第64話『盲人の赤』

 俺たちが入ったのは『初伝Cクラス』と呼ばれるクラスだった。

 聖剣機関の剣術、聖剣流剣術のいわゆる初級に当たるのが『初伝』という階級だ。

 その上に中伝、表伝、……といくつかの階級が続くらしいが今は関係ないだろう。


 そんな聖剣流には非常に多くの種類の剣技が存在する。

 そして、この中の一つの技でも使えるようになれば、無事初伝となる。


 これだけを聞くと簡単そうだが、実際はその中で最も簡単な剣技を身に付けるのも難しいらしい。

 もし簡単ならば初伝をめざすこのクラスの名前の後ろにCが付く事は無かっただろう。


 このCクラスは剣技を身に付ける前の段階、いわゆる身体作りを主な目的とするクラスだった。


 特別待遇となる子供ならば、Aクラスの稽古を受けているだろう。

 内部のオグやエンと繋がりを得るためにも、そこまで上る必要があった。


「はい!素振り、始めっ。いち!にぃ!さん!しぃ!ごぉ!———」

「やぁっ!やぁっ!やぁっ!」


 基本的にはランニングから始まって身体があったまって来たところで木剣で素振りを行い、剣を持ったままの足捌きや、木偶への打ち込みを行う。

 昨日はそれで終わりだったが、今日は最後に先生との組み手で練習を締めるらしい。


「ほら!どんどん打ち込んでおいで!」


 この時、先生が攻撃してくることは無い。

 おそらくは人と相対して剣を振る自信を付けさせるのが目的だろう。地に足を着けたまま子供の攻撃をいなす。


「疲れて握りが甘くなってるよ!」


 疲れて動きが崩れたところを指摘しながらその体を投げ飛ばす。


「なにくそぉ!」


 砂で服を汚した少年が、雄叫びを上げながら木剣を振るうも、先生は斜めに構えた剣で受け流した。

 既に少年の握力が疲れて限界に達していたせいで、剣を振った勢いのまますっぽ抜けて先生の向こう側へと転がっていった。


「疲れている時こそ、形を意識してね」

「ハァ、っはい」


 ポン、と頭を撫でてから少年を下がらせる。

 そして先生が並んだ子供たちへと視線を向けると、その一番前に居た俺に目が合う。


「お願いします」

「うん、ルフレッド君は初めてだったね。さっきの子みたいに好きに打ち込んで良いからね。先生は強いから怪我も心配しなくて良いよ」


 自信に満ちた笑みを浮かべる先生。

 確かに彼女の立ち居振る舞いは堂に入っているように見えた。


「はい!」

 

 取り敢えず、初めは気術を使わずにやってみる。

 『器術』の訓練では剣術を習うことは無かったが、棒術の応用である程度は振れるだろう。


「シィッ!」


 横薙ぎに剣を振るえば、彼女はそれを真正面から受け止めた。

 しかし、躰篭によって強化された筋力は彼女をその場から退けることに成功した。


「……ッ、良いね」


 一瞬の驚きの後、好戦的な笑みを浮かべた先生は、背後に飛ばされた勢いで地面に引いた線を足裏で消すと、半身で剣を構えた。

 両手で握っていた先ほどの構えとは異なり、彼女の間合いが広くなる。


「フッ!」


 今度は袈裟懸けに振る。

 しかし、こちらの剣先に軽く力を加えて芯を外されたことで、彼女は簡単に受け流した。


「流され……ッ」


 その上、こちらの攻撃の勢いを利用してその場で回転する。

 独楽のように回転するその体から、こちらが振った倍の速度で攻撃が返ってくる。

 咄嗟に動き出そうとする気を抑えつけて体の動きが鈍った。


「っ、重ッ」


 俺は慌てて木剣に左手を添えて攻撃を受け止めた。

 同時に尻尾で地面を押すことで、衝撃を受け流した。


 彼女は剣を振り切った姿勢のまま、その場で止まった。


「あ。ごめんなさい。間違えて攻撃しちゃった」

「あぁ、やっぱり攻撃はしないつもりだったんですね。怪我もなかったので大丈夫ですよ」


 口元に手を当てて謝罪する彼女に、気にしないようにと慰める。


「かなり力があったから、驚いちゃった。……本当に剣術は初めて?」

「今日が初めてですよ。でも、父に言われて棒を振っていたのでそのお陰かもしれません」


 彼女の視線は俺の体の周りを巡った。

 丁度、俺がその身から放つ気をなぞるように。

 どうやら彼女には俺の気が見えているらしい。少なくとも彼女も気術の入り口を潜った存在だということだ。

 確かに彼女の纏う気は制御されているように静かだった。


 俺はあえて気の制御を手放しているので、こちらが気術を修めていることには気づかれていないが。

 聖流剣術は気の操作を含む剣技が存在するのかもしれない。


 その後も彼女に掛かっていくが、上手く芯を外される感覚があった。構えの変わった彼女は鉄壁、というよりか風車のようで、こちらの攻撃を受け止めて右に左にと回転する。

 本気なら、この回転から鋭い反撃が返ってくるのだろう。


「ふぅ……ありがとうございました」


 ペコリと頭を下げれば、剣でタコのできた掌で髪を撫でられる。


「かなり筋が良いよ、ルフレッドくん。……どうする?君が行きたいならBクラスにも上がれるけど」


 彼女の提案は渡りに船だった。

 このクラスにオグとエンが居ないことは確認できたので、早く上のクラスに上がって二人と『出会う』必要がある。


「本当ですか?お願いします!」

「うんうん。良いよ。それじゃあ上のクラスの先生に話は通しておくからね」


 もう一度彼女に頭を下げてから子供達の群れへと戻る。

 先生はそれを見送ってから、次に並ぶ子供へと視線を向ける。


「次、は……」

「……」


 一瞬、金色の瞳と視線が合うがすぐにその隣へと移っていった。


 そうだ、彼女は気が見えているのだ。

 つまりそれは竜人娘の纏う馬鹿げた密度の気が見えているということだ。


「つ、ぎは……」

「……」


 一応潜入が目的なのに、目立つ彼女を配置したのはどういう意図だろうと疑問に思う。

 彼女もあまり気を抑える気は……一応抑えてはいるが、それでも目立つ。それこそ、気を感じ取れない子供達がプレッシャーを感じる位には。


 身の丈程もある大きな木剣を持った竜人娘の視線が鋭くなる。


「……ご」

「……?」

 

「合格ぅ!!!」


 自身の胸の前で小さく拍手をしながら竜人娘へと近寄っていく先生。そしてその肩に手を置くと、大きく頷いて見せる。


「私の気迫に揺らがない胆力。刃を交わさなくとも、オリヴィアちゃんの強さが分かったよ。明日からは初伝Bクラスに行って良いよ」


 彼女は瞳を僅かに潤ませながら、厳かな雰囲気を演出する。

 竜人娘から立ち上る気が見えていなければ、俺も感動できたのかもしれない。


「おい、オリヴィアってお前の姉ちゃんだよな?」

「うん?……まあ、そうだね」


 養子という設定ではあるが、一々そこを指摘するつもりは無い。

 あと、今話しかけて来た馴れ馴れしい少年の名前も知らない。


「見た目はまぁまぁキレーだけど、強すぎるとカワイク無いよな?さっきとか打ち込みの杭を折ってたし!」


 うんうん、と周囲の者達が頷く。

 確かに意識がある間の彼女は可愛くは無いな。

 同じ部屋で毒草を食べていると怒るし、大人に負けても怒る。

 バンダナを奪う訓練で俺に負けた時も不機嫌になったし、面倒なことこの上無い。

 

「安心しなよ。オリヴィアと君は一生無関係だから」

「そうだよ……ん?どういう意味だ、それ」


 俺が見せる朗らかな表情と、言葉のギャップで彼は若干戸惑った。


「ねえ。ちょっと組み手でもしようよ。しばらく、ここ使っても良いんだよね」

「あ、あぁ。良いぜ。でも、お前昨日来たばっかりだろ?ハンデは要らないのか?俺一年以上通ってるからさー」


 俺はそのまま彼に木剣を押し付ける。

 彼はそれを受け取ると、少し気遣うような表情を見せた。


「大丈夫じゃないかな。明日からBクラスに移って良いって言われたし。……それじゃあ行くよっ」

「え、ちょ、ま」


 彼はモタモタと構えながら何かを言っている。

 毎日1、2時間の稽古だけで満足しているだけあって、随分と可愛らしい構えをするものだ。

 俺は木偶を相手にするように大きく剣を振り上げた。




 ◆◆◆◆




 短時間の稽古を終えて、俺達は帰路に着いた。


「オリヴィア。今日は楽しかったね」

「あぁ」


 猫を被ったまま竜人娘と当たり障りの無い会話を行う。

 いつもなら低い声で『黙れ』と切り捨ててもおかしくない、そう思っていたが、染み付いた印象は過去のものだろう。最近の彼女はそこまで狭量ではない。

 ウェンほどまでしつこくすれば、流石に殴り飛ばされるが、あまり他の子供を殴っている印象は無かった。


「……おっと」

「っどけ、邪魔なんだよ!」


 俺にぶつかった少年が悪態を吐いて俺の脇を抜けていこうとする。

 その手元には何かの包みが見えた。


「……お前こそ、身の程をわきまえろ」

「っぐぉえ!?」


 そして彼女の前を通った瞬間に容赦の無い足払いがされる。

 少年は空中で大きく半回転して後頭部を地面に強打する。


 持っていた包みが地面に投げ出された。

 同時に騒ぎを察した市民達が少年から離れて丸い空間が出来上がる。


「見つけたぞ!!このクソガキが!!」


 人の群れから顔を出した大男が、怒りの声を上げながら少年の首根っこを掴み上げる。


「……ッおい、離せよ!!誰か!!助けてくれ!!」

「毎日盗みばっかしてるお前を助ける奴が居ると思うか?」


 目を回していた少年が、意識を取り戻して暴れだすが太い腕はびくともしない。


「ウチの物を盗んだのはこの手か?アァ!?」

「ア、グアァッ!痛え、いてえよ!」


 少年の人差し指を掴んだ店主が、それを逆向きに捻る。彼が盗みを生業にしているならば、指をおられるのは致命的だろう。

 絶叫を漏らす少年を地面に投げ捨てると、店主がこちらに向き直った。


「坊主達が捕まえてくれたんだよな!お礼だ!遠慮せず受け取ってくれや!」


 店主はそう言ってポケットから出した銅貨を周りから見えるように俺の掌の上に置いた。

 少年の視線が店主からこちらに向いたのが分かって、憂鬱な気分になる。


「いやあ、助かった助かった!」


 包みを拾い上げた男は大きく喜びを表しながら人混みの中へ戻っていった。

 俺は掌の上の銅貨を握ると彼女の方を振り返った。


「……どこか寄ってく?」

「なら、肉が良い」


「いいね」


 思いの外乗り気な彼女に驚いた。

 俺達は家路から外れると、大きめの通りへと入った。


「おじさん。串肉2つ」

「あいよ」


 銅貨4枚を手渡すと、大きめの串に刺さった肉が2本帰ってくる。

 その内の一本を竜人娘に手渡す。


「はぐ」


 焼き立ての熱い肉にかぶり付いた彼女は、肉を一口で噛み切ると肉の味に集中するように、視線を地面に固定したまま口だけを動かす。


 俺も串の両端を握って横から肉にかぶりついた。

 少し硬めの肉だが、内側から肉汁が染みてきて強烈な旨みを感じる。彼女の方も、すぐに飲み込むのは惜しいのか、いつもよりも慎重に咀嚼しているように見える。


「あ……んぐ」


 じっと見ていると、こちらの視線に気付いた彼女は煩しげに目を細めるが、肉を齧るのは止めない。


「うん?」


 気による感知に不審な人物が引っかかる。


「……」


 遅れて彼女もそれに気づいたようで、肉を咀嚼しながらこちらに視線を向けてきた。


「これ食べたら、帰ろうか?」

「わかった」


 串を捨てると、俺達は蛇人族の師範の居る家へと向かって歩いた。

 あそこは知られても問題の無い拠点の筈だ。とりあえずあそこまで追跡者が追ってくるかを知りたい。

 一つ目の曲がり角、こちらが曲がったのを察知して速度を上げてくる。

 

 俺が見ているのはあくまで体から溢れ出す気の大きさなので、対象の人物が大人であるか子供であるか見分けることは出来ない。

 そこから感じた印象では、対象の人物は気術を使える。


 結局、家の前にある最後の曲がり角までその人物はついてきた。

 俺達はそのまま相手を特定しようとはせずに家へと入っていく。


「ただいま!父さん。今日はちょっと寄り道してきたよ」

「ただいま」


「おかえり。丁度良かった、父さんもさっき帰ってきたところだよ」


 師範は嬉しそうな笑みを浮かべて見せる。

 その身から立ち上るのは親愛の情だけだ。

 自分の感情さえも偽って見せる彼の徹底振りに驚きを抱く。

 相手が花精族でなければ感情を偽ることにそれほど意味は無い筈だ。見たところでは花精族の特徴を持っている人物も見えなかった。

 

 きっと花精族は割と珍しい類の種族なのだろうと予想が付いた。


 彼は一瞬だけ窓の外に目をやると、すぐに戻した。


「父さん。晩ご飯の準備手伝うよ」


 小さな踏み台を持ってきて、それに登った俺は袖をまくると師範の横へ並んだ。


「それじゃあ、ルフレッドには皮むきをお願いしよう」

「任せてよ」


 彼の手渡した人参のような植物を受け取ると、小さな包丁でゆっくりと皮を剥いていく。外にいるだろう追跡者に疑われないくらいに、ゆっくりと。


「オリヴィアもするかい?皮剥き」

「私にもやらせろ」


 俺の乗っている踏み台に登ろうとしてきたので、半分を譲るがそれでも狭いらしく、二人の肘がぶつかった。


 ジャガイモのような野菜と包丁を受け取った彼女はナイフでクルクルと回しながら皮を剥いて見せる。かなり早いが、意識して速度を落としているのが分かった。

 また、互いの肘が当たった。



「うん、綺麗に剥けているね」


 二人から人参とジャガイモを受け取った師範が穏やかに笑う。


 家族を知らない者が三人、父と息子と娘の形を歪に演じる。

 特に竜人娘からすれば、それを演じるのは暗闇で絵を描くようなものだろう。

 俺もそれがどんな物だったのか、完全に抜け落ちてしまっている。


 夕食を食べ始める頃には、気配は消えていた。




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第64話『盲人の赤』




『目の見えない人に赤色を説明してください』

 みたいな問いをどこかで見た気がするのです。

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