第68話『豚』

「ただいま!」

「……」


 ノーラとローラのために根回しをした俺は、今日は寄り道をせずに家に帰っていた。


「二人とも、お帰り」


 蛇人族の師範はいつものように俺達を出迎えた。

 彼は俺達が帰ってくる頃には必ずここに居るようだが、彼は俺達が出掛けている間はなにをしているのだろうか。


「食材が無くなったから、今日は買い物にでも行こうか」


 そう言って、テーブルからゆったりと立ち上がった彼は、大きめのバッグを手に家のドアを開いた。

 俺達は少しだけ緊張しながら、彼の背後に付いた。


「あはは、買い物に行くだけだから緊張する必要は無いよ。ラビンソン商会は以前に護衛をしたこともあるから、仲が良いんだ」


 彼は嬉しそうな顔で設定を語った。

 ラビンソン商会は里に協力する組織で、現在俺達が住んでいる家を格安で貸し出しているらしい。

 そして、ウェンとエルフ少女はそこで丁稚として働きながら、外で情報を集めている。


 今日はその二人と初めて対面した日というだ。




◆◆◆◆




 俺達は大きな商店の前まできた。


 師範は、商店の番を頼まれている青年を呼びつけた。


「マリウス商会長に取り次ぎを頼んで良いかな。プラットが来たと言えば分かると思う」

「少々お待ちください」


 そうして青年が店の奥に消える。


「……」


 師範の背中を見ていると、段々と彼から立ち上る感情の色が薄く消えていく。今から会う相手は特に心の内を見透かされたく無い相手、ということだろう。


 数分後、一人の中年の男が奥の扉を開けて出てきた。その側には見覚えのある丁稚、そして24、5歳位の秘書らしき女の姿があった。


「ぁ」


 丁稚の少女、ウェンと目が合った。

 彼女は竜人娘と再会したことを喜ぶだろうと思っていたが、少し反応が鈍いことに疑問を覚える。

 その間にも師範と商会長は会話を始める。


「どうも、お久しぶりですな、プラット殿」

「お久しぶりです、商会長。最後に会ったのは5年前、でしたね」


「うぅむ、年月が過ぎるのは早いものですな。最近などは体にガタが来てまして、の方も中々元気が……」

「商会長はこれまでが元気過ぎたんですよ。奥方様もいる身ですから控えた方が良いですよ。私も自分の口の固さには自信がありませんから、問い詰められたら……ねぇ?」


 酒場でするような会話を始める二人に、店番の青年が少し戸惑ったような表情を見せる。


 ウェンから視線を外した俺は、マリウス商会長と呼ばれた男を観察していた。体内に秘める気の量は人並み以下。もちろん、身のこなしも比例して拙い。

 ため込んだ脂肪は富の象徴とは言うが、限度があるのだろう。


「あぁ、こんなところでする話では無かったですな。ささ、立て込んだ話は奥の方で致しましょう。フウロ、中を案内して差し上げなさい」

「……かしこまりました、ご主人様」


 ウェンは恭しく頭を下げる。


「それじゃあ、私は商会長と話してくるからね。中の物は壊さないようにね」

「分かったよ、父さん」


「オリヴィアも」

「分かっている」


 ぶっきらぼうに返す竜人娘を楽しそうに眺めた師範は、商会長と共に、奥の部屋へと戻って行った。

 商会長について行くように秘書の女もその場からいなくなっていた。


 俺は店の中をゆるりと眺める。

 ここは装飾品を専門に売っている店舗だろうか。

 商会自体は業種を絞っている訳では無いらしいので、店舗ごとに扱う商品を変えているのだろう。


 俺は銀の光沢を見せるネックレスを前にウェンへと声をかけた。


「こういうものは俺にはちょっと難しいな。アクセサリー以外は何か無い?」

「ございますよ」


 そう言ってウェンが案内を始める。

 直ぐに人気の無い区画までやってくる。

 そこに並んでいるのは先ほどのキラキラとした装飾品とは違って、少し地味に見える木工細工だった。


「フウロ、随分と言葉遣いが違うね。何かあった?」

「……うるさい、そうしないと怒られるの!分かるでしょ」


 貼り付けたような丁寧語が消えて、いつもの小生意気な口調に戻った。


「まあ、大丈夫なら良いよ。対象についての情報は集められた?」

「店に来たお客さんから、ちょっとだけね」


 その後にウェンから聞き出した情報は、俺が知っていた通りのものだった。やはり支部長はこの街において有名な人物のようだ。


「なら、支部長は一週間に一度は機関の外にある家に帰るらしいんだけど、その家がどこにあるか、調べられる?」

「……そう言えば、近くに住んでるってお客さんが居たから、そこから調べられるかも」


 思いの外、機転が利くようだ。


「支部長がどこに家を持っているか、そしてその家にはいつ帰ってくるのか、この二つを調べて欲しい」

「分かった。調べておけば良いんでしょ」


 ウェンは少しだけ調子を取り戻したのか、生き生きとした表情を見せる。


 用を終えた俺の意識は並んでいる木の細工へと向いた。

『生存訓練』の時に木細工への興味を得た俺は、籠や櫛と言った小物を自作している。しかも結構な数のものを作っていた。

 そのため、細工を売ったことの無い素人ながらも技術には自信があった。


 しかし、商品棚に並ぶそれらを見て俺の自信は砕かれた。


「凄いな」


 木製のコースターを前に呟く。


 表面に彫られた模様は機械で作ったように細やかで、それでいて機械には出来ないような美しい曲線を持っている。


 道具の差もあるだろうが、もし揃えたとしても、俺が同じものを作れるようになるまで、数年はかかるだろう。


 気づけば、竜人娘の姿はどこかに消えていた。


「これ、手に取ってみても良いかな?」

「……触るぐらいなら、良いわよ」


 許可を貰うと同時に伸ばした俺の手と、俺に渡そうとウェンが伸ばした手がぶつかる。


「……ッ、も、もう」


 ウェンが触れた手を守るように引っ込めた。

 そして、怒ったような声で誤魔化しながら俺から目を逸らした。


「あぁ、ごめんね」

「良いから!自分で勝手に見れば」


 彼女は俺から顔を背ける。


「……」


 俺は彼女の横顔を観察する。彼女の隠している感情を、余さず全て読み取れるように。


「……フウロは、今は商会長の家でお世話になっているのかな」

「……そうよ。毎日お肉食べ放題なのよ。うらやましいでしょ?」


 それ羨ましい。

 そこに付随して礼儀作法を強制されることを考えれば、あまり羨ましいとは思えない。


「へぇ。俺の方は自分たちで作らないといけないから大変だよ。一昨日もオリヴィアと皮を剥いたんだよ」

「……へ、へぇ。貧乏な家は大変ねえ」


 少しだけ平常心を奪われた様子のウェン。

 

「それに、家も凄い狭いし、部屋も少ないから一緒の……いやこれは良いや」

「……ふ、ふぅん。……あたし、全然興味無いから、一緒の部屋かどうかなんて」


 明らかに平常心を奪われているウェン。

 どうやら俺の言葉を信じているようだ。


 実際は家も部屋も広いし、部屋も全員別々だ。


 つまり彼女は以前街で俺と竜人娘の後を付けていた人物では無い、ということだ。俺達の家を見たことがあるなら、この言葉に反応することは無い筈だ。


 俺はエルフの少女も疑っていた。


 特に有名でも無い俺達を追跡するなら、元々繋がりのある人間なのだろうという推測だ。

 それに俺に気づかれる程度の追跡能力であることを思えば、師範レベルでは無いだろう。師範たちなら人混みの中で気づかれる事はまず無い。



 追跡者である疑いが晴れると、別の疑惑が一つ残る。

 彼女の不自然な態度、時折見せる感情の色から、俺はその事実を確信しているのだが、果たしてどのような言葉を掛けるべきか迷っていた。


「お姉さま」

「……」


 気づけば、竜人娘が居た。

 ウェンは今日、初めて彼女と視線を合わせた。


「お久しぶりです。お姉さま」

「……」


 彼女が身につけた丁寧な言葉遣いが勝手に出ている。


 たった数日だが彼女には随分と長い時間に感じたのだろう。

 ウェンは竜人娘との距離を測りかねているようだった。


「あの、その」

「……」


 ウェンがモジモジとしながら言葉を紡ごうとするのを、竜人娘はただ待っていた。不機嫌そうな表情は、いつもと同じだ。


「ギュってしても……良いですか?……あ」



 明らかに距離感を誤った言葉に気づいて、後悔しそうになったウェン。

 その体を、竜人娘が抱擁する。

 ウェンが戸惑うように目を白黒させる。


「ぁ……おね、え……さま」


 いつもならば冷たく切り捨てるだろう彼女の行動の変化に、少し驚いた。

 恐らく竜人娘の方も、ウェンの変化に気づいていたのだろう。

 呆然とするウェン。その目尻に溢れ出しそうなくらいに涙が溜まっていく。


「あ……ぁあ……ごめんなさい。汚されちゃった、あたしっ……」


 ウェンの言葉について、竜人娘は問い返す事はしなかった。


 ただ一言。


「……そのままでいい」

「お姉、さま……」


 今、ここにいる彼女を肯定する。


 ウェンの髪を梳くように竜人娘はその頭を撫でる。少しずつ、彼女の体から強張りが消えていく。


「……わたしも、何も変わらない」

「……ぅ……うぅ……——」


 そして、二人の関係性が変わらない事を端的に伝える。


 今度こそ、ウェンの涙は頬を伝った。




◆◆◆◆




「プラット殿、今度は杯を交わしながらでもまた話をしましょうぞ」

「ええ、仕事が終わったら、ぜひ祝杯を上げさせてください」


 商会長が別れを惜しむように、師範と握手をする。

 どんな会話をしたのかは分からない。


 俺は商会長をもう一度観察する。


 初めに見たときの印象そのままだ。

 でっぷりと太っていて、貪欲な視線を抑えることさえしない。


 そういう、他者を自身の欲望のために利用する事しか頭に無い輩だ。


——俺と同じ、下衆の臭いがする。



 ウェンが男の手に触れることさえ恐れるようになったのは、間違いなくこの男の影響だと確信した。




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