第58話『痺れる』
444期との対抗戦が太鼓の音と共に始まった。
フィールドは俺が最も得意とする森。
加えて時間帯は夜。視覚以外の手段を持つ俺にとってはこれ以上ない環境だった。
先ほど観察した彼女達の気の量を思い出す。
全員が俺どころかモンクよりも明らかに多かった。
流石に竜人娘と比べるとカスに等しい量だが、それでも俺達にとっては脅威だった。
間違いなく、個々人の実力で負けている。勝っているのは、トラ位か。
これまでと同じように、竜人娘以外を仕留めに来るのかと思っていると、彼らはアンリを先頭にして悠々と森の中を歩いてきた。
気配を隠すことさえしない。
彼女の口元には笑みさえ浮かんでいた。
彼らは自力においても連携においてもこちらを上回っている事を、自覚しているのだ。不意打ちの難しい開けた経路を通って、竜人娘が立つ森の端へと向かっている。
「ふふ」
彼女は暗い感情をその身に纏っている。
流石にこんな時まで薬に浸っている訳では無いか。
余裕の笑みを浮かべるアンリへと、トラが飛びかかる。【迅気】によって速度を上げたトラのナイフは、彼女の胸元に突き刺さる……その直前に横合から伸びたナイフで受け流された。
「君の相手は俺がしよう」
そう言ってリオは目を細めた。
「ハッ、一人で俺の相手をするつもりかよ!……っな!?」
トラの渾身の突きが綺麗に受け流された。
圧倒的な動体視力により、変則的な軌道を通るトラの突きはこれまで防御困難であり、相手は大きく避けることを選ばされて来た。
しかしリオはその攻撃を見切って、刃の先を擦って再び受け流す。
「な、める、なァっ!!」
「……っ強いな。君からは才能を感じる。……まさか、年下を相手にこれを使わされるとは思わなかった」
感心したような声をかけながらも、手元では無慈悲にトラの突きをいなしながら距離を詰めていく。
一方で俺はリオの不自然な気の動き方を見ていた。
トラが攻撃するたびに、リオの【迅気】が爆発的に盛り上がった。
基本的に気の貯蔵量と出力の量は比例する。
にも関わらずあの防御の時のリオは、本来の出力以上の気を纏っていたのだ。
彼が口にした『これ』とはおそらく瞬間的な出力を上げる類の気術だ。
「ぐ、ぁ。クソ」
機関銃のように放たれる連撃を、トラは必死にいなすが、体の端々に傷が増えていく。
リオを突き放すようにトラが繰り出した甘い一撃に組み付くと、そのまま彼の肘を逆向きに曲げる。
「グゥ、ガアアア!!」
連日の躰篭化により痛みに慣れつつあったトラは、叫び声で自身の興奮を煽りながら、残った左手の爪をリオに向ける。
しかし、トラの抵抗は虚しく、完全に距離をゼロまで潰したリオに組みつかれて意識を落とされた。
「……ふぅ」
少し疲れたような息を漏らしながら、トラへの拘束を解くリオ。
彼らは、これまでとの相手とはあまりにも違いすぎた。
そしてエンも、さらにモンクさえも片手間に仕留めた彼女達はさらに森を進んだ。
エンは一撃で沈み、モンクに対しても彼に劣らない気術を見せつけて気絶させた。
俺がこうして隠れているのは彼女達の隙を伺ってのものだが、彼女達はトラを仕留める間も二人を仕留める間も周囲を警戒しているようで、手出しは許されなかった。
個人としても集団としても隙が感じられなかった。
おそらく森でなければ確実に見つかっていた。
そうでなくとも、俺に眼球の躰篭が無ければ気づかれた事にさえ気付かずに仕留められていただろう。
アンリは時折全身から薄い気の波動を放つのだ。
初めて会った時も見せたソナーのような気術だ。
以前も塔に空いた穴を遠隔で察知していたので、気をゼロに抑えるだけでは捕捉されるだろう。
そのため、俺はソナーの射程ギリギリを見極めて彼女達を追跡しているし、念には念を入れて彼女の義眼が嵌っている左側を歩いていた。
彼女達は遂に竜人娘のいる場所まで辿り着いた。
「……」
星を見上げていた視線を下ろして睨む竜人娘と、
「あはっ」
彼女が身に纏う気を見て大きく笑ったアンリ。
彼女はナイフを片方に持つと、もう片手にどこからか取り出した針を指に挟んだ。竜人娘から立ち上る化け物のような量の気は見えているにも関わらず、彼女は揺らがず暗い感情の色を纏っていた。
「アンリ」
「うん、お願いね」
リオに頷いて見せたアンリはそのまま残りの三人へと視線をやると、その場にリオとアンリを残して森の中に身を隠した。
「……」
隠れる者達に視線をやった竜人娘は地面を一度尻尾の先で鞭打つように叩いてみせると、二人へと迫る。
伏兵は出て来たときに叩くことに決めたらしい。
飛び込んで来た竜人娘を左右から挟み込むように距離を開けた二人。
それに対して竜人娘はまずリオの方へ足を向けた。
おそらくトラに似たタイプである彼の方が厄介だと感じたのだろう。
「シッ」
トラ以上の速度から突きが放たれる。
彼女はそれを迎え撃つように拳に気を集中させると、正面からその刃を殴りつけた。
ナイフの刃が根元から折れる。
「ばっ」
馬鹿な、とリオの口から悪態が漏れかけた。
支給されたナイフではあるが、見たところ多重の仙器化が施されている。刺さらないどころか、刺した方が折れるとは思わなかったらしい。
背後から迫るアンリに、その場でぐるりと回って尻尾を叩きつける。
アンリは刃を立てて尻尾を受け止めた。衝撃で体が斜めに飛ぶ。
「……」
そこで初めて、竜人娘の眉が歪んだ。
見れば尻尾の先が血に濡れていた。
拳と同じだけの気を纏っていたにも関わらず、その刃が鱗を通ったことに俺は驚いた。
俺は確かめるように目を細めて彼女の握るナイフを見た。
刃の部分に、極限まで圧縮した気を纏わせていた。
これが彼女の鱗を押し切って刃が通った理由か。
「——スゥ」
「……!?」
彼女を脅威だと断じた竜人娘は、宙を回るアンリに向けて息を大きく吸った。
アンリはその気配を察知して目を大きく見開いた。
俺は静かに耳を塞いで備える。
「■■■ッッッ————!!!!」
森の一画が吹き飛んだ。
ゴロゴロと転がったアンリは素早く立ち上がった。
身体は傷だらけでは有るものの、
しかし犠牲はゼロでは無かった。
「シナ」
アンリを押し出して直撃から救った少女は、彼女の代わりに瀕死の傷を受けていた。
おそらく気の極限圧縮が使えるのはアンリだけなのだ。
だからこそ唯一の攻撃手段を持つアンリを残すために、シナと呼ばれた少女は自分を犠牲にした。
更に森の中に隠れていた内の一人も直撃を受けて耳から血を流して倒れ込んでいた。
残る人数は三人。
竜人娘の優勢を確認したと同時に、アンリの手元から針が消えているのに気付いた。
視線を巡らせれば、竜人娘の足元に散らばっていた。
アンリが竜人娘の尻尾を受けたときに落としてしまったのだろうと思ったが、針は落としてナイフは落とさなかった、というのに違和感を覚えた。
隠された意図があるのを察して、俺は茂みから走り出した。
「……ッ!?」
落ちた針から、チカチカと火花が散るように込められた気が溢れたと思った瞬間、肉眼の視界が白に包まれる。
閃光が森を染めた。
最近は白い視界につくづく縁がある。
俺は瞼を閉じて、
「ガァアアアァアア!!!」
視線の先でリオが声を上げながら竜人娘に迫っている。どうやら彼等はこの状態でも視界を確保する手段があるらしい。
リオは、陽動だった。声を上げる事で場所を知らせると同時にアンリの足音を消す。
「ゴッハァッ」
手加減なしの拳が彼の胸元に突き刺さり、彼の胸骨を拳の形に凹ませた。
彼が集中して纏った【硬気】が辛うじて彼の命を守る。そうでなければ心臓を貫通して背中から拳が突き出ていただろう。
しかし、そうはならなかったのだ。
「つか、まえた」
「……ッ」
たかが模擬戦に彼等は命を賭ける。
二つも年下の竜人娘を相手に五人で全力を尽くす。
こいつら、本気で竜人娘を殺そうとしている。
視覚も聴覚を奪われた竜人娘の腕をリオが握りしめた。
勿論彼女はリオの腹を蹴飛ばしてその手を離させたが、ゼロコンマ数秒の時間、彼女は確かに拘束されてしまった。
その瞬間、木の幹を蹴ったアンリは極限まで集中させた気をナイフの先端に纏う。
向かう先は竜人娘の延髄。彼女の気術は竜人娘の鱗を貫く程に鋭かった。
当たれば、彼女でも死ぬだろう。
……『俺』がここに居なければ。
「ヅ、ァ"」
走りながら、限界まで気を振り絞る。
それでも足りない分を身体の内側から引きずり出す。
その全てを【迅気】に変換して下半身に纏う。
地面に小さな爆発を起こして、茂みから飛び出した。
後少しで、届く。
だが、当のアンリは視界の端から現れた俺に向けて、気付いていたとでも言うようにニヤリと笑った。
「……!?」
隠れていた最後の伏兵が横合いから俺の心臓に向けてナイフを突き出そうとしていた。
避ければ俺は死ぬ。避けなければ彼女は死ぬ。
俺は勢いそのまま前に向かって倒れ込んで、地面に手を着いた。
「……っ」
軟化した地面に竜人娘の足が沈み込んだ。
そのせいでアンリの照準はズレてナイフの先端は首の横を掠めた。
遅れて頸動脈から血が噴き出す。即死は避けたが致命傷を受けた。
「……蛇くん」
アンリはこちらへ向けて歯を剥いて怒りを見せた。
どうやら彼女の思惑を外すことには成功したらしい。少しだけ溜飲が下がった。
しかし、俺の肩口に背後からナイフが刺さった。
「か……ハ」
ナイフの刺さった部分から粘着質な水音がして、生暖かい液体が飛び出して来た。
不味い、これは確実に死に至る。
痛みに目の前が点滅する。
「ハッ、ハッ……」
直ぐに処置をしなければ俺は死ぬ。
一度目の死が、俺にその確信を与えた。
彼らの瞳は無機質に俺の命を見ている気がした。
足の先から寒気が登って来た。
死の気配だ。俺は慌てて気を纏って死の気配を振り払おうとする。
それでも、身体の芯から熱を奪われていくのが分かった。
怖い。
俺は名も知れぬ彼に祈ろうとするが、その前に小さく声が聞こえた。
「———たら?」
アンリが嗤いながら、何かを言った。
それはきっと、『降参したら?』とか『その怪我だと死ぬよ?』とかこちらを気遣う意味合いの言葉だろう。
殺す気なのかそうで無いのか、アンリの意図が読めなかった。
彼女が降参すれば俺達は直ぐに医務室へ運び込まれて処置を受けられる。生き残りたいならば、そちらの方が良い。
それでも彼女が受け入れ無いという確信があった。
「——なめ、るな」
「————!——んじゃ——!?……?」
当たり前のように反抗する竜人娘。
途切れ途切れの聴覚の中で、彼女の声だけが鮮明に響いた。
アンリが俺を指差しながら何かを問い詰めるが、竜人娘は血だらけの掌を彼女に向けて制止した。
「五秒で、おわらせる」
彼女が見せたのは制止ではなく、勝利宣言だ。
彼女は攻撃的に笑った。
その表情を見た瞬間、俺の身体の芯が熱を帯びて忍び寄る悪寒を焼き尽くした。
「あハッ!君——に——って——る!!」
彼女の首からは今も心拍と共に血が噴き出している。
それでも不思議と彼女が負ける気はしなかった。
「はは」
乾いた笑いが漏れる。
血が足りないせいか、体が痺れるくらいの電撃を喰らったような感覚が走った。
「ガァア"ア"ア"ア"ア"!!!」
彼女が蹴った勢いで地面が揺れる、それほどの加速。
銀色の弾丸が、アンリを攫って視界から消える。
そんな彼女の背中を見ながら、俺の意識は途絶える。
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第58話『痺れる』
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