第43話『手折る』

 得てして負債というのは突然返済を求められるものだ。


 それを実感したのは、竜人娘の左の角が生え始めた次の日。


 俺は優等のコインを支払って、一日ぶりの肉にありついていた。

 一口飲み込むだけで、消化は終わってないにも関わらず全身に旨味が染み渡るような感覚になる。

 旨味を感じるのは体がそれを求めている証拠だと確信した俺は、一口一口しっかりと時間をかけて噛んでから胃に落とす。


「うん?」


 俺の左右に見覚えのある少年たちが座る。

 片方はチビ。土精族の少年だ。

 もう片方はトラ以上の体格を持つ獣人だった。


 俺は嫌な予感がして席を立とうとする。


「ふぅ、ごちそうさま」

「——まぁ、待てよ。まだ残ってるじゃねぇか」


 昨日の意趣返しだろうか、残っていた肉を掴み取ったトラがそれに喰らいつく。

 彼は随分と肉が好きなようだったから、その行動は予測できるものだった。


「……」


 俺は目を細めて、肉に食いついた彼を見つめた。

 気づけば後ろにも彼の仲間が立っていた。


 流石にここで始めるつもりは無いようで、今はただその場に立っているだけだった。


 トラが口に入れた肉を全て飲み込んだ。その間もずっとトラの瞳は俺を警戒し続けていた。油断はしてくれないらしい。

 貴重なタンパク質をとられた俺は少し悲しみに暮れた。


「……お前、逃げたよな?勝負から」

「勝負?」


 俺は惚ける。彼が言った言葉はこうだ。


『……夕食の後、運動場に来い』


 勝負なんて単語はそこには無い。そして俺は了承した覚えも無い。


「来いとは言われたけど。俺、行くとは言ってないよね?」


 当然のようにそう言う俺に、彼は一度顔を歪めるが、直ぐに攻撃的な笑いを浮かべる。


「……っ、そうだ。だから、今日は連れて行くことにした」

「そっか。じゃあスープ飲むから少し待ってよ」


 俺が持ち上げた木皿をトラが右手で叩き落とす。

 こぼれた汁が少し胸のところに当たる。お前は『生存訓練』で食料の大切さを学ばなかったのか。


「はっ……スープはもう無いだろうが。早く来い」


 馬鹿にしたように笑うトラが立つと、俺の両脇を持って彼の手下が俺を連れて行く。一斉に立ち上がったことで、子供達の注目が集まる。


「その前に、一つ大事なことを決めようか」


 俺は子供たちに聞こえるように、少し声を張る。

 両脇を抱えられているこの状態では指を立てても格好が付かないな。


「負けたら、どうする?」

「あぁ!?そんなもん、ずっとオレの言うことを聞かせるに決まってるだろうが!」


 要は完全な服従だ。


「……違う違う。トラ、君が負けたらどうするかを聞いてるんだ。大事なことだろ、明日からの君を決める選択なんだから」

「オレに勝てるって言いてえのかっ、ネチネチ!!」


 俺は一度もトラに勝てたことは無い。

 彼は俺より強い。それは事実だ。


「俺のおすすめは、『一回だけ、なんでも言うことを聞く』だよ。勝率を考えればバランスは良いんじゃ無いかな。」

「……っ、何でも良い。けど、覚悟してろよ」


 そう吐き捨てた彼は、それ以降俺の言葉に反応することはなくなり、時間稼ぎは失敗に終わった。




 運動場に着いた俺は、まずその広さに驚いた。

 運動場そのものが広くなったのではなく、普段はそこで散り散りになってナイフを振っている子供が今日は端によってこちらを見ている。


 トラはその空間の中央に俺を連れて行くと、手下から受け取った木刀のナイフをこちらに投げる。

 俺は指の甲でナイフを叩いて、折れるような細工がされていないことを確認する。


「今日はモンクは助けに来ないからな」


 大方、モンクの部屋の前に彼の手下を置いているのだろう。

 流石のモンクも求められる前に助けるのは無理だろう。


 俺はゆっくりと時間をかけて、準備をする。


「それとも、竜人アイツに助けてもらうのか、なぁ?」

「……」


 どうだろう、彼女は俺を助けに来るだろうか。

 彼女は命令されることを嫌うが、本気で俺が死にかけて助けを呼んだならば手を差し伸べるくらいはするだろう。


 彼女の在り方を考えると、多分助けることそのものは厭わないように思える。

 かと言って助けて貰ってばかりでいるとと、利用されていると感じて見捨てるだろう。むしろ彼女が進んで俺を殺すまである。



 俺はナイフを握って確かめる。

 モンクとの戦いの復習ぐらいにはなるだろう。


「……スゥ」


 直接体内から【迅気】を生み出して纏う。モンクとの戦いで【迅気】への直接変換を身に付けた。


 この戦いの中で【素気】を使うつもりは無い。トラの速度を上回るには全ての気を速度に振って、やっとというところだ。


「グルルル……」


 トラが威嚇するように低く喉を鳴らす。

 その筋肉は強く張り詰め、身体の周りに【素気】を纏っている。

 それが段々と端から【迅気】に塗り変わっていく。


【素気】の割合が半々となったところで変換を止める。


 どうやら速度で苦労したことの無い彼は【迅気】への変換はあまり速く無い。しかし、それは警戒しないで良いと言う理由にはならない。


「……っ、速い」


 俺は【迅気】を足元に集中させると、その場から全力で横に飛ぶ。

 トラの突きが脇の間を高速で抜ける。


 彼の背後に回ろうとすると、ナイフを持たない左手で宙を引っ掻き、こちらを牽制して来る。


「オレを舐めてるだろ。ネチネチ」


【乱態】によるフェイントも、絶対的な速さの前には無意味だ。


【瞬歩】は確かに動き出しが速くなるが、見てから動き始めるまでの反射速度を上げてくれる訳ではない。


「ハハァ!!お前ぇ、あんだけ大口叩いといて、これかぁ!?笑えるぞ!お前ぇ!!」

「……」


【誘態】を使った攻撃誘導と、予測によってトラの攻撃を後退しながら受ける。

 今日はリングが広いから背中を気にせずに後ろに飛ぶことができる。

 ひたすら防御に徹する俺の戦い方を見て、トラは大きな声で嘲笑して見せる。


 実際彼の力は脅威的だ。相手の攻撃を誘導して、その先を硬く防御してなお、その衝撃の強さに掌が強く痺れる。


「が、ぁ」


 両手で硬くガードを構えた顔面へとトラの拳が突き刺さる。痺れた両手を跳ね除けて貫通した一撃が眉間まで届いた。


「グッ、オ」


 続けて、内臓を揺らす二撃。

 モンクとの訓練が無ければ視界の端から現れたナイフを受け切る事はできなかっただろう。防御、時間稼ぎに専念しても、これか。


 俺の足が僅かに鈍ると、そこにすぐトラが追いつく。


「逃げるのはやめたのかぁ」

「……」


 トラの子分を背にして追い詰められた俺の前に、トラが立つ。


 彼の振り下ろしに対して、俺は隙を見せるのを承知で、大きく横に倒れ込む。俺の動きを見て反応したトラが、左手の爪を俺へと伸ばし、僅かに体の表面を傷つける。

 しかし、俺を捕らえることはできなかった。


 そして地面に手を着いて、気を流す。


 明らかに隙だらけの俺に向けて、トラは向き直ろうとして……転んだ。


「なっ、んだこれ。滑る」

「……ふぅ」


 俺は彼から距離を取って立ち上がる。


「トラ、どうしたんだよ」

「早くぶちのめせよ」

「なにしやがった、ネチネチ!!」


 トラに対して周囲からヤジが飛ぶ。トラがそちらを睨みつけると、簡単に黙る。


 モンクから学習した、地形の仙器化の応用だ。

 彼が使用した時には摩擦を増やすことでより加速の上昇を狙ったが、今回は逆に摩擦を減らして、相手の邪魔をすることを狙った。


 仙器化した部分は意識を集中すればすぐに分かるので一度きりの小技だ。


「くそ、舐めやがって……」


 爪を地面に突き立てて起き上がったトラは怒りの形相で吐き捨てると、俺に向かって一歩踏み出して——


「……ごフっ…」


 ——血を吐いた。

 掌にべっとりと着いた血液に、トラは驚きの表情を見せる。


「……シィッ!」


 その隙を狙うように、俺は【瞬歩】で加速した全力の飛び蹴りを彼の腹部に入れる。


「ゴっ……」


 彼は弾かれたピンボールのように吹っ飛び、その後ろにいる彼の部下たちの群れに衝突する。

 戦いの中で初めて俺がクリーンヒットを与えたことににトラ派閥の者達は困惑する。彼らに後ろから支えられるようにして、トラが立ち上がる。


「おま……ぉえ」


 無防備なところに強い衝撃を与えられたことで、胃の中身のほとんどを吐き出したらしい。


 これまでは安定した状態だった【充気】が彼の制御を離れて霧散する。

 制御を手放したのはダメージのせいでも彼が未熟だからでも無い。


「毒を、使ったな……テメェ!」


 彼が飲んだのは気の制御を乱し内臓にダメージを与える薬草、あと眩暈を起こす薬草と痙攣が起きる薬草と、下剤がわりになる木の根と臭いを消す毒草、その他諸々だ。


 俺が肉と一緒に食べようと思っていたのを、彼が食べてしまったので、その症状が出てしまったらしい。


「なんだか体調が悪そうだね。どうしても辛いようなら、今回は引き分けで良いよ」


 彼が降参しないように煽ることも忘れない。

 幸い、既に毒は吐き出させた。彼が死ぬことは無いだろう。


「馬鹿にするなよ!!なんで、オレ……ガッ」


 ナイフで、脇腹を強く突く。

 気も使えず身体が麻痺しているトラならば、躰篭に加えて気の補助のある俺でも殺せる。


「あぐ」


 拳が顔に入る。

 苦し紛れに振り回した爪を避けて、もう一度、殴る。


「へぶ」


 木のナイフを彼の頭へ強かに打ち付ける。

 毒で平衡感覚を失っているトラはその場に簡単に崩れ落ちる。


「トラー!!」

「……おい、まずいぞ」

「なんか、動きがおかしくないか?」


 困惑の声を上げる子供達の前で、俺はトラにマウントポジションを取る。足を動かせないように尻尾で拘束すると、また顔を殴った。


「ぁぐっ、やぶっ……やめ”っ……やめろ、ぉ」

「うん」


 止めない。


 殴って殴って殴って殴る。


 掌には気をしっかりと集中させておく。

 そうしないと、こちらも怪我してしまう。


「ひきょ……ガッ……く、そ……ッ!……どけ」

「うん」


 退かない。


 少し拳が痛くなったので、ナイフの柄で額を叩く。

 気を纏っていないのに、これほど持ち堪えるとは、本当にタフだ。


 殴って叩いて殴って叩いて、ひたすら繰り返していると、途中までは『やめろ』だとか『クズ』だとか『卑怯』だとか喧しかった声援が無くなり、俺の息遣いだけが空間に響いていた。



「ハァ……ハァ……ハァ……」


 戦闘による疲労そのものはいつもより軽い筈なのに、興奮したように息が荒い。

 ……そういえば、終わりの条件を決めていなかった。


「……ぁ……が」


 瀕死のトラの髪を掴んで頭を持ち上げると、すぐ近くにいた彼の子分へと見せる。トラの浅い呼吸で彼の前髪が揺れる。


「っひ」

「トラの負け、だよね?」


「……へ?」


 判断の遅い彼のために、もう一度トラの顔に拳を入れる。


「ぁガっ」

「トラの負け、だよね?」


「あ、あああぁあ、分かった!お前の勝ちだ」


「ガっ」

「っな、なんで」


 それでは意味がないからだ。


「トラが負けだと思うなら『トラの負け』だと、ハッキリと宣言するんだ」

「……と、トラの負け、だ」


「ぅガっ」

「もっと大きく」


 もう一度、先程よりも強く殴り付ける。


「トラの!負けだ!」


 ヤケクソ気味に大声で叫ぶ彼。


「そっか。聞いたよね、トラ。彼は君が負け犬だって言いたいらしい」

「……ぁ……ぅ」


 トラが負けた、という事実を彼も彼の仲間も認識できるように、しっかりと宣言させる。

 俺は彼の身体を少しズラして、隣の少女に向かせる。


「どっちの負けだと思う?」

「と、あ、う」


「あぐぁ」

「ト、トラの負け!です」


 彼の身体を引き摺って動かす。


「どっちの負けだと思う?」

「トラの、ま、負けだ」


「トラの負け、トラの負けです!」


「トラの負け」


「トラの負け」


「トラの負け」「トラの負け」「トラの負け」「トラの負け」「トラの負け」「トラの負け」「トラの負け」「トラの負け」「トラの負け」「トラの負け」「トラの負け」「トラの負け」「トラの負け」「トラの負け」「負け」「トラ」「負け」「負け」「トラの」「負け」

「ト」「ラ」「の」「ま」「け」 


 口々に彼の負けを宣告する者達。

 彼らのリーダーの無惨な姿を目の前で見たショックのせいか、沈痛な面持ちだ。

 そのせいで統率が乱れるのなら、トラがリーダーとして不甲斐なかったという証明だ。同時に彼ら自身も派閥を成すには未熟だったということだ。


 俺は彼らの中央にもう一度トラを引き摺ってきて地面に転がすと、ナイフをその隣に投げる。

 そうして、両手を広げて彼らに向かって大袈裟に語りかける。



「多数決で勝敗を決めようと思ったんだけど、全会一致とはね」


 俺は今後の不安を押し殺して、精一杯傲慢に言い放った。


「じゃあ、まぁ、俺の勝ち良いよ」




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第43話『手折る』



〜〜プロフェッショナル クズの流儀〜〜

尻尾のある少年「やられたらやり返す、やられる前にヤる、やられてなくてもやる。それが私のやり方です。それでは敵ができる?私に敵はいません。居るのは将来私の隣で立つ者か、土の下で眠る者です」

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