第50話『造り改る』

「……」


 蜘蛛になったような気分で、木の枝の上から下を見下ろす。

 ひたすらに待ちに徹していると、周囲を警戒しながら人族の少年が現れた。


 俺は尻尾をアンカーにして逆さになり、少年の首に腕を引っ掛ける。


「ムグッ……ゥ」


 頸動脈を圧迫すれば数秒で意識は落ちる。

 俺は彼の腕からバンダナを奪った。



 今日は前にあったバンダナ訓練が再び行われたのだ。ルールも同じ。

 今回も俺は根回しをしてから参加していた。

 竜人娘を徹底的に避ける戦略も同じである。


 接敵するまで纏う気はゼロ。

 接敵してからも最小限の気を纏って対処する。


 隠密能力を最大限に活かして、必ず先手が取れるように立ち回る。



 俺の腕には既に二十を超えるバンダナが巻かれていた。

 このまま、フィールドを一周するように動くつもりだった。


 時折、足を止めて耳を済ませながら進んでいると、第三の目ピット器官が生物の体温を捉える。

 俺は木の幹の影に隠れて身を潜める。

 森での索敵で先手を取れる第三の目ピット器官だが、相手の種族によっては捉えきれないこともあるので、俺は五感や気も合わせて探知を行うようにしている。


 俺は歩いている人物を観察するように、静かに首動かしてそちらを覗くと、風精族の少女、ウェンが目に入った。


 その瞬間、俺が僅かに動いたことで掻き乱された空気を感知して、彼女が振り向いて、視線が合う。


 一息に仕留めるには、距離が遠い。

 俺は気を纏いながら、【瞬歩】で距離を詰める。


 彼女は探知を逃れるために、殆ど気を纏っていなかった。

 この訓練では力量に自身のない者は【抑気】を磨く傾向にある。俺の気の感知を彼女が逃れたのはこのためだろう。


 あと少しで俺の手が彼女に触れる、その直前に彼女は防御でも反撃でも無い選択をした。




「居たっ、お姉さま!!」


 彼女の狙いを察した俺は、彼女を叩き伏せてそのままバンダナを奪わずに、通り過ぎて逃げようとした。


 しかし、俺が足場にしようと飛びついた木が爆散した。


 俺は空中で体を丸めてから、うまくタイミングを見極めて着地する。


 爆心地には、小さなクレーターと、その中心に大きな尻尾が波打った。


「……よくやった」


 なるほど、チームにはチームで対抗する、ということか。

 竜人娘が妹派閥に接触したのは、この時のためだろう。


 気をゼロまで抑えられる俺を相手に、竜人娘の気に頼った探知方法は分が悪い。同様に俺にとって、気でも音でも温度でもなく、空気の流れで探知ができるウェンは相性が悪い相手だった。


「考えたな」


 感心したように俺が言えば、彼女の瞳は冷気を纏う。

 お前程度が上から言うなと思っていそうな雰囲気だ。


 端的に言って、現在の俺の状況は詰んでいる。あと俺に出来ることと言えば、出来るだけ彼女の機嫌を損ねないように負けることだろう。


 彼女に毒は効かないし、その力は化け物だ。

 俺に木を爆散させるだけの出力は無い。



「アッ…が」


 代わりに逃げに徹するために、地面に気を流そうとすれば、足を刈り取られて、片足を軸に横に回転して俺の腹部に踵を叩き込んだ。


 俺は10メートル近く地面を削って、止まる。


「……」


 彼女は身体を回転させた勢いで再び自然体へと戻ると俺を強く睨んだ。


「は……ぉ」


 登ってきた胃液を無理やり飲み込んで、彼女に相対する。

 木のナイフを逆手に小さく構えて、全力で気を纏った。


「すぅ」


 そうして、俺は彼女に向かって跳びだす……こと無くその身を反転させて逃げる。


「チッ」


 ダンッ、と地面が爆ぜる音ともに竜人娘が俺の数倍の速度で背中を追って来る。

 そんな彼女に対して、俺は後ろ手でナイフを投げつける。


 同時に、脇の木を軸にして反転しながら【迅気】を纏い、投げたナイフに追いつく速度で彼女を迎え撃つ。


 彼女はナイフの裏から現れた俺に、一瞬目を見開いて、攻撃的に笑った。




 ◆◆◆◆




 その日のバンダナ訓練は前回の半分の時間で終わった。

 つまり彼女は全てのバンダナを集めたと言う訳だ。


 それは、彼女が俺の策を破った事を意味する。

 恐らく彼女は妹派閥を俺に対する鳴子として配置した。彼女達を広く配置すれば俺以外の子供に遭遇してバンダナを奪われる確率は上がるが、彼女から隠れ切れる俺さえ仕留めれば、取られたバンダナは後で取り返せるという判断だろう。


 森から堂々と現れた彼女は、師範から三枚のコインを受け取った。


 横を見ると、脱落した者達が座り込んでいた。

 その内、最も早く脱落した数人は師範からの打擲を受けて医務室へと運ばれているので、既にここには居ない。


 俺よりも後に脱落したトラがコインを受け取る彼女に向ける視線には、殺意さえ感じる。


 今日は荒れそうだ。




 ◆◆◆◆




「またッ、負けた!このオレが!」


 再び彼の癇癪に対面する。

 ダンダンと壁を足で何度も蹴り付けながら怒りを発散する。


「なァ、オイ!誰が悪い?勝てるなんて嘘を言ったお前かァ!?それともクソ女に勝てないオレか!なぁ、言ってみろよ!!」

「君だよ」


 俺は端的に言った。


「あァ!!」

「今まで君の体に付与したものは、彼女も同じように付与してる。それも自分の手でね」


 現在トラに付与したのは彼の肉体を構成する筋肉の約半分。

 これでもかなり早いペースで躰篭化を進めている。自分の肉体だったら集中が切れて失敗するのが怖いので、一日一部位をきっちり守る上に調子が悪そうだったらしない、と安全マージンを最大限取る所だが、他人の体なので割と遠慮無く付与を行なっていた。

 そんな事情は彼には教えていない。


 一月の結果としてはこれ以上無い物だろう。


 悔しかったら自分で躰篭が出来るようになれば良い。……それはそれで俺は困るのだが。


「だから、次はもっと戦闘能力を上げる事が出来る部位に付与してみようか」

「……なら最初から、そこに付与しろよ」


 文句を言うトラだが、こちらも替えが用意出来ていないので、取らなくて良いリスクを避けたいと思っているのだ。

 先日見た躰篭を元に鼠で実験して、やっと成功の目処が立った所なのだ。初見でトラにやっていれば今頃彼は物言わぬ身体になっていた事だろう。


「耳と目と心臓。どれが良い?どの部位も成功させる自信はあるけど、心臓は失敗したら絶対に死ぬよ」

「ッ……」


 リスクの大きさは心臓が最も大きく耳が最も小さい。

 成功率は耳が最も高く、心臓が最も低い。

 心臓が構造の単純さの割に成功率が低いのは、より内側にある部位だからだ。眼球は複雑だが露出しているため、心臓よりは成功しやすい。

 戦闘能力の上昇度合いは、心臓と眼球がかなり大きく、耳はかなり小さいと俺は見積もっている。


 ちなみに成功には自信があるとは言ったが実際の確率で言うと9割位だ。失敗する確率は1割。

 自分に施すなら大きすぎるリスクだが、他人に施すなら許容できる程度だ。



 結局、彼が選択したのは、眼球。


 どういう強化が良いだろうかと思案したが、順当に反射速度を強化する方向に持っていった方が良いだろう。そっちの方が彼の長所を活かすことができるだろう。


 俺は丸く畳んだ手拭いを彼に差し出した。


「……んだよ」

「眼球の付与はかなり痛いからね」


 それこそ、筋肉の付与とは比にならないくらい痛い。

 どのくらい痛いか俺は経験した事が無いので側から見た結果としてしか語れないが、鼠で試した時には付与が成功したにも関わらず鼠が死んでいた、と言えば凄まじい痛みであることは察せる。


 ウルテク女が片目を犠牲にすることになったのは、この耐えがたい苦痛で集中が解けてしまったためだろうと思う。


 トラが手拭いを口に挟んだ所で、集中を始める。

 もちろん瞑想用の薬と、トラの気を抑えるための薬は服用済みである。


 今回は特に繊細な部位なので精度重視でゆっくりと付与を行う。


「速く、早く、はやく」


 言葉を出すことに意味は無いが、よりイメージが鮮明になる気がする。僅かでも成功率が上がるなら俺は遠慮無く取り入れる。


 気の注入を始める。


「ふ、ガア”ア”A”ア”あ”アぁ”ア”ア!!!」


 顔が破裂しそうなほど真っ赤に染めたトラは、耐えがたい痛みに体を跳ねさせる。


はやく、はやく」


 意図的にその悲鳴を聞き流しながら、さらに気を注入する。


「あづイアつイアヅイアヅイイィイイ!!!」


 暴れようとするトラの腕を、気を纏った両手で拘束する。

 彼自身は気を殆ど纏っていないにも関わらず、躰篭で強化された腕力は俺を跳ね除けようとしてくる。

 俺は彼の背後に回って足を回して彼の上半身を拘束し、彼の腕と首をまとめて拘束する。肩固めを背後からしているような形だ。


 そのままの体勢で躰篭化を続ける。


 動くなと言われても思わず暴れまわってしまう程の激痛だ。

 もしも彼が【抑気】を使えると言っていたら、薬無しで躰篭化に挑み、彼の抵抗によって失敗している所だっただろう。


 筋肉への躰篭は歯を食いしばって耐え切ったトラでもこうなるということは、俺が予想していたよりも痛みは大きいのだ。


 俺は不安を集中で捻じ伏せながら作業を続ける。



「あ”あア”ア” あ”ぁ!”ア” アア” ア!!!!」




 ◆◆◆◆




 右目に続けて左目の付与を終えた時には、トラは痛みによって疲弊しきっていた。

 あと五分でも躰篭化の作業が長引けば、その痛みによって彼は死んでいたかもしれない。かなり疲弊しているが、外傷は無いので放っておけば回復するだろう。


 俺の時はできるだけ早く終わらせようと決意した。


 そして、彼に躰篭化を施した俺も彼と同じ位、瀕死だった。

 むしろ外傷ならば俺の方が深い。


 気を纏っていたとは言え、彼の抵抗の全てを受け止めながら躰篭化を続けたせいで、かなりの傷を負っている。


 特を彼に何十と肘打ちを受けた脇腹は骨が折れている。


 こんなことならば片目で付与を終えておけば良かった。思わずそう後悔する程だった。


つッ」


 呼吸するだけで、ズキズキと痛む。

 俺は壁に寄り掛かりながら部屋を出て医務室へと向かう。


 躰篭化の間もかなり厚めに気を纏っていたせいで、気による強化もロクに出来ない。

 壁に肩を擦りながら、ズルリと滑り落ちる。


「大丈夫ですか!?」


 驚いたような声が背後から聞こえるが、俺は振り返る体力さえも惜しかった。

 伝わるか分からないほど小さく頷いた。


「訓練でも無いのにこんなにボロボロに……」


 悲痛そうな女の声が聞こえた後、俺の体は優しく抱き上げられ、柔らかい感触に包まれた。


 そうして、どこかに連れて行かれる。

 方向からして医務室へと向かっているのが分かった。


「ふっ、ほっ、はぅっ」


 俺を横抱きにしたまま、駆け足で彼女は走る。

 振動で体が痛んだ。


 俺を持ち上げるとは、随分と力があるなと思ったが、そういえば俺の体はまだ子供だった。

 気術の使えない大人であっても、持ち上げるだけなら出来るか。


 体力の限界を迎えた俺は、新シスター、スイレンの腕の中で気絶した。




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