第31話『崇拝乙女』

「不味い」


 状況ではなく、味の話だ。


 影狼改め影梟の襲撃の翌日。

 拠点を失い散り散りになった子供達は、これまでの集団キャンプが終わり、厳しい『生存訓練』が始まった。


 安全な場所、というのが完全に失われ、子供達は集団で集まり再び拠点を築くか、それが出来ないものはただひたすらに隠れ潜み続けるか選択を迫られるだろう。

 増えた狼のほとんどは昨夜の襲撃で竜人娘によって土に還されたが、それでも訓練開始当初よりは多い。


 ここで完全な個人行動を選ぶのはかなりの剛の者だろう。

 俺もできれば他の子供を肉壁にできるように集団で行動したいのだが、不思議な事に俺は彼らに好かれていない。

 もし集団に近づけば里に降りてきた熊のようにナイフを向けられることだろう。彼らがそんなに冷たい人間なのは、俺と違って『道徳』を履修していないからだろう。


 若者の道徳を嘆きながら、再び梟の肉を囓る。

 そういえば、動物の死体からは瘴気が発生しないのか、と思うかもしれないが、動物でもしっかりと瘴気は出る。


 しかし、それでも肉が食えるのは瘴気が出る部分を先に切り離しているからだ。


 死んで瘴気が発生するのは、生きている時には気を生み出す部分、心臓の中からだ。

 何度か抉り出した心臓で確認したが、死んだ直後は気を垂れ流しているもののしばらくしたら発生させるのが気から瘴気に切り替わる。

 瘴気を発する心臓は灰になるまで燃やしたら、瘴気が止まった。


 これは確認したところ人も動物も同じだった。


「ング」


 それにしても不味い。

 鳥の肉だから安易に旨いだろうと思っていたが、やはり肉食だと味が変わるのか。苦味を感じる訳ではないが、癖が強く人を選ぶ味だろう。

 今日の食を確保できるかもわからない森の中では、食べられるものは無駄にしないのが鉄則だ。


 きっと影梟も残さず食べてもらえて喜んでいることだろう。



 さて、腹ごしらえを終えたら壊された拠点の修復でもしようかと拠点に向かうと、見覚えのある少女がその場を占拠していた。


 ちなみに竜人娘ではない。


 自然を思わせる緑の髪と瞳。

 透明感のあるその容貌は、ずっと見ていたくなる程に幻想的だ。


 彼女は俺と竜人娘がいつも食事をするときに座っている丸太に控え目に腰掛けながら、こちらを見ている。


 前世であればその美しさをもって、アルファ個体となれただろう彼女も力こそが権力のこの空間では軟弱なオメガ個体のスレスレを行っている。彼女が力を得るとしても、それは子供達が異性を意識するようになってからだろう。


 俺は彼女を無視して、拠点が昨夜の襲撃で〈狼〉に荒らされていないか確認していく。

〈鮭〉が暴れ回ったことで、寝床に敷いていた草が僅かに湿っているが取り替えれば使えるだろう。かまどモドキは崩れているが、元々石を組んだだけの簡素なものであるため、作り直すのに時間はかからない。むしろこの機会に本格的な土のかまどを……。


「ねぇ」

「……うん?」


 俺は子供らしい外面を被る。

 柔らかい口調、そして声が低くならないようにする。


 彼女はモジモジと自身の両手を擦り合わせながら上目遣いで問いかけてくる。


「……あの子は?」

「あの子」


 名前を持たない、というのはこういうところで不便だ。

 彼女がわざわざ俺に問いかけてまで知りたい存在、というのに大体予想は付くが、念のためにピンと来ない、と言った風を装って返答する。


「わかるでしょ?竜人の子のこと。……ここにいないの?」

「あぁ。居ないみたいだ」


 俺は少し面倒になって、適当に答える。


 肉を食ったら、少し眠くなってきた。しかし、信用できない人間が目の前にいるこの状況で眠る訳にはいかない。


「君の目的を教えてくれ」

「……え、えっとぉ」


 俺は端的に彼女の要件を問いかけるが、またモジモジと左右の指を胸の前で結んだり解いたりする。やがて、止まったかと思うと瞳に涙を滲ませて恥ずかしそうにして服の裾を握りしめる。

 鬱陶しくて仕方が無い。


「……えっと」


 早くしてくれ。


「……その、ね?」

「……分かった、特に用は無いんだな。出てってくれ。ここは俺の拠点だ」


 焦れた俺は彼女の背中をぐいと押して拠点から追い出そうとする。


「ち、ちがくて。あたし…」

「分かった分かった」


 これで彼女にもう一度問い掛ければ、またモジモジして『えっとぉ』だの『そのぉ』だの繰り返すことになる。

 彼女の暇つぶしに付き合う気は無い。


 そう思いながら彼女を追い出していると、拠点の外から足音が近づいてくる。

 絶対面倒なことになると、俺は溜め息を吐いて彼女から離れる。

 彼女はそれよりも早く足音に気付いていたようで、俺が離れるよりも前から黙り込んでいた。


 茂みから現れたのは、銀髪に縦に裂けた瞳孔を持つ金の眼。

 掌を血に濡らした竜人娘が現れた。


「……」


 彼女は拠点の内部に視線を飛ばす。

 何度か視線を移して拠点の荒らされようを確認した後に、俺に咎めるように視線を向ける。

 これは俺から謝るべきだろう。


「すまない」

「……チッ」


 俺の殊勝な態度が逆に彼女の怒りを買ったらしい。

 かと言ってこちらに怒りをぶつけて来ることはしない。

 おそらく、拠点にまで攻め込まれたのは自身の不足でもあると考えたのだろう。不思議な所で自罰的な娘である。


 拠点防衛、という観点に置いて彼女は負けたと考えているのかもしれない。


 そんな竜人娘は、拠点に潜り込んだもう一人の存在が空気であるかのようにその前を通り過ぎようとする。


「ぁ…ぁ…ぁ…あの!!あたしっ!あなたとともだち……ニ”ッ」


 その進路を塞いだエルフ少女は、竜人娘の太い尻尾によって転がってきた石ころが蹴り飛ばす時のように弾き飛んだ。


「お”。……ぇへ」


 地面と衝突した彼女は潰れたカエルのような声を出すと、ゆっくりと起き上がる。

 落下の瞬間に気を纏って防御をしていたのは流石である。


 そして、土の付いた顔にはにかんだ笑みを浮かべると、竜人娘に向かってにじり寄る。


「きゅうにごめんね。たすけてくれたおれいが言いた……グ”ぅッ」

「じゃまだ」


 再び打ち上げられるエルフ少女。


「お”ぅ。……ぅ……ぇ、えへ」


 どうやら彼女は昨夜の襲撃の際に幸運にも竜人娘に助けられたらしい。なるほど、竜人娘の力の庇護を得たいということか。そんな甘い思いで近づけるほど簡単では無い。

 きっとエルフ少女は諦めるか、そうでなくとも付き纏われることを不快に思った竜人娘によって折檻されるに違いない。


 俺は彼女が直ぐにいなくなるとタカを括って、食事のための獲物を集めることにした。


 狼の居なくなったあたりを彷徨っていた〈兎〉を手早く仕留めると、必要な資材を集めながら寄り道を繰り返しながら帰還する。


 特に焚き火のために乾いた薪を集めるのに苦労した。


 帰る頃には背中に山となった薪を背負って歩く銅像のような状態になっていた。そして、途中では何度か生き残った子供達に遭遇する。


 意外なことに死体は少ない。

 死ぬ気になれば〈狼〉の一匹ぐらいは殺せる程度の実力は皆持っているのだろう。なんとなく『生存訓練』における師範達の思惑が見えてきた。


 準備して、油断せず、躊躇せず、考えて動けばギリギリ生き残れる訓練ということだ。流石に影梟は度が過ぎていたように思えるが、俺以外でも感覚に優れた者ならば気付くことはできただろう。



 俺は竜人娘以外、誰一人居なくなっているだろう拠点を想像しながら、茂みを抜ける。



「——でね。そのときに、あたしをたべようとしたオオカミをころしたのがあなたなのぉ!」

「……」


 竜人娘は保存していた分の肉を囓りながら、据わった目で森を眺めている。もはやその意識の中では隣の少女の存在は無いものになっているのだろう。


 瞬きもせずに見開いた目で竜人娘への称賛をペラペラと並べる彼女を見て、俺は天を仰いだ。




————————————————————

第31話『崇拝乙女』



『道徳』を履修すれば道徳心が身につくと思っている主人公……。

 きっと道徳は暗記科目。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る