第63話『奪いたくば、与えよ』
『里外任務』の前日の夜。いつも通りに部屋へと戻ろうとしていたら、ドアの隙間から伸びてきた手に引き摺り込まれた。
「おい、ネチネチ。どうすんだよ」
「……落ち着いてよ」
部屋の持ち主に胸ぐらを掴まれる。
下手人はやはりトラだった。
この一年半で彼の身長はさらに伸びて、初めてあったときのリオと同じくらいにまで成長している。
年齢を考えれば、彼よりも大きく成長するかもしれない。
「任務はいつまであるか分からねぇ。……もし途中で、躰篭が解けたらどうするんだよ!?」
「自分で出来るよね?君もある程度仙器化は熟してきたんだから」
流石に一年半の期間があれば、気性から仙器化が得意では無い彼であっても筋肉程度なら出来る筈だ。
とは言え、現在彼の全身に施されている二重の付与が出来るとは流石に思えない。
彼の体を見下ろしながら、その肉体に込められた付与を思い返す。
筋肉に始めに施された『出力強化』と、彼の速度を伸ばす『瞬発力強化』。
骨を曲がりづらくする『硬化』に、一点に力が掛かっても折れてしまわないように柔軟性を高める『弾性強化』。
神経には彼の処理速度を高める『伝達速度強化』に『鋭敏化』
他にも彼の中身で躰篭となっていない部分は存在しないと言うほどに付与を施した。
躰篭を施す箇所が無くなってからは、情けで気を注入して躰篭を維持することさえした。
「ごめんけど、師範に逆らうことなんてできないよ……」
悲痛な顔を見せて彼に謝る。
実際は情けなどではなく、彼が自力で躰篭を獲得すると力関係のアドバンテージを維持できないと言う理由があったからだ。
発展途上国に服を寄付すると、その国の服飾業界が大きく打撃を受けるという話がある。
服を寄付するということは、その国で無料の服が出回るということになる。そうなれば、服の販売で生計を立てているものは当然儲かることができなくなり、服飾業界からは撤退するという訳だ。
それをトラに対して行ったという訳だ。
何の代価も無く躰篭を施されたトラは、わざわざリスクを犯して自身で躰篭化に挑戦することは無くなる。
躰篭の研究と、彼の堕落。
俺が彼に『お願い』をした理由はこれに尽きる。
できれば、里を卒業するまで躰篭は維持していたかったが、『里外任務』で一ヶ月以上戻れなければ仕方が無いと割り切るしか無い。
一週間程度で終わる任務であれば良いのだが。
「くそっ。もういい!」
俺を突き放したトラは、苛立ちながら髪を掻き毟った。
「出て行けよ。役立たずがっ!!」
壁を叩いて焦りと怒りを見せるトラを、俺は静かに観察した。
◆◆◆◆
「やぁ、おはよう」
そして、『里外任務』の当日、起きたら既に馬車の中にいた。
対面に座っているのは蛇人族の師範だった。
既に俺以外の4人は起きていた。
慌てて起き上がり、馬車の中を見回す。
馬車の中にいるのは俺、竜人娘、エン、オグ、ウェン、エルフ少女、そして蛇人族の師範の7人。後は御者が居るだろうが、ここからでは影しか見えない。
馬車の後ろの方に腰を下ろしている蛇人族の師範に目を向ける。
「これが『里外任務』なのは、理解しているね」
子供達はコクリと頷く。
「君たちに下された任務を告げよう。……今から向かう街の『聖剣機関』、その支部長の暗殺だ」
街が存在することは知っていたが、『聖剣機関』という単語についてはアンリからも聞いていなかった。
意図的に隠していたとは思えないから、おそらく彼女の任務とは関わりが無かった組織なのだろう。
名前からして剣士に関わりがある組織だ。
その支部長となれば任務の達成はかなり難しいものであるように思われる。
「次に、君たちの役割を指示する。まず、君と君」
「はい」
「うす」
師範はエンとオグを指差した。
そうして、鞄から筒状に巻いた紙を取り出すと、二人に手渡した。
「先に『聖剣機関』について説明をしておこうか」
彼は自身の腰に下げた剣に触れると、穏やかな口調で語り出す。
「『聖剣機関』は一言で言えば、剣士の養成機関だよ。……まあ、養成機関と言えるのはその中でも本部だけで、支部は道場というのが近いね。基本的にはお金を対価に剣術を教えるのが『聖剣機関』の仕事だよ」
習い事のような感じだろうか?
「その中でも優秀な能力を持つ者は、対価無しで住み込みで訓練を受けることが出来る。その推薦状は、面倒な前準備を省いて特別待遇の試験を受けることができる。……残念だけど、今回は2枚しか用意出来なかったよ。2人は内部から支部長の動きを探るんだよ」
「はいっ」
「は、はい」
エンはその役割の責任を感じ取ったようで、大きく頷いたが、オグの方は師範の話がよく飲み込めなかったようで、曖昧に頷いた。
当たり前だ。彼らは今まで人里から隔離された世界にいたのだから。
シスターからは彼についての講義の合間に、外の環境について触りを習ってはいたが、明らかに情報は不足していた。
「後、そこには任務での君たちの名前も書いてある。人族の君がティナで、鬼人族の君がアスラだよ」
二人は新しい名前を反芻して記憶に刻み込んだ。
「そして、
「わかりました」
「……はい」
ウェンは竜人娘とは別行動となることに不服そうだ。
先ほどの推薦状といい、監視するための場所といい、里はかなり街へと入り込んでいるらしい。
それに、監視のために四人も割くとは、かなり手が混んでいる。
相手は相当手強いのだろうか。
「後の二人は、……」
四人が外側と内側からの監視ならば、残った役割は実行ぐらいだろう。戦闘訓練での順位を考えてもその可能性が高いと思っていた。
「……二人は私の子供役だよ」
「……?」
竜人娘は怪訝な表情を浮かべた。
「これから行く街では身寄りの無い蛇人族、というのはあまりにも目立ち過ぎるからね。まだ旅人の子供とした方が自然だ。竜人の子は拾った子供だね。竜人族には欠陥のある子供を捨てる風習があるから、説明すれば怪しまれることは無いよ。理解できたかな?」
「はい、わかりました」
「……」
俺は納得がいって頷いたが、竜人娘は煩いと言うように顔を背けた。
早速反抗期の娘の演技でも始めたのだろう。
蛇人族の師範は気にする様子は無く、鞄から子供サイズの服を取り出すと着替えを命じる。
流石に貫頭衣のままでは勘ぐられるということらしい。
俺が着替えると、他の子供達がこちらを見ていた。
蛇人族の師範も目を丸くしてこちらを見ている。
そうしてやっと俺は失敗に気づいた。
俺達は初めて普通の服を見たにも関わらず、俺は誰に教えられるでも無く服を着てしまった。
「今ので服の着方は分かったね?」
そうして、師範は他の子供を促した。
幸い、怪しまれることは無かったが、今回のは明らかな失態だ。
外に出ることに意識が向いて油断していた。気を引き締めよう。
「最後にいくつか注意しておいて欲しい」
師範は大きめのローブから革鎧を着た剣士の旅装に着替えていた。
「外では絶対に仙器化を見せてはいけないよ」
なぜ、と問いかけることはしなかった。
どちらかというと笑顔を浮かべていることの多い彼がこれほど真剣な表情で告げるのだから何らかの意図があるに違いない。
例えば外では禁止された技術である、とかだろう。
『見せてはいけない』という、実行そのものを禁止ではない言い方は、任務に仙器化した武器を使うのは許されているということだろう。
いくつか疑問はある。
一番大きなものは、暗殺において潜入という余分な要素を含む理由。里での訓練は基本的に潜入を前提としたものでは無い。
明らかに普通とは異なる人生を送ってきた子供達が溶け込めるのか。
「そして、この任務は君の主導で進めるんだ。私は街に入った後、手助けはしないよ」
「……わかりました」
きな臭いものを感じるが、選択肢はない。
俺は彼の言葉に頷いた。
◆◆◆◆
「次」
関所で鎧を着た兵士に呼ばれて、俺達は前に出た。
「ふむ、3人か……」
街道に出る前に、他の四人はまた別の大人達に連れられて行った。
どうやら別の経路で街に入るらしい。
一緒に入ればその記録が付く。それが足枷となることを恐れたのだろう。
「この街にはどんな目的で?」
「子供が出来たので、少し安全なところで育てようと思いまして」
爽やかな表情で言い放つ師範。
兵士の目はもう一人の子供、竜人娘の方に向いていた。
「そちらの子も娘か?……それにしては似てないが」
「この娘は孤児ですよ。ここに来る途中で捨てられてたので哀れに思って拾ったんです」
「……なるほど。それは、酔狂なことだ」
彼の言い方はあまり褒めているようには見えなかった。
前世とは違って己の子供以外を育てるのは珍しいと思われるらしい。
その後も二、三質問されたが怪しまれることは無かった。
街に入った師範は、迷いなく一つの方角へ向かっていく。
街の中には中世を思わせるような煉瓦造りの街並みが広がっていた。前世の西欧とは大きく違うのは、その街並みの中に獣の耳を持つ者や長い耳を持つ者が混じっていることだろう。
「……」
俺は師範の後頭部を見上げる。
この人混みの中ならば、姿を晦まして里から逃れることも出来るだろうか。
師範の顔は前を向いているにも関わらず、こちらに意識を向けているのが分かった。俺が少しでも逸れた方向に向かおうものなら、直ぐに振り向くだろう。
背後の少女からは人混みにうんざりするような感情が漏れていた。
体がぶつかり合うのが嫌なのだろう。
人混みを抜けた師範は、予め知っていたように一つの住居へと入った。鍵は既に空いていた。
おそらく、この任務のために用意されたものでは無いだろう。
明らかに人数に対して広過ぎる家だった。おそらく大人が4、5人で住んで丁度良いくらいだろう。
師範が荷物を下ろして、俺達をテーブルへと着かせた。
彼女は観察するように部屋の中で視線を巡らせていた。表情には出さないが、彼女の好奇心が刺激されているのが分かった。
里ではこれ程大きな部屋は与えられて居なかったから、気持ちは分かる。きっと寝床もフカフカに違い無い。
彼は微笑ましそうにこちらを見てから、注意を集めるように指先で机を叩いて見せた。
「馬車の中でも言った通り、君たち二人の役割は中の二人との連絡役だ。そのために、二人は聖剣機関の道場へ通ってもらうよ」
◆◆◆◆
だだっ広い運動場では子供達が棒を片手に駆け回っている。
どうやらこの場所は彼らにとって遊び場の一つのようだ。
確かに、これは『機関』というより『道場』という言葉の方がしっくりと来る。
「はーい、みんな!!そろそろ稽古を始めるから集まってねー!!」
二十代前半に見える女性が彼らに呼びかける。
そうすると、彼らは運動場の角にいる俺達に気づいて、女性へと問いかける。
「せんせー、新しい子ですか?」
「そうよ。しかも今回は二人も!居ます!」
『せんせー』は子供のテンションを煽るように、さらに情報を追加する。
「えー、ホント!」
「ほう、蛇人族か……」
「何だよ、知ってるのか?」
「いや、しらねぇ」
「一生黙ってろ」
一気に子供達が騒がしくなる。
「それじゃあ、二人ともおいで!」
彼女の言葉に従って、ワクワクとした表情を浮かべる彼らの前に歩み出る。
女性の横に竜人娘と共に二人で並ぶと、子供達の喧騒が静まって小さな溜息が口々に溢れた。しかし、これは期待外れの人物に呆れたせいでは無く、竜人娘の容姿に見惚れたせいだろう。
現に少年少女の視線は彼女に集まっていた。
「……それじゃあ……お名前、お願いします」
心なしか、『せんせー』の態度も恭しい。
任務にはこちらの方が都合が良いと思い直して、自己紹介を始める。
「どうも、ルフレッドです。みんなと仲良くなれたら、嬉しいな」
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第63話『奪いたくば、与えよ』
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