第49話『闇覗く』
「それじゃあ、まずは腕を出して」
躰篭化について説明をした後、早速実践に移った。既に躰篭化を他者に施すことが可能である事は小動物で検証している。
トラがずいと差し出した右手を掴む。
まず対象にするのは前腕の筋肉の一つ。
『特殊訓練』でしっかりと観察したので皮膚が覆っている状態でも筋肉の位置が手に取るようにわかる。
物体への仙器化は、対象が複雑である程難易度が上がる。
つまり肉体への仙器化はかなり高度なものだ。にも関わらず俺がこれまで失敗する事が少なかったのは、それが自分の体だったからだ。
自分の身体だから、それがどのように動くか、付与によってそれがどのように変化するか、それが鮮明にイメージできる。
他人の身体では、その下駄が存在しない状態で付与に挑むこととなる。
医者が触診をするように手首を軽く捻ってそのしなやかさを把握する。
「……」
トラはじっと俺の行動を観察している。
付与の過程でかなりの痛みに襲われる事は説明したが、その時は動揺しているように見えなかった。
今は……表情は取り繕っているが、感情の色には僅かな恐怖が混じっている。
俺は、集中を高める睡死草によるドーピングを加えて、静かに気を高める。
「じゃあ、今から始めるから。もっと気を抑えることは出来る?」
気同士は反発する性質がある。
付与の過程では対象の部位に気を送り込むのだが、その際に支障が出る。
「……いや、出来ねえ」
どうやら、これでも彼は【抑気】を行使しているつもりらしい。竜人娘と同じく彼もこの技術を苦手としているようだ。
俺は籠に入っていた中で、ある一株の植物を取り出して彼に渡す。
「気を抑える効果がある植物だよ。後で頭痛が来るけど、死にはしないよ」
「……」
少なくとも俺は死んでいない。
俺に圧倒的な気の量があればトラの気を押し除けて無理矢理付与を施す事も出来ただろうが、その場合は気の反発によってトラが無事では済まなくなるだろう。
毒草の効果が出てきたところで再び彼の腕を掴み、集中を高める。
「よし、じゃあ始めるよ」
瞼を閉じて気の注入を始めようとしたところで……。
「なぁ」
「……何?」
出鼻を挫かれて少し低い声が出た。
「どれくらい掛かるんだ」
「さっき説明したけど、食事よりも少し長い位だよ」
「そうかよ」
「うん。もう質問は無いよね?」
もし、彼が話しかけたのが注入を始めた後なら彼の腕はしばらく使えなくなる所だった。
念を押すように問いかける。
「あぁ、さっさと始めろ」
「分かったよ」
お前が止めたんだろと思いながら、俺は笑顔を取り繕い直して、瞼を閉じた。
強く、より強く在れ——
◆◆◆◆
数日を掛けて主要な筋肉に躰篭を施されたトラはこれまでよりも磨きがかかった速度と力によって他者を圧倒した。
下位の子供達を蹂躙する様子は前と変わらないので参考にならないが、俺が実際に手合わせした感想だと、圧倒的に強くなっているのが実感できた。
以前とは違って今のトラを相手にすれば、時間稼ぎすら許されないだろう。
それ程に彼の力は強化されていた。
では本題の竜人娘との戦いはどうだったのかというと……惨敗だった。
指一本触れる事さえ出来なかった。
考えてみれば当たり前なのだ。
彼女もまた筋肉の躰篭化を施している。
二者が同じ距離だけ前に進めば、その差は縮まることは無い。単純な算数だ。
彼は強くなった筈の自分が負けた事に驚いてしまったようだが、この結果は読めていた。
「ァ”ア”!くそがっ!」
「……」
目の前でトラが悪態を吐き捨てる様子を、俺はじっと見つめていた。
この日は俺と竜人娘の部屋ではなく、トラの部屋にやって来ていた。
力任せに振り下ろした拳によって石畳の表面に罅が入る。
「おいっ、ネチネチ!次だ、早く俺を強くしろ」
「薬が無くなってしまったから、今日は無理だよ」
無くなったのは彼の気を抑えるための薬だ。
あれが無いと余計に気を消耗するし、失敗の確率も上がる。
「チッ……ハァ、ならお前に用は無えよ。出ていけ」
「分かったよ」
俺は彼の要求に素直に応じた。
どの道、今日はこれを伝える為だけに彼の部屋を訪れたのだから。
「うん……うん」
俺は一人小さく頷きながら、上がりそうな口角を掌で隠す。
そうして俺は中央塔の頂上へと向かった。
仙器化した木の枝をピッケルの代わりに使って登ると、先客の姿があった。
「ふふ、蛇くんじゃないかー?ボクに会いたくなっちゃった?もしかしてまたシッポを撫でて貰いに……」
「来てない」
宙を艶めかしく撫で回しながら出迎えるウルテク女の言葉を切り捨てると、俺は頂上へと足を掛けた。
彼女は頂上の縁に腰掛けた俺を横目で見てヘニョとリラックスしたように笑う。今の彼女からは安らぎの色だけが見える。
「ここには他に人は来ないのかな?」
「そうだねー。殆どの子はここしか知らないからね」
彼女は、両腕を広げて頂上へと寝転がった。
「すぅ……はぁ……フフ。……知ってる?外の子は【放気】も知らないんだよー」
この里では初めに習う基本の気術だ。
空を見上げる彼女に悲壮感は無い。子供が初めて知った新しい知識を共有するように、そう呟いた。
「ビックリするほど弱いんだよー、ふふ。……一人じゃ生きられないくらい弱いから、何人も何十人も集まって一緒に暮らすんだよ?」
「……」
「弱くても生きていけるんだよ」
おもしろいよねー、と野生動物の生態について思いを馳せるような表情の彼女は、何処までも他人事だった。
「良いよね、ほんとに」
彼女から立ち上る平穏の色は貼り付けたように揺らがない。
彼女の言葉は羨ましそうなものだったが、俺にはそう見えなかった。
「……そんなになるまで、力を求めているのに?」
そう問いかけると、俺は彼女の左の瞳に向かって指を伸ばした。彼女は避ける素振りも無く、眼球の表面に指先が触れた。
「ふふ、分かるー?」
生身の物とは違う、硬質な手応え。義眼だった。
前に会った時、彼女の顔に違和感を覚えていたのは、焦点が合っていなかったからだ。
こうやって間近に見て確信した。
彼女は自身の肉体のほぼ全てを躰篭に置き換えている。
毛も爪も皮も筋肉も、その内側の骨にも。
極め付けは、その眼球まで。
片目を失ったのは付与に失敗したときの代償だろう。
「ふふふ」
俺がまだ施した事のない耳や目の躰篭を観察していると、少女は笑った。
「なんで、そんなに強くなりたいのか、ボクに教えて欲しいなー」
「君と同じだよ。誰よりも強くなれば、誰にも殺される事は無い」
どうせ彼女も死にたくないから躰篭に手を出したんだろう。
「ふふ、蛇くんはかわいいねー」
「?」
「どれだけ強くなっても、ボクたちは外には出られないんだよ」
「?……どういう意みっ……」
問い掛けようとして、寝転がる彼女の上へと手首を引っ張られて、覆い被さる体勢になる。
「ねー?ボクの首、絞めて欲しいなー」
「……何で?」
思わず反応が遅れた。
「首をね、ゆっくり絞めると頭がクラクラするんだよー。知ってた?そうすると、何も考えられなくなるんだよ?」
彼女の纏う感情に、黒い色が滲み出した。
「……多分死ぬ時もきっとこんな感じだよ。眠るみたいにゆっくり力が抜けて、フワフワ気持ちが良いんだよ」
彼女の暗い瞳に少年が映っていた。
その少年は無感情にこちらを見つめている。
俺は彼女と視線を合わせたまま、懐の針を取り出して、彼女の瞳へと振り下ろす。
「シッ……!?」
彼女は身動ぎしてできた空間を利用して首だけの動きで針を避けた。
今度は腕だけの力で俺を跳ね上げると、ぐるりと身体を入れ替える。
いつの間にか奪われた針が俺の喉元に添えられていた。先程までのだらしのない笑みは消えていた。
「……フワフワ気持ちが良いんじゃなかった?」
やはり、彼女は何だかんだと死ぬのが怖いのだ。
だから醜く生にしがみ付いている。
「はぁ……もう」
拗ねるように言った彼女は、針を捨てると俺に対する拘束を解いて立ち上がった。
彼女の身体からは重い着物のように澱んだ感情が漏れ出していた。
「蛇くんはイジワルだね。隠してるボクの気持ち、無理矢理穿り出すんだもん」
彼女は半目で俺を睨んでいた。
そのまま懐から小さな金属の筒を取り出すと、蓋を開けて、中にあった粉末を手の甲の上に溢す。
彼女はもう片方の手に中央が空洞となっている茎を持つと、それを鼻で吸い込む。
「スゥーー……はぁーー」
鼻腔で接種した粉末は暫くすると効果を発揮して、彼女の周りを渦巻いていた澱んだ黒色は、幸福感に塗りつぶされて真っ白になる。
幸福に浸る彼女の瞳は、さらに濁って見えた。
目的だった彼女の躰篭を確認し終えた俺は、そんな彼女を横目に塔の頂上から去っていく。
「あは」
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第49話『闇覗く』
よく【薬で】笑う女の子って可愛いよね。
はい、というわけで新しいヒロイン擬きが来ました。
薬中メンヘラ女子、ウルテク女ちゃんです。いつも(薬で)笑っているかわいい女の子です。
この話を書いている時、お薬の事を色々調べてたんですけど……『阿片 精製』とか『麻薬 アッパー系』とか、色々と言い訳出来ない履歴が残ってしまった。
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