第二.五章

第60話『キミが死んだら、たくさん殺して私も死ぬよ』

間章です。

長めの話が二話終わったら、三章へ移ります。


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 寮へ来て一年近くが経った。


 子供達の間では躰篭の存在が広まっていき、初めの方は『知る人ぞ知る』程度だったのが現在では当たり前の知識として広まっている。

 そして他人に施した躰篭がどうなるのかについても直ぐに広まった。


「おい!!騙したのか!?」


 躰篭が消失してしまった少年が俺に詰め寄った。

 気を流さなければ、数ヶ月で躰篭が消失するにも関わらず、これ程まで発覚が遅れたのには理由がある。


 別の部位に躰篭を施す際に気を注ぐと、意図して居なくとも気が流れることになる。

 その時に流れた気が躰篭の維持に働くことで、結果的にリミットが先延ばしになり長持ちしたという訳だ。


 今回発覚したのは、躰篭を施す箇所が無くなり、俺の気を受け取る機会が無くなって数ヶ月が経ったところで、躰篭が消失した訳だ。

 さらに消失が起こったのは一つの部位ではなく、体全体で一度にだ。

 躰篭にしたタイミングは関係なく、最後に気を補給したのがいつなのかによって躰篭が消失する時期が決まるらしい。


「そうなんだ、大変だね。また躰篭化して

「……ッ」


 躰篭が消失した後の肉体は真っ新な状態だ。再び躰篭化することができる。

 彼は躰篭化の時の痛みを思い出して、顔を青くした。


「……いや、もうお前なんかに頼まない。自分でやる!」


 そして俺を睨み上げて言い放つ。

 初めからそうしておけば良かったのに。


「それも良いかもね」


 躰篭化を施す時の彼の絶叫を思い出しながら、俺はそう返した。


 次の日、彼は医務室へ運ばれた。

 予想通り、躰篭化に失敗したらしい。

 幸いにも躰篭化に失敗したのは足の小さな筋肉らしく、数日で訓練に復帰できるそうだ。

 躰篭化は自分に対して、麻酔なし、鏡も無しの手探りで外科手術を施すのに等しい。痛みの中で切れない集中力と、覚悟がいる。


 それ以来、躰篭が消失した者が次々と自身の躰篭化に挑戦して失敗する様子が見られた。師範が教えないのも納得がいった。


 そして、失敗した者はモンクに躰篭化を頼むのだが、彼はそれを断った。

 理由は俺が躰篭化を施す様子を見せたからだろう。

 縄で縛られたまま眼球から血を流し、悲痛な叫び声を上げ続ける子供を前にモンクは冷静を保つ事ができなかった。

 彼もそれを理由に躰篭化を断っていた。


 そうして最終的に俺のところへと戻って来る。

 俺は失敗しなければ無限に使える練習台を手に入れた。



 この流れの中で興味深いことも起こった。


「——っていう躰篭は出来る?」

「……やったことは無いけど、出来ると思うよ」


 エンが俺に躰篭化を頼んできたのだ。

 俺が躰篭を施した子供によって彼女の順位が追い越されたにも関わらず、彼女はその時に躰篭化を頼むことはしなかった。俺が無条件に躰篭化を施すのが怪しく見えていたのだろう。

 しかし、彼女は他人から施された躰篭化が時間経過によって解けてしまうことを知って、逆に利用することにしたらしい。


「じゃあ、指先から毒を出す、とかは?」

「それは簡単に出来ると思う。だけど、エンが絶対に耐えられる毒じゃ無いと、自分の毒で死ぬことになるよ」


 試すように、自身の体で様々な種類の躰篭を頼んできた。

 勝手に消失してしまうという性質を逆手に取る戦略に俺は少し驚いた。


 そして、俺も彼女の提案に積極的に乗ることにした。

 躰篭の技術を高めたい俺と、様々な躰篭を試したいエン。

 二人の利害が一致した結果だった。




◆◆◆◆




 その日の『特殊訓練』はいつもとは違い444期のセンセイではなく、コンジが担当していた。

 そして、訓練の場所も瞑想室ではないようで、俺達はひたすら地下への階段を降っていく。


 地下の部屋、というと三年近く前の『司祭』に施された儀式を思い出した。

 未だにあの時の儀式に何があったのか俺は知れていない。

 あれが単なる宗教的な意味合いしか無かったとは思えない。師範達の態度は、あくまで宗教を道具として使っているきらいがあったからだ。


 階段が途切れた先には一本の廊下と、その左右にドアの列が並んでおり、一目見た印象では牢獄を思い浮かべた。

 

 それぞれの部屋から漏れる人間の呼吸音を考えれば、あの印象は間違いでは無い。



 コンジに続いて廊下を更に進めば、ドアの上部に取り付けられた小窓が目に入った。しかし、俺の身長では部屋の天井しか見えない。


 足音が聞こえたのか、中の人間が身動ぎをする気配がした。


「おいっ!誰かいるのかっ!?た、助けてくれ!俺はいきなり連れてこられて、こんなっ……なぁ、居るんだよな?な、俺を出してくれっ、お願いだぁ、頼むぅ!」


 一人がそうやって叫べば奥の部屋の人間達も助けを求めるように叫び出し、地下は騒然となった。

 彼等の声から耳を背けるようにコンジが振り向いた。


「……お前からだ」


 そう言って指差したのは、丁度子供達の先頭にいた俺だった。

 一歩進み出た俺の前で、コンジが鍵を開いた。


 扉を開いた奥には壁に両手首を拘束された中年の男が居た。

 彼の服装は俺たちと変わらない程に貧相だった。俺達に優っている点と言えば、そのボロ布が上下に分かれている事だろう。


 そして、彼からは微かな土の匂いを感じた。恐らく農家の人間だろう。

 俺は農業が行われている事に安堵を覚えた。農業は人類が安定して一定の土地を守れている証拠だからだ。


 彼の方も少し驚いているように見えた。

 それから、彼はした。


 彼の態度を怪訝に思っていると、背後で蝶番が擦れる音がして振り向いた。


「扉を開けるのは部屋の中が一人になった時だけだ」


 その言葉と共に扉が閉まった。

 

 扉には何らかの文章が書かれているのが分かったが、生憎俺は文字を習っていない。

 

 そして扉の鍵が閉まるのと同時に、男の手枷が唐突に落ちた。



「……あ」


 男が動く気配がして、再び男の方へと振り返ると、飛び掛かる直前の身を屈めた姿勢のまま停止する男と視線が合う。

 もちろん警戒は緩めていない。


「う」


 殺るか、殺らないか。

 善悪の狭間で懊悩した彼の感情は俺の背後にある厳重なドアを見て殺意に傾いた。


「恨むなら、俺を閉じ込めたヤツにしろよ」


 目の前の男は気術を使う様子も無い。

 乱れる気の流れからして使えないのだと分かる。真面目に戦闘するなら1分も要らない相手と何故殺し合いをさせるのかと言えば、俺達に直接殺しの経験をさせるためだろう。


 もしかすると、既に経験者である俺を最初に選んだのは、子供達に覚悟を決める時間を与える為かもしれない。


「くそ、なんでっ、こんな、子供に」


 男が繰り出す拳を何度もいなして見せると、その不可解さに戸惑いと焦りを募らせる。


「こ、このォ……あぎいいィ!!!」


 俺を捕まえようと伸ばしてきた右手の親指と小指を両手で掴んで、割り箸のように左右に開いた。

 閉じなくなった掌をプルプルと震わせながら膝をつく男。そのすぐ後ろに回り込んで彼の首元に組みついた。


「ぁ……ひぁ」


 男はこの状態に何らかの危険を察したのか、抵抗の動きを止める。

 顎先に指を引っ掛けて首を回す。


「おれ、死にたくねぇよぉお!なぁ、頼むから!俺何かしたか?してないよなぁ!」


 まず男は自分の無罪を主張した。


「あぁ!分かった、ここから二人で出る方法を思い付いた!本当だ、話を聞いてくれボウズ、その手を離せ、なあ!」


 次に確証の無い情報を担保に交渉を仕掛けて来る。


「こんな事をしたら絶対に後悔するぞっ、な」


 そして、脅してきたかと思えば。


「俺、まだ死に"だぐねぇよおおお」

「……」


 最後には情け無く泣き叫んだ。


 俺はそんな彼を油断なく拘束し続ける

 鼻水を流しながら泣いている目の前の男からは、絶えず俺への殺意が立ち上っていた。

 きっと男の中で俺はただの敵なのだ。


 他人を動かすために感情を使うのは、俺や彼だけでなく、きっと多くの大人がしていることだろう。


 嘘の感情を見せている、その事に苛立ちは無い。ただ相手がその気ならば、こちらも躊躇う必要はない。


「ァガッ」


 力を込めて勢い良く首を回せば、頚椎が外れる音がして男の体から力が抜けた。念のために首を踏み潰して気道を塞いだ。

 呼吸と心拍が止まったのを確認して、部屋の扉の出口に向かう。


 重々しい金属の音がした後、扉がゆっくりと開いた。



「合格だ」


 冷たい目でこちらを見下ろしながら、コンジが告げる。

 俺が同期を二人殺したことを知っているだろうに、白々しい事を言う。


 俺は小さく頷いてから、子供達の方へ視線を向ける。


 試験の内容を理解した子供達は恐怖と呼べるほどでは無いが、かなりの緊張を感じているようだった。

 既に数人は部屋に入り、中に囚われた人間と相対していた。


 俺は子供達の最後尾へと目を向ける。

 そこには、子供達の中で最も緊張している人物、モンクがいた。


 彼は自身の弱さを周りから隠すように、俯いて震えていた。

 どうやら、自分の命と相手の命、その価値を比べることにストレスを感じているらしかった。これまで、いろんな場面で彼は意識しないようにしていたのだろう。どれほど彼が手助けをしようとも人は死ぬ。

 そうならないように、彼は時間があれば自身の技術を子供達に伝授していた。

 

 今までは『やれるとこまでやった』と自分に言い訳をして慰めてきただろうが、この瞬間、避けようの無い選択を迫られてしまった。

 

 己か、知りもしない人間か。

 彼ならば後者を選びかねない。

 そう思うくらいに、彼は自身に無頓着な性格だった。



「……!」


 鼠人族の少女が大きな耳をピクリと動かして顔をあげた。

 そうしてモンクの方を振り返って、彼の暗い表情に気付く。


 パクパクと彼に向かって何かを言おうとするが、彼女の気弱な性格が災いして、言葉が出てこなかった。

 彼女は助けを求めるように周囲を見回して、その途中で俺と目があった。


「……?」


 俺は取り繕った笑顔のまま首を傾げる。


「……ッ」


 俺にモンクを助ける気が無いと悟り、彼女は目を鋭くしてこちらを睨んだ。

 相変わらずモンク以外には攻撃的だ。


 彼女は決意して、子供達の間を抜けて行く。まだ時間的猶予は有る。  


「……あ。み、ミミちゃん。どうしたの?」


 自分が見られている事を悟ったモンクは、いつも通りを取り繕った。

 しかし、彼の演技は感情を見る特性がなくとも十分なくらいに大根だった。


「ねぇ……モンクくん。……死ぬつもりじゃ、なぃよね?」

「そっ、そんなわけ……ないよ」


 彼女は嘘をつく彼の顔をジィっと見る。

 圧力を受けたモンクの語尾は消え入りそうなほど小さかった。


「そっか……なら……ゃくそくしよ。もし、もしモンクくんが……きみが死んだら……」


彼女はモンクの手首を掴むと、彼の耳元に顔を寄せた。


「—————からね?」


「……だ、ダメだよっ。そんなこと」


モンクは彼女の事を咎めるように言った。

彼の表情は、俺が妹派閥の子供との戦いに介入してきたときのものと似ている。


「死なないから……ぃいよね?……それとも……もしかして、嘘……つぃたの?」

「違う、けど」


「信じてるからね」

「ま、待って!」


一方的にそれだけを告げると、彼女は子供達の列の前の方へと戻っていった。

モンクは彼女を引き留めようとした手が空中を彷徨っていた。


 彼は先程とは違って僅かな安堵を纏っていた。

 彼女がした『約束』はきっとモンクに理由を与えたのだ。


 与えたのは『モンクが自分を選択してもいい理由』、あるいは『モンクが自分を選択しなければいけない理由』だ。



 結論から言えばモンクは相手に一言も喋らせる事無く撲殺した。


 コンジが扉を開いた途端に、雄叫びを上げながら相手を殴りつけた。

 これまでの訓練はなんだったのかと思う程に、気術は拙く、拳の握り方も甘い。それでも気を厚く纏っただけで成人の男を筋力で圧倒する彼は男を組み敷いて、その上から両手を組んでその頭部へ叩きつけた。


『しね』と『ごめんなさい』を交互に繰り返しながら、何度も。

男が制止しよう突き出した掌を跳ね除けて、もう一度。


強く叩かれた勢いで、後頭部を硬い石の床に打つけて血が石畳の隙間を流れ出す。


本当の意味で、男が物を言わなくなった後も、モンクは男に拳を振り下ろし続けた。


扉の鍵が開く音さえ耳に入っていないようだった。


「もう終わりだ、死んでいる」

「……ぁ」


 扉を開けたコンジがモンクの肩を掴んで強引に振り向かせる。

 モンクは扉の向こうから彼を見つめる子供達の方を見て、コンジへと顔を向けた。


「もう、おわり、ですか?」


 血の滴る真っ赤な拳と、泣き笑いのような表情の目元から伝う血の混じった涙が、彼の苦悩を物語っていた。


 コンジは彼の言葉に答えることは無く、背を向けて隣の部屋の鍵を開けた。中からは、体力を消耗していないにも関わらず息の上がっている少女が出てくる。


 子供達は全員、このテストを通過することが出来た。

 代わりに彼らはもう、本当の意味で命を尊ぶことは出来ない。


 これを『気が狂った』と表現する者も居るだろう。

 しかし、俺には単なる『適応』に見える。

 むしろこの環境で変わらずに居ることこそ、一種の狂気かもしれない。


 用を終えた俺達は、地下を去っていく。

 階段を上る直前、俺は背後を振り返る。



 そうして、鼠人族の少女、ミミが彼に伝えた言葉を思い浮かべた。



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第60話『キミが死んだら、たくさん殺して私も死ぬよ』

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