第59話『握る』

「……ッ……はぁ、そうか」


 医務室の天井、止まっていない呼吸、肩に感じる痛み。

 俺は自身が生きていることを実感して、大きく息を吐いた。


 簡素なベッドに仰向けになった姿勢から起き上がろうとすると、目眩のような感覚がした。失った血液のせいだろう


「つッ」


 ゆっくりと傷口に指を這わせると、縫合された後があった。

 傷は大きくないものの、首元の血管を傷つけたせいでかなり危なかったようだ。

 俺は傷口に気を濃く纏う。


「蛇くん、元気?」


 一通り傷と体の調子を確認し終えたところで、正面のベッドから声が掛かった。


「よく話しかけられるね?」


 本気で殺しに来ていただろうと、遠回しに尋ねる。


「えー、怒ってる?」

「怒っていないよ」


 ただ、彼女が敵かどうか確かめたいだけ。


「ぜーったい怒ってるー。口は笑ってるけど、目は怒ってるもん」

「……怒ってないよ」


「あ!今少し間があった!やっぱり怒ってる。あー、やっぱり怒ってるんだー!」

「……」


 雑に挑発してくるアンリ。

 何かを誤魔化すような物言いに、俺はピンと来て彼女に問いかける。


「あぁ、やっぱり負けたんだ?」

「……負けてないもん」


「でも勝てても無い」

「……」


 俺は眉尻を下げて、申し訳なさそうな顔をして言った。


「そうだよ、まさかも歳が上のアンリ達がの人数でアレと戦って圧勝できないなんて事無いよね」


 疑ってごめんなさいと、最後に止めを刺す。


「……蛇くんが隠れてたから五倍じゃない」

「勝ったならどうでも良い事だよね」


 まあ、彼女もベッドで寝ている時点で、結果は自明なのだけど。


「うがー」


 彼女は勢いよく起き上がると、四足歩行で俺のベッドへと這い寄ってくる。

 身動きの出来ない俺の上に腰を下ろす。


「蛇くんはさー。本当に、ボクの嫌がる事ばっかりするよねー?会場が森だった時点で嫌な予感がしたんだよねー。思った通り、君は最後の最後まで隠れてるしさ」


 低い声で俺に尋ねながら、内に秘めていた黒い感情の色を見せつけてくるアンリ。

 しかし、それはあくまで表層なのだろう。


 殺意があったとして、その殺意に従うかは本人の理性だ。

 そして俺の理性は、今の彼女は俺を殺さないと判断した。


「今の蛇くんはケガで弱ってるから、何も出来ないねー」


 そう言ってニコニコ笑みを浮かべて、首元に手を伸ばしてくるアンリ。

 喉元に触れた掌に少しずつ力が込められる。


「このままゆーっくり頭のなか、まっしろ……ニ”!!」


 ギリギリと締まり出して、意識が暗くなりかけたタイミングでアンリの首が後ろから引っ張られる。


「やはりヘビ君に悪戯をしていたな。俺からも謝罪をさせてくれ」

「……すぅ、はぁ。いや、そのつもりが無いだろうとは思っていたから、気にしてないよ。それよりも、対戦の結果の方が気になるな」


 果たして、これが『悪戯』に収まるかは議論の余地があるが、とりあえず気になっていたことを尋ねた。


「そうか、気にしてないならよかった。俺は気を失ったから覚えていないが……相討ち、引き分けだったらしい」

「そうなんだ」


 俺は少し驚く。

 きっと彼女が宣告した五秒は彼女自身のタイムリミットでもあったのだろう。

 あの時竜人娘の相手に立っていたのは二人だけ。

 リオは胸への攻撃によって瀕死だったし、二人はその前咆哮によって倒れていた。


 つまりあの二人で竜人娘の猛攻を耐え切ったのだろう。



 その後もリオから説明を受けた。

 どうやら、今日は対抗戦から二日後の夕食を終えた後のようだ。


 昨日は丸一日寝ていたことになる。

 まだ傷は残っているが、気を纏わせておけば、明日には動けるようになっているだろう。

 改めてとんでもない世界である。


 竜人娘は縫合で傷口を塞いで半日ほど眠った後、自力で治したようだ。

 対抗戦が夜に行われて、その後半日かけて治したのだとすれば、彼女はいつも通りの生活を行なっていたことになる。

 彼女の気の量が素直に羨ましい。


「君の世代には凄い子が沢山いるんだな……あの竜人だけの話じゃないぞ。だから、本当に驚いたよ」

「そうかな?……そうかもね」


 よくよく考えればトラは444期以外の戦いでは毎回複数人を相手にしていた。それは1対1ではリオ以外には勝っていたという証明でもある。


「もちろん、ヘビ君も含んだ話だよ」

「……リオにそう言ってもらえると嬉しいよ」


 リオの賞賛を素直に受け止める。


 447期まではギリギリだが勝てていた。彼らとは5期分の差がある

 そう考えると、俺達は1年と3ヶ月分の経験の差を覆せる程度の実力を持っていたことになる。


 リオの拘束を解いたアンリが起き上がる。


「多分、次に里を出るのは452期だろうね」

「アンリ達の方が集団で見るなら優秀なのに?」

「俺達は一度経験してるからな、多分二度は無いだろう」


 子供に経験を積ませることが目的なら、一度だけで十分ということか。


「そう言えば、こっちの情報が相手に漏れてるようだったけど、共有してた?」

「当たり前だよー、だってここ、寮だよ?」


 折角共同で生活しているのだから、情報を融通する位は自力で学べという理屈だろうか。つくづく不親切ではあるが、情報の重要性は実感してからでないと意味は無い。




 ◆◆◆◆




 怪我を回復させた俺は、他の代との交流を早速始めることにした。

 と言ってもその殆どをエンに任せた。

 よくよく考えれば、自分たちより弱い期と交流する意味が薄いように思われたからだ。


 先の訓練や外についての情報も、アンリ達から受け取る分だけで十分だ。技術においても同じことが言える。


 強いて挙げるならば、449期にいた土精族の少女に罠の技術を教わりたい程度だが、あまり俺向きの技術ではないのは自覚していた。

 俺はあれこれ手を出して大成できるほどの器でない。


 とにかく今は気術、その中でも仙器関連の技術を伸ばしたかった。


 現在は同時に複数の付与を施す『多重付与』に手を出している。


 俺の眼球の躰篭はこういった作業に向いているようだった。

 気というのは意思によって歪む。


 仙器化では特定の意思によって変化させた気を流し込むことによって物質に特性を持たせているようだった。

 これまで、万を超える数の仙器化を行なったこどで片手間に付与ができるようになったが、二つの意思を込めた気というのが理解できなかったため、手を出せなかった。


 実際は一つの意思を込めた気を同時に二つ流し込むという理屈だった。これは眼球の躰篭が無ければ、気づくことができなかっただろう。


 しかし、ここからが難しかった。


 そもそも、仙器化はとんでも無く繊細な作業なのだ。

 ダーツで言うなら一つも外さずに最大効率でゲームを終えるくらい難しい。

 そのくらい気の揺らぎに対して厳しいのだ。


 それが同時に二つになると、両手で同時に投げて真逆の位置にあるダーツをプレイするような感覚になる。


 片方を意識すると、片方が見えなくなる。

 なので無意識レベルでも仙器化ができるように数を重ねなければならなかった。



 そこで、難易度の高い仙器化に慣れるために、俺はある手段を講じた。




 ◆◆◆◆




「なぁ、ネチネチ。……今日も頼むわ」


 竜人娘の居ない日に部屋にやってきたのは以前にモンクとの訓練のために打ちのめした火精族の少年だった。


 彼は扉の前に立ったまま、記者に追われている有名人の様に手で顔の横を覆い隠していた。


 彼がここに来たのは一度目では無い。


「それで今日は筋肉と骨、どっちにする?」

「思い切って、目とか?どうだ?」


 彼は調子に乗った若者が刺青を入れる時のような表情でそんなことを言っていた。

 俺が良く出来た大人なら彼を諭すだろうが、生憎現在の俺は大人では無いので彼を自身の目的のために躊躇なく利用する。


「そっか、良いね。付与するのは『反射速度強化』かな?」

「だな!みんな良いって言ってたから。俺も早く強くなれるだろ?」


 彼は愚かしくも周囲の自慢を聞いて、自分もと思ってしまったらしい。俺は彼を安心させるようにニコリと笑って見せる。


「分かったよ。絶対に成功させて見せるよ」

「お前……いい奴だな!前はボコボコにされたけど、俺気にしてねぇから。お前も気にすんなよ?」


 何の保証も伴わない俺の言葉に安心する彼。

 俺は都合が良いとばかりに作業を進める。


「それじゃあ、この薬を飲んで」

「おう。前と同じだな」


「後ろに手をやって」

「……これ、前は無かったよな」


 縄を差し出しながら言う俺に、不安そうな顔を見せる。


「目は他と違って凄く痛いからね。ダメって言ってもみんな暴れてしまうんだよ。怖いなら、やめておく?」


 俺は敢えて脅すように言った。

 実際にここで踏みとどまって止める子供もいる。


 眼球の躰篭化は成功しても痛みによって死の可能性がある。

 そのため俺はこうして脅すことで彼らの覚悟の程を確認していた。

 覚悟があれば痛みで死ぬ確率は僅かながら減るだろうと考えたからだ。実際、今のところ死者は居ない。


「……やる。やってやる!」




 ◆◆◆◆




 泡を噴いている火精族の彼を部屋に運んでから、戻ってくる。

 結果はもちろん成功だった。


 俺は躰篭化の施術のために竜人娘と共有するのとは別の部屋を使っていた。理由は薬が増えてきて手狭になってきたのと、あまりの痛みに粗相をする子供もいるからだ。

 例え後処理をしても、気持ちのいい物では無い。



 俺が仙器化の技術向上のために講じた方法は、情報の開示だ。

 最近のトラの戦力向上が俺の補助によるものだと言うことを教えただけだ。


 まず、一人が手を挙げた。

 俺は彼に躰篭化を施し、彼の順位は上がった。

 次に現れたのは彼によって順位を抜かされた別の少年だった。


 そうして競い合うように躰篭化を求める子供たちによって俺の予定は埋まった。

 例え、取り返しの付かない危険を孕んでいるものと知って居ても、一時の優越のために手を出してしまう、というのはドーピングの歴史が物語っている。


 俺は毎日誰かの身体を使って躰篭の練習ができるようになった。


 他の世代との繋ぎをエンに頼んでいて良かった。

 最近は本当に時間が足りない。



「今度からは予約でもさせるか?」


 俺は以前に躰篭を施したネズミ、33号へと餌をやりながら話しかける。

 彼は利口で、一期分の時間が過ぎて違う区画へ移った俺の部屋へと自力で辿り着いて見せた。

『嗅覚強化』を施しておいてよかった。


 33号の身体を捕まえると、瞼の上から眼球を触る。

 そこからはノイズは感じられなくなっていた。


「二ヶ月から三ヶ月、といったところか」


 他者から施された躰篭が残る期間のことだ。

 その振れ幅は個体や付与した時の俺の調子によって変わる。


 仙器と躰篭には大きな違いがある。

 物体と生体の違いだけでは無い。


 躰篭の内部で代謝が行われるせいか、躰篭は磨耗するように少しずつその力を失う。

 維持するには定期的に気を注ぎ込む必要がある。

 そして、注ぎ込む気は躰篭を初めに施した者の気でなければならない。つまり、彼らの場合は俺の気を注がなければ躰篭は自動的に失われる。


 つまり、彼らの躰篭を奪うも残すも、俺次第ということだった。




————————————————————

第59話『握る』




これにて二章終了です。


タイトルから甘酸っぱいものを想像した人はすみません。

『握った』のは『尻尾』ではなく『生殺与奪の権』です。

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