第52話『毒す』

 部屋を移動して、約二ヶ月が経った頃。


「『彼は全てを与えうるものにして、全てを奪うもの』」


 俺達は小さな部屋の中で、スイセンの言葉を聞かされていた。



 あれから彼女は様々な手を使い、子供達の警戒を解いていった。

 時には母性を使い、時には甘さを使い、人によっては秘密を共有して、彼らの中に馴染んでいった。

 俺達の部屋に訪問して来ることもあったが、その日は竜人娘が何かを察して部屋に戻って来なかったために、結局俺一人で彼女の相手をすることになった。


 最早、子供達は彼女の事を警戒しなくなった。

 そして、それが危険な事だとも自覚していない。


 彼女は子供達の間を一定のリズムで歩きながら、教えを説く。

 その手には厚めの本が開かれていた。


「この言葉は、が貴方達に生を与えたという事を意味します。わたくし達が持つ全てはからの借り物です。そして命絶える時、わたくし達はへと命を返します。ただそれだけのことです」


 部屋の中では蝋燭に火が灯っている。

 蝋燭の中に混ぜ物をしているらしく、蝋とは違うものの臭いが感じられる。

 それが持つ効果はリラックス効果のみなので、自覚していれば問題は無い。

 だが、彼女の言葉を聞くとリラックスする、と勘違いしてしまうと厄介なことになるだろう。


「恐れることはありません。は狭量ではないのです。時折命を借り受けていることに感謝を捧げ、最期に感謝すれば温かな終わりへと導いてくれます」


 スイセンは染み込むような柔らかい声で、それが世界の真実であるかのように、死を語る。

 疑いを捨てた子供達は彼女の言葉に導かれるようにして、死への恐怖を解かれていった。


「貴方が苦しいと思った時、はそれを見ています。貴方が苦難を超えられるか、優しく見守っています。もまた貴方と同じ苦しみを知っています。それもまたの与えたものであるから」


 少しずつ難しくなる話の内容に、ついて行けなくなる子供が現れる。

 子供達の中には分からないながらも熱心に彼女の言葉に耳を傾けている者も居る。

 この光景は前世の小学校に近いものを感じる。


 集中が追いついていないのを見て、スイセンは苦笑を浮かべる。

 本を閉じると、先程の言葉を噛み砕いた。


「貴方が悪い事をする時、は見ている、という事です。だから正直に在りましょうね」


 俺は周囲の子供達と共にコクリと頷いた。

 一瞬、彼女の瞳が頷かなかった数人の間を巡る。


 そして笑顔を作り直すと、再び本を開いて説法を続けた。


「『彼に逆らうことなかれ、其は慈悲深きものなり』、これは……」




 ◆◆◆◆




 ムシャムシャムシャムシャ


 現在、俺は籠の中に溜まった毒草を処理するために片っ端から口に入れていた。

 口から溢れそうな量の毒草は、以前ならば身体中の毛穴から血を流して死んでいたところだが、現在であれば問題無く消化できる。


 理由は俺が自身に新しく施した躰篭だ。


 動物での実験から、トラを使った練習を経て、俺は体内の臓器への躰篭に挑戦した。

 対象にしたのは肝臓。


 理由はいくつかある。

 まず、臓器が大きいために一部だけを対象にして躰篭が行える。

 さらに万が一躰篭化に失敗しても、肝臓は自己再生ができる部位なので半分くらいなら修復するのだ。


 最大限に安全を考慮した上で躰篭化に挑み、結果は成功。


 代わりに、凄まじい激痛の影響で血を吐いた。

 腕や足などとは違って慣れない内臓の痛みは、覚悟していなければ耐えられなかっただろう。


 肝心の付与は『解毒強化』。

 肝臓が元々持つ解毒作用を伸ばす強化を行った。


 そのお陰で現在の俺は毒への耐性が強くなった。

 全く効かないという訳では無いが、以前の倍以上の毒草を食べても耐え切れる様だった。

 さらに副次効果で、毒を食べた際の耐性の成長速度も上がった。


 初めての毒でも直ぐに適応できる様になる、というのはかなり嬉しい影響だ。


 逆に躰篭化してから気づいた欠点としては、毒の症状が現れにくくなり、初めて見る毒草がどのような効果のあるものか判断できなくなってしまったことだ。

 致死性のものであれば鼠に食わせれば直ぐに分かるが、頭痛など、鼠の反応から判断の出来ないものは、かなりの量を食べて確かめなければならない。


 肝臓の躰篭化はもっとあとで良かったかもしれないと少し後悔したが、ひとまずは死ににくくなった事を喜ぼう。


「ほら33号、餌だぞ」


 毒を食べるついでに実験用に使ったネズミに餌をやる。

 トラに躰篭化を施す前に、眼球への躰篭化を試すために使った個体だ。32号までがどうなったかをわざわざ説明する必要は無いだろう。

 今現在手元にいる個体はこの一体のみだ。

 必要があれば捕まえれば良い。多い方が衛生面の管理が難しくなってくる。

 

 どうやらこの個体は俺に懐いているようで態々閉じ込めるまでもなく、俺が帰ってきたらどこからとも無く出てくる。

 俺が餌を手に持って33号の頭の周りで手首を回すと、餌を追ってその場で小さく回って見せた。なかなか可愛らしい。この後に耳の躰篭化の練習に使うのが申し訳なくなるくらいだ。


 餌が無くなったことを察したネズミが穴を通って何処かへ行こうとしたので尻尾を掴んで引き留めた。



 そうして俺自身に施す躰篭について思索を巡らせる。


 肝臓の次は、戦闘能力を強化するような躰篭を施すつもりだった。


 しかし、俺は次の躰篭の場所を決めかねていた。


 眼球を躰篭にしてからトラの戦闘能力は爆発的に上がった。

 それは元々トラが速度に優れるからこその上がり幅だ。


 俺が同じ事をしても彼の下位互換に成り下がるだけだ。

 トラと竜人娘の戦いを見たことで、俺は躰篭の可能性を開くと同時に、俺自身の上限を知ることとなった。


 生憎、俺自身は新しい何かを考えるのに向いていない性質だ。

 こういう時は他人を頼るに限る。


 そして気術において、俺が師としている純真な少年が思い浮かぶ。


「どうやって、引きずり出そうか」


 竜人娘派閥はもう乗ってこないだろうし、隠れ竜人娘派閥は外面上はトラ派閥なので、手を出すわけには行かない。

 人族派閥は……エンと敵対することになりそうで面倒だな。

 彼らは一人一人の力量は警戒するまでも無いが、一度敵対するとずっとそのことを根に持つので面倒なのだ。


 ふむ。



 俺は両手に持った毒草を見下ろした。




 ◆◆◆◆




「ケホッ、ケホッ」


 次の日、運動場には吐血して倒れ込む鼠少女の姿があった。

 ここにモンクを連れてきた俺は、彼女へと走り出しそうなモンクの肩を掴んだ。


「どうやら、その子は間違えて毒を飲んでしまったみたいだね」

「そ、そんな……」


 遠目で見ただけで毒と断言する俺を全く疑わないモンク。

 俺は一周回って彼が心配になって来る。


「でも、ちょうど俺が持っているコレを彼女が飲めば治るよ」

「ほ、ほんと?」


 筒に入った葉っぱを見せて、大きく頷く俺。

 彼がどうすれば乗ってくるか、必死に考えていた自分が滑稽になるくらい彼は単純だった。


「じゃ、じゃあそれをあの子に、あ、上げて欲しい」

「何で?」


 俺は彼を冷たく突き放す。

 今まで通り、問答無用で戦いに持ち込むことも出来るは出来るが、彼という人間が、他人の露骨な悪意にどう反応するか、知っておきたいと思ったのだ。


「も、もしかして、き君も使うの?」

「いや。使う予定はないよ?美味しくもないし、直ぐに捨てるよ」


「なら、あ、あの子が苦しくないように、つ、使って上げて。お願い……っ」


 涙を含んだ瞳で懇願してくるモンク。

 俺の貫頭衣の裾を控え目に、弱々しく握ってくる。


「あ、あんなに辛そうで、かわいそうだよぉ……」


 俺はその手をゆっくりと離させると、彼の手を包み込んで目を覗き込んで、笑顔作った。ホッとした表情の彼に優しく告げる。


「嫌だよ、俺はあの子が嫌いだからね。死んだ方が良いと思う」

「え……?」


 徹底的に彼の希望とは逆の方向で振る舞う俺に、モンクは眼球が落ちそうなくらいに目を見開いて、顔を青くする。


「どうする。モンク?」

「どうしても……無理なの?」


「うん、絶対に嫌だよ」

「……なら、さ、探す」


 そう言って、立ち上がったモンクは何処かへ歩いていこうとする。

 どうやら森に入って解毒ができる草を摘んでくるつもりらしい。

 知識も無い彼が見つけられるとは思えないが、彼には『奪う』という発想はしないらしい。


 俺は諦めて彼の背中に提案を投げかける。


「俺からこれを奪うことが出来たら、使って良いよ。もちろん怪我しても文句は言わない」

「本当に?」


 俺の言葉が嘘では無いか確かめるモンク。

 俺がよく嘘を吐く人間であることは学習しているらしい。


 その調子で人間が悪意を持つ生き物であることも学んで欲しい。


「もちろんだよ。だけど、俺はこれを気絶するまで手放さないよ」

「わかった。……怪我したらごめんね」


 モンクは自身の周囲で気を流動させる。

 揺らめくのは【素気】だけでなく【迅気】や【硬気】が入り混じっていて、今彼の力が速度と硬さどちらに振られているのかが読み取れなくなっている。……一々高度な事をしてくる。




 ◆◆◆◆




 その日は気絶までの時間が最も早かった。

 彼からは躰篭そのものに対するヒントを手に入れる事はできなかったが、気術について、また新しい技術を見ることができた。


 起きた時、俺の懐の木筒は中身が消えていた。

 律儀に中身だけを取り出したらしい。


 今の俺は毒を持ってある部屋へと向かっていた。

 それは、モンクと再び戦う理由を作るためだ。


「……」


 実は鼠の獣人には『危険を察知する』という特性がある。

 初めて聞いた時は、未来予知のような特性だと思い、羨ましいと思ったが、実際は違う。

 人の呼吸や匂いなどから、今からこの人は怒りそうだな、とかこの肉は食べたらまずい、といったことが何となく分かるのだ。

 急に落ちる隕石を避けるなんて事はできない。


 しかし、毒を盛られた食事に気づく事はできる。


 俺は、そのドアをノックした。


「はぁぃ」


 消え入りそうな声と共に、大きな耳がヒョコりと顔を出した。

 鼠の獣人の少女である。彼女は仲間にはミミと呼ばれているらしい。竜人娘の強さに憧れる自称妹の一人だ。


「昨日は助かったよ、ありがとう。……それと、これ。今度も頼むよ」


 俺は彼女の掌に木筒を置いた。勿論毒入りだ。


「ぁ…りがとう」


 俯きながら小さくお礼を伝えて来る彼女が、まさか毒を自身で飲むほど意思の強い者とは誰も思わないだろう。


「モンクと仲良くなれると良いね。ソレでまた守ってもらえるよ」

「ぇへ、そぅだね」


 俺は木筒を指差して、彼女の背中を押す。

 少女が自分を護る騎士に憧れるのはどの世界でも同じなのだ。

 特に奥手な彼女にとってその毒林檎はプリンセスへの片道切符に見えるだろう。


 夢見る彼女の瞳は恍惚とした光を帯びていた。




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第52話『毒す』



蛇は複数の毒を持つものなのです

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