第37話『煉る』
【迅気】習得のための訓練が始まってから全体的に訓練がハードになった。
その一つが『戦闘訓練』における順位制だ。
俺たちの部屋が割り当てられた区画の広間に表札のような板が貼り付けられている。それぞれの板には名前の代わりに種族を模したような絵が描かれている。
例えば俺の札は、とぐろを巻いた黒い蛇の意匠が刻まれている。
エルフの少年、モンクは薄い水色の葉の模様だ。おそらく髪色や目の色を反映しているのだろう。
現在の俺の順位は五番。
上から竜人娘、トラ、モンクはほぼ不動で、俺の順位は4位から10位あたりをウロウロしている。
元同室だった鬼人族の少年や、人族の少女あたりと勝ったり負けたりしている。
これらの順位は毎回の訓練で師範から選ばれた数組の子供達の模擬戦によって変動する。
下の順位のものが勝てば変動し、負ければ変動は無い。
模擬戦は日によってフィールドが変わる。
運動場が一番多いが、時には罠の張り巡らされた『設罠術』の訓練場や森の中で行われることもある。
向かい合っての正面戦闘ではなく索敵などの戦う前の準備も含めて戦闘能力だとコンジは考えているのだろう。
俺は森の中では時折モンクに勝つこともあるのだが、運動場ではあまり活躍できず、高順位を維持することが出来ていなかった。
そして模擬戦がハードである理由として、死ぬ直前まで師範が戦闘を止めない、というのがある。勝手に攻撃を止めた子供を師範が半殺しになるまで殴り付けて以来、相手が気絶するまで攻撃を与えるのが通例となっている。
もちろん、降参など許される筈もない。
◆◆◆◆
『生存訓練』が終わって半年が経った頃、久しぶりに『特殊訓練』が行われた。とは言っても誰かが死んで『解体術』の講義が開かれた、という訳ではなく、仙器化に関わる訓練だった。
問題はその時の師範が、蛇人族の師範でもコンジでも無かったこと。
以前にも見た片腕だけの青年に連れられて、子供達は瞑想室へとやってきた。
今度はどんな訓練があるのだろうと、そわそわしていると、廊下の外からコツコツと規則正しい足音が近づいて来る。
この足音、わざと鳴らしているな。仮にも師範が足音を漏らす間抜けなどする筈が無い。
瞑想室の扉を開いて現れた存在に子供達の注目が集まる。コンジとも蛇人族の師範とも異なる彼はコンジよりは若干小柄ではあるが、人族だと俺は予想した。
男は指の骨を鳴らすと、ローブの下で攻撃的に笑う。
「今日から
特徴のある口調に反してその声は若い男のものだった。
「どうやら、此処に居る者は全員【迅気】を使えると聞いておる。ならば
ほぼ毎日の毒を飲んでからの走りこみによって、子供達は【迅気】を強制的に習得させられていた。
【迅気】は気を使ってどうこうする技術ではなく、気そのものの性質を変換する技術だった。
俺たちは普段から気を僅かに纏っている訳だが、それにより身体能力や治癒能力が底上げされる。
より高い密度で纏えばより強化の度合いは大きくなるが、比例して消費も増える。
【迅気】は速度に関わる部分の強化だけに絞ることで効率化を図るものらしい。長時間、気を消費しながら走らされることで肉体が勝手に効率的な気の運用を覚えることを利用した訓練だったらしい。
それにしても、この師範、どこかで見たことがある気がするな。
祈祷室だろうか。あそこは結構な数の大人が出入りしているから、知らないうちにすれ違っていてもおかしくない。
そうして始まる彼の講義は俺の求めていたものだった。
俺が漠然と認識していたモンクの仙器との違いを、確立された技術と理屈を以って切り分けていく。
しかし、困ったことに彼は講義の度に指定した仙器化を成功させるまで食事を抜く、というスパルタな指導を行う。
子供達は成長する代わりに脱落するものが極端に増えるようになった。
彼の指導が始まって一年の間に十人以上が干物のようになって飢えて死んでいった。
この時に、気の扱いを不得意とする獣人の子供の多くが死んでいった。
その中でも下位の子供達は気術の扱いが苦手なようで、『特殊訓練』の度に餓死して死んでいくのは大抵が彼らだった。
だからこそ中位にいるものは死に物狂いで気術を磨くようになった。
この頃に祈祷室と同様に、運動場の一つが自由時間に解放された。
同室の者たちが互いに技を磨く中、俺は一人寂しくナイフを振るうようになった。
中には気術の練習をここでする者もいるようだが、俺は自分の手札を見せびらかす趣味は無いので、ここでは見せても良い技術の練度を高める事だけに集中した。
◆◆◆◆
俺は部屋に戻ると、竜人娘の姿は見当たらない。毎日では無いが珍しい事では無い。『生存訓練』以前から彼女が姿を消す事は往々にあった。
大抵数時間してから戻ってくるので、この間に俺は人に見せられないことをする。
とりあえず、朝起きた時にズレた布団を中央に戻し、その上に腰を下ろして胡座を組む。
そうして、俺は自分の身体の仙器化に取り掛かる。
鱗の仙器化が終わった俺は、さらに仙器化の技術を高めた後に、現在は筋肉の仙器化に取り掛かっている。
しかし、筋肉の仙器化は思った以上に繊細で、前に一度失敗したことがある。その時は筋肉の断裂以上に惨たらしい状態となった。
仙器化に失敗した脇腹の筋肉とその周囲の皮膚が溶け落ちて、その下の組織が丸見えの状態になった。
だが、この里の医療技術は凄まじく、数日で回復させられた。
ここまでの速度での修復が可能だったのは、おそらく俺自身が意識して怪我の部位に気を集めていたのもあるが、怪我人など日常茶飯事である里は治療技術も発達しているのも理由だろう。
筋肉の仙器化が鱗よりも難しい理由はもう一つある。
「フーッ、フーッ」
俺は痛みを堪えるように、布を噛みながら脹脛の筋肉に仙器化を施す。それでも堪えきれない呻き声が部屋に響く。
そう、肉体の仙器化には強い痛みを伴う。
流石に失敗して筋肉が溶け落ちた時程では無いが、ナイフで文字でも刻まれているかような鋭く容赦の無い痛みだ。
師範らが安易に教えない訳だ。
鱗は神経が通っていないから気づかなかったが、これは子供が耐えられるような痛みでは無い。
俺は痛みの濁流に意識を流されないようにゆっくりと仙器化を進める。痛みが続くのを嫌って手早く終わらせようとすれば、以前のように失敗する。
自分で自分を拷問するような行為をひたすらに続けて、体感では数時間経ったところで筋肉の仙器化が終了する。
実際はその半分程度の時間だろう。
俺は一段階高いレベルまで強化された感覚に満足しながら、姿勢を崩して手を添える足を交代する。
俺はさらにもう片方の足の仙器化を始めた。
例え筋力が強化されたとしても、片方だけだと返ってバランスを崩して怪我をすることになる。
二度目となれば少し手慣れて、先ほどよりも速く付与を終わらせることができた。
痛みに耐え続けて集中したためか、身体中から全力疾走した時のように汗が噴き出していた。
汗を拭き取ろうと、水桶に手を伸ばしたところで、いつの間にか竜人娘が部屋に戻ってきていたのに気づいた。
「っ……見ていたのか」
「……」
扉を背にした彼女は、俺の体へと視線をやると少しだけ瞼を上げる。
そうして、一言。
「お前もか」
お前も。
その言葉から予想できる事実は一つだ。
彼女も肉体の仙器化という方法に行き着いたのだ。
「ヘビもどきのしっぽがザラザラするようになった」
そう言って、尻尾の先をむんずと掴む。一瞬トラウマが蘇ってヒヤリとする。彼女が俺が肉体に施した仙器化に気付いたのは今ではなく、結構前ということか。
ザラザラ、というのは俺にはピンと来ないが、おそらく竜人の特性で感じ取ったのだろう。
対する彼女はどこの仙器化を行ったのだろうかと思っていると、その疑問が伝わったのか、彼女は俺の掌を導いて首元に持っていく。
その無防備さに一言言いたい気分にさせられたが、喉に触れた途端に彼女が言っていたことを理解する。
なるほど、これは言葉では伝わらないな。
おそらく、俺自身も肉体の仙器化に手を出していなかったら気付く事はできなかっただろう。そんな小さなノイズを指先から感じ取った。
それにしても肉体の仙器化は物質の仙器化と違って感じ取りにくいな。そもそも人体が気を発する物であるために、その中の僅かな変化は実際に触れないと見破るのは難しそうだ。
「これは、自分で思いついたのか」
俺は思わず問いかける。
それに、喉というリスクの大きそうな部位に付与を行った理由も気になる。
「
おそらく、あいつらとは師範達のことだろう。
彼女はよく師範に打ちのめされていたが、その時に彼らが仙器化をしているのに気づいたのだろう。
俺は師範と戦った事は無かったので、彼女と同じ方法で気付く事は無かっただろう。
そして、やはり師範達は肉体の仙器化に手を出していた。
「『生存訓練』でさいごにきたやつは、『躰篭』とよんでいた」
名前がついているということは、気術の一分類として肉体の仙器化、躰篭は存在している訳だ。
通りで彼らの身体能力に違和感があった訳だ。
指先に仙器化とは違う、別の感触があった。
側面からうなじにかけての所に小さな鱗がある。もう一度確かめるように指を滑らせた途端に、竜人娘に腕を叩き落とされる。
手加減はしているものの結構な力が籠もっていて、指先がジンと痺れた。
「さわるな」
自分から触らせたんだろという小言を飲み込んで、俺は首だけで頷いた。
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第37話『煉る』
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