第61話『偽物と黒蛇』
『吸血族は魔人種の王』
妖しい魅力を放つ紅色の瞳と闇色の髪を持つ少年は、房の世話係にそう吹き込まれた。
事実、彼の身体能力は房の誰よりも強かった。
『洗礼』を終えた後、自身が特別な存在であるという考えはより深まった。
目覚めた気の量は誰よりも多く、怪我をしても直ぐさま治癒する。試したことはないが、腕に出来た深い傷も見ている間に治癒してしまったのだ。
唯一の欠点は生き血以外を身体が受け付けない事だろう。
しかし、自分にとって他の人間は食料に過ぎない、という風に捉えれば、その不便さえも自分が特別である証左だと思えた。
大人である師範に対しては当然負けはするが、師範達は別枠という思考によって彼の自尊心が傷つけられる事はなかった。
順位が付くようになってからは、赤い雫の描かれた板が一位の欄に差し込まれているのを毎日確認して、自分の優秀さを確認した。
彼は他の子供達に比べて遥かに強く、複数人を相手にしても難なく勝利を収める程だった。
彼が優れているのも、確かな事実だった。
他の子供達に崇められる中で、彼は自分で『キング』と名乗るようになった。
——『吸血族は魔人種の王』
彼がそれを事実と認識するようになった頃、彼ら455期の使徒候補達は、寮へと住処を移した。
彼の子分達が集めた情報によると、この寮と呼ばれる場所では、別の期の子供達を相手に集団戦を行う催しが行われているらしかった。
なるほど、これは面白そうだ。
「王たる僕の力をここで見せつけてやる」
彼はそう考え、あるパフォーマンスを実行した。
集団戦が始まっても彼は後ろで腕を組んで、ただ黙した。
そして彼以外の四人が脱落してから始めて、彼は戦いに挑む。
残った人数は、三人。
子分達にはそれ程期待していなかったので、何とも思わない。
彼の中では舞台装置に過ぎなかった。
結果は455期、吸血族の少年の勝ちだった。
その後、寮の中は鮮烈な勝利を披露した彼の話題で持ちきりに……なることは無かった。
不思議に思ったが一期上の世代を負かすくらいはよくある事だと聞いた。
そして次なる453期との戦いで、彼らは敗れた。
この時も前回と同じ、キングは一人で戦った。
部下達は4人で戦ったものの5人の内一人も削ることなく脱落していった。
キングは5人を相手にし、そして彼らの連携によって体力を削られて血を失ったことで、再生能力の限界が訪れて敗北した。
「次は、負けない」
プライドは僅かに傷付いたが、まだ勝てる予感はあった。
「あの程度の愚物に僕が負けるなんて、二度と許さない」
才能で劣る相手に足元を掬われた。
彼にとってはその程度の認識だった。
それでも彼は着実に努力を積んだ。
走って体力を高め、ナイフを振って技を磨き、戦いの中で気術を修めていった。
彼は自尊心が高かったものの、努力を苦にしない性格が幸いして、彼の力量は同期の少年少女をさらに突き放した。
そして三ヶ月後。
再び行われた対抗戦。
初戦の相手は自分たちより一期下、456期の使徒候補達。
これを相手に彼は前回とは変わって自分から打って出ると、一人で全員を仕留めて見せた。
続く二戦目。今度は以前も勝利した454期。
再び彼一人で飛び出すと、彼らを一息に仕留めた。
そして前回は敗北を喫した相手である453期。
彼はそれを相手に、薄氷の上のものではあるが、勝利してみせた。
その次に相手となったのは452期。
キングが手下から聞いた話では、飛び抜けて強い世代らしい。
前回よりも強いのだとすると、一人で戦うのは難しそうだ。
そう考えたキングは手下に足止めを命じる。彼は手下の名前を一人も覚えていない。ただ自分の下にある駒であることだけ知っていれば十分だからだ。
一人は手元に置いて血袋とする事を決めた。
そして顔合わせの時。
(——ッッッ!!!?)
思わず息を呑む。
その空間を『絶対』が支配していた。
神秘性を感じる銀の髪と、その奥からこちらを見定めようとする金の瞳。
何より、見せつけるように立ち上る気の圧力が近寄る事さえ許さなかった。今すぐ跪いて許しを乞いたい衝動に駆られる。
踏み出そうとした足が痺れたように動かない。
背後の手下達も額から汗を流しながら、見惚れるように彼女の方をじっと見ている。
「この……僕がっ」
そう声を発することが出来たのはこれまで培ってきた自尊心と、積み重ねた執念に支えられたからだろう。
興味無さそうに彼ら全体を見下ろすその瞳に、自分を写せと怒りを覚えた。
「僕を、見ろ!僕は他の奴らとは違うぞ!!」
彼女は草木を観察するような温度で彼に数秒視線をやると、直ぐに振り返ってフィールドの中に消えていった。
緊張が解けて膝を着いた彼の手下に、キングは語り掛けた。
「まずは、アイツの手下を全部仕留める。見せ付けるのはそれからだ」
無意識に彼女との戦いを後回しにしたことに彼は気付かなかった。
気を抑える事をしない彼女の位置は丸わかりだった。
開始地点から全く動かない。
奇しくもキングが前回使ってみせた戦略を見せる彼女に神経を逆撫でされる心地がした。
彼はそちらから目を逸らして森の中を駆ける。
(見つけた!)
旨そうな血の匂いの方へ行けば、茂みの向こうを睨んで無防備に首筋を晒す人族の少女が見えた。森の影に上手く黒髪が隠れているようだが、彼の嗅覚から逃れることはできなかった。
地面を這うように速度を上げて近づく。
「とった……ぐオっ!?」
パンッ、と破裂するような音と共に足を掬われて彼の視界の上下が反転する。
足首を見ればワイヤーが引っかかっていた。
人族の少女を囮にした罠にまんまと引っかかった事を悟ったキングは眼前に迫ったナイフを素手で受け止めると、そのまま彼女の手を掴んだ。
彼女は逃げようとするが僅かに揺れるだけで拘束から逃れることは出来ない。
「力……強いっ」
驚きの顔を浮かべる彼女に溜飲が下がる。
キングは不敵な笑みを浮かべながら、自身を吊り上げるワイヤーから逃れると、そのまま彼女を拘束した。
「ぅぐ」
腕を捻り上げると、背中で肘を押し上げて地面に倒す。
「さて……どうしてやろうか」
このまま折ってしまおうか、と考えていると彼女の指先へと不自然に気が集まった。
そして、彼女の掴んでいるキングの太腿から、電撃が放たれた。
「…ぅグッッ!や、めろぉッ」
思わず噛み殺すような悲鳴を上げてから少女を突き飛ばした。
キングが『生存訓練』で雷狼と戦った時に見た、痺れる攻撃だ。
彼は気を全身に回して痺れを取り除く。
「……ツ、ゥ」
小さく痛みを堪える声を上げたのは人族の少女。
その右手は彼が拘束した時の勢いで折れてしまい、ダラリと力を失っている。
それに、痺れる攻撃を放った左手も動きが鈍かった。
有利を察したキングは彼女の首筋を見て舌舐めずりをする。
少女は痙攣する左手でナイフを構えて見せた。
「お前を組み伏せて、その血を啜ってや……ギャ!」
キングは背中から衝撃を受けて、地面に突っ伏す。
そして、何者かがその背中にのし掛かる。
「もういいだろう、エン?」
「えぇ……そうね、満足したわ」
何やら会話を交わした少女の方は森の中に姿を消していった。
あの怪我では戦うことは出来ないだろう。
問題は背中に乗っているであろう少年だった。
真上にのし掛かっているので顔は見えないが、チラリと見えた爬虫類らしい尻尾から彼が先ほど顔合わせした蛇人族の少年だと分かった。
「おい!僕を踏むなんて、許されないぞ!絶対に後悔させてやる!」
「うん?」
怒りを込めて低い声で脅せば、蛇人族の少年は不思議そうに顔を覗き込んできた。
逆さになった黒い瞳と目が合う。
「……あぁ、そういう」
蛇の少年はナイフを振り下ろした。
「え」
地面を掴んでいた手首が切り飛ばされた。
「〜〜〜〜ッッッ!!」
遅れてくる痛みに呻き声が出た。
しかし吸血族は驚異的な治癒能力を持っている。
手首の断面から血液が葉脈のように周囲に伸びて、落ちた右手に血管が触れたと思ったら、断面の方へ向けて右手を引っ張って行く。
手首は彼の目の前でゆっくりと繋がり、傷跡も元通りに消えていった。
蛇の少年は感心するようにその様子を見ていた。
気付けば蛇の尻尾が硬く彼の足を縛っている。
身動きが出来ないことに、キングは危機感を覚えた。
「は、離れろぉ!!」
無理やりに気で強化した身体能力で暴れて上に乗った彼の体を跳ね上げる。
背中の重りが消えた瞬間、体を跳ね上げて、蛇の少年に正対した。
「この、この!なんて奴だっ。何がしたいんだお前はっ」
躊躇なく手首を切り落とした少年に拭えない気味の悪さを感じて怒鳴る。
「君は治癒能力が凄いって聞いてたからね。確かめたかったんだよ」
彼は悪びれることなくそう言った。
「僕は『魔人種の王』だぞ!!その僕に……」
「……王、ね」
蛇の少年は目を細めた。
同時に、ゆらりと気を纏う。
そこで初めて、これまで気を纏っていなかったことに気づいた。
だから背後から襲い掛かられた時に気付かなかったのだ。
そうして半身になると、小さくナイフを構えた。
尻尾は背中の後ろに隠れてキングからは見えない。
「なら、俺を従えられるよね……さぁ、来い」
これまでの気安い態度が消えて、機械的な冷たさを帯びた表情を見せる。
「だからっ、僕に命令するな!!」
地面を爆発させる勢いで前に出る。
同時に【迅気】を纏えば、その速度は誰の目にも止まらない。
現に蛇の視線は下から迫るキングに追いついていないようだった。
そのまま彼の脇腹に向けて斜め下から刃を突き出した。
「——スゥ」
蛇の気配が変わる。
自分だけが止まっているような感覚に襲われた。
凍結した自分とは異なり、蛇の少年はゆっくりと動き出す。
キングのナイフの側面に掌を添えると、その先を導くように少しだけ力を加える。
同時に、ナイフを握る手はキングの腕に墨で線を引くように抵抗なく振り切られた。
「……!」
厚く気を纏っているにも関わらず簡単に断ち切られた腕に驚いていると、二人の距離が近づき、蛇の少年の膝が触れる。
速度も威力もないそれに驚いていると、彼の纏う気が一瞬で膝に集まったのが分かった。
そして膝と彼の腹部の間で爆発のような衝撃が発生した。
「ぉごッ」
あまりの衝撃に、胃の中身を吐き出しながら地面を転がる。
「ぉあ、はぁ、はぁ」
蹲ったまま視線だけを上げて見てみれば、切り取ったキングの腕を持ってその断面をジッと眺めている。
そしてキングの腕の付け根の方を見て首を傾けた。
「治せないのかな?」
「……」
キングを観察しながら呟くように尋ねる蛇の少年に、キングは答える必要性を感じなかった。
蛇の少年は小さく微笑むと、今度は彼が仕掛けてくる。
見たところ彼の気の量は自分よりも下。
にも関わらず、先ほどはキングを上回る速度を出していた。
そういえば彼は師範から聞いたことがあった。
名前は確か、【迅極】。彼の師範は、教えるのは数年先だと言っていた筈だ。
それを警戒しながら彼を見つめている。
真っ直ぐこちらに向かっていると思った彼の姿が右に飛んだと思えば、キングの視界から消えた。
「……ッ、逆だぁ!」
「……反応はそこそこ」
振るわれたナイフを弾き返す。
力は無いようで簡単に押し返すことができた。
「チィッ!」
再び振るわれるナイフの動きを予測して、上を防御すれば下から振るわれ、左と思えば右に来る、右と思って左に構えれば右から来る。
まるで手品を見るような不可解な動きはとある歩法を思い出した。
「【乱態】かっ、なんて小賢しい!」
「……」
蛇は彼の言葉に耳を傾けず、攻撃を続けた。
速度はそれ程早くは無い。
そうであるにも関わらず、追い付けない気持ちの悪い動き。
「ッ!グッアア”ア”ッ!!」
残った左腕を掴まれたと思ったら膝を叩きつけて肘を逆に折り曲げられる。
痛みはそのまま彼を苛むが、その肉体は血液を消費して骨を再形成する。
「……骨折も治せる」
——関節を外された。キングは木の幹にぶつけてその位置を元に戻した。
「……自分で戻す必要がある」
——眼球に切り傷を入れられる。
「……これも治せる」
——腹部に傷を入れられる。
「……三秒くらいか」
——腕。
「……同じ」
——首。
「……同じ」
——腕と腹部と首。
「……末端が遅い」
無邪気な子供が蝶の羽を毟って観察するように、蛇の少年は黒い瞳を彼に向けて、傷を何度も与える。
何度も何度も。
彼の血液が切れて治癒能力が停止する頃には、彼は猫に弄ばれた鼠のようにボロボロになってしまっていた。
彼は嵐が過ぎ去るのを待つように、地面に体を小さく丸めて震えた。
「……も、やめ」
キングは自分が王であることも忘れて情けない声を上げた。
◆◆◆◆
「血が切れると治癒は止まるのか」
目の前で震える少年を見下ろして呟いた。
俺達以降の代の子供達は人族以外の割合が多い。
種族の中でも一番多いのが動物の特徴を持つ獣人種。
その次が自然に作用する特性を持つ事が多い妖精種。
一番少ないのが魔人種だった。
その中でも魔人種は『その他』と同じ意味合いの分類であるためにその中にある種族は他の種族から見ても抜きん出て不思議な特性を持っている。
俺が注目したのは吸血族。
初めにその特徴を聞いた時は吸血鬼を思い浮かべたが、フィクションのそれとは違って彼等には弱点が無いにも関わらず、怪力に加えて優れた気の量、人外の治癒能力を持っているという脅威の種族である。
戦ってみた感じでは虎並みの筋力と、モンク並みの気の量を持っている。
そんな能力を持った相手が斬っても叩いても回復して突っ込んで来るのだから、相手からしたら恐怖でしかない。
エンが希望したので戦わせてみたが、正面戦闘において飛び抜けて強いのが分かった。
しかし、彼がトラとモンクに勝るかというと違う。
トラの強さは筋力ではなく、流れる時間が違うのかと錯覚する程の速度にあるし、モンクの強さは気術の巧みさにある。
何より現在の彼を見れば……。
「……も、やめ」
「……」
器ではない、という評価になる。
彼にとってプライドと言うのはただの盾だ。
弱い己の心を護るための盾。
彼の周囲への当たり方を見ていれば分かる。
彼はたまたま持っている力によって、周囲から持ち上げられたことで、紛いものの自尊心を植え付けられてしまった哀れな少年だ。
今目の前にいる小さな姿こそが、彼の本性だろう。
彼については一先ず置いておく。
問題は彼の持っている治癒能力だ。
これは躰篭などでは無く、彼の種族の特性だということが分かった。
治癒の際に中心となって働いているのが、彼の血液だ。
怪我をした瞬間に血液が傷口を塞ぎ、皮膚や骨へと姿を変えている。そして、治癒の間に気が動いている様子は無かった。
妖精種の特殊能力と同じく、気術のみでは説明の付かない領域だった。とりあえず今日は吸血族の性質の把握に努めた。
森の浅層から太鼓の音が響く。
対抗戦が終わったようだ。
◆◆◆◆
「こちらが主人より頂いた、『里外任務』の選出結果です」
人族の女が差し出した資料を、コンジと蛇人族の師範は机の上に広げて眺める。その数は6枚。
女は予定されている『里外任務』における受け入れ先の一つだった。
つまり、選ばれた者達は彼女の主人の下で任務に従事することになる。
コンジは資料の全体に視線を巡らせて気になった事を問う。
「……選出の理由は?」
「存じ上げません。貴方達に言う必要性も感じません」
女は切り捨てた。
知らない、と言いながら、必要性が無いとも言う。
おそらく彼女は知らされてはいるが意図的にそれを隠しているのだろう。
「……」
コンジは女の方に訝しむような視線を向けた。
「コンジ殿」
蛇人族の師範が小さく咎める。
コンジは一度瞼を閉じてから資料に視線を戻す。
蛇人族の師範は女の方をチラリと見上げた。
「聖剣機関の支部への潜入が前提となると、コンジ殿ではバックアップが難しいだろうね」
「あぁ」
暗に自分がバックアップをすると、蛇人族の師範は告げた。
女はそんな彼の方を咎めるように見る。
「様子見は必要ありません。こちらにも人材は揃っています」
「そちらには使徒は居ないと聞いているよ。それに……大した者が居ないことは貴方を見れば分かる」
「……ッ」
女の澄ました顔が歪む。
彼なりの意趣返しだった。
女は歯を食いしばるが、すぐに視線を外した。
「……それでは」
あくまで主人の使いとしての業務は終えた。これ以上は私情の謗りを受けかねないと察した女は、形だけの礼をしてから部屋を出て行った。
強く扉を閉じる音が響いた。
「難しいね」
蛇人族の師範がそう言ったのは『里外任務』の内容についてだった。
聖剣機関は里にとっては敵対組織に当たる。その規模だけなら里よりも遥かに大きい。なぜなら、向こうは全ての人間に広く門戸を開いているからだ。
その頂点ともなれば、人間かどうか怪しい。
蛇人族の師範は、もう一人の師範へ視線を向ける。
「そのための後詰めだろう」
「分かっているよ」
彼が自信ありげに頷き返せば、コンジは視線を外した。
「……なら良い」
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第61話『偽物と黒蛇』
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