情だった。
もしかすると、掲示板の前で佇むのは前世で言うと朝食で新聞を開くような、『子供から見た大人の男』のイメージなのかもしれない。
「ま、子供に関係は無いんだけどな!」
おそらく選挙権についての話だろう。
ここではどうやって選挙権を持つ住民の数を管理しているのだろうか。俺達は外から入ってきた訳だが、蛇人族の師範などは住民に入れられるのか。
「文字が読めるようになったので、何て書いてあるか気になったんです」
「……ぉお、熱心な子供だな!これはな、民会っていう会議の、まあリーダーの選挙の公布だな」
これについては読み取った通りだ。
「じゃあ、店主さんも、リーダーに選ばれるかもしれないですね?」
「店主……うーん、まあ選ばれたら嬉しいけどな!こういうのはどうしても元の人気ってのが関わってくるモンだからな」
微妙な反応を見せる男性だが、俺の聞きたい方向に話を誘導できた。
「そうなんですね……今、一番人気なのは誰なんですか?」
「そりゃあ、若くて綺麗で、それでいて強い、そんな三拍子揃った候補がいるだろお?」
「……」
「……我らがミグレイ・ブレイド、聖剣機関のグルテール支部長がな!」
やはり、文字という手段は思わぬ拾い物を授けてくれる。
「……大人になったら、興味も出てくるだろうよ」
俺が考え込んでいるのを見て、どうやら興味が無いのだと捉えたようだ。
バシンと強く俺の肩を叩いた男は人混みの中に消えていった。
「……」
彼を横目に見送った後、再び目の前の記事を読み込んだ。
当たり前だが、彼女の暗殺の依頼が出されたのは、彼女の死によって利益を得る人物がいるからだ。
そして、最有力の候補は、彼女への対抗馬として挙げられる人物だ。
俺は別の掲示に貼られた候補者についての情報に目を通す。
しかし、その中に知っている人物は居なかった。
「……そうだろうな」
末端の、それも半人前の暗殺者に依頼人が姿を見せる筈が無かった。実は協力者である、ラビンソン商会の商会長あたりが関わっているかも、と予想をしていたが彼についての情報は見られなかった。
相手の顔が見えない、というのは酷く面倒だ。
花精族の力でも、街行く人々の中から依頼者を見つけるのは多分できない。
好悪やその場の喜怒哀楽は見えるが、そこから行動や意図を読み取るには、対面して観察を重ねる必要があった。
俺は掲示板の前を去ると、街の裏路地を歩く。
必要になるとは思えないが、暗殺に成功した後、誰にも見つからずにその場を去る経路があれば便利だろう。
路地には思いの外、人は少ない。
こんな世界だと余っている人手など存在しないのだろう。
それか、裏路地は骨一つ残らない程厳しい世界なのか。
路地の埃っぽい壁を指先でなぞる。
やはり、森とは違って痕跡が残りにくい。
土の地面には足跡が残るが、石畳には微かな埃の跡しか残らない。
それでも積み重ねれば、石でも削れて凹む。
指先からの感覚で、人の息吹が見えた。
「……」
曲がり角から足音と気配が近づく。
俺は、その人物以外の気配が無いのを確認した。
「おっ、おまえ!あの時のクソガキ!」
クソガキはお前だろうという言葉を呑み込む。
彼は先ほど会った男からスリをしていた少年だ。
その指先の腫れは引いているものの、健常な指のように真っ直ぐではなく、外側に歪んでいた。
少年の年齢は12歳といったところ、こんな場所に住んでいる割に栄養状態が良さそうに見える。
下手すると里にいる子供達よりも良いものを食べているかもしれない。余程上手く逃げ切る方法でも知っているかもしれない。
「はは、俺から足で逃げられると思うなよ。お前の全身の骨ボキボキに砕いて、裸にしてから広場に晒してやるよ」
「……」
彼は暗い笑顔を浮かべると、じりじりと近寄ってくる。
「お、俺の指をこんなにした、お前が悪いんだからな」
「指を折ったのは俺じゃない」
事実を歪んで認識している彼に、思わず指摘の言葉が出た。
「うっせえよ。お前。誰もお前の言うことなんか聞かねえよ」
彼の言葉には、違和感を覚える。
まるで、借りた言葉のような空虚さを感じる。
「誰もお前なんか助けねえよ!!」
『毎日盗みばっかしてるお前を助ける奴が居ると思うか?』
なるほど、今彼が俺に吐いている言葉は、きっと彼が市民から投げられた言葉なのだと分かった。
人が誰かを傷つける時に投げかける言葉は、自分が投げかけられて最も傷ついた言葉だと言われる。
「……」
「どうしたぁ!なんか言えよ!一人で生きられない坊ちゃんのくせにさあ!?」
俺は背後をチラリと見て、表の路地から視線が通らない場所であるのを確認した。
もちろん、周囲に気配は無い。
トス
空気の抜けるような間抜けな音と共に、彼の胸に一本の針が刺さった。
「ぉ……は?」
少年は突然刺された事実への驚愕と、刺さった跡から血液が流れ出てこないことへの疑問を浮かべている。
「今、お前の体に針を入れた」
肺と心臓、肋骨、さらに血管や神経の間を抜けて血管の隙間となる位置だ。
彼の体内の気の流れを見れば、臓器とその間を流れる血管の位置はなんとなく分かる。後は『特殊訓練』の成果だ。
彼は痛みも無いのに、深く突き刺さった針に驚いている筈だ。
「お前が少しでも動けば、心臓を刺す」
「……ッ」
彼を脅すには暴力でも良いがやはり体格の差がある分、その脅威は現実味を帯びない。
「君、スリで生きてるにしては随分とお金を持ってるね?もしかして、それ以外にも何かしてるのかな」
「してねっ、してない……スリだけだ」
素直なのは良いことだと頷いて、次の質問に移る。
「なら、特別な方法でも、あるんだね?」
「……クソ」
言い渋った彼に、針を指で弾いて体の奥を進ませる。
「ッわかった!言う。昔の水路を使ってるんだよ。裏路地の浅いところに入り口がある!」
「盗んだ後、裏路地に入れば絶対に逃げられる、ってことだね?」
「アァ、あぁそうだ!そうだよ!っくそ!」
自棄になったような声を上げる。
これは良いことを聞いた。
「……ありがとう」
「あ”」
俺は掌で針の端まで押し込んだ。
もう外から取り出すことは出来ない。
「はい」
「『はい』じゃねえよ!これ、取れよお!……っおぐ」
いきり立って俺に近づいてきた少年を一度殴り、背後を取ると、その首を折り曲げた。
「ァ……あ」
地面に倒れて大きく痙攣する少年。
しばらく見下ろしていると、跳ねるような体の動きがなくなり、次に呼吸が止まった。
師範に仙器化が禁止されていなければ、物的な証拠を残さずに彼を殺す方法があったが、今の状況では、外傷を減らして返り血を減らす程度が精々だ。
「……」
俺は彼を殴った時に手の甲にべったりと着いた血液を見下ろす。
地面に膝を着いて、死体が纏っている服で血を拭う。
少し薄れたが、まだ僅かに赤さが残っている。
「はぁ」
小さく溜息を吐くと、路地裏を進んでいった。
◆◆◆◆
「……ルフレッドくん」
裏路地から出て表通りへ出たところで、知り合いに会う。
「ノーラ……」
人がそこにいることは把握していたが、それが知り合いであるとは思っていなかった。
人が溢れているといちいちそこに居る人物が知っている者かどうかを判別するのは限りなく難しい。
彼女の手には買い物かごが見える。
どうやらお使いの途中だったらしい。
「……危ないよ、路地裏に行く、なんて。……何、してたの?」
「前にいた所ではこんな場所無かったから、気になって入ったんだよ。全然人がいなくてびっくりしたよ」
気遣うように問いかけて来るノーラに、俺は恥ずかしい瞬間を見られたように照れた表情を作る。
「ノーラは一人で買い物?心配だから、着いて行っても良い?」
「……でも、帰るところだから」
彼女は申し訳なさそうに籠の中身を見せて来る。
「うん、知ってる。帰りだからって油断できないよ。だから、良いかな?」
「……うん、いい、よ?」
小さく頷いた彼女に笑顔を向ける。
大丈夫だ、本当に不味い瞬間を見られた訳では無い。
それに、彼女が死ねば一番初めに疑われるのは俺だ。
「ぁ」
彼女から買い物かごを受けとって背中を向けた瞬間に、見えないように息を吐く。
今は良き友達を演じるしかない。
トトト、と彼女が俺に駆け寄って横に並ぶ。
「……オリヴィアちゃん。別のクラスに、なった、ね」
「そうだね。あんまり驚きはないけどね」
それは彼女も同意なようだ。
「……残念?」
「なんで?ただの兄弟だよ」
姉も妹も、彼女を当てはめるにはしっくりとは来ないけど、兄弟という設定だ。
ノーラは前を向いて歩いている。
「でも、血は繋がってない、よね?」
「そうだね」
「だったら、ルフレッドくん、好きになる、かも?」
「無い」
思わず少し声が硬くなってしまった。
ノーラの顔が驚いたようにこっちを向いた。
「……だって、小さい頃から一緒にいるからね。ノーラはよく本を読むけど、兄弟で結婚してる話なんて、見たことある?」
「ある、よ」
有るのか。
そういえば、近親婚が禁じられるのは血が濃くなりすぎるという遺伝子の理由だが、この世界には遺伝子についての知識はそれほど広まっていないようだ。
この方向での説明は難しいな。
少し考える。
「他に気になる人がいるんだ」
「えっ、誰?」
「誰だと思う?」
小さく笑う。
「……え、誰、かなあ」
ノーラはソワソワとした動きを見せながら、うんうんと考え込む。
俺はそんな彼女をジイッと見つめる。
彼女はしばらく聖剣機関での俺を思い返すように中空を見つめていたが、俺の視線に気付いて、そっぽを向いて手櫛で髪を整える。
「え、えぇと……誰、か、なぁ」
「誰だろうね」
彼女から視線を逸らさないまま、ニコニコと笑って見せる。
彼女は瞬きの回数が急激に増える。少し緊張しているようだ。
視線を彷徨わせて、やがて決意を固めたように口を開く。
「……も、もしかして」
「あ、着いたよ」
彼女の声を遮って、指差した先は彼女の家。
俺は預かっていた籠を返すと、彼女が家に入るのを見送る。
「じゃあ、また明日ね」
「……ぅん、うん」
声が上ずったのを隠すように二度返事をしたノーラがゆっくりと扉を閉じた。
控え目な艶のある尻尾が名残惜しそうに扉の隙間に消えていった。
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第72話『心を穿つ』
〜〜唐突に作者の悲しい思い出〜〜
私『〇〇(私の好きな人)の好きな人教えてよ』
〇〇の友達『当てられたらええでー』
私『××!』
〇〇の友達『違う』
私『△△!』
〇〇の友達『違う』
(数分後)
私『(えー、もう誰もおらんぞ)』
〇〇の友達『へへ』
私『(この意味深な態度、まさか!)』
私『もしかして……私?』
悪『違うよ、◆◆(言い忘れていた最後の一人)だよ』
〜〜〜〜
……という苦々しい記憶を思い出しました。この作品で成仏させます。
皆さんの中には、私よりも切ない思い出をお持ちの方は居るでしょうか。
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