第32話『リスク』
「ネチネチ!」
深い森の中では空に日が昇っても、影がかかる。
俺が朝の食事をしていたところ、酷く喧しい声が横から響く。
「……俺のことかな?」
極めて穏やかな表情、穏やかな声色で羽ナシ羽虫に尋ね返す。
竜人娘の追っかけをしている彼女はエルフではなく、風精族らしい。本来であれば羽があるのだが、生まれてすぐに千切られて再生しないように焼かれたらしい。
だから羽ナシ羽虫。彼女のことはそう呼ぶと今そう決めた。
「そう、ネチネチ。いやらしい攻撃ばっかりするから、みんなそう呼んでるのよ」
「へぇ、初めて聞いた。ありがとね」
初めて聞いたというのは嘘。ありがとうも嘘。
「あたしのことはウェンって呼んで……じゃなくて。あたしの分だけ少なくない?」
図々しくも自分の呼び名だけは名乗る羽ナシ羽虫。
彼女が指差すのはスープの入った器。
俺の持っているものには野菜と肉から取った出汁が入っているが彼女のものにはスープが一滴も入っておらず。野菜を入れるときに取り除いたヘタが入っている。
切り離されて時間が経ったせいで、萎れてクタっとしている。
「だって、何も取ってきてないでしょ?」
「うん」
もしかしてこの羽虫はジッとしてれば飯が出てくるとでも思っているのか。
俺が取ってきた野菜や、竜人娘が狩ってきた肉を、俺が調理する。
量としては3人分を余裕を持って賄う事は出来るが、保存食にしたりも考えると、捨てるように与えるほど潤沢ではない。
ましてや、何の貢献もしない上にやかましいという、存在が公害の羽虫を養う余裕は無いのだ。
「自分で取ってきたら?」
「ぐぬぬ」
懇切丁寧に説明した上で、そう問いかけてあげれば、彼女は睨みつけながら唸るだけとなった。
威嚇してるつもりだろうか。俺の中の威嚇は馬乗りになって喉輪を喰らわせるまでが最低なので、彼女のそれはただのにらめっこと等しい。
因みに、馬乗り喉輪からごく至近距離で咆哮を浴びせるか、そのまま気絶するまで喉を締めるのが
しかし、唸り続ける彼女が面倒になったため、俺は彼女の器に一つ放り込んだ。
これで彼女の器には野菜のヘタが二つになった。
「う、うえ〜〜〜〜〜ん!!ネチネチがぁ〜〜〜〜、いじわるする〜〜〜〜〜!」
大きく口を歪めて、泣き声を上げる彼女。
子供かと思ったが、子供なのだと今更に思い出した。
「うわ〜〜ん、お姉さま〜〜」
誰だソイツはと思っていたら、彼女は竜人娘の方に走り寄っていく。
なりたいのは妹ではなく友達だと言っていた筈だ。さすがに欲張りすぎだろう。
「へぶっ……」
竜人娘の腹に抱きついた彼女の脳天に肘鉄が減り込む。
ズルズルと地面に倒れ込む羽虫女。
力の抜けた体を竜人娘はペイッと横に投げて捨てる。
「すててこい」
コクリと頷く。
俺としてもタダ飯喰らいの不快害虫に居て欲しい理由など無い。
羽虫女を肩に担いで森に出た。
そして、1キロ程離れた川の近くの適当な木の枝に物を干すように胴体を引っかける。
「お"ぅ」
腹に体重が掛かったことで呻き声が漏れる。
これでも起きないとなると寝込みを〈鴨〉に襲われるかもしれないな。
それならそれで別に良いと放置した。
そして、野草を摘みながらの帰り道の途中、雷狼に遭遇する。
彼らは電気を纏っているせいで、その場にいるだけでも空気の弾ける音がするから大変見つけやすい。
代わりに触れるだけで感電する、という厄介な性質を持っている。
「ワ"ウ"ウウ"ウウゥ」
速度も普通、力も普通、しかし触れると危険な雷狼は〈狼〉の中では今の所最も危険なタイプだ。
以前は頂点として影狼が居たわけだが、あれは〈狼〉では無いことが発覚したので考えない事にする。
感電は【充気】によって防ぐ事は出来るが、少し疲れるので俺は別の方法にする。
「ガゥッ!」
「……シッ」
飛びかかって来た狼の顔を狙って、懐から取り出した竹の針を投げる。
キャン、と子犬のような情けない声を上げながら頭を振った雷狼は眼球は避けたが頬のところに針が貫通する。
馬鹿の一つ覚えのように噛み付いて来る雷狼に、同じように針を投げる。
しばらく繰り返せば、顔からサボテンのように針が生えた狼がトボトボと俺から逃げて行く。
俺は雷狼を追う事はしない。
もしも追いかけて雷狼が群れで待っていたりなどしたら、命に関わるからだ。
運が良ければそのまま脳まで針が刺さるが、今回は運が悪かったらしい。
幸い竹の針は腐るほどあるので、雷狼の撃退で収支はプラスと言える。
俺は血を滴らせながら去って行く〈狼〉の姿を見ながら、その能力について、考察を深める。
これまでは、気の性質の中に俺の知らない部分があり、それによって彼らが電気や風を操っているのだと考えていたが、それは早とちりだったのかもしれない。
改めて俺の持つ手札を見直す。
【放気】は気を放出する技術だ。気の操作技術の入り口であり、習得にかなり手間取ったのを覚えている。
【充気】は放出した気を肉体の表面に纏う技術だ。【放気】の習得とほぼ変わらないタイミングで習得した。
他には、名前のついた技術では無いが気を抑えるのも俺は得意だ。
「後は仙器化か」
今知っている中では最も自由度が高く、俺が可能性を感じている技術だ。
「これか?」
仙器化は所謂無機物に特定の効果を付与するだけのものだと思っていたがよくよく考えれば、俺は竜人娘の鱗にも仙器化を施すことができていた。
剥がした鱗が仙器化できて、剥がす前の鱗に仙器化ができない道理は無い。
「〈狼〉たちは自分の体を仙器化している……?」
そう考えると、彼らが多様な性質を持っている理由も納得が行く。
筋肉の発達した〈狼〉は筋肉への単純強化の付与。
雷狼は筋肉が発する電力を強化しているのだろう。
風狼は……納得できる理屈は考え付かないが、ナイフに火を付与するのと似た感じだろうか。
俺は早速自身の体での仙器化を試そうとして、直前になって押し止まる。
仙器化に失敗した場合、器に使用したものは脆くなって崩れ落ちる。
自身の体で失敗すれば、何が起こるか、深く考えなくとも分かるだろう。
この森に特殊能力を持たない〈狼〉が存在しない理由をなんとなく察する。おそらく、能力を獲得したものだけが厳しいこの森の環境で生きていけるのだろう。
自身の体を秤に掛けてそのリスクを取れるか。
俺はその場に佇んで考え込む。
ここはいつ殺されるか分からない物騒な世界だ。
訓練の最中に死ぬこともありうるし、師範が心変わりして俺を殺しにくる可能性だってある。里の外には〈狼〉など比較にならない化け物が闊歩していることだって考えられる。
無事に訓練を終えても、死ぬのと等しい命令を与えられる可能性だってある。
そうならないためには、誰よりも強く、突き抜けなければならない。
ならば、できる。この程度のリスクは受け入れる。
命を拾うために命を捨てる矛盾を飲み込もう。
……しかし、今の段階で俺の技術が命を賭けるほど信頼できるか、と問われると少し怪しい。
ということで、俺はリスクを分割することを考えた。
俺は誰にも邪魔されない環境を作るために、まだ早い時間のうちに拠点に戻ることにした。
◆◆◆◆
「すぅ……ふぅ」
段々と呼吸の間隔が伸びていく。
体の前面に回した尻尾。その鱗の内の一つに意識を集中させる。
硬く、ただ硬く。
俺を守れるくらいに硬く。
刃を弾くくらいに硬く。
限界まで気を集中させながら、俺の意思によって集まった気を染め上げて行く。
やがて、成功した手応えと共に鱗が変質したのが分かった。
速度よりも精度重視で仙器化を行ったために、少し時間が掛かったようだ。
俺は懐から仙器化した針を取り出して、硬化を付与した鱗に突き刺すが、先端が折れ曲がったのを見て笑みを深める。
「よし」
こうして俺は肉体の仙器化、その第一歩に成功したのだった。
————————————————————
第32話『リスク』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます