第40話『見取る』

 運動場での三戦目。

 僅かに溜まった疲労を気による強化で押し流す。


「みんな!逃げて!」


 戦闘の態勢を整え始めた俺を視界に収めたまま、モンクは周囲の子供へと逃走を呼びかける。


 俺は纏った気の半分を【迅気】に変換すると、地面を蹴った。

 加えて【瞬歩】を重ねる事で強烈な緩急を作り、その場から消えたように見せる。


 それに対して彼は、変換する手間すら省いて【迅気】を纏うと、俺の拳をのけぞって躱し、その手首を掴んだ。


「!?」


 その瞬間にモンクが【迅気】から【素気】へと変換すると、俺の手首を拘束する握力が倍増する。

 ミシリ、と音がして俺は慌てて【迅気】を霧散させて【素気】を纏い直す。

 その瞬間に側面から拳が迫り、尻尾を間に挟み込んだ。


「——ッ"」


 鉄で殴られたような異様に硬い感触。

 恐らく拳の部分だけに【硬気】を圧縮して纏っていた。


 初めよりも半径の広がった人の輪の端まで転がった俺は、背後の少年に視線を向けながらゆっくりと立ち上がる。この場にいる者達は全てが俺の敵だ、そういうつもりで俺はこの場にいる。


 やはり俺と彼では気術の習熟に大きな差がある。

 俺が【迅気】を使う時には、一度【素気】を出してから変換する必要がある。変換と出力は同時にはできない。

 さらに、【迅気】から【素気】への逆の変換ができないため、必要な時は一度纏っている気の制御を手放す必要がある。この間に気を殆ど纏っていない無防備な時間が現れるために、俺は常に纏う気に【素気】を混ぜ込んでおく必要がある。


 これまでの模擬戦ではモンクから何度か勝ちを奪うことができた。あの時のモンクが手を抜いていたとは思わないが、少なくとも今は全力なのだろう。


 アサシンとしてはどうかと思うが、彼は他人が危機に瀕することで自身の力を引き出せるようになるタイプだ。


 本気の彼はトラと同等のポテンシャルを持っている。俺はそう確信した。



 だが、現時点では格闘技術においては俺の方が先を行く。

 俺は敢えて【素気】だけを肉体に纏うことにした。


ッ!」


 鋭い呼気と共に、間合いを詰める。

 彼は再び【迅気】へと変換すると、余裕をもって俺の拳を躱す。


 そして、カウンターの一撃を放つが俺はそれを最小限の動きで躱す。


「!?」


【迅気】も使わずにこの速度の攻撃を避けたことに彼は驚いているが、そう難しい話では無い。

 ただ俺がギリギリまで引き付けてから避けるようにしただけだ。

 もちろん、それだけでは無い。


「……なんで」


 手を伸ばせば届く距離、そこで彼が放つ攻撃は尽くが俺の掌に受け止められる。

 しかし、一方の俺の攻撃も彼の速度に追いつく事はできない。

 やはり【迅気】へのスイッチングがあまりにも遅いのがネックだな。


「もしかして……歩法!?」

「……」


 ……正解だ。

 俺達が習得した歩法には【瞬歩】だけでは無く、その一つに【乱態】というものがある。

 これは歩法というよりも戦闘術に近い。

 視線や体重移動によって自身の動きを悟りにくくする、というものだ。要はフェイントを常に見せるような戦い方だ。しかし、普通に戦うよりも動きが増えるので慣れた者相手だとあまり通用しなかったりする。いわゆる初見殺しのような歩法だ。


 いくつかの歩法を習得したところで気付いたのだが、結局歩法は『移動』『姿勢』『場所』のそれぞれに関する技術だということだ。


 例えば【瞬歩】はトップスピードを一歩目から出すような『移動』をする技術で、【乱態】は動きを予測し辛い『姿勢』を作る技術だ。


 里では小技として扱われるそれらをどうにかして俺向きに習得できないかと考えた結果、特性を生かした【誘態】という歩法を生み出した。

 これは相手の攻撃したくなるような『姿勢』作る技術だ。


 もちろん、ただ無防備になるわけでは無く、特定の場所への攻撃を誘うのだ。

 あまりにも誘い方が分かり易過ぎると相手に警戒されてしまうし、防御を固め過ぎるとそもそも攻撃してこなくなる。


 それに警戒のラインの高さは人によって大きく異なる。

 その細やかな調節の部分に花精族の特性を使った。


 この技術は自分より速い相手に対して、遅いまま対抗する技術だ。



 次にクリーンヒットを与えたのは俺だった。

 攻撃を焦り、踏み込みすぎた彼の腹部に爪先が命中する。


「ぐぅ”」

「……チッ」


 低い声で呻く彼だったが、足先の手応えはコンクリートの壁を蹴ったかのように重かった。腹部に集中して【硬気】を纏っていた。


 代わりに、距離を離そうと彼に向けて尻尾を振る。


 それが触れる直前、彼の纏う雰囲気が大きく変わった。


「つかんだ」


 尻尾を、ではない。


「!?」


 体重の乗った尻尾の薙ぎ払いを受け止めたにも関わらず、彼の足は少しも動かない。

 まるで地に根を張ったかのようだ。


 彼の反撃が始まる。


「ッが、ぁ」


 体全体を鋭角に傾けた加速、そこから繰り出される真正面からの肘鉄が顔面に当たる。


 あまりにも加速が速過ぎる。

 あんな加速、地面の摩擦の限界を超えて……まさか。


「あ、ぐぅ」


 ギュリィ、と摩擦から生じる高音と共に、彼は仰け反っている俺の側面に不可解な鋭い軌道で回り込むと、加速を生かしたフックを脇腹に叩き込む。


 不自然な急制動と加速、そのタネは分かった。


 地面の仙器化だ。


 地面を踏んでから離すまでの間に、摩擦の強化や反発の強化を付与している。

 その証拠に、急激に彼の気が減っているのが分かる。


 だが、そんな考察よりも、曲芸染みた絶技をこの土壇場で編み出すか、という呆れにも似た称賛が湧き上がる。


 本当に、お前は天才だ。吐き気がする程に。

 だからこそ、学ぶに足る。

 0から1へは才能と閃きを必要とする。だからこそ、俺は自分で閃くことを諦め、彼からアイデアを吸収する。


 血塗れの視界の中で、俺は足に気を巡らせる。


 こう、か。


 タイミングが少し遅く、足が離れる直前になってやっと仙器化が終わり、ほとんど加速は得られない。


「ぉゴッ」


 回り込んだモンクが、側頭部に掌底を入れる。


 じゃぁ、こう。


 今度は早すぎたようで、強くなった摩擦に足を取られて逆に減速する。


「ふグゥ」


 俺が二人の獣人にしたように、鳩尾へのアッパー。

 呼吸が止まり、さらに視界が狭くなる。


 よし、こうだ。


 強い手応えが足先から伝わって来る。

 なるほど、まるで地面を掴んだような加速だ。


「!?」


 モンクから驚くような感情が伝わって来る。

 確かに、この急加速は周りからは、消えたようにさえ見えるだろう。


 彼の視界の外から直角に曲がり、彼のうなじに向かって一直線に飛ぶ。

 そうして、彼が俺を捉える直前にその首に手が、触れて——。




 ◆◆◆◆




「うわっ」


 子供達が見ている前で、彼らがモンクとネチネチと呼ぶ二人の少年が絡み合ってゴロゴロと転がる。


 初めは蛇人族の少年が優勢に見えていたが、途中から森人族エルフがが一方的に攻撃するようになった。

 しかし、最後の最後で蛇人族の少年が反撃したようだ。


 息を飲む子供達の前で、立ち上がったのは森人族エルフの少年、モンクだった。


 それを見た子供達は歓声を上げる。

 特に元々彼に勝負を仕掛けていた少女達は難い相手が倒されたことを喜んでいた。


 しかし、その中にあって森人族エルフの少年の顔色は明るくなかった。


「……」


 彼はボロボロになって気絶する蛇人族を見下ろしながら、一瞬腰に手をやるが、獲物ナイフがない事に気付くとハッとして手を下ろした。




 ◆◆◆◆




「んが」


 明かりの消えた運動場で俺は意識を取り戻した。

 あれほどいた子供達は誰一人居らず、耳が痛くなるような静寂が広がっていた。


ぅ」


 頭部に走る鈍痛に頭を抑える。

 なんか、攻撃を受けていない筈の箇所まで痛い気がする。

 まぁ、あれだけヒールを演じたのだから、多少の報復はあったのだろう。

 不必要に痛めつけた分のしっぺ返しが来たというだけだ。


 節々が痛む体を仰向けに転がすと、灰色のレンガに囲まれた空が視界に入った。


「……」



 やはり、子供達の中では最もモンクが参考になる戦い方をする。

 彼の上二人、トラと竜人娘はどちらかというと優れた部分によって相手を叩き潰すタイプだから、俺では真似が出来ない。

 トラは壁に爪を突き立てて水平に立ったりするものの、まだナイフを振って攻撃する人間らしい戦い方をするのだが、竜人娘は木を引っこ抜いたりする。


 それに比べるとモンクは気の量も身体能力もそれほど多くは無い。

 気の量に関しては竜人娘と比べると、という但し書きが付くが、彼は力を技術で補うような戦い方をする、というのが俺にとって重要だった。

 そして実際、俺の考察は当たっていたことを確信した。

 彼と一度戦うだけで、俺は次の目標を得ることができた。


 【迅気】から【素気】への変換、そして【硬気】の習得、さらには足場の仙器化まで、彼は俺にとって生きる教科書だった。



 今後はモンクに付き纏う事を決めると、その場を立ち上がって部屋に戻った。



「スゥ……スゥ……」


 穏やかな寝息が、静かに室内に響く。

 おそらく彼女の可愛げは寝顔と寝息に全振りしているに違いない。


 身動ぎと共に、細やかな銀の髪がはらりと肩からこぼれ落ちる。


 俺は彼女が起きてしまわないように、ゆっくりと布団の位置を引っ張って中央に位置を整えると、その上に寝転がった。




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第40話『見取る』

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