第45話『数える』

「フッ」

「……ぁがっ」


 森の中を走り回っていた少年の背後から、猫人族の少女が彼の頭部をナイフで叩きつける。

 上半身から地面に転がった少年は、目を回して気絶し、少女は少年が腕に巻いているバンダナを剥ぎ取った。


 その瞬間、背後から伸びた腕が彼女の首に巻きついた。


「っ……ぅにゃ、ぁ…」

「よし」


 首の血管を強く締め上げたことで彼女の意識は直ぐに落ちた。


 バンダナを奪う瞬間の隙を突いて、鬼人族の少年、オグがさらに奇襲をかけて漁夫の利を取ったのだ。


 それを木の幹の影に隠れながら、俺は覗いていた。

 バトルロイヤルの形式でバンダナを奪い合うこの訓練は、残り一人になるか、最後にバンダナを多く持っている者が優等として扱われる。

 つまり、序盤に少し多くバンダナをとって後は隠れ続ける、というのも戦略としてはアリだ。

 ただし、森には多くの〈獣〉が居ることも考慮する必要がある。


 俺は気をゼロの状態まで抑え、バンダナを奪っているオグではなく、その周囲へと意識を集中させる。これは自分が仕留めた後に漁夫の利を許さないためだ。


 時折大きな気の上昇が感じられるのは、戦闘が行われているからだろう。

 そうでなくとも、完全に気を抑える技術を持つ者は多くない。


 周囲の介入が無いことを確かめた俺は、一歩を踏み出そうとして、急速に飛来する存在を感知する。


「お、ガ、ぁ」

「……」


 顔面を近くの木の幹に叩き付けられて気絶したオグからバンダナを毟り取る竜人娘。そして、直ぐにその場を跳んで去っていく。


 額から少年が血を流す様子は、間違いなく殺人現場だ。


 この類の、一人の勝ちができる訓練は大抵竜人娘が一人勝ちして終わることが多い。

 しかし、このまま素直に彼女に勝たせ続けることは、俺にとって都合が良くない。


 トラを制した俺だが、それが実力によるものでは無いとトラの派閥の者達は気づいている。トラは思うところがあるのか、表立って俺に攻撃を加えて来ることは無いが、歴然として師範の張り出す順位の中でトラは2位だし俺は4位のままだ。

 俺がトラに部分的でも勝る存在であることを証明する必要があった。


 俺が試金石に使うことにしたのは、この訓練だった。

 この訓練ならば、戦略次第で俺の土俵に彼女を引き摺り込める、と考えた。


 彼女の行動を観察していると分かるが、おそらく気の探知は彼女に取っては聴覚以上に状況把握に使われている。

 現に今も、最も近い気の方向へ彼女は向かって行った。

 逆に言うと、完全に気を絶てば彼女がこちらを捉える確率は格段に減る。


「っ……ネチね…ぁぐ」


 偶然遭遇したウェンの意識を刈り取ってバンダナを手早く奪い取る。

 戦闘の際に気が漏れたので、直ぐに竜人娘がここに来てしまう。


 俺は素の身体能力だけを使って、直ぐにその場から離れる。

 幸いにも、竜人娘に見つかることは無くやり過ごした。


 それからも数時間の間、俺は竜人娘の目を潜り抜け続ける。

 時には土に半身を潜らせ、時には蝙蝠のように枝にぶら下がり、息を潜めた。



 日が傾いたところで、大きな金の音が鳴り、訓練の終了を告げる。


 森から出たところには既に脱落者が座っていた。

 バンダナを取られたものは意識が戻り次第、こうして森から出ていたのだ。

 そして、鐘の後に森から出てきたのは俺と竜人娘の二人だけだった。


「……」


 竜人娘は一度こちらに視線を向けた後、師範コンジの前の箱に毟り取ったバンダナを入れる。

 その数は30以上。不思議なことに彼女にしては数が少なかった。

 師範はその手に握った優等のコインを一枚彼女へと渡した。


 続いて、俺が腕に巻いたバンダナを返す。


「……今回の優等はお前だ」


 あまり褒められた手段では無いものの、勝ちは勝ちであると彼は認めたらしい。

 40を越えるバンダナを返した俺は、師範から二枚のコインを受け取る。


 バンダナを奪われた子供達は驚きの目を向けてくる。

 当然だろう。俺が直接奪ったバンダナはウェンのものだけなのだから。



 俺が手に入れたバンダナの殆どはトラの派閥が奪った物で、俺は彼らからバンダナを受け取りながら逃げ回っていただけだ。


 そもそも、逃げ切るだけならできる自信があった。

 しかし、それではバンダナの数が足りず勝つことは出来ない。


 ならば、隠れながら竜人娘以外を奇襲してバンダナを集めるのはどうか。

 この方法だと奇襲の際に気が漏れ、それを補足した竜人娘に襲撃される。


 だから、戦闘をせずにバンダナを手に入れる方法を選んだ。


 トラ派閥の子供に対して、戦闘を適度にこなしながら、俺と遭遇したらバンダナを渡すように根回しをしておいた。


 方法はグレーだが俺はトラ派閥の者に、竜人娘は絶対勝者では無いという希望を見せることにした。

 俺に従えば、竜人娘にも勝てるということを証明した。

 子供達から喜びの色が立ち上っているのが見えた。


 プライドが傷付いただろう彼女へと目を向ける。


「……」


 竜人娘が握るコインが彼女の握力で歪んだ。




 ◆◆◆◆




 俺は部屋の中で、森で拾った竹モドキを削っていた。

 加工に使うのは『切断』の仙器化を施した木製のナイフだ。


 これがあることで木の加工はスムーズに進むようになった。


 早速籠を作り直した俺はその中に訓練の途中で拾った木の実を放り込んでいた。

 仕上げに進んでいた俺は、これまでの新シスターの行動を振り返る。


 彼女が来てから一週間ほど。

 その短い期間で分かる程に彼女の行動は異質だった。


 まず、そもそも名前を名乗った事だ。

 俺達は師範の名前を知らされていない。

 旧シスターの不注意により俺はコンジだけ名前を知っているが、子供に知られてはいけないものだと思っていたし、旧シスターもそんな態度を取っていた。

 新シスター、ではなく彼女自身が特別なのだろうか。


 そして、彼女は時折子供達の部屋で寝る。

 その時に何をしたかは知らないが、これによって、彼女は子供達との距離感を急速に縮めた。幸いにも、彼女がこの部屋を訪れたことは未だ無い。


 それ以来、廊下では彼女と子供たちが談笑している様子が時折見られるようになった。

 子供たちも彼女が身体能力も技も磨いていない、力を持たない存在であると察しているのだ。

 そして警戒に値しないからこそ、心も無警戒になる。


 師範は力で押さえつけ、新シスターは弱さで心を開かせてくる。

 よくできた飴と鞭だと思った。


 今のところ人族派閥にだけ接触する様子は見られない。

 彼女は旧シスターとは違う思想を持った人物なのか、そうでないのか見極めるにはまだ時間が必要そうだ。



「おい、ヘビモドキ」

「どうした」


 今にも爆発しそうな圧力をこちらに向けてくる彼女に、俺は少し気圧されながら応じる。


「なにをした?」

「んー……何をしたと思う?」


 彼女は僅かに俯く。

 どうやって俺が彼女の目を掻い潜ってあの数のバンダナを手に入れたのか、彼女も疑問に思っているのだろう。何らかのカラクリが存在している事には気付いているようだ。


「……バンダナをもって来させたのか?」

「あぁ、その通りだ」


 俺は口角を上げる。

 やはり、直ぐに分かったか。

 彼女の答えを肯定する。答えが分かったところで、この手段は誰にでもできるものでは無い。竜人娘の探知を逃れる隠密能力を持っていることが前提となるからだ。


「ふぅ」


 削りカスを吐息で飛ばす。


 手元で削っていた竹モドキが櫛の形を成す。前よりも良い出来だ。

 仕上げに耐久強化の仙器化を施したところで、彼女に向かって櫛を見せる。

 すると彼女は自分の尻尾を俺の膝の上に置いた。

 尻尾の背中側には馬のたてがみのように毛が伸びている。


 尻尾の先がクイクイと持ち上がり、手入れを催促してくる。

 俺は促されるままに櫛を入れた。


 たてがみは彼女自身の髪よりも少しだけ感触が硬かった。

 従っておいてなんだが、髪ではなく尻尾に櫛を入れることでどんなメリットがあるかはよくわかっていない。


「……」


 俺は尻尾を梳りながら、彼女の頭部に目を向ける。

 赤みがかった角が、両側頭部から後ろ向きに伸びている。


 動物の角は元が骨だったり牙だったり、はたまた毛だったりするらしいが彼女の角はどれが由来なのだろうか、などと失礼なことを考えていると、背中を向けていた彼女が視線だけをこちらに向ける。


「……」


 何かを問いかけるような彼女の態度を不思議に思いながら尻尾に触れていると、違和感のあるノイズを指先に感じる。

 ああ、なるほど。


「鱗を躰篭にしたのか」

「そうだ」



「手を加えたのは……鱗だけか。筋肉には何もしないのか?」

「ん……まだ、しない」


 尻尾の表面をなぞりながら問いかける。

 彼女も俺と同じく一枚一枚を躰篭へと変化させているようで、時折躰篭となっていない鱗が混じっているのが分かる。

 おそらく、その途中なのだろう。


 それに、彼女は喉の躰篭化の際に何度か失敗していたため、仙器化の精度が上がるのを待つ、といった理由もあるかもしれない。

 時折一言も発さずに過ごしている日があると思っていたが、それは喉を修復している途中だったのだろう。


 一方の俺は既に殆どの筋肉を躰篭へと変えていた。

 残っているのは表情筋だったりの細かい筋肉ばかりだ。


 表情筋の筋力を上げても笑顔が綺麗になるだけであまり意味はないだろう。

 俺は次にどこの躰篭化に着手するか考え込む。

 順当に考えるならば、骨、辺りだろうか。

 しかし、筋肉や鱗と違って躰篭化に失敗した時、骨は修復しないだろうと思われる。

 里の医療技術はあくまで延命を重視したものだ。骨の欠損を治すには至らない。


 背中を向けていた彼女が、再びこちらを振り返った。


「ヘビモドキ」

「ん?」


「次は勝つ。かくごしろ」


 俺は、『あぁ』だか『うん』だか分からない曖昧な言葉を返した。


 彼女は敗北を飲み込んで成長しようとしている。

 身体能力で劣り、気の量で劣り、遂には成長速度で劣ってしまったならば俺は彼女の影を踏むことすら許されなくなる。


 彼女を超えるために俺が手放せるものを、改めて考え直した。




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第45話『数える』

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