第35話『箱入り娘』

 三人称視点です。

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「ガアアアアアアアああアアアああアア」


 苛立ちを含んだ声が、久方ぶりに彼女の喉を揺らす。

 同時に彼女の肉体に貯蓄されていた莫大な量の気が解放され、容赦無く周囲を押し流す。


「ほう、これが」


 蛇人族の少年を気絶させた男は、感心したように呟く。


 彼女から放たれたと思った気が、今度は逆再生のように渦を巻きながら彼女の肉体に集中する。


 後のことなど一切を投げ捨てた、全力の【充気】を纏う。


 側にいた風精族の少女は放出された気の圧力で吹き飛ばされて気を失っていた。


 うねる竜の尾が地面を叩けば、地面が爆発してその礫が飛んでくる。


「まだ、荒いのう」


 男は高速にナイフを傾けて礫の全てを受け流す。

 怒りに我を忘れて、力任せの攻撃を振るう少女に、男は落胆の声を漏らす。

 どんな時も冷静に、淡々と任務を遂行することだけを考える。

 感情によって動くなどもってのほか。それが彼らの在り方だ。


 しかし、荒削りながらも巨大な宝石さいのうを前に男の顔は歪む。


「——スゥ」


 礫の嵐が止まり、こちらから踏み込もうというところで、深い呼吸音。そして、土煙の向こうの少女の喉に、高密度の気が集まっているのが見えた。


「カカカッ、自ずから躰篭たいろうにまで手を出したか、小娘」


【躰篭】とは、生きた肉体の仙器化の技術である。

 そう、彼女は蛇人族の少年よりも先に自身の仙器化を始めていたのだ。


 何度も失敗し、密かに血を吐いて、躰篭を成功させた。

 竜人の再生能力による力押しのような手段でそれを身につけた。


 彼女が初めに手を掛けたのは、その喉。


「なるほど、これが正真正銘、竜の息吹ブレスかや」



「■■■ッッッ————!!!!」


 彼女から見て放射線状の空間が、圧縮された気によってミキサーのように攪拌される。


 もちろん、彼女の咆哮が持つ音量も強化されており、近くに立っているだけで人間の鼓膜はダメージを受けるだろう。


 射程に収まった木々や岩の表面は削れ、石は吹き飛ぶ。

 まさに小規模の天変地異が起こった。



「…ゥ…」


 竜の咆哮ブレスの反動で、喉に焼かれるような痛みを感じながら、竜人の少女は男の行方を探る。

 巻き上げられたチリがパラパラと落ちる中で、彼女の意識の隙間を縫うように無手の男が迫る。


 そうして彼の掌が少女の首筋に迫る直前。


「……っ」

「み”つけたぞ、げろう」


 枯れた声と共に、彼の眼球を抉る軌道をナイフが走る。


 気付かれているとは思わなかった男は、僅かに驚きを滲ませながらも、最小限の体重移動でナイフの刃を躱す。


 代わりに、カウンターに掌底を繰り出す。


「カカッ、流石は竜人なり」

「……がッ」


 称賛の言葉とともに側頭部に一撃を加えて、少女の意識を刈り取った。グルンと目を回した彼女はその場にパタリと倒れ込んだ。


「あと指一本分でも速く動ければ、届いたかもしれんの」


 これからこの場の三人を回収して里に戻るつもりの男だが、先ほど彼女が男の隠形を見破った理由を考える。

 彼女は情報からして気の探知以外はそれほど得意ではなかった筈だ。


 足音を完全に殺し、気を断てば彼女が気付ける道理は無い。


 そう思いながら、ローブについた塵をはたき落としていると、靴の後ろに竹の串が刺さっているのに気づいた。

 その串は矮小ながらも仙器となっており、僅かに気の気配を感じる。


「……矮小だからこそ、気づけなんだ」


 小さく呟いて、ピンと指で弾いて竹の串を飛ばす。


 そして、発信器を仕込んだ仕立て人の少年に視線をやる。


「カカカッ、やりおる」


 自分に気付かれずに串を仕込んだ事。

 力量で言えば今一つだが、暗殺向きの才能は彼にとって竜人の力と同じく称賛すべきものだった。


 森の中で、次々と悲鳴や呻き声が上がる。


 そうして使徒候補の一つ目のふるい、『生存訓練』が幕を閉じた。




 ◆◆◆◆




 現在は訓練に使われていない瞑想室の一つに四人の大人が集まる。

 そのうち二人は452期の使徒候補を指導している師範達だ。


「今期は豊作そうだ。ただ、例年より進みが早すぎるのではないか?」


 子供達の洗礼を担当する『司祭』は彼らの報告書を片手に呟いた。


「これまでが遅すぎただけだ。それに今期は亜人が多い」

「ふぅん、そういうものか」


 コンジと呼ばれる男からの報告を『司祭』は興味なさげに切り捨てる。


「今期は種族が分かれているせいで、自己の確立が強いように見えるね。そのせいで『生存訓練』でも協力による停滞が起こった」


 蛇人族の師範は薄ら笑いを浮かべながら、気になる点を述べる。

 例年であれば子供達はもっと散り散りになる。

 疑心暗鬼になり、もっと彼らの殺し合いは激しくなる筈だった。


 やはり突出した個が存在すると、それ以外は遠慮を覚えるのが良くなかった。


「ならば、こちらでどうとでも調整すれば良い。信用が崩壊する環境を作る」


 信じられるのがだけであることを理解させる必要がある。

 問題は、それほどまでに厳しい訓練を与えて、果たして残る子供がいるか、だが……。


「カカカ。なぁに、才能は羨ましいぐらいに集まってるからの。こちらと交換したいぐらいだ!躰篭に手を出した子供が二人も居ったぞ」


 子供達の回収を手伝った444期の師範、ラカが笑う。

 彼は訓練が始まってたった二年にして子供の数が半分に減るほどまでに厳しい訓練を施していた。

 しかし彼が育てた子供達の性能は、通常の過程よりも優れた数値を見せている。


「なぁ、オレの作品と、貴様のとで腕比べをするのはどうかの?ん?」

「それは今回の議題とは関係無い」


 ピシャリと切り捨てるコンジ。そもそも異なる期の子供同士を比べること自体が意味がないものだと彼は考えている。


 現在の里の教育は質と量のバランス主義に舵を切っているが、彼はそれとは逆行するように質を重視した教育を施している。


 里は彼のやり方を試験的に認める事にした。


 同様に人族を中心としていた子供達の種族編成から、多様な種族を同じ場所で育ててみるという試みを同時並行して進めることにした。


 この結果によっては里の在り方は大きく変わるだろう。

 そのため、上層部の人族主義に傾倒している者はこれらの試みが頓挫するように規則に反しない範囲で邪魔を入れたりしていた。


 これまでは規則の範囲に収まっていたが、それが今回、遂に境界線を越えた。


「エイセキが薬を無断使用した上に、それを訓練の妨害に使用したことが発覚した」


 コンジの放ったその言葉に、師範達はざわつく。

 エイセキとは子供達がシスターと呼ぶ三人目の師範のことだ。


「里における私刑、特に子供が対象となるものは、即刻命で償う掟だ。異論のあるものはいるか?」


 既にここは一枚岩となっている。反論などある筈もない。


「それでは、エイセキを奉仕刑に処す」




 ◆◆◆◆




「お前を拘束する」


 子供の移動と下準備を終え、『生存訓練』が始まるその直前にコンジはエイセキにそう告げた。


「……私はまだ何もしていませんよ」


 暗にこれから『何か』をする可能性を示唆しながらも、落ち着いて反論するエイセキ。


「いや、もう遅い」

「……?意味が分からないのですが」


 真っ向から彼女の言葉を反論するコンジに訝しげな目を向ける。


「薬を持ち出したのは知っている」

「……これですか?私は気の出力が少ない方なので、必要なものなのです」


 用意していた言い訳で誤魔化すエイセキ。

 それでも、足を止めることなくエイセキとの距離をゆっくりと詰めてくるコンジに嫌な予感が高まる。


「理由もなく拘束すれば、どうなるか理解しているのですかっ!」

「理由は後からできる」


「ぐ、ぁ」


 コンジはエイセキの腕を捻りあげると、その手から硝子の瓶がこぼれ落ちる。


 そのままコンジが瓶を踏みつぶせば、中から肉を腐食させる毒がドロリと流れ出る。



 後の調査で判明した情報によると、瞑想室から失われた毒薬は丁度、瓶一つ分だった。


 蛇人族の少女に毒を渡したのはエイセキではない。

 それを知りながらコンジは彼女を拘束した。




 ◆◆◆◆




『生存訓練』を終えて、終日休みとなったその日、俺は一人祈祷室へ向かった。この部屋に来るのはどうしても行かなければならない用がある時のみで、それ以外はなるべく来ないようにしている。


 しかし、それでも形だけの祈りをするのは今回で四回目だ。


 一回目は、蛇人族の師範に連れられて。

 二回目は、コンジにシスターの怪しい動きを伝えるため。



 ——三回目は、蛇人族の少女に毒薬を渡すため。


 全ては自作自演で、毒を用意したのも、毒を食らったのも俺だ。

 利用されるだけだった蛇人族の彼女は可哀想だが、それでも毒薬を人に使うのだから自分が殺されても仕方が無いだろう。


 どこから来るか分からない襲撃を待つくらいなら、自分で襲撃を起こさせれば良い。


 暗殺組織だけあって、毒の扱いには厳重だろうと思っていたが、その予想が当たっていて良かった。


 一つ残念なことがあるとすれば、折角鍛え上げた毒への耐性がそれほど役に立たなかったということだろう。



 シスターが『生存訓練』で行動を起こすかどうかは半分賭けだったが、無事当たった。もしかすると花精族の特性が無意識に読み取っていたのかもしれない。


 隣に金髪の大男が座って祈りを始める。


 こちらに話しかけてくることは無いが、代わりに分かりやすく咎めるような感情の色を纏う。

 分かっている。こんな大それたこと滅多にしない。今回は命の危険を感じたから行動を起こしただけだ。


 俺は祭壇に飾られたナイフに頭を下げると、椅子から立ち上がり、コンジとは反対の通路を通って出口に向かう。


 俺は身長の倍は大きな扉を押し開いて祈祷室を出た。




「—…—……」




 出口の直ぐ横には、真新しいが一つ増えていた。




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 第35話『箱入り娘』

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