第三章
第62話『一握り』
寮へと移ってから一年と半年が経った。
俺はレンガの壁を垂直に歩いて、寮の中央に聳え立つ塔を上る。
これは【猿歩】と呼ばれる歩法の応用で、気の操作によって斥力を発生させる技術があるのだが、これはその時に発生する力の向きを逆にすることで、張り付く方に力を発生させるのだ。
磁石でくっ付いているような感覚に近い。
おそらくアンリ達が塔の上に登っていたのもこの技術を使ったのだろうと想像がついた。
今なら天井に立つこともできるだろう。
もちろん、この技術は足の裏を壁に貼り付けるだけなので、上るためには足先だけで肉体を支えるだけの筋力、姿勢を維持するための体幹が必要となる。
筋肉の躰篭化を施しただけあって、素の力だけでもこのくらいのことはできた。
最後に頂上の縁に手を掛けて体を持ち上げれば、馴染みのある顔がこちらを見ていた。
「いつ来ても居るよね、アンリ」
「ま〜ねー」
遠回しに彼女が暇であることを揶揄したのだが、気にしている様子は無い。
アンリはパイプの代わりにしている草の茎を噛み締めながら答えた。
どうやら今日は何も吸っていないらしく、彼女の纏う感情は暗い闇を帯びていた。どうやらこれが彼女の平常状態らしい。
対抗戦が終わってからも彼女との交流は続いていた。
俺は彼女の持つ情報が目的だったが、彼女はそれを知った上で俺との対話に応じているようだった。
気術については、『どうせすぐ習うだろうから』とはぐらかして教えることは無かったが、正気でない時には彼女が戦闘で使ういくつかの小手先の技術をポロリと漏らすことがあったので、時間を割いてここに来ている。
5回に1回くらいの頻度でここにリオが参加する。
彼は普段、自己鍛錬をしているらしく、ここに来るのは一種の息抜きのためだと言っていた。
しかし、ここに来た時にはアンリと気術や戦闘技術のことについて二、三話すだけで帰ってしまうので、息抜きだと言う彼の言葉は本当か怪しかった。
ちなみにこれまでに数回、竜人娘が頂上に登っているのを見た。
その時もアンリは頂上にいたが、薬を摂取している彼女に竜人娘は『臭い』と文句を言っていた。以前に俺が同じことを言われたのはアンリから薬の臭いが移っていたからだと理解した。
アンリの薬の回数が減るようになったのはそれからだった。
初めての対抗戦の時に、彼女達が何を話したのかは知らないが、アンリもまた竜人娘に影響を受けたのだろう。
「そう言えば……もうそろそろだよねー、外に出るの」
「うん」
少し前に『里外任務』へと従事するメンバーに選ばれた俺は、後数日でこの里を一時的に出ることが決定していた。
『里外任務』には10人の子供達が出るらしく、外で『使徒』と呼ばれる大人達の指示によって実際に任務を熟すらしい。確か俺達が『使徒候補』と呼ばれる立場だったので里での訓練をクリアした者が『使徒』と呼ばれるのだろうと予想がついた。
そして、どうやら10人全員で同じ任務を受ける訳ではなく、複数の任務に数人ずつで当たるらしい。
俺が選ばれたのはその中でも6人の子供を要求する任務だった。
選出されたメンバーは、俺、竜人娘、エン、オグ、ウェン、そして名前の知らないエルフの少女だ。
別の任務だがトラとモンクも『里外任務』には従事するようだった。
ウェンとエルフの少女の選出については俺はその理由を図かねていた。
エルフの少女は模擬戦で戦ったことは殆ど無いので、中位あたりだろうし、ウェンに至っては上がってきてはいるが子供達の中では下位の実力だ。
彼女の特性が任務に必要とかだろうか。
「あんなに行きたがってたのにー、嬉しくなさそうだね?」
アンリは草の茎を指先で持つと、こちらを向いて首を傾けた。
彼女は二度目の成長期を迎えているようで、一年半前と比べると身長も見違えるほど高くなっている。代わりに以前から目についていた細身が強調されて病的に痩せて見える。
実際、病んではいるのだが。
「実力順だけで選ばれているようには思えなくてね」
実際上位の6人が選ばれていることを考えれば、実力順なのだろうが、それ以外にも基準が存在しているように思えた。
「あぁ、そっか」
アンリは皮肉げに笑った。
「里の外には、自分の感情で動く人もいるんだよー」
「?」
里の外にいるにも関わらず、ここに干渉できるだけの力を持っている人物が存在していると言うことだろうか。
そして、そんな人物の私情によって俺達が選ばれた……。
「途端に行きたくなくなったよ」
「蛇くんなら大丈夫だよー、多分ね」
「結局、アンリには一度も勝てて無いけど?」
「勝ったでしょー?何回も!」
口先を窄めて拗ねるように彼女は言った。
「グループとしてはね」
対抗戦は一期、つまり三ヶ月に一度行われる。
だから、これまでに6回行われ、俺は彼女達の代と何度も戦ったが竜人娘の力で勝つことはあったが、その時に残っていたのは彼女一人。
つまり俺は彼女達に見つかって脱落していた。
隠密には自信があったのだが、彼女達も俺への対策を打ってきて、隠れ続けることが難しくなった。
ピット器官の特徴に気づいてからは、泥を被ることで体温を消して奇襲を受けることさえあった。
グループ自体の戦績は初めは互角だったが、竜人娘の成長に伴って勝ち越しに天秤が傾いている。
しかし、連携と実力によって彼女達を上回るのはもう少し先だろう。
前回の戦いの反省をしていると、アンリが自分の手首の辺りをひと撫でしてから立ち上がった。
「少し寒くなってきたら、帰るねー」
「そっか、おやすみ」
「夜はまだまだこれからだぜ!」
そう言って彼女は両腕を大きく上げた万歳の姿勢のまま、背中から落ちていった。
彼女を見送ってしばらくしてから、俺も頂上を去った。
◆◆◆◆
夜の寮では意外と声が聞こえる。
前世のカラオケルームよりも薄い扉は怒鳴り声どころか普通に話す声ぐらいなら耳をそば立てれば簡単に盗み聞きできる。
俺は聞くつもりはなかったがその中の一つが鮮明に耳に響いた。
「嫌っ、嫌、いやぁー!!」
子供達はシスターによる教化の影響で、死を恐れなくなる、とまでは行かないが、痛みや苦痛に対して鈍くなってきた。
感情を育てる時期にそんな教育を受けることで彼らの感受性は擦り切れるように薄くなったが、中にはこうしてはっきりとした感情を見せる子供もいる。
「え、えっと。ごごご、ごめんね」
扉の向こうではきっと、モンクが鼠人族の少女を慰めているのだろう。モンクとは異なり優秀とは言えない彼女では『里外任務』に選ばれることは出来なかったのだ。
これには視線を向けられるだけで顔を赤くするほどの恥ずかしがり屋の彼女も黒い瞳を真っ黒にして、モンクに詰め寄らざるを得ない。
一方のモンクもそんな彼女を叩き出すことは出来ないのか、いつも以上に言葉に詰まりながら、彼女を慰めているようだ。
彼女の方も自分が泣けばモンクが心配してくれると無意識で理解しているのか、時折しゃくり上げて自身の悲しみをしっかりとアピールしているようだった。
本来はこの部屋はモンク以外にも男子が居た筈だが、この場にいることが耐えられ無かったのか、現在は二人だけである。
モンクと二人きりになれるように場を作ったミミの手腕に感心していると、扉の向こうにあるモンクの気配が動いた。
「ね、ネチネチくんっ、そ、そこに居るんでしょ!?ちょっとミミちゃんが泣いてるから、た、助けて欲しいんだ」
聞き耳を立てていたのに気付かれてしまった。
モンクの膝に顔を埋めて、クワガタ虫のように彼の腹部を両手で拘束していた少女の耳がピクリと動いてこちらを向いた。
「……ねぇ、モンクくん。どうしたの?……扉の外には誰も居ないよ。たぶん……勘違いだよ……ね?」
最後の問いかけは俺に対してなされたものだろう。
俺は空気を読んで、纏う気の量をゼロにする。これでモンクからはもう見えない。
「……ほら、やっぱり。勘違い……だよ?」
「あ、あれ?……ちょ、ちょっと見て来るね?」
「だめ。ここに居て……もしかして……嫌……なの?」
「そ、そんなことなないよ……けど」
モンクの劣勢を確信した俺は、扉の前から去った。もちろん、モンクからは聞こえないように最大限に静かに歩いて。
子供達の大変微笑ましい逢引の前を通り過ぎた俺は、竜人娘のいる部屋の扉を開ける。
「……」
彼女は瞑想によって深い集中を纏っていた。
その手元には木の枝が握られていた。どうやら今日は仙器化の訓練をしているらしい。
静かにうねる尻尾に思わず視線が引き寄せられた。
彼女の側頭部から後ろに向かって生える角は一月ほどで成長が止まり、火のような赤色が銀の髪に映える。
身長は俺と同じく少しだけ伸びた。
比べるなら若干俺の方が大きいが、体重は尻尾の太さがある分、彼女の方が上だろう。戦いの際には体重が大きい方が有利なので、少しだけ彼女が羨ましい。
俺は彼女の隣に敷かれたベッドに座り込むと、森で拾った木の枝を取り出して、仙器化の訓練を始める。
まずは準備運動がわりに二重付与を施してみる。
掌の上においた木の枝は数秒で仙器となる。
枝に気を注ぎ込むと、その効果は現れて砂のように崩れ落ちた。
これは『気を注ぎ込むと』『崩れる』仙器だ。
以前にモンクが作った仙器のように燃やすこともできるが、水桶を用意していないので、後処理が面倒だった。
続いて三重の付与。
今度は十分近く掛かった。
『頑強』と『固定』と『外力軽減』。
『頑強』は単純に丈夫さを上げるもので、『固定』は材質の変形を防ぎ、『外力軽減』が外からの力の一部を無効化すると言うものだ。
まとめれば全て枝を硬くするものだが、付与する気の色が違うので問題なく多重付与できる。
今のところ三重が限界だが、眼球に施した『知覚拡張』の付与のおかげでかなり早い速度で上達することができた。
自身から発する気の色を確認しながら微調整ができる今と比べると、以前は答えを知らずにクイズを解くような難しさだった。
隣を見れば、彼女も二重の仙器化を成功させたようで、両端を握って曲げるように力を加えて、その出来を確かめているようだ。
そういえば、彼女は気の知覚能力が元から備わっているのだった。
もし、眼球を躰篭にしなければ、気術においても彼女に抜かれていたのかもしれない、と考えて恐怖が過ぎった。
「……」
仙器の出来に満足した彼女は、二重付与を施した枝を床に置いて次の一本に手を伸ばす。その指の先にはまだ付与を施していない枝と崩れ落ちた木屑が集められていた。
まだ精度は甘い、か。
俺は彼女の置いた枝の隣に見えるようにゆっくりと、三重の付与をした丈夫な木の枝を置いて見せた。
新しい枝を手に持った彼女が訝しげに俺の顔を見た。
そして、俺が置いた三重付与の枝にゆっくりと視線をやる。
「……」
バキッッ
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第60話『一握り』
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