第70話『試算』

「切り返しの時に、もっと手首の力を抜いてみろ」

「はい、先生」


 心機一転、心を入れ替えた俺は初伝の剣技である高速の二連撃【灯牙】を習得するべく、木剣を振っていた。


 という設定だ。


 数百回振っているうちに、昨日見た先生の素振りに近づいていくのを感じる。

 

 振り方、握りの強さ、肘の使い方。

 次々と『こうしたほうが上手くいく』と湧き上がる感覚を押さえつけて拙い素振りをするのは、かなりストレスを感じるな。



 素振りに使っている木剣は、後々に鉄の剣を振ることを意識してか、木剣にはかなり重い素材が使われているようだった。


「……さん、しぃ、ごぉ……」


 竜人娘の方を横目でチラリと向ける。


 彼女に対して与えた『Aクラスに留まれるように手を抜く』という指示は果たされているようで、彼女は俺と同じくストレスを感じている不機嫌な顔をしながらも、良い具合に手を抜いている。


 ただAクラスの先生には、彼女が放つ莫大な量の気に対して、木剣を振る速度が遅いのに違和感を持たれてしまっている。

 よくよく考えればAクラスに留まっているのはエンと情報交換をするためなので、俺一人がここに居れば十分だった。


 竜人娘には初伝クラスを卒業してオグと接触するように指示を変えようと決めた。


 もうそろそろで、昼休憩という時間になった頃、修練場に一人の来客があった。

 剣士らしき赤毛の女性は、腰元に一本の剣を佩びていた。


 その人物に気づいた先生は、持っていた木剣を鞘に収めるように左手で持つと、彼女に頭を下げると、その用を問う。


「支部長、態々修練場まで……どうかされましたか」

「もうじき来客があるので、迎えに行ったんですが、遅れているみたいで……寄り道です。少し見ていっても良いですか?」


 部下に対しても敬語を使う彼女は、若くして長を名乗るだけあって、謙虚で落ち着きがあった。


「……ッ」


 唐突に現れた任務のターゲットに、俺は僅かに緊張した。

 幸い、支部長に対して殆どの子供が緊張しているようで、俺だけが怪しまれることにはならなかった。


「もちろん、ご自由に見て行ってください。よし、じゃあもう100回素振りだ」


 遥か上の上司の存在に張り切っているのか、先生は追加で素振りの号令を始める。


 そして支部長は、素振りをする俺達を興味深そうに見ながら、その合間を縫って歩く。

 気分は試験でカンニングをしている生徒のようだ。


「ふむ」


 俺の横を支部長が通っていく。

 見た目では年齢は20後半あたりに見える。

 それでいて彼女の動きからも、重大な怪我の後遺症が見られず、未だ彼女が現役の剣士である可能性が浮かび上がってきた。


「……うじゅうきゅう、ひゃくぅ!よし、休憩だ」


 先生は支部長にアピールするように、姿勢を正す。

 犬人族の特徴であるその耳も真っ直ぐ天に伸びる。


 支部長は彼のアピールを気に留めずに、一人の子供の前に立った。


「そこの貴方、手合わせをしませんか?」

「……わかった」


 支部長の言葉に答えたのは竜人娘。

 彼女の言葉に満足した支部長は、その隣に立っている俺に向かって手を差し出した。


「すみません、木剣を貸してくれますか」

「あぁ、はい」


 ……おそらく、気付かれてはいない。

 竜人娘の異常な気の量を見て、その力を試そうと考えているだけだろう。そうでなければ、態々木剣を要求せずに腰の剣を抜いている。


 木剣を渡すと、彼女はそれを片手で持ち、ゆっくりと空を切った。

 ただ真っ直ぐに剣を振るだけのその動作に、彼女が積み重ねてきたものの重みを感じた。


「ふむ」


 同時に、支部長の纏う気が鎮まる。


 眼球の躰篭から読み取った彼女の気の量は、かなり多い。

 端的に言えば師範と同じレベル。


 気の量が実力と直結するわけでは無いが、少なくとも制御技術の方も伊達でないことは、気の揺らぎが見えないことから読み取れる。


「リエスさん、合図をお願いします」

「分かりました……それでは」


「……」


 竜人娘が木剣を上段に構える。

 構えると同時に、一瞬俺の方を見た。


 明らかに相手は彼女の実力を見抜いているようだった。

 俺が小さく頷くと、彼女はフイと視線を外した。


 対する支部長の方は、上段よりもさらに後ろ、肩に担ぐように剣を構える。


「……始めっ!!」



「——シッ」


 竜人娘が里の技術を使わないで出せるギリギリの速度でもって、瞬時に相手との距離を詰める。


 同時に、袈裟懸けに放たれた斬撃を支部長は体を傾けるだけで躱す。


「ガァアアア!!」


 獣性を顕にしながら放つ連撃も、剣を最小限に動かすだけで、切先を自身の外側へと誘導する。


 やはり剣士だけあって剣での攻撃は殆ど通じない。

 彼女に挑むときには、剣を持つくらいならまだ無手の方が可能性はあるだろう。


 彼女の速度に慣れてきたのか、支部長は余裕を持って竜人娘の攻撃を避けるようになる。


「速度も力も中々ですね。しかし、技は……っ」


 支部長の言葉が途中で詰まる。

 竜人娘の攻撃のリズムが変わったのが分かった。


 目を凝らせば、彼女の剣が振っている途中で速度を上げたのが分かった。


 防御は基本、相手の挙動に合わせて行う。

 竜人娘は自身の動きを読まれないように、不規則に剣先を加速させていた。

 彼女の力でそれが行われれば、予測して防御するなんて出来るはずもない。


 受け流すのが難しくなった支部長は、竜人娘の攻撃を大きく避ける。


 このまま押し切れるなら任務の心配はなくなるのだが、支部長の闘志は消えていなかった。


「野生的ですが、勘もいい」


 支部長は竜人娘を褒めるが、その度に彼女の表情は苛立ちに歪む。


 同様に、俺も内心苛立っていった。

 彼女を相手にして、褒めるだけの余裕がまだ支部長にはある、という証明に他ならないからだ。


「シィッ!!」


 彼女が尻尾をうねらせながら、支部長に食らいつく。

 地面を蹴った衝撃で、ドン、と振動が伝わってくる。


 そこに回転を加えることで、螺旋となった竜人娘の剣撃が支部長を襲う。

 どうやら、聖剣流の剣技を使っているようで、明らかに真正面から受けたにもかかららず、竜人娘の攻撃が木剣の上を滑る。


「ッチィ」


 地面に手を着いて、腕の力だけで支部長の頭を跳び越える。

 その時に竜人娘が後頭部に放った木剣は、振り返ることなく背後に回した切先で受け流される。


 竜人娘は速度を殺すように、足で地面を削る。



「将来が楽しみです。では」


 瞬間、支部長の纏う気の出力が上がる。


「……ッ」


 同時に全力で【瞬歩】を使った時のように、時間を飛ばした加速を見せる。


 【瞬歩】との違いを上げるならば、加速する時の姿勢が全く変わらなかった。 

 正面から見れば、速度が上がっている事に気づかないくらいに自然体のままの加速。

 だからこそ、竜人娘も反応が遅れた。


 そして、支部長は背後から竜人娘に鋒を突きつけた。


「勝負あり!」


 Aクラスの子供達は支部長の戦いぶりを称賛しながらも、そこにこれほどまでに食らいついて見せた竜人娘のことも讃えた。


 最後の瞬間、俺の目には竜人娘が防御のために背後へ木剣を回そうとしているのが見えた。

 しかし、惜しくも、支部長からは一手遅れたことで、今回の組み手は支部長の勝利となった。


「潜在能力は私が今まで見た事が無い程のものです。明日からは中伝クラスに来なさい」

「ですが剣技は一つも納めて無いですよ!」


 支部長の言葉に先生が反論する。

 彼女は小さく笑みを作った。


「そうですか。なら、あなたが相手をして勝てますか?」

「も、もちろん、そのつもりです。ですが、支部長が言うなら中伝クラスに相応しいのでしょう」


「どの道、直ぐに習得できます」


 どうやら支部長というのはかなりの無理を通せるだけの権限があるらしい。


 先生はモゴモゴと言いながら引き下がった。


 今回の模擬戦はどちらも本気では無かった。

 竜人娘は気術を使っていなかったし、支部長も持っている剣技のほとんどを披露していない。


 ただ、全てを引っくるめて、現在の自力を比べるならば、俺の予測では支部長は竜人娘よりも上だった。

 おそらく竜人娘も同じ想定だからこそ、あれほどまでに悔しがっているのだ。


「それでは」


 自身の剣を拾い直した支部長は、小さく頭を下げると聖剣機関の中央部に戻っていく。


 俺の言う通りに竜人娘が動くなら任務は簡単に終わる、という試算が狂った。




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