第53話『触れる』

「どうすれば強くなれるかー?」

「うん」


 鼠少女を餌にしたモンクとの組み手によって、気術は上達しているものの、肝心の躰篭について良い考えが浮かばず、中央塔の頂上でウルテク女に尋ねることにした。

 相談の相手に彼女を選んだのは、躰篭について相談できる人物が彼女以外にいなかった、というのが大きい。


「あは」


 今日は気分を高揚させるタイプの薬物を摂取しているようで、彼女の感情は純粋な喜びの色だけに染まっている。

 時折しゃっくりのように笑い声を溢しながら、うんうんと頭を左右に揺らす。


 やがて、ぐるりと首だけを俺の方に向ける。


「何の話だったっけー?」

「……強くなる方法だよ」


「あは、そうだったー」


 再び彼女はうんうんと唸り出す。

 今日の彼女は正常に思考が出来なさそうだった。

 また違う日に聞こうかと悩んでいると、背後に小さく足音が聞こえた。


「アンリ、ここに居たのか。……君は……初めて見るな」


 俺は現れた人物に小さく頭を下げた。


「どうも」

「この子はねー、ボクの後輩だよー、リオ」


 現れたのは上の世代の子供にしては珍しい獣人種の少年。

 猫科のような耳と、立派なたてがみはライオンを想像する。


 それでいながら似た系統の種族であるトラと比べると落ち着いた印象を受けた。


 今更ながらウルテク女の名前がアンリである事を知った。


「俺はリオと呼ばれている。見ての通り獅人族だ」

「俺は蛇人族だよ。名前は……好きに呼んで良いよ」


 ネチネチは……名前では無いだろう。

 リオが掌を差し出して来たので、俺も握り返す。

 彼の掌からも当たり前のようにノイズが伝わって来た。やはり肉体を躰篭へと置き換えている。

 彼も俺が気づいたことを察したようで、少しだけ意外そうに目を見開い。


「驚かないんだな」

「まあ、アンリ?から聞いてるからね」


 彼ら444期は過酷な訓練を受けている。

 それこそ全身を躰篭化しなければ生き残れない程に、だ。


 俺が所属する452期も彼ら程急速では無いが、躰篭を強制される状況に近づいて行くと思っている。

 何せ、特殊訓練を指導しているのが444期も兼任するセンセイであるからだ。


「アンリとは何の話をしていたんだ?」

「シッポのはなしー」


「な、尻尾だと!まさか、また撫でたのか!?」


 リオはアンリの言葉に顔を赤くする。


「うん、そうだよー」

「なんてことだ。……おい君、大丈夫だったのか?」


 何か重大な事が起こったかのようなリオの態度に、俺は若干戸惑った。


「な、何が?」

「いや……まさかアンリの『尻尾撫で』を受けて無事だったのか!?」


 コクリと頷くと、これまた彼は目を見開いて驚きの表情を見せる。

 どうやら彼女の『尻尾撫で』は無事では済まないらしい。


「蛇くんはモフモフじゃないからねー。でもスベスベで気持ちよかったよ」


 これまた宙を撫でて見せるアンリの手にリオの視線が引き寄せられて釘付けになる。そのまま、喉をゴクリと鳴らした。


「……リオはアンリに撫でられた事があるみたいだね?」

「それは……まぁ……ある」

「あは、その時にねー、リオ、ヨダレたらして白目になりながら……」


「待て!!!この話は止めよう!!」


 アンリの言葉を大声でかき消そうとするリオ。

 どうやら彼はアンリの撫で撫でによって『トロットロのアッヘアヘ』にされた事があるらしい。


「本当は、強くなる方法の話をしていたんだ」


 俺は話題を元に戻した。

 リオは深い安堵の感情の色を見せた。余程触れられたくない話題のようだ。


 彼は少し考えてから、アンリと自分を指差す。


「君には俺とアンリ、どちらが強く見える」


 リオは獣人種としての特性か、体格が良い。

 年齢の差もあるだろうが、トラよりも大きい。


 対してアンリは細身だ。


 身体能力に関してはリオの方が上だろう。

 気の量に関しては想像するしか無いが、アンリの方が若干上、だろうか。

 

 二人の関係は、俺とトラのものに近い。

 そう当てはめて考えると答えは明らかだ。


「リオだ」


 俺はある程度の確信を持って答えた。


「なら、戦ったらどちらが勝つと思う」

「?……リオだ」


 質問の意図が分からなかった。

 リオは少し楽しそうに言った。


「勝つのはアンリだ」

「アンリは気の量が多いのかな?」


「俺よりは少しだけ多いが、ほぼ同じだな」


 そこでリオの言いたいことを察した。


「そうか……」


 力が強くても必ず勝てるわけじゃない。

 気の量が多くても必ず勝てるわけじゃない。

 肉体の持つ強さは勝敗とはイコールではない。


 当たり前の事だが、見えなくなっていた。

 躰篭によってトラが急激に強くなったのを見て影響されてしまった。

 

 そもそも、躰篭は肉体の性能を上げることしか出来ないものでは無いのだ。



「蛇くんも、ボクと似てるから分かるよねー?……生き残ったら、勝ちなんだよ」

「……そうだね」


 正面からヨーイドンで戦った結果が全てではない。

 俺にとっては10年後、20年後に息をしているか、それだけが全てだ。

 目先の強さに惑わされてはいけない。


「うん……」


 俺は胡座を組んで考えに没頭する。

 そのまま数分が経過してリオは静かに立ち上がった。


「邪魔になりそうだな。……アンリ、帰るぞ」

「うん、蛇くん。またねー」

「あぁ」


 聞こえた声に僅かな思考を割くことさえ惜しくなり、反射で答える。

 彼らの言葉で蒙が啓かれた気がする。


「……」


 見る。感じる。

 この世界では、前世よりも感覚の多様性が大きいように感じる。

 見える、見えないの差は前世にもあったがこの世界では『何が見えるか』にも大きな違いがある。

 俺であれば通常と同じく光が見える。

 そして蛇の特性により温度が見える。

 さらに花精族の特性で感情も見える。


 ウェンであれば風の動きが見えるらしい。


 そして、これらは大きな情報のアドバンテージを生む。

 俺は温度が見えるから森の中で人体を見逃さない。

 感情が見えるから人の心を揺さぶる事ができる。



「よし」


 腹は決まった。

 俺は新たな感覚を得るために視覚を拡張する。


 俺は静かに左の瞳を覆った。右目には石のレンガが敷き詰められた景色が映る。


「スゥ……」


 単純強化はやさでは無く、拡張強化ひろさを意識する。

 眼窩に嵌った球体へと気を注入し始める。


 ——見る。


「ぁ”ぁ”あ”あ”あ”あ」


 眼球に燃えるような痛みを感じて、喉の奥から呻き声が漏れる。


 ——見る。


「ア”ア”ア”ぁ”あ”ア”ア”!!!」


 絶叫する。それでも機械的に気を送り込む。

 既に眼球が蒸発しているのでは無いか、そういう不安さえねじ伏せる。

 感情の制御を身に付けた甲斐があった。


 ——見る。


「ァ”ア”■”ぁ”あ”■”亜”!!!」


 喉が枯れる。それでも痛みを追い出すように、声を出し続ける。


 暑くもないのに汗が身体中から吹き出す。

 それなのに体は芯まで冷え切っている。

 俺に痛みを与えるこの両手が憎いとさえ思う。


 ここで気の制御を手放せば、左目を失うという恐怖だけが俺を押さえつける。


 ——見る、見る、見る。


 自分の体が制御から離れたような感覚。

 込めた気が眼球だけではなく、その奥の神経までも侵しているのが分かる。


「熱い熱い熱い熱い暑い熱いあついアツイ熱いいいぃ"!!!」


 悶える代わりに、口を動かす。

 発する言葉に意味はない。


 ——見る、観る。


「熱いあついいやだあつい死にたくないあつい俺は何も悪いことしてアツイないのに誰か助けて治して直してどうアツイにかして死にたくないよなんで俺がこんなめに合わないとだからアツイいやだって言ったあのにわわるくなあれお前が悪いあついいやあんたがそこにだからあれあれあれアレアレ!!!」


 口を動かしていると、眼球を焼く熱さが紛れる気がした。壊れた機械になったような心地で、脳に浮かんだ単語を口から吐き出す。


 代わりに瞳から頭の奥まで熱さが伝播しているのが分かった。


 ——観る、見る。


「アレアレアレホラほら昨日町に行ったんだへえすごいね僕はリンゴを買ってへえすごいね空から落ちてきた猫を八百屋さんで売ってそのままへえすごいね落ちてきた空に乗ってサーフィンをへええすごいね街の人は地面から生えて時々揺れたらよく寝れるんだへえすごいね僕のためにそこにはいつもたんぼが植えてあってよく見るとへえスゴすごいねええええええ!!!」


 思考が融解する。

 眼球が落ちてしまわないように支える掌に生暖かい液体が垂れているのが分かった。

 この液体が血液か、それとも溶け出した脳かは考えないようにする。


「うわあああ全部見える空の星から毛穴から星からありさんの穴の中の内臓の蔵のうちの空そら空すごおおお良い良い良いおおお!!!」



——狂ったようにのたうち回りながら、掌の中の気はひたすらに静謐を流れた。




 ◆◆◆◆




「……ハァッ、ハァ、……ッハァ……フーー。……はぁ」


 眼球を灼く痛みが段々と引いてきたことで、俺は余裕を取り戻し、荒く息を整える。

 

 そうしてやっと、瞳の中が満杯になった手応えが帰ってきた。


「ふ……ぅ……」


 顔の上部を覆う掌をゆっくりと下ろした。

 固く閉じた瞼が開く。


 掌には躰篭化の際に眼窩から吹き出した血液がべっとりと付着していた。粘着質なその感触を確かめてから、俺は自身の胴体を見下ろす。


 そこには、身体の中を巡るように動く光の帯が見えていた。


 より、鮮明に気の流れが捉えることができていた。



 「——これで……もっと


 俺は天才の視座を手に入れた。



 ————————————————————

 第53話『触れる』




 タイトルで甘酸っぱいものを想像した人はごめんなさい。

 『触れた』のは『手と手』じゃなくて『気』の方です。



 狂気の文章はボツルートからサルベージしてきました。

 ちなみに似たような文章を書いてとChatGPTに投げると拒否されました。

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