第51話『迫る』
揺れる蝋燭の火が目に入る。
確か、トラの部屋で眼球への躰篭を施して、医務室に行く時に倒れてしまったのだった。
「大丈夫ですか?」
スイレンが顔を傾ける。
その顔も立ち上る感情も俺を心配しているようにしか見えない。
面倒な人物に捕まってしまった。
「はい、痛みは有りますが大丈夫です」
答えながら、嗅覚に異常を感じた。
嗅ぎ覚えのある匂いがする。
確か以前に旧シスターが瞑想の際、俺に飲ませた物だ。
気の放出量を増やし瞑想の質を高める代わりに、自白剤としての側面を持っている物だ。その時から重点的に耐性を付けたので自白剤としての作用は効果を発揮しないだろう。
「どうして、あんなに怪我してたの?」
眉を小さく寄せて八の字を作った彼女が、そう問いかける。少し距離を詰めて砕けた口調だ。
俺は『何も無かった』と言いかけて口を閉じる。
これだけ怪我をして『何も無かった』は無理がある。
そんなことを言えば、薬に耐性があると教えるようなものだ。
「部屋の子と喧嘩をしてしまいました。向こうのほうが強かったので私は叩き出されてしまったんです」
俺は俯きながら答える。
久しぶりに猫を被ったので通じるか自信は無い。
「……あらあら、かわいそうに」
「むぐ」
じぃ、と緑の瞳で俺を覗き込むと、純粋な憐みを滲ませながら俺を抱き締める。柔らかい感触に、息苦しくなる。
花のような匂いがして、心拍が落ち着くのが分かる。
抵抗するのは簡単だが、気術の使えない彼女を相手に気を纏って抵抗すると相手を怪我させてしまう。かと言って気を纏わないままだと痛みで動くことすら出来ない。
彼女は俺の座るベッドに腰を掛ける。
「部屋から追い出された、ということはここで眠るしかありませんよね?」
「いや、勝手にここで寝るなんて出来ません。直ぐに出ていきます」
嫌な予感がして、結構強めに断りを入れる。
「わたくしが良いと決めたので良いんです!」
「むぐ」
そのままベッドの半分を占領した彼女は、子供をあやすように懐に俺を入れた。
「今日はわたくしが一緒に寝てあげますから、寂しく無いですよ」
「……」
トントンと背中を叩きながら、優しく囁いて来るスイセン。
俺はされるがままになるしか無い。
ここで『実は他に寝る場所』があると今更言えば、嘘を吐いていたことになってしまう。今の俺は薬の影響で正直になっていなければいけないのだ。
「いっぱい甘えて良いですからね。いっぱい抱きしめてあげますっ」
俺は信用できない人間に頭を撫でられて悪寒を覚えながらも、彼女を突き飛ばしたい衝動に耐える。
俺は意外にパーソナルスペースが広かったらしい。
彼女には目的の読めない気持ち悪さがある。
しかし、彼女の目的が読めないのは、旧シスターと行動が大きく違うからだ。
でも、二人の行動が大きく違うのは考えれば当たり前だ。
そもそもこの二人は違う能力を持っている。
旧シスターはおそらく里育ちだ。
気術と器術を納めており、仙器化も使いこなしていた。
そして薬を扱うのが得意だった。
スイセンは里育ちでは無い。少なくとも俺たちのように気術を習ってはいないのだろう。
しかし、旧シスターと同じで薬を調合出来る。
先ほどの瞑想薬兼自白剤などは作り置きできない類の薬なので、間違いなく彼女自身で調合した筈だ。
つまり、二人の共通点は薬の調合ができるという事。
薬の調合ができるのがシスターの条件だとすれば、その目的は何だ。
薬と言われて思い出すのは先日のウルテク女が吸引していた麻薬だ。
あれは彼女自身が森で手に入れた物だと思うが、それ以外にも里では薬が使われていた。
自省部屋に閉じ込められた時の変な匂いだ。
おそらくこれも麻薬の一種だろう。前世の麻薬も種類によって現れる効果が細かく分かれていた。気分を高揚させる物、気分を抑制する物、幻覚を促す物。狙って幻覚を見せるくらいなら可能だ。
そう言った出来事を鑑みるに、シスターの目的は子供の教化にあるのだろう。
自然とスイセンが自身の名前を明かした理由が推測できる。
名前を明かしたスイセンに理由があったのではなく、名前を明かさなかった旧シスターの方に理由があったのだ。
旧シスターは『特殊訓練』の教鞭を執っていた。
つまり彼女は師範を兼任していたために名前を明かすことができなかったのだ。
おそらく『師範は名前を子供に教えてはいけない』などのルールがある。
そして、今日彼女と直に接することで彼女の秘密の一部を知ることができた。
彼女が見せる表情と、感情の色があまりにも一致し過ぎている。
大抵、人は感情の全てを表に出すことは無い。
普通は一部が隠れる物なのだ。全く一致しないことさえある。
この一致は、彼女が凄まじく素直であるか、表情に合わせて感情の色を合わせているか、の二択だと考えた。
前者ならば警戒する必要は無い。彼女は心から子供達を心配し慈しんでいることになるから。
だが、後者ならば彼女は純粋な人族では無く、俺と同じく花精族のハーフだろう。
俺は彼女に警戒されないように、自身の感情を制御して『安心』を彼女に見せる。
花精族にとっては感情の制御はそこまで難しい技術では無い。
自分の感情もまた感知することが出来るからだ。
「よーし……よし」
俺の後頭部を撫でながら、優しげな声を発する彼女が今どんな表情を浮かべているか、俺は想像が付かなかった。
◆◆◆◆
俺は次の日、疲弊しきった状態で食堂へと向かった。
精神は限界寸前であるものの、肉体に関しては気のお陰で殆ど修復が終わっていた。
骨折も一晩で治るとは、かなり化け物染みてきた。
俺の対面にトラが座る。
あの後しっかりと睡眠を取ったらしいトラは、瞳をギラつかせながら、スープを啜っている。
彼の瞳をよく見ると、以前は動物の虎と似たような琥珀色の瞳だったのが、赤みを帯びて深い色になっている。
躰篭によって瞳の色が変化したのか。鼠で試した時には、瞳の色への影響は見られなかったので、おそらく人間だから起きた反応だろうか。
子供達の一部もトラの変化に驚いているようで、チラチラと彼に視線を向ける。トラも向けられる視線に気付いて、鬱陶しそうにしている。
俺も、彼がどう変わったのか確かめるようにその全身に視線を巡らした。
◆◆◆◆
トラの変化を確かめる瞬間は直ぐに訪れた。
『戦闘訓練』の中でトラと竜人娘で組み手の相手となることが無く、今日は二人の戦いを見るのは無理かと思っていたら、順位を入れ替える模擬戦で二人はマッチした。
「今日こそ、オメェを引き摺り下ろしてやる!!!」
「やってみろ」
もしかするとコンジもトラの変化を見て、二人の力量の差を確かめたいと思ったのかもしれない。
気炎を揚げるトラに対して、竜人娘は余裕の姿勢を崩さない。
トラはナイフを構えると、前に飛び出した。
何度も直角に曲がりながら距離を詰める動きは、彼の髪の色も相まって雷が走るようだった。
「シッ、ハァッ」
ナイフと爪を生かした二連撃を彼女は躱し、凄まじく緩急を付けた拳と尻尾での攻撃でカウンターを狙う。
視界に彼女の眩い気による残像が焼きつく。
「ッ……」
これまでのトラであれば目の前の拳に気を取られて視界外からの尻尾の攻撃で足を掬われていた所だが、今日のトラは拳の攻撃を左手で受け止めながら、尻尾の攻撃をギリギリで躱す。
彼はどちらの攻撃も見てから避けた。
ただでさえ速かった反射速度が、手を付けられない程に強化されている。
彼女もその変化を感じ取ったようで、目を見開いた。
しかし、彼女も対応が早い。
速いなら、捕まえれば良いと判断した。
カウンターへの反撃にトラが伸ばした爪を避けると、肘を肩に担ぐ。
その時にミシ、と骨が軋んだ音がしてトラの表情が苦悶に歪んだ。
さらに尻尾で彼の足の付け根を持ち上げて、トラの体を縦に大きく回転させると、頭から地面に叩きつける。
「が……はっ」
地面に叩きつけると同時に顔面を蹴られた彼は、運動場の砂を巻き上げて転がり、最後には地面に大の字に倒れて気絶した。
「……」
息を吐きながら地面に深く構えを取る竜人娘。
そして、チラリと師範へと目を向ける。
「ふむ」
コンジが勝者の宣言をするまでも無く、竜人娘の勝利だった。
子供達は既に興味を失って、次の模擬戦へと目を向ける。
しかし、俺は彼女の顔から目を逸らせなかった。
「……」
違和感を覚えた彼女は自分の頬を親指で拭うと、指先に赤い血液が着いていた。
おそらくトラを投げる直前の攻撃を避けた時に、爪を掠めたのだろう。
彼女は流れた血を不思議そうに、親指と人差し指で擦った後、気絶しているトラへと視線を向ける。
そして、次に俺へと視線を向ける。どうやら俺がトラに対して何かしたという事は疑っていないらしい。
金色の瞳は俺たち二人を確かに敵と見定めていた。
ゾクリ、と鳥肌が立つ。
抱く感情は、恐怖と恍惚が半々。
俺は彼女の怒りを恐れて、俺は彼女に感情を向けられて悦びに悶えている。
「チッ」
勝ったにも関わらず、彼女が負けたのだと勘違いしそうなほどの苛立ちを見せて、その場を去っていった。
彼女にとって同年代の子供達に勝つことは当たり前の事なのだ。昨日までは圧勝でできていたのが、今日は僅かだが距離を詰められた。彼女が抱いているのは、距離を詰める事を許した自分への苛立ちだ。
トラはこの結果をどう思うだろうか。
また負けたと怒るだろうか。
しかし、指一本、さらにその爪の先とはいえ、確かに虎の爪は竜へと届いたのだ。
同時に、トラと同じ躰篭を俺が自分に施したとして、彼女に届くだろうか。
……いや、無理だ。
そう結論づけた。
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第51話『迫る』
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