第39話『悪振る』

 運動場に辿り着いた俺達の周囲を妹達が円形に囲む。

 逃亡は許さない、といったところか。


 俺が円陣を作る少女の一人に目を向けると、鼠の獣人らしい気弱そうな彼女はオロオロと視線を彷徨わせてから最終的に下を向いた。

 まるで俺が悪者のような態度だ。



「さっそく余所見とはねッ」


 身を翻して、背後から伸びた蹴りを躱す。


 俺の相手を務める少女を観察する。

 牛の獣人で、身長は俺より拳一つ分は大きい。

 成長に差が出る前で良かった。


 今度は力を込めた、見え見えの拳。

 俺はそれを丁寧に受け止めながら、流れに逆らわないように後ろに飛び退がる。


 追撃に打ち込まれた拳を掌で受け止めながら、カウンターに拳を入れる。


「ブッ、痛ったいねェッ」


 痛みを怒りで塗りつぶした彼女は、無理やりにもう一撃、次は脇腹にフックを入れてくる。


「ッ」


 密着した状態では躱すことはできず、辛うじて彼女との間に掌を挟むしか出来なかった。

 そのせいで拳から伝わる衝撃の殆どが体内まで徹る。


「ヘッ」

「……」


 獣人の少女が勝ち誇ったように笑う。

 瞬発力が予測を上回っていた。

 彼女に対するイメージを修正する。


 対応するように、【充気】に当てている【迅気】の量を増やす。

 先ほどよりも、彼女の拳の速度がよく見えるようになる。


【迅気】は他の気術と違い、気そのものの性質の変換なので他の気術と併用して使うことが出来る。



 彼女の突進に対して、再びカウンターを入れる。


「ング、ああああ!!」


 馬鹿の一つ覚えのように、カウンターを気合で耐えながら拳を突き出す彼女。おそらく一撃では自分の方が強いと思っているのだろう。

 そう俺が見せていることにさえ気付かずに。


「……シィッ」

「あッ、がッ」


 笑みを浮かべていた彼女の側頭部にカウンターを入れる。


 流石に手打ちの一撃では意識を失うことは無いが、持ち上がった彼女の瞳は揺れている。ふむ、綺麗に入りすぎたらしい。


 周囲の応援も心なしか、弱々しくなっている。


「……」


 亀のように防御を上げた彼女に対して、俺は大きく振りかぶったストレートを打つ。


「……っここ!」


「ア、グゥッ」


 なるべく無様に腹を抑えながら、目を見開く。

 気を集中させていたとは言え、かなり痛い。


 周囲の自称妹達も拳を握りしめる。楽しんでいるようで何よりだ。


 拳の速度に慣れてきたので、また気の出力を下げる。

 周りから見れば、牛の獣人の少女が若干優勢に見えるだろう。


「ふん、タァ、ハッ」

「……ッ」


 そこから足を止めて、打って打たれての激しい打ち合いが始まる。

 俺は体の丸みを生かしてクリーンヒットを避けながら、彼女のボディへと打ち込んで速度を奪っていく。


 執拗なボディ狙いに怪しむ子供もいたが、きちんと攻撃を貰っているように見えるので、周りからは苦し紛れの攻撃に見えるだろう。


「ハァ、ハァ、ッ、ハァ」


 ダメージが蓄積して膝が痙攣を始める。


「……ッぁ、なんで腹にばっかり、グぅッ」

「……」


 やがて、完全に歩みを止めた少女が何かを言おうとする。


「もう、こう……さ、ヴッ!」


 無防備な鳩尾を抉るように、一撃を入れると、彼女は痛みに蹲る。


 その瞬間に下がった顔面にアッパーを打ち込むと、弾かれたように彼女の体は仰向けに地面に倒れる。


「ハァ、ハァ、ハァ。……次は誰にする?」


 疲労困憊の体で、次の挑戦者を待ち受ける。

 受けて流す戦い方をしたため、俺の体には所々に擦り傷が残っている。

 結構いい感じの勝ち方をしたので、名乗り出る子供は居るだろうと考えていたが、どうやら牛人族の彼女は妹派閥の中では結構な実力者のようで、彼女達は尻込みしている。


「あれ、いないの?」

「っひ」


 怯えたように、一人が座り込む。

 先ほど俺と目が合った鼠の獣人の少女だ。


 あまりにも過剰に怖がっているように見えたが、もしかすると花精族のような心を読む特性を持っているのかもしれない。



「なあ、俺もやってイイよな。それ」


 妹達の輪を飛び越えて軽々と地面に着地した豹の獣人の少年。

 彼は以前に【迅気】の習得の時に俺が石を投げつけて足を踏んで負傷させた少年だった。


 彼が隠れ竜人派閥だったとは思えないので、おそらく俺への報復だろう。

 怒りを押し殺した笑みを浮かべながら、彼は俺に一つの提案をする。


「ルールは同じな」

「はぁ……はぁ……。いいよ」


 俺は頬に付いた血を親指で拭うと、その提案を了承した。


 ルールは同じ、と彼が提案したということは食堂からの流れを彼は見ていたのだろう。そして、このルールならば勝てると思ったに違いない。


 俺は丁度良いと思った。

 彼も『断罪』に参加した子供の一人だったから。




 ◆◆◆◆




「くっ、そ。……お前、わざとか?」

「……はぁ……はぁ、なにが?」


 拳は肘で受け止める。

 蹴りは相手の脛がこちらの膝に当たるように調整して受ける。


 こちらは、相手が苦しむようにひたすら鳩尾を拳で抉る。


 グローブのない格闘は相手に与えるダメージが大きくなるが、それ以上に拳の受けるダメージも大きくなる。

 俺はそれを利用して彼の拳を破壊した。


 まるで、王様のだった彼の大きな態度は、すでに負け犬の様相だった。やはり彼は態度が大きいだけの子供に過ぎない。そこに確たる信念など無かった。


「肘で、ばっかり。があああ」


 俺はもはや弱点となった彼の拳を掌で執拗に握り締める。

 これでも降参しないのは大した根性だ。


 称賛の代わりにもう一度彼の鳩尾を抉る。


「……はぁ……はぁ」

「ぁ、ぐ……が……ぉご」


 もはや形だけとなった荒い呼吸を継続しながら、下だけを執拗に攻撃する。


 彼はそのまま退がろうとするが、俺の間合いを外れるギリギリのところで足に巻き付いた何かが彼の足を引っ張って止める。

 足に巻き付いているのは俺の尻尾だ。


 初めは豹の獣人としての身体能力を生かしたヒットアンドアウェイで立ち回っていたが、尻尾で足を捕まえて一撃を加えて彼の速度を奪ってからは拳を破壊して鳩尾を狙っていた。



 もう一度、鳩尾に拳を突き込んだところで、彼が纏う感情に僅かな恐怖が混じる。

 そうして、息を吸って降参の声を漏らす。


「ま、……ッ」

「シィッ!」


 その直前に俺の拳が喉を潰した。

 下からの攻撃だけを見ていた彼は、上を狙った一撃を無防備に受けた。

 掠れた息だけが漏れて、彼は救援を求めることもできない。


 俺は濃く気を纏う。

 喉を抑える両手首を掴むと、これまでにないほどの力を込めて、強く引っ張る。


 引っ張った反作用を全て膝に乗せて彼の顔面にぶつける。


「……ぶッ”」


 観客の顔に飛んだ血液が掛かる。


 白目を向いた彼は、そのまま倒れるかと思った彼の体は、磔になったかのようにその場で二足で立つ。

 俺の尻尾が彼の胴に巻き付いていた。


 そう言えば勝負は降参するまでだった。

 起こしてあげないといけない。うん。


 限界まで引き絞った拳を、脱力した彼の顔面に向ける。



「シィッ」


「だめだ!!」


 横から介入した掌が、俺の拳を受け止める。

 それぞれの纏う気が干渉し合って反発する。



「……邪魔をしないでくれよ」

「だ、だめだ。これ以上は、死んじゃう」


 邪魔をしたエルフの少年、モンクは視線をキョロキョロと動かしながら、そう声を上げた。



「モンクを呼んだのは、誰かな」

「ぁ」


 鼠の獣人、お前か。

 途中から姿が見えないと思ったら、こういうことだったか。

 俺は彼女の方に向き直ると、一歩を踏み出した。


「な、やめ、もうやめるんだ」


 倒れ込むように重心を傾けて、さらに一歩。

 通常の気から【迅気】へと切り替えて、瞬時にトップスピードで走る。


 すると、モンクが【迅気】を纏い俺よりも速い速度で彼女を守ろうと追いかけて来る、ので、背後から迫るモンクへと肘打ちを入れる。


「ぐ、初めから僕が狙いだったんだね」


 モンクは自身の体重の乗った肘の攻撃を体で受け止めるが、ダメージは酷く少ない。


【迅気】を纏った状態は速いが、脆い。

 そのままでは防御には向かない。そのままで肘打ちを受ければ動けなくなっていただろう。

 しかし、モンクはほぼ反射に等しい速度で【迅気】から別の気へと切り替えた。

 彼が現在纏っているものはニュートラルな気……【素気】とでも呼ぼう……それとは違うものだった。

 速度に特化した【迅気】への変換があるならば、守りや力に特化した別の変換も存在していると思ったが、やはりそうだったか。


 名付けるならば【護気】、あるいは【硬気】といったところか。


 彼はそれらの変換を無意識的に行使している。



 やはり、彼は俺にとって脅威であるとともに、最高の教材だった。

 目的からは少しずれるが、平和主義的な彼には珍しく、今日はやる気のようだった。


 俺は現在の状況を考え直す。

 部屋割りの入れ替え、という当初の賭けの対象は消え失せている。

 モンクはただ、喧嘩を止めるためにやってきただけだ。

 負けても何かを奪われる訳では無い。


 本気の彼の技術をもっと観察したい。

 彼と戦うことを決めた後は、誘い文句を考える。


『君が俺と本気で戦ってくれるなら、他に手は出さない』


 ……これでは彼の危機感を煽るには足りないな。


「君を半殺しにした後で、鼠の獣人そいつを同じ目に合わせるよ」

「ッ……させない!絶対に!」



 やはり勇者ヒーロー姫様ヒロインが後ろに居る方が頑張れるというもの。

 側に転がる豹の獣人の体を蹴飛ばすと、俺は小さく頷いた。




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第39話『悪振る』


悪……振る?

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