第44話『移る』
トラの派閥に大きな亀裂を入れてから約一ヶ月、『洗礼』の日から約二年が経った。
いつも通り『戦闘訓練』に出て行ったところで、蛇人族の師範が現れて、俺達へこう言った。
「これまでよく頑張ったね。今日から君たちは正式に第452期の使徒候補となる。訓練の内容はそれほど変わらないけど、これからは別の集団と一緒に生活をしてもらうよ」
そう言って、師範は俺達を案内しながら、新しい区画についての説明を始める。
「これから君たちが夜を過ごす区画は、四階まで使えるようになっていてね。そのうちの20部屋が君たちに割り振られる部屋の数だよ。どう使うかは君たちで決めて良い」
「そして、共同で生活を送るのは、君たちの上24期分の使徒候補。一番上だと……そうだね、大体六年は君たちよりも年が上だ」
使徒というものに俺達を育てようとしているのは分かったが、それ以外にもいくつか興味深い情報が出てきた。
『一番上とは六年分の差がある』
つまり、前世における小学校にあたる期間をここで過ごすことになるのだろう。
おそらく1期が子供達の一つの集団だろう。そして24期で六年分ということは四期で一年、1期ごとに三ヶ月ほどの年齢差がある計算だ。
そして、俺達は452期。
単純計算でも100年以上前から、この里は存在していることになる。
思った以上にここが大きな組織である可能性が出てきた。
そして、師範が言う通り集団生活を送らせるなら、俺達は将来、個人だけではなく集団で運用される可能性がある、ということだ。
ここまで立ち寄ることの無かった渡り廊下を抜けると、その先にこれまでよりも大きな区画が見えた。
円の形に広がった空間の中心に放射線状に六つの棟が伸びている。
上から見ると、丁度
中心の塔へと入ると、中身が広間となっていることに気づいた。
さらにその中心には螺旋階段が走っていて、上の階へ自由に行き来できるようになっている。
そこには忙しく行き来する子供達の姿が見えた。
どうやら彼らも引っ越しをしているようだった。
効率だけを考えるならば、年齢が一番上でここから出る子供達の部屋に、新しく来た俺達が入れば他の子供達の移動は必要無い。
しかし、わざわざ部屋の移動をさせているのは、おそらく私物を処分するためだろう。
俺達は一階の右手前の扉から、棟への中へと入った。
「今日からここが君たちが休養を取る場所だよ。……あぁ、それと今日、君たちの新しいシスターが来る。楽しみにしておくと良い」
そう言って、蛇人族の師範はいつものように目だけは笑っていない笑みを浮かべてから、出て行った。
「……」
「……」
「……」
子供達は気まずそうにトラの顔色を伺う。
彼らの前でトラを叩きのめした事によって、トラのプライドは傷ついた。トラの派閥は依然として存在しているものの、彼らとトラの関係は酷くギクシャクしていた。
「まず、グループを組みましょう」
静寂を破ったのは人族の少女、エンだった。
彼女は黒髪を後ろで一つ結びにしていて、加えて少し吊り目気味の青い瞳は几帳面で厳しい印象を与える。
「それでグループごとに……」
「おい、なんでエンが仕切ってるんだよ」
その声を遮ったのはトラ派閥の一人。
エン個人の力量は上位とは言え、彼らにとっては取り仕切るにふさわしい人物がいると思っているのだろう。
『洗礼』の直後に部屋割りを決めた時は、誰もそれぞれの力量を把握していなかったために、全員が平等だった。
加えて、彼女は人族だ。彼らに肩入れした判断を下さないかと思っているのだろう。
彼はエンの言葉に反抗しながら、チラチラとトラの方に視線を向ける。自分が前に出るつもりは無いが口だけは出すということか。上に立つ者からしたら煩わしいだけの輩だ。
「……」
しかし、対するトラは腕を組んだまま黙っている。
そして、エンはなぜかこちらを強く睨んでいる。
「?」
曖昧な笑みを浮かべたまま首を傾けると、彼女の表情が険しくなる。
彼女はトラとの間にあった件を把握しているようだ。
「……それじゃあ、俺が仕切るよ。文句がある人は先に言ってくれ」
そう言って、先ほどエンに噛み付いた少年に笑みを向けると彼は黙り込む。反対する者を力で黙らせるやり方は即効性が大きいが、反発もその分強いのであまりしたくはなかった。それでも背に腹は変えられない。
「じゃあ、グループを決めてくれ。それが20以内だったら、割り当てる部屋を決めよう」
そう言った瞬間に竜人娘が一番奥の部屋に向かって歩いて行った。
「うん、グループの数は19以内で」
反対は出なかった。
◆◆◆◆
部屋決めは割とスムーズに進み、いざこざも少ししか起きずに無事終わった。
ただ、その途中で人族派閥について気になることがあった。
あの派閥は特定のリーダーは持たないと思っていたが、今はエンが彼らを率いる立場にあるようだった。
竜人娘派閥もトラ派閥も微妙な状況にある今、人族派閥がそこに成り代わろうとしているように見えた。
しかし当人のエンからはそのような欲、と言えるものは感じられなかった。
「……ふむ」
彼女に関しては後で改めて考えよう。
それよりも、新しいシスターとやらが気になる。
どのような人物か気にはなるが、前がアレだったので今回もロクな者とは思えない。
出来れば前よりも信仰心と志が低い者だと良い。
俺達はそれぞれの部屋に布団を運び込んで、自分の部屋を整えていく。
そういえば、以前の部屋にあった毒草や、仙器化した石ころの残骸は処分されてしまうのか。
それは、少し残念だ。
俺は一つの布団を抱えて奥のドアへ入っていく。
上方には柵のある窓が二つのみ。
壁際には布団が三段重ねに積み重ねられていた。一枚では薄いとは言え、三枚も使って何か言われないのか。
重ねられた布団の中心は僅かに凹み、彼女の痕跡が見えた。
枕元に視線をやって、籠は前の部屋に置いたままなことも思い出した。
「あぁ、そうか。櫛も作り直さないとな」
『生存訓練』の時に虫が付かないようにと渡したものだが、彼女はその後も櫛の歯が折れるくらいに使っていた。あった方が都合は良いだろう。
切り出すためのナイフは無いが、仙器化を使い熟す人間からしてみれば木の枝もナイフに等しい。
本来切れ味の無い木の枝への『切断強化』の付与は戦闘中に使える程の速度では使えないのだが、細工で使う事はできる。
俺は後ろ手にドアを閉めると、廊下の先が少し騒がしくなっているのに気付いた。
子供達の高い声の雑音に混じって、大人の女の声が聞こえてくる。
俺は最大の警戒心を持って、そちらに向かった。
「あら、えっと、その、落ち着いて」
ワラワラと群がる子供達を押し留めながら、困ったように眉を寄せる女。フードを脱いで露わになった瞳は緑色。
見た所、年齢は20に達するかどうかという所。
そして、外見は人族の特徴を持っているように見えた。かと言って彼女が他の種族とのハーフで、目に見えない特性を隠している可能性も忘れてはいけない。
子供に押し負けるほどに貧弱な力と、明らかに拙い身のこなしは、明らかに訓練を受けていない人間のものだ。
そして気術も修めているようには見えないほど、乱れた気の動き。
なんなら前世の普通の大人と変わらない身体能力に見える。
この里においてあまりにも彼女は無警戒だった。
女は屈託の見えない笑みを控えめに浮かべた。
「わたくし、スイセンと申します。みんな、よろしくね」
俺は目を細めて、彼女を観察した。
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第44話『移る』
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