第41話『呆ける』

 次の日の訓練はモンクとの怪我が祟り、模擬戦で負けてしまった。

 その相手は人族の少女だった。

 確か……トラにはエン、と呼ばれていた。


 彼女はトラの派閥では無いものの、彼に一目置かれていた。

『生存訓練』の時に何かあったらしい。


 トラは偉そうではあるものの、割と懐が広いところがあるので、派閥に関わらず、繋がりを持っている。もちろん、彼なりに認める部分がある者だけだ。


 俺は彼に蛇蝎の如く嫌われているが、きっと、俺は彼の器には収まりきらないほど大きな人間なのだ。

 中身は大人だから。



 そんな俺は現在、夕食を食べていた。


「……」

「……」


 俺の目の前には隠れ竜人娘ファンの子供がいた。

 その中でも比較的血気盛んな火精族の少年だった。


 沈黙に根負けして話しかけて来る。


「なぁ、ネチネチ。お前、変なことしてるんだろ?」

「変なこと?」


 とぼけたように返す。


「なんか……お前と戦って勝ったら、なんかある、らしい?だろ?」


 隠れ竜人娘ファンはトラに弾圧されているだけあって、彼女に関わる話題だとひどく曖昧な物言いしかしない。

 そのせいで、彼らの言動は思春期男子にしか見えないという思わぬ弊害がある。


 だから、彼は俺が妹派閥に向かって『俺に勝てたら部屋を譲る』と言った事実を知っていて惚けているのだ。


 なのでカマを掛ける。


「あぁ、優等のコインを譲って上げるんだよ」

「違うだろ!!」


 わざと真実とは異なる事を言えば、彼は机を叩いて立ち上がった。


 はい、ダウト。


「え?なんで知ってるの」

「え?あ。」


 そうして失敗を悟って俯く少年。心なしか耳が赤い。

 ワナワナと震えたかと思うと、絞り出すように一言。


「……だから、ネチネチって言われるんだよ」

「知ってるなら、言えば良いのに。竜人娘と同室になりたいって」


「ばかっ、聞かれるだろ」

「じゃあ、戦わない?」


「………………やる」


 初心な反応が楽しくていたぶるように問い掛ければ、小さな声で彼は答えた。


「でも、あの約束は無しだよ。あれはあの子達相手だから、あの条件だっただけだし」

「はぁ!?じゃあ戦う意味ないだろ」


「う〜ん、でも俺だけ損するのもなぁ」

「じゃあ、俺はコインを賭けるから、それで良いだろ?」


 俺は悩む様子を見せて相手が賭けに乗って来るように仕向ける。


「コインは余ってるからなぁ。……じゃあ、こういう条件ならどう?」

「ああ、どんな条件でも良いぜ」


 言ったな。俺は身を乗り出して彼の耳の横は顔を近づけた。




「お前が負けたら、アレに二度と近づくなよ。見るのも駄目だ」




 ◆◆◆◆




 精霊種には特殊な力がある。

 風精族の羽虫女は、周囲の風の動きを知覚したり、微風程度なら吹かせることができる。

 土精族のチビは、どうやら地面の土を動かしたり、固めたりできるらしい。


 どういう原理かはわからないが、生まれ持って〈獣〉のような力を持っていると考えれば納得できるかもしれない。


 火精族の彼は火を吹くことができる。

 まともに食らえば火傷するくらいに熱い。


 火というのは生物に対しては不変の弱点だ。その力を生かして彼は模擬戦で勝ちを取っているらしい。


 

 そんな彼の攻略法は一つだ。


「む、グッ!?」


 初めに顔面を潰す。

 風精族と違って特殊な感覚器官を持たない彼は、それだけで視界が悪くなる。後は、正面に回らないように立ち回れば完封もできる。


「あ、が」


 鳩尾を抉り、彼の心を折るように丹念に丹念に苦痛を積み重ねる。


 一撃入れるたびに、彼の感情の色に恐怖が混ざっているか観察するように、目を見開いて顔を覗き込む。


「ぐ、ぅえ、あぐ、バッ、ぁ”」


 時折、我武者羅に放たれる火炎放射を【迅気】で上げた速度で躱すと、直ぐに【素気】に戻して距離を詰める。


 ちなみに俺は、あれから【迅気】からの逆変換を習得している。

 手本を見たので、戦闘で使える程度にはできた。


 そうして彼の呻き声を聞き流しながら鳩尾を抉る作業を続けていると、本命が介入してきた。


「な、なんで、また、繰り返すんだ」


 火精族に向けた拳をモンクが掴む。

 ここまではいつも通りの流れだ。



「よし、じゃあいつも通り、君を半殺しにした後で、鼠の獣人そいつを同じ目に合わせるよ」

「ひぃ」


 毎回新鮮な悲鳴を上げてくれる鼠少女には感謝だ。

 おかげで、俺がモンクと戦うために、彼女と組んで演技をしていると思われることが無い。

 彼は理解しがたいものを見るように、困惑の表情を見せた。


 俺はあの日から毎日妹派閥の少女や、隠れ竜人娘ファンの少年を挑発しその度に徹底的に叩き潰すことで、モンクを呼び出して戦うようにしていた。ちなみに竜人娘派閥にばかり喧嘩を売っているのは、簡単に乗ってくる、という理由の他にがそうしたい、という理由もある。


 兎にも角にもモンクは善良な少年なので、助けを求められれば必ず出て来る。


 そして、俺と戦うことになる。


 俺の目的がモンクとの戦闘である事を薄々彼は勘付いているし、組み手をするから他の子供を傷付けないようにしてくれ、という嘆願も受けているが、彼はリスクが無いと戦闘の冴えが悪くなるのだ。


 だから俺は毎回彼のモチベーションアップのために子供達をいじめなければならなかった。


 

 やはり組み手の相手は本気のモンクに限る。

 気を交えた本気の戦闘だと互角になることの方が少ない。

 ほとんどが、圧倒時な勝ちか圧倒的な負けのどちらかになる。反対に彼は、追い詰めると都合の良いタイミングで力量が跳ねるので、毎回何かしらの反省と知識を得ることができる。


 ちなみにこれまでの戦績は俺の全敗である。

 模擬戦では勝てていた俺がここでは負けるということは、やはり発破を掛けたのは好手だったのだ。



 しかし、残念なことに、もうそろそろで喧嘩を売れる相手が居なくなってしまう。

 実は妹派閥は半壊してしまった上に、俺の挑発に乗ってはいけないという情報が共有されたことで無視されるようになった。運動場以外での戦闘は流石に師範達の目を引いてしまうので、控えるしか無かった。


 代わりに選んだ隠れ竜人娘ファン達は秘匿性のためか俺の情報が共有されることは無かったが、母数が少なく、俺の知る者の殆どには既に喧嘩を売ってしまっていた。


 最悪鼠少女を捕まえて脅せばモンクは来るだろうが、そしたら鼠少女も俺から隠れるようになるため、この手は一度しか使えない。



 何か、恒常的にモンクの危機感を煽る方法は無いだろうか。


 その日の俺は気の反発を利用した発勁もどきで意識を刈り取られ、夜が更けてから目を覚ました。


「お、お、起きた?」


 先ほど受けた技術の感触を反芻していると、隣からひどく聞き覚えのある吃り声がかかる。

 俺は僅かに驚きながらそちらを振り向くと、予想通り俺を叩きのめしたモンクが胡座で座っていた。


 彼の薄い水色の瞳に月の光が反射して暗闇の中で光って見える。


「す、座って、よ」


 俺を叩きのめしたのにも関わらず、怯えるような態度を見せる彼に、俺は少し笑ってしまった。


「君は、俺が嫌いだろうと思っていた」

「な、なんで?ぼ僕は、みんなが好きだよ」


 前世にもこんなタイプの人がいた。

 人を嫌いになる、という選択肢が存在しないタイプ。

 確か彼は蟹の漁船に乗せられて、北の海で死んだと聞いた。


 彼はニコッと笑うと、指をモジモジと絡ませて言った。


「ぼ、僕が弱いから、き、鍛えようとしてくれてるんだよね?」

「——は?」


 思わず心の底からの疑問の声が喉から飛び出した。


「だ、だって、いつも、僕が来るの待ってるし、……ほ、他の人を殴るのは何度言ってもやめてくれないけど……。あ、あと、初めは脅してくるけど、いつも、それに気を動かして

「……そうだな」


 俺は瞼の上を右手の指で揉みながら、上擦った相槌を返す。


 なるほど、彼にとって世界は優しく出来ているのだろう。

 彼が模擬戦で勝てているのは、相手が彼に配慮して手を抜いているから、とでも解釈しているのだろう。


 行き過ぎた謙譲は傲慢に通ずるという知識が正しいと実感できた。

 いつかその幼い傲慢を木っ端微塵に砕くと心に決めた俺は、よろよろと立ち上がる。


「い、痛かったよね。大丈、ぶ……え?」


 モンクが差し出した掌を俺は叩き落とした。


 若干困惑した様子の彼に俺は笑顔を見せた。


「大丈夫。一人で歩けるから気にしないでくれ」

「う……うん。そうだね、分かった。ぼ僕、部屋に戻るね」




 俺は自室のドアを閉めると、そこに背中で寄りかかりながら腰を落とした。


「はぁ……っ!」


 思いの外大きい溜息が溢れて思わず口を塞いだ。

 部屋の奥を見るといつも通り竜人娘が寝ていた。


 また布団を引っ張って定位置に持って来ると、部屋の横に置かれた籠が目に入る。

 鳥の巣のように小さな小枝によって編まれた籠には、『生存訓練』の時に俺が作った櫛が入っていた。俺の分は森の中の拠点に置きっぱなしだったので持って来ることができなかった。


 俺は創意工夫を凝らして色々作ったのを懐かしむように、櫛を手にとって眺める。


「……?」


 見ると数本、櫛の歯が欠けている。

 彼女の髪を見れば、以前よりも乱れが少なくなっている。

 特に入れるものが無かったから記念品がわりに籠に入れっぱなしになっているかと思ったが、そうでは無かったらしい。


 何だか娘を持った親の気分になりながら、俺は櫛を籠に戻した。




————————————————————

第41話『呆ける』



正常であり続けるのもまた、狂気。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る