第48話『唆す』

 寮の中央塔の屋上で会った人族の少女、ウルテク女から聞き出した情報では、里の外に出るチャンスは不定期に訪れるようだ。


 まだ、教育を終えていない子供を必要とする理由は単純だった。外での仕事で技術は伴っていなくとも子供であることの方が都合が良い状況が存在するらしく、その時に彼女が使われたらしい。


 確かに、潜入任務などは大人よりも子供の方が警戒されることが少ないかもしれない。

 彼女はそう語ったが、大人達は子供達に経験を積ませる意図があったように思える。

 潜入の難易度を考えても経験ある大人の方が成功率は高い。むしろ、失敗すればより警戒されて任務の難易度は高くなる。

 だから、そもそも大人にとっては難しくない任務を選んだのでは無いかと俺は推測した。


 もちろん、子供であれば任務に選ばれる、という訳ではなく、ある程度の実力がある者が対象となる。彼女の言動は受け入れがたいものだったが、節々に見せた気術の精度はかなり高かった。今の順位を保てれば、いつかは呼ばれるだろうか。


 ちなみに、彼女が請け負った任務の内容は、予想通り特定の人物の暗殺だった。

 しかし、彼女はその任務について、なぜその人物が殺されたのか、誰がその人物の殺害を決めたのか、何も知らなかった。


 俺達はここでは所詮、鉄砲玉の類だ。

 里の人間はあくまで俺達を目的のための道具として育てようとしている。食事を与えるのも、教育を施すのもその目的のための過程に過ぎない。農家が野菜に水を与えるのと変わりは無い。


 俺を救うものは自分以外に居ないと改めて思い知る。


 肝心の里の外についての情報を彼女に聞きそびれたので、今度会った時に聞いておくか。



「……チッ」


 そんな事を考えながら自身の体から汚れを拭い取っていると、背後から彼女の舌打ちが聞こえた。


 加えて、ガリガリと引っ掻くような音がした。

 続けて床に重々しい何かを擦るような、ズリ…ズリ…という音。


 もうそんな時期か。

 一年ぶりの脱皮だ。


 人の欠伸を見て欠伸をしてしまうように、彼女の脱皮が始まっているのを知って、呼応して俺も自分の尻尾に痒みを感じ始めた。


 俺は脱皮を手伝おう背後を振り返って、視界に肌色が現れたところで、身を清めている最中だった事に気づいた。

 直ぐに視線を逸らしたが、彼女の背中をしっかりと見てしまった。

 脇腹のところに首と同じように小さな鱗が並んでいるのも、彼女の太い尻尾の付け根の細部も見えていた。



「……はぁ」


 俺が彼女の背中を見たのに気づき、小さく溜息を吐いた彼女が背後で貫頭衣に頭を通した後、俺の背中へ向かって手拭いが投げつけられる。


「手つだえ。そしたら許してやる」



 俺達は互いに尻尾を預けて、脱皮の手伝いを始めた。

 手順はこれまでと同じく、水で湿らせて皮をふやけさせ、柔らかくなった所で取り除く。


 から俺へとなってから、今回で脱皮の手伝いは三度目、手慣れた物だ。


 前回の脱皮の時には、俺の尻尾の鱗は既に仙器化を施した後だったのだが、脱皮では鱗の躰篭化は解けない事が分かった。

 逆に取り除いた皮の方は仙器としての性質は無くなっていた。

 厳密には剥がした直後には仙器としての性質を纏ったままだったのに、数日が経つと唯の鱗へと戻ったのだ。


 もしかすると、躰篭と仙器には付与されるのが生きた肉体かそうでないか、という事以外にも違いがあるのかもしれない。


 ずっしりと重たい彼女の尻尾が俺の膝の上に乗る。

 俺の倍はありそうな太さの尻尾から端が浮いた鱗の表面を丁寧に剥がす。


 一方の彼女も手慣れたもので、長い靴下を脱がすように、皮を破る事なく一息に尻尾から皮を脱がしていく。

 表面を覆った皮が無くなったことで敏感になった皮は、彼女の指先の冷たさを鮮明に伝えてくる。


「ひぅっ……」


 氷で首に触れた時のように、思わず声が漏れた。


 後は取り除き損なった鱗を一枚一枚剥がされる。


「ひ……ぁ」


 再び声が漏れるが、今度は冷たさによるものでは無い。

 彼女の爪で、尻尾の側面を優しく引っ掻かれると、脊椎を撫で回されたようにくすぐったくて堪らないのだ。今すぐ走って逃げ出したいような、もっと撫で回されたいような感覚に耐えなっがら作業を続ける。


 俺の方でも、大きな鱗の脱皮は終えて、たてがみに絡まった小さな皮の破片を取り除き終わる。


「ッ……ッ………ん……ぅ」


 その後は手拭いで全体を優しく拭き取りながら取りこぼしが無いか確かめる。取りこぼしが見つかれば指先の摩擦を使って擦り落とした。

 そうして触れる度に彼女の太い尻尾の奥にある筋肉からノイズを感じ取る。どうやら内部の躰篭化にも彼女は着手しているようだ。


 全ての作業が終われば、膝の上には湿った光沢を見せる銀色の尻尾が乗っていた。栄養状態が改善されたことで、彼女自身もその尻尾もより成長していた。おかげでそこから得られる仙器化の素材である鱗は前よりも大振りだった。


 俺は落ちた鱗の中から大きいものを十数枚取り出して、俺の籠の中に入れる。残った皮は捨てることになる。

 本当は全て残しておきたいのだが、あまり多く置いておくと彼女は不機嫌になるのだ。

 確かに、他人が自分の爪を集めている様子を想像すると、気味が悪くて仕方が無いだろう。

 しかし、気に関わる効果を付与しやすい素材は彼女から落ちる鱗以外にはほぼ無い。


「……」


 鱗を保存する俺に対して、彼女の物言いたげな視線が向けられているのに気づかないフリをして布団に横になった。




 ◆◆◆◆




 寮へと移ってから一ヶ月が経った頃。

 その日、竜人娘が珍しく別の部屋で寝ることを伝えられた……ウェンから。

 間違いなく、今竜人娘はウェン達妹派閥に囲まれているのだろう。

 きっと今も彼女達にいかがわしい視線を向けられているに違いない。

 一つ言えることは、彼女が妹派閥に騙されて連れて行かれた訳では無いということだ。

 彼女は他人の思い通りになる事を嫌うし、不快であれば容赦無く否を突きつける性格だ。


 間違い無く彼女自身に何らかの考えがあってのことだろう。

 自称妹達の目は血走っているだろうが彼女ならば切り抜けられる。


 俺は自慢げな羽無し羽虫女を追い返して、代わりにある人物を部屋へと呼び込んだ。


 広くなった部屋を再び狭くしたのは、手足に虎柄の体毛を有する少年、トラだった。


「……オレに何の用だ。ネチネチ」


 近頃は派閥に関わらず、一人で居る姿をよく見かけるようになった彼だが、その間も鍛錬は欠かさなかったようで、俺と彼の間の差はそれほど縮まっていない。

 一度負けたことで、彼はより勝利を求め、貪欲になった。

 それは自身の強さを過信していた以前の彼には無かったものだろう。俺はそんな彼を見たからこそ、この提案をしようと考えた。


「うん。君に『お願い』をしようと思って」


 これから俺は、俺と彼の差を縮めるのではなく、逆に広げるように働きかけようとしている。

 俺が持つ権利はあくまで『お願い』だ。それを受け入れるのも拒否するのも、彼の意思次第である事を強調する。


「……何だ」


 トラは顎を引いて油断なく俺を見据えている。

 もう彼は俺を見縊ってはくれなくなってしまった。同じ手段は二度と使えないだろう。


 毒、という一回きりの手札を切ってまで彼に勝ったのは派閥関係を解決したいという意図もあったが、今思うとこの瞬間のためにあったのかもしれない。


「トラは、最近熱心に竜人娘アレに挑んでいるみたいだね?」

「……?それが、お前に関係あるか」


 モンクには、優れた気術がある。


 トラには、並外れた身体能力がある。


 竜人娘はその他を圧倒する気の量がある。


 ならば俺には何がある?

 気の量は並よりは上、だが圧倒的では無い。

 身体能力は躰篭と技術で補って辛うじて上位を保てる。

 気術はモンクにボロボロにされてやっと身に付く。


 前世の記憶があっても三人には劣る。

 むしろ発想の柔軟さや負けん気に関しては前世の記憶が足を引っ張っている。

 俺が持っていて彼らが持っていない物など、大人の卑怯さぐらいだろう。


 だから、卑屈なくらい下に突き抜ける。

 人間の汚さなら嫌というほど知っている。



「俺が君を強くしよう。竜人娘アレに勝てるくらい強く、ね?」

「はっ!お前なんかに……」


「出来ない、とは言わせないよ。だって、俺は勝っただろう?……二位竜人一位に。確かに方法は卑怯だった。でも君には出来なかっただろう?」

「……」


 こんなものは方便だ。

 トラに勝ったのは騙し打ちだし、彼女に対する勝利もルールの穴を突いた戦略だ。

 しかし、トラは自分が勝てると確信した勝負で勝てなかったのは事実だ。それを自覚させる。


「俺には正面から竜人娘一位に勝つ手段があるんだ。しかし実現するには君の才能がいる。


「……俺には想像できるよ、君がその爪で彼女の鱗を破る瞬間が」


「戦いに勝利した君が拳を突き上げる光景が」


 俺は吟遊詩人になったつもりで、歌うように理想の情景を述べる。


 彼もそれを想像してしまったのだろう。

 一瞬、瞳が揺れるのが分かった。

 俺に対する嫌悪の色が少し薄まったのが見える。

 俺は彼の興奮を煽るように、声のトーンを上げていく。


「この方法は、あくまで君が主体だ。俺はあくまで君が強くなるための手段に過ぎない。だからっ、君が選択するんだ!進むか、退くか…………もう一度聞こう」

「……ッ」


 言葉を尽くせば、理性は説き伏せられるが、心からは遠くなる。

 だからこそ、結論の言葉は端的にしなければならない。


「トラ」


 俺はまず、手を彼へと差し出した。

 指先にまで彼の視線が集中しているのが分かる。

 

 痛いくらいの静寂の中で、彼に問いを投げた。



「力が、欲しいか?」



 それを聞いた瞬間、彼の感情は赤くなったり青くなったりと頻繁に色を変えた。

 俺はその状態を懊悩と呼ぶ事を知っている。


 後は背中を押すだけ。


 俺は差し出した手を指一本分だけ下げて見せることで、この取引に時間制限がある事を意識させる。

 俺の指の動きにピクリと反応した彼は、停止しかけた思考を必死に回して、少し俯いた後、結局俺の手を取った。


「分かった。……お前と組む」

「うん、よろしく」


 俺は笑顔で彼の手を握りしめた。


 『組む』、とはまるで俺とトラが対等であるかのような言い回しだ。

 俺はお前の体で躰篭を試すだけだ。

 自身の身体で試すにはリスクの大きな部位に対して、な。

 お前は練習台サンドバッグであり、実験台モルモットに過ぎない。


 その役割はトラ、

 頑丈で、愚かなお前にしか。




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