第71話『普通の家』

「アスラからの話だと、支部長は一週間後の降臨祭に出るらしいわ」

「降臨祭?」


「街にたくさんの店が出て、市民達が外を出歩いて遊ぶ日、のこと見たい」


 祭りの方ではなく『降臨』の方について尋ねたつもりだったが、任務にとって必要な情報なのは確かに祭りの方だった。


「出るっていうのは持てなす側で?」


「客として、らしいわ」


 つまり支部長がその祭りを楽しむ予定だという事だろう。

 人混みの中でひっそりと、というやり方をアスラは期待しているのだろうか。

 だとすれば彼女を相手にそれは難しい話だ。

 あれほどの技量となればその感知能力もかなりのものだろう。


 それに気の量が多いのも問題だ。

 ナイフの一刺しではそれほど痛手にならないという事でもある。

 つくづく暗殺には向かない相手だ。


 俺は一先ずの決行日を一週間後の降臨祭に据えた。


 

 情報共有を終えたところで、隣にある不機嫌な気配が目に付く。


「オリヴィア。支部長には勝てそうか」

「勝つ」


 気合は十分だが、万に一つを潰すのが今回の俺の役割だろう。

 支部長の強みと弱点、それと以前の追跡者の正体についても考えなければならない。




◆◆◆◆




「降臨祭は一年に一回ある、女神教の催しよ」

「へぇ」


 俺はラビンソン商会にて、ウェンと話をしていた。

 竜人娘は何をするか分からないので、先に帰ってもらっている。


 ウェンの方は彼女に会えなくて寂しがっているようだった。

 それ以外は全く、いつも通りだ。


「その日にするから、そのつもりで居てね」

「それって、一週間後よね。……少し早くない?」


 それを考えるのは彼女の役割ではない。

 彼女の仕事は、ただ俺の言う通りに情報を集めて、俺にそれを伝える事、それだけだ。


「早いも遅いも俺が決めることだよ。君は自分の仕事をこなしてくれれば良いよ」


 俺は木製の組み木細工を見下ろしながら告げた。幾何学的な紋様は、ある程度数学が発展していないと生まれないものだ。

 こういった場所からも、文明を推し量る事はできる。


 横目で見ると、ウェンが身体を震わせていた。


「……ねえ、お姉さまが言ったんでしょ。早く終わるように、って。……アタシが……こんな、だからっ」


「待って」


 俺は彼女の言葉を制する。

 例え彼女の推測が合っていたとしても、それを認めると面倒な事になる。


「……もしかして、オリヴィアが君を気遣って、任務を早く終わらせようとしてる、なんて思っていないよね?」

「アタシのせいでしょ!だって、こんなに無茶な任務、一週間でなんて、ムリに決まってる!」


 俺の側からは何も情報を共有していないにも関わらず、そう彼女が判断する理由が妙に気になる。


 彼女の意識を俺に集めるように笑って見せる。


「ははは」

「笑うなっ!」


「いや、まさかフウロきみがそんなおかしな事を言うなんて思わなかったよ。君のせい、なんて、ククッ。自信を持ちすぎだよ、本当に、ハハ!」

「こ、このっ」


 ウェンのテンションがいつも通りに戻ってきた所で、本題を切り出す。


「ふぅ……それと、君はオリヴィアの事を分かっていない」

「アタシは妹よ!!キチンと理解してるに決まってるでしょ」


 夢を見るのは勝手だが、せめて現実は見てほしい。ウェンには立派な角も尻尾も生えてはいない。


「そこは今どうでも良いよ。……申し訳なく思うのは君の自由だけど、オリヴィアは君がお願いしても、もう止まらないよ。彼女がそう決めたら、絶対に曲げない。君に出来るのは、一週間後、彼女をより有利な状態で対象と接触させること、ただそれだけだよ」


 結局ウェンに出来るのは、彼女の仕事を遂行する事だ。


「そ、れは。そうだけど」


 ウェンの中には悔恨や罪悪感が満ちている。何故彼女は自分を責めたがるのか……。


「それよりも」


 これ以上はプレッシャーも励ましも重荷になるように見えた。


 俺は目の前の細工を指差しながら彼女に尋ねた。


「ある程度の商品は融通してくれたり、するのかな?」

「……ダメに決まっているでしょ!」


 経費で落ちたりしないのか。

 少し肩を落とす。


「……そうだ。追加で仕事を頼みたいんだ。重要な仕事だよ」

「なによ?」


 訝しげにウェンはこっちを見ている。


「ある人物の素性を調べて欲しい」


 どちらにせよ、支部長が一週間に一度家に帰るなんていう情報は残り一週間の状況では使い物にならない。

 彼女の家を探るのは一旦止める。


 俺は対象の人物の特徴を彼女に伝える。

 彼女は小さく首を傾けた。


「なんで気になるのか分からないけど、分かったわよ。調べとくから」

「よろしくね」


 肩越しに店の方を見れば、中からウェンが小さく手を振っていた。




◆◆◆◆




 ラビンソン商会を去った俺は、一つの家の前に立つ。

 念のために、服の襟の部分を整えると、扉を軽くノックする。


 扉の向こうから大人サイズの気配が近寄ってくる。

 俺が離れると同時に、扉がゆっくりと開いた。


「はい、どなたでしょう……か?」


 その女性は、扉を開くと俺に気づいて視線を下げる。


「こんにちは、ルフレッドと言います。えっと……」


 少し考え込むように宙を見ると、女性は顔を綻ばせる。


「まあ、ルフレッド君ね!二人から聞いてるわよ、さあ、入って入って」


 彼女が背中を見せると、その腰から伸びる蛇の尻尾が目に入った。

 女性は蛇人族の双子、ノーラとローラの母親だった。



「Aクラスに上がったばかりなのに、すごい剣が上手い男の子が居るみたい、って二人から聞いてたわ」

「そう、だよ」


 ノーラがコクリと頷く。


「それにカッコいいんだって、ローラも言ってたわ」

「ママ!わたしそんなこと言ってないよ!」


 ローラが反発するように声を上げるが、彼女は変わらず楽しそうに語る。


「それでねえ、この子達ったら初めて男の子を家に呼ぶからって張り切っちゃってて……」

「ママ!パパのところに荷物届けに行く日でしょ。ほら、早く行ってよお」

「……ッ」


 揶揄うように言う双子の母親に、ローラはクラスで見るよりも強い調子で彼女を急かした。ノーラも彼女の背中を無言でグイと押す。

 二人の掌で背中をポスポスと押し出された彼女は、困ったように笑いながら荷物を持って家を出た。


 母親を追い出して、ドアを閉めた二人は静かにこちらを振り向いた。


「ママが適当に言っただけだからね」

「……うん、うん」


 ローラが顔を赤くして言った。


「お母さんと仲が良いんだね?」

「そうかな?」

「そうかも」


 ローラは疑問を呈して、ノーラは弱く肯定した。


「この前の事は、大袈裟に言ってごめんね」

「ルフレッドくんは悪くないよ!」

「心配、してくれたんだよね」


 結局、あの時の件はうやむやになった。

 早くあの件を解消したかった先生達によって、アレックスがノーラを探していたのは何らかの行き違いだという事になっていた。

 子供達は首を傾げながらも大人から実情を聞き出すこともできないために、それを事実として受け入れていた。


 同時に俺がアレックスについて流布した噂も誤解となった。

 彼の周りで、何らかの力が働いていたのだろう。


 しばらく話していると、ローラが何かに気づいたように席を立った。


「そうだ、お菓子があったんだよ!持ってくるね」

「貰っても良いのかな?ありがとう」


「座っててね!」


 彼女は椅子を持ってどこかに駆けて行った。


「お父さんは、外で仕事してるの?」

「……そうだよ、研究、してるんだって」


 研究者とは、これまた都合が良い。


「へぇ、なら本とかもいっぱい有るんだ?ノーラも文字読める?」

「ちょっと、待ってて」


 奥の部屋に引っ込んだノーラは直ぐに一冊の本を持ってくると差し出して来た。


「見ても、良い?」


 ノーラはコクリと頷いた。

 表紙は絵が書いていて、マントをたなびかせた青年が剣を掲げている。この表紙で論文という事はないだろう。おそらくは童話が描かれているのかもしれない。


 時折挿絵が入っているものの、中身は結構な密度で文字が書かれていた。

 かなり上級者向けに思われる。


 そして、やはり俺には読めない。


「すごいなぁ、こんなのも読めるんだ」

「……ぜんぜん、普通だよ」


 謙遜するノーラに、俺は小さく首を振る。


「俺は文字が分からないから、本当にノーラは凄いと思うよ」

「ぁ、ごめんなさい」


 自身の謙遜が俺を傷つけたと思ったのか、謝ってくるが別に気にしていない。寧ろ、俺としては良い教師を見つけたと喜んでいた。


 表紙を彼女の方に向けて返す。


「ねぇ、他の本でも良いんだけど。ノーラが本を読んでるとこ、見てみたいな」

「え……と」


「ルフレッドくん、本を読んで欲しいの!?わたしが読んであげよっか」


 お菓子を持って来たローラは器を置くと、ノーラから本を引ったくって俺の横に座って本を開いた。


「『昔むかしあるところに……』」


 読み出したローラの先をノーラが、続ける。


「『……羊飼いの少年が居ました。彼は……』」

「ノーラ!わたしが読んでるの!」

「でも、わたしが、頼まれたよ」


 時折喧嘩しながらも、左右から本の文章を辿る声が続く。

 俺は彼女達の言葉を聞きながら、体内で頭部に回す気の量を多くする。


 訓練の時には筋肉に気を纏うことで、その力を強化する。

 同じように気を纏うことで頭の回転を助けるかもしれない、という半分願掛けのようなものだ。


 親切にも彼女達は今どこの部分を読んでいるのかわかりやすいように、指先で示してくれている。


 俺はそれぞれの文字を反芻するように太ももに指で文字を書く。


 ノートなど無くとも、頭に刻み付ける。

 ここで覚えられるかどうかが俺の命を左右する。

 それだけの覚悟を持って彼女達の読み聞かせに耳を傾ける。


 そんな俺の内心に気づかず、二人は楽しげに本を読んでいる。

 それを少し、羨ましく思う。




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第71話『普通の家』



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