第54話『観える』

 ——天才は凡人とは見えている世界が違う。


 そう言う文言をフィクションでよく見かけた。

 実際は天才も凡人と同じ眼球の構造を持ち、同じ仕組みで世界を見ている。

 世界が違うというのは例え話で、外界に対する本人の姿勢の話をしているのは理解している。


 天才は同じものを見ても、凡人が得る以上の情報を手に入れる。そういう警句だ。


 ならば逆説的に人よりも多くの情報を外界から得ることが出来るならば、それは天才と呼べるだろうか?



 答えが俺の眼窩に嵌っていた。


「体内の気の流れを捉えることは出来そうだ」


 皮膚の下を巡る光の帯が揺らめいていた。

 幾重にも重なるそれらが俺の体の中で、水草のように時折揺れる。


 意識して気を体外に放つと、俺の体外で炎のように気が溢れる。

【素気】は透明に近い色合いの炎だった。

 こちらも以前はぼんやりとしていたのが、輪郭がハッキリと見えるようになっていた。


 俺は左の瞳に対して、より【気】を観測する能力の強化を付与した。

 他には動体視力もかなり向上しているようだが、そちらは副次的なものだ。


 気を放つ時の意思の込め方によって、放たれる炎の色が僅かに変化する。【迅気】を放つと、緑と青の間のような色合いの炎が指先から噴き出す。


「……ふむ」


 俺は体を守る気を纏うように意識すると、炎の色にオレンジが混じる。だが、まだ遠いな。

 鎧を想像しながら気を動かすと、炎の色はさらにオレンジに近くなる。


「こうか……。いや」


 試行錯誤しながら、掌の上で【気】を弄んでいると、炎の色がこれ以上ない程にオレンジに染まった。

 その出来に満足した俺は小さく頷いた。


「これなら」


 取り出した針で掌を容赦無く突いた。

 そして、俺の予想通り、針は普通なら傷ができてもおかしくない位の力を込めても皮膚に穴が開く事は無かった。


 反射レベルで変換するにはまだ時間が必要だが0を1にする事が出来た。


 これまで試行錯誤しながらも掴めないでいた【硬気】の感覚が、視覚が合わさることでこれほどまでスムーズに掴めるようになるのだ。



 ——天才は凡人とは見えている世界が違う。


 モンクには、初めからこんな風に世界が見えているのかもしれない。彼の種族の性質というよりは、単なる才覚によって。




 ◆◆◆◆




 新しい視界を手に入れた俺は、初めて虫眼鏡を手に入れた子供のように様々なものを観察した。

 と言っても【気】が可視化されることで見え方が変わるのは、人と仙器くらいだ。


 手元で石畳が割れた破片を仙器化する。


 仙器は精密に並んだ粒子の結晶のように見えた。

 同じものに同じ付与を施した場合でも中身の結晶の見かけは大きく異なっており、俺は首を傾げることとなった。


 師範達は仙器化に関してはひたすら数と経験を積ませる訓練ばかりを施していたが、これは理論でどうにかなるものでは無いのだと実感した。それほどに複雑性が感じられた。


 次に観察したのは人だった。

 この眼を手に入れたメリットに、相手の気の量を見抜く事ができるようになった、というのがある。

 これまでは実際に戦った経験や、種族的な特徴から割り出すしか無かったが、今ならば初対面でも気の量を推測する事ができる。



「うん?」


 塔の頂上から塔の4階へと戻った俺は、そこにいる子供たちに視線を向けられる。


 俺は試しに彼らの気の量を観察してみようとして、少し戸惑う。


 それぞれが体の内側に持つ気の形は大きく見た目が違うのだ。

 俺のように光る帯のようであったり、小さな粒がいくつも煌めいていたり、霧のように全体が薄らと光ってしていたりする。


 ただ、年が上だけあって全体的に俺よりも全体の光量は明らかに上だと分かる。

 厳密な比較にはこれまた慣れが必要だった。


「……」


 無言で視線を向けてくる彼らに気味の悪さを覚えながら、階段を降りた。

 そういえば、俺はさっきまで塔の頂上で躰篭を施していたのだった。

 その時の叫び声が彼らまで届いていたとしてもおかしく無い。


 俺は若干の失敗を悟った。


 階段を下りるほど、そこにいる子供達の年齢も下がり、比例するようにその身の内に見える光も弱くなっていった。


 そして、水場に行って顔に掌に着いた血液を洗い流してから、部屋に向かった。



「……」


 目的の部屋の前に立つと、塔の頂上からでも見えた光が扉の向こうから透けて見える。


 俺は扉越しの眩しさに瞼を半分ほど閉じながら、扉を開いた。


「……ッ」

「また……?」


 その眩しさに思わず掌をかざして遮るが、その光は瞼を貫通して眼球を焼いてくる。

 その瞬間にブレーカーが落ちるような感覚がして、光が見えなくなった。何かを咎めようとした竜人娘の声が、俺の様子を見て途中で止まる。


 目の前には訝しげにこちらを見ている竜人娘。


「……っ」


 まさか、躰篭が消えたのかと思い掌を持ち上げる。

 掌の奥に見えた光の帯は見えなくなってしまっていた。


 俺はさらに焦りながら眼球の表面に指先で触れる。

 伝わってくるのは僅かな水気とノイズ。


「……はぁ」


 安堵のため息を溢しながら、その場に座り込む。

 おそらく、彼女の光が余りにも強かったために、危険と判断した本能が、躰篭からの情報を遮断したのだ。

 この躰篭は俺に備わったばかりの感覚器官だ。

 生まれたばかりの子供はほとんど近くしか見えていないのと同じように、まだ調整が未熟なのだろう。


 躰篭からの情報の遮断ができるという事はいずれは調節もできるようになるだろう。


 眼球の奥を意識すれば、何らかの繋がりが途絶えているのを感じられた。

 おそらくこれを繋ぎ直せば、眼球の躰篭から情報を受け取る事はできるが、目の前に彼女のいる状況で戻せば、間違いなく目が灼かれる。


 期せずして躰篭のオンオフが可能なことを知った俺は、瞳を覆う掌を外した。


 そんな俺の様子を彼女はじっと見ていた。

 彼女の視線が俺の顔、厳密にはその左の瞳に向いているのが分かる。


「……それ」


 体の周りでとぐろを巻いていた尻尾を解いて立ち上がる。

 俺は嫌な予感がして背後に下がろうとするが、生憎背中には扉の感触。


 貫頭衣の裾を掴んでゆっくりと引き倒される。

 頭だけを扉に預ける形になる。


 マウントをとった彼女の髪がカーテンのように顔にかかり、視界の全てが彼女で埋まる。


 抵抗しようとするものの、躰篭のせいで体力気力共に底をついていた俺は気も纏っていない彼女を跳ね除けることさえ出来ない。


 彼女の小さな指先が視界の端から迫ってくるのを前に、俺は反射的に目を閉じようとした。


「閉じるな」


 しかし、彼女の一声が掛かったことで、瞼は張り付いたように動かなくなる。

 さらに彼女の顔が寄ってきて、俺の顔を固定する。


 視界には彼女の瞳だけが映る。

 縦に割れた瞳孔が光量を調整するために僅かに開いた。


「前よりも、くろい」


 旭日を思わせる色の瞳が俺の虹彩の縁をなぞるように回ってから、瞬きを一度する。


 自分の顔は水面に映るものでしか見ていないので、自分の瞳が黒っぽい色であること以外は分からなかった。

 俺の瞳もトラと同じように変化しているらしい。


 更に彼女の瞳孔が開いた。


 しばしの間、合わせ鏡のようになった互いの瞳を見つめる時間が過ぎる。


 瞼を開いたまま時間が経ったせいで瞳が痛くなってきた頃、彼女の指が動いた。


「そのまま、うごくな」


 静かにそう言うと、眼球の側面に冷たい感触がした。一瞬、眼球に圧力がかかって視界の焦点が合わなくなった。



「……ッ」


 同時に背筋がゾッとして、反射的に彼女を突き放した。

 無防備だった彼女は押し出されてそのまま尻餅を着いた。


 当の彼女は近くなった地面にじっと視線を向けた後、こちらを見る。

 そして、反射的に怒りの表情を浮かべたかと思ったら、驚いたように目を見開いた。


「……」


 そうして立ち上がった彼女は、無言のまま俺の横を抜けて扉の先へ歩いて行った。

 横目で尻尾の先が部屋から出ていくのが見えた。



「……流石に目を触る方が悪いだろう」


 俺は誰にともなく言い訳をした。

 下手すればそのまま、指を突き込まれて殺されるかもしれないと思うと、反射的に体が動いたのだ。そうでなくとも、彼女の鋭い爪の先が表面に触れるだけで怪我する可能性もあった。


 俺が咎められる理由は無いだろう。

 しかし、怒った彼女に殺されないだろうかと、別の恐怖が俺の頭を過った。


 俺はモゾモゾと布団の中に入ると、溜まった疲れのせいか、すぐに眠りに就いた。




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第54話『観える』




 そう言えば、世の中には眼球性愛、オキュロフィリアなる嗜好が存在するらしいですね。眼球フェチとはまた違うようで、その人の一部として眼球が好き、という状態だと思っていたのですが、実際は眼球単体であっても興奮できるものらしいです。

 軽度だと、『舐めたい』や『指先でツンツンしたい』と思う程度らしいですが、重度だと『食べたい』『奪いたい』みたいに思うこともあるらしいです。

 よくマンガで敵キャラがホルマリン漬けにしているのを見ましたが、彼らは重度の方々だったのだと、今頃になって知りました。


 『食べたい』は流石にヤバいなぁと思いましたが、その動機は『視界を独占したい』という感情から来ることもあると聞いてキュンと来た作者は異常でしょうか。

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