第33話『壁』
「これでもんく無いでしょ?」
ウェンを名乗る羽虫女が差し出してきたのは、首を断たれた〈兎〉の胴体だった。どうやら拠点から追い出されたのは食事を自身で用意しなかったからだと思っているようだ。
この女は竜人娘にちょっかいを出すからこの場に置きたくないというのが本音だ。
「……この拠点には来ないでくれ」
「——は?なんでアンタが決めるの?」
端的に出入り禁止を告げた瞬間に、ウェンの瞳が闇を帯びる。
「君がいることがここの平穏を乱すからだよ」
「じゃあ、大人しくするからここにおいてよ。それでいいでしょ?それとも、アンタがお姉さまをひとりじめしたいだけじゃないの?ねぇ、そうでしょ!アタシからお姉さまをとるつもりでしょ!アンタだけがお姉さまとふたりきりになってアタシは一人でいろっていうんでしょゆるさないゆるさないゆるさないゆるさない」
目を見開きながら詰め寄ってくる羽虫女を引き剥がそうと、肩を掴もうとするがその手を弾かれ、逆に肩を掴み返されて至近距離で瞳を覗き込みながら怒りを向けてくる。
俺は腰のナイフを確かめるように手を滑らせながらその瞳を見返す。
「許さなくても構わない」
「!なにそれ。じぶんは好かれてるつもりなの、だからすきかってしてもおこられないつもりなんだ。ずるいずるいずるいずるいずるい」
据わった目で不満を垂れ流す羽虫女。
目の前の存在は俺を殺すつもりなのか、花精族の特性を使って深い激情の奥を見透かそうとするが表面に見える嫉妬の色が強すぎて識別できない。
慎重を期して殺すか。
しかし、今回は蛇人族の少女の時や、花精族の少女の時と違い、正当性を主張できないところが問題である。
蛇人族の少女の時はそもそもナイフを刺された状態から始まった。
花精族の少女の時は竜人娘を殺すのに協力しなければ、敵対する状況だった。仮に協力しても竜人娘を殺すか殺されるか、間違いなく殺されてていただろうが、どちらを殺すか、という選択を迫られた状況だったと言える。
しかし、目の前の羽虫女に関しては殺意を確信できていない。
師範達が俺達の行動を逐一観察しているのならば、この行動がどう評価されるか考えて動かなければならない。
「はぁ」
俺は竜人娘の周りをチョロチョロしていた彼女に対する俺の怒りを鎮めると、もう一度彼女にチャンスを与えることにした。
「彼女に不用意に近づかないと約束してくれ。君の行動を不快に思ってるみたいだ」
「……不快になんて、おもってない」
急に激情が消えて沈黙したのかと思ったら、小さな声で反論してきた。
「少なくとも気絶した君を遠くに運ぶように言ったのは彼女だよ」
「!?」
誰だって、近くを付き纏われたら鬱陶しいに決まっている。
これは竜人娘が特別敏感という訳ではなく、俺も同じ気持ちになるだろう。
認め難い事実を突きつけられて彼女はガシガシと頭を掻き毟る。
「〜〜〜〜〜っ!なんで!こんなにアタシは好きなのに!!」
果たして、自身の良くない行動を指摘されただけでここまで取り乱すのかと頭を捻る。
前世であれば保育園か小学校に行っている年頃か。
俺の記憶は曖昧だが、知識としてその年頃の子供は衝動を制御しづらいものだと知っている。
……おかしいのはこちらか。
例え大人になることを強制されるこの環境においても情動の部分は急速に成長させることは難しい。
こういう子供を説得するには相手の理屈を用いるのが早い。
「俺は君が好きだけど、君は俺が好きではないよね?」
「……ぐすっ……うん」
羽虫女の事など、微塵も好きでは無いが例えとしては分かりやすいだろう。
「どれだけお姉さま?のことが好きでも、相手が好きになってくれる訳じゃないってこと、分かる?」
「…………いやだ、わかんない」
「チッ」
ふぅ、そうだよな。嫌いな奴に諭されて、素直に頷く者なんていないか。
ナイフの刃に映った自身の顔を眺めながら、彼女をうまく説得する方法を考える。
そもそも、なんで俺がこんなことをしなければいけないのか。
彼女は竜人娘の自称妹なのだから、姉である竜人娘がどうにかしてくれれば良いのだ。
「分かった。とにかく彼女に抱きついたり、触ったりする時には本人に許可を貰ってからしてくれ。そして、彼女の言うことには必ず従う事を約束してくれ。約束するなら、ここにいても良い。もし約束を破ればここから出て二度と近づかないことも約束してくれ」
「うん、わかった」
……本当に分かって返事をしているのだろうか。
◆◆◆◆
拠点周辺に罠を仕掛けながら走り回っていると、子供の影が視界に過ぎる。
俺は木の枝から降りると彼の対面から歩いて近づく。
「だれだ!」
その少年は、焚き火に手をかざしながら、体を縮こまらせていた。名前は知らないが見覚えはある。
耳は長いが、エルフっぽくは無いので、何らかの精霊族なのだろう。
彼がその場から動かないため、寒いのかと思ったが、彼が動けないでいるのはそれとは別の理由だろう。
「……ネチネチ」
その呼び名は定着しているのだろうか。
「そうだけど、お腹空いてる?」
問いかけて直ぐに彼の腹が鳴る。恥ずかしそうにする彼を見て苦笑して見せると、俺は懐から干し肉を取り出した。
「これ、いる?」
「……ただ、じゃないよな」
勿論。
しかし、法外な対価を要求するつもりも無い。
「それを少し貸してくれるだけで良いよ」
俺が指差したのは、彼の持つナイフ。
彼が焚き火を着火するのに使用した、『発火』の仙器化が施された赤熱したナイフ。
天才的な気術の適性を持つモンクが片手間に作成したものだが、俺の施した切断強化の仙器ナイフよりも遥かに高度な技術が使われている。
認め難いものだが、たかが数十年の知識のアドバンテージは生まれて5、6年の天才に劣る。
俺にプライドは無い。
だからこそ、技術を模倣するのに躊躇いも無い。
干し肉と引き換えに、受け取ったナイフをじっと眺める。
気の探知を限界まで狭めて、代わりに精度を上げる。
俺が持っているものとの違いを探る。深く深く……。
「なぁ」
付与に使われた気の量は、変わらないか。
僅かに刃の方に隔たって気が分布しているように感じる。
おそらく『発火』の仙器となっているのはナイフ全体ではなく、刃の部分だけだ。
なるほど、一つの物体でも一部だけを仙器とする事ができるのか。
今までの俺には全体を固くしたり、鋭くしたりといった発想しか無かった。
子供の柔軟さはやはり大人の思考では真似できないな。俺が勝るのは忍耐ぐらいだろう。
「……もういいよな?」
意識を手元に集中させたまま、気を込めると刃先が燃え上がるように火を放つ。
気を注入した途端に異なる仙器に切り替わったような感覚。
「……ぁ」
漏れた吐息は、感嘆と絶望だ。
なまじ、仙器化を身に付けたからこそ理解した。
これはシスターが持っていた疲労のナイフと同質のものだ。
強く歯を食いしばる。
「まだか?」
「いや、もう良いよ。ありがとう」
彼に赤熱したナイフを返して、俺はトボトボとその場を離れて行く。
「はぁ、そっか……」
彼は呆けた声を上げながら俺を見送る。
「フゥ……フゥ……フゥ」
息を荒げながら、森の中を走る。
ナイフに付与された力は一種類では無かった。
少なくとも三種類、三重の仙器化が施されていた。
一つ目は気を注入していない状態での『保温』。
あのナイフが大体いつも赤熱して見えたのは、温度を高いままで保つ効果が付与されていたのだ。
二つ目はナイフの中にある気を消費しての『発熱』。発火の正体はこの部分の効果だ。
三つ目は『条件変化』と呼べる効果だ。気を注入する、という条件を達成することで、あのナイフは『保温』のナイフから『発熱』のナイフへと変化する。
どうして『保温』と『発熱』を同時に発揮するナイフではなく『条件変化』を間に挟んだのだろうか。
別の効果を同時に二つ発現させるのが難しい?
ならば通常状態では『保温』と同時に『条件変化』が発現しているわけでは無いのか?
つくづく鱗の仙器化を先に施してしまったのが悔やまれる。
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第33話『壁』
俺は竜人ちゃんの強火同担拒否メンヘラストーカーオタク。
本人に対して解釈違いとか言うタイプ。
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