第30話『影狼』

 影狼は俺の策を片っ端から潰し、逆に俺は奴の策に翻弄されて、現在はズタボロの状態だった。


「ウ"ウ"ウ"ゥ」


 森の中から響く唸り声と共に、影の顎が地面に消える。


「……グルウ"!」


 そして再び影から棘が飛び出して、俺に迫る。


「クッソ、ォ」


 片足を引き摺りながら地面に飛び込んで、ゴロゴロと転がりながら影の棘を避ける。


 影の顎を解除してから、再び棘を放つまでに妙な間があった。


 まるで奴は死んだと思っていたら実は生きていて、焦って追撃を加えたように見えた。


 何故か。俺の位置は奴から見て影の顎が死角になっていたのだ。


 死角が存在するということは、やはり影狼は視覚によってこちらの位置を特定している。

 気による探知もそれ程精度は高くない。


 だからこそ、俺は戦場の中心で動きを止めていたデコイに意識を取られた。


 地面から飛び跳ねると先程まで頭が転がっていた位置に棘が深く刺さる。



 この戦場では俺の偏見、固定観念のことごとく裏をかくような事ばかりが起こる。


 初めから俺を狙うと思っていれば、先に子供達の方の拠点が襲われた。

 水は持って来れないだろうと松明を燃やせば、水を操る魚を持って来た。

 影狼の位置を探れば、それは偽物だった。


 突然現れた影と狼を率いる存在。

 それの姿を見る事すら俺は出来ていない。

 影は視覚によって操られている。

 だから奴はここにいる。

 なのに狼の姿をしたものは偽物だった。


 ——あれ、そもそも。



「グルルルルル」


 森から響く、この声は本当に狼のものか?


 気の探知感覚を閉じる。


 代わりに開いたのは第三の目ピット器官

 纏う気の密度を上げて、ひたすら高く三角飛び。


「ハハッ!!」


 これ程に全力で高く飛んだのは初めてだった。木二、三本分の高さでも空は高く感じるものだ。


 背中から落ちるように一回転して三日月のように体を反らして、地面を見下ろす。


 少し遠く、には凄まじい速さで森を掛ける人型、竜人娘だ。

 そして彼女に追い立てられる〈狼〉。

 そんな〈狼〉に追い立てられる子供達の中でも非力な集団。


 一部の子どもは集団で背中を合わせてそれらと同等以上に渡り合うか、上手く隠れている。


 彼らは案外逞しいらしい。

 成長している彼らが少し眩しくもある。



 視線を真下に戻し、温度を発する物の位置を徹底的に脳に叩き込む。意味を考えるのは後でいい。


 足跡、松明、焚き火、呼吸、紛れ込んだ子ども、足跡、炎のナイフ、足跡、鼠、兎、狼——。


「っ」


 地面に両足を揃えて着地。

 叩き込んだ位置関係と、森の木の生え方から、こちらを攻撃するのに最も良い場所は。


「ここ、か」

「グルグルゥ」


 影狼の影、本体を俺は捕まえた。


「肉食って事しか合ってないな」

「ウウウ"ウウ"ゥ"」


 低い声で鳴く影狼、いや梟。


 思えば小鳥の姿さえ見たことが無かったこの森で今日になって梟の姿を見つけた事もおかしかったのだ。


 それにしても、鳥類の癖に随分と勇ましい声を出すものだ。

 牙や爪などの物理攻撃を叩き込むことが無かったのも本体を見破られる可能性を危惧してのもの。


 松明への対処が出来たのも、あらかじめ拠点の中を覗いていたからか。

 相手がこちらの全てを見透かしているように感じたのは、実際に見えていたから。


 それにしても。


「グルルル!」


 鳴き声が余りにも狼過ぎる。


 影狼改め、影梟の反応を一頻り観察していたが、梟の一鳴きと共に視界の隅で影が動くのが見えた瞬間に、影梟の首を捩じ切った。


 側頭部の寸前まで迫った棘は端から消えていく。


 本当にヒヤリとさせてくる。


「全く、死ぬかと思った」


 俺は影の顎に食われかけた時の取り乱しようを打ち消すべく、わざとらしく冷静を装った。




 ◆◆◆◆




「ハッ……ハッ……ハッ……ハァッ」


 月明かりも一切ない暗がりの中を少女は駆け抜ける。

 数分前までは拠点で安心して眠っていた彼女は、突然発生した火事の光と熱で叩き起こされた。


 さらに外からは夥しい数の〈狼〉の声。

 焼け落ちたことで無効化された罠を潜り抜けて入り込んできたのだ。


 子供達は散り散りになりながら逃げる。


 腐っても訓練を受けた彼らは竦んで動けなくなる事は無いものの、立ち向かう勇気のあるものは僅かしか居なかった。



「……っ」


 彼女の長い耳が、側面に現れた〈狼〉の足音を拾い上げる。

 森人族エルフと勘違いされる程に似ている容姿だが、彼女は風精族だった。その力を使ってある程度の距離を動き回る存在が空気を掻き乱すのを彼女の耳は拾い上げることができるのだ。


 彼女が追われながらも〈狼〉に捕捉されないでいたのは、その能力によって相手よりも早く接敵に気づくことができたからだろう。


「……アっ!」


 暗闇で見落とした木の根に足を引っ掛ける。

 彼女の能力は地形までも把握できる程には熟練していなかったらしい。


 僅かに漏れた悲鳴を、〈狼〉達は敏感に聞き取った。

 これまではバラバラに周囲を駆けていた〈狼〉達の方向が、自分を囲んでグルグルと距離を詰めてくる。


「〜〜〜〜ッ」


 咄嗟に口を押さえて悲鳴を押し殺すが、もう遅い。


「グルルルルル」


 茂みからヨダレを垂れ流しながら〈狼〉が現れた。


「グルルル」

「ウウウウゥ」


 それが追加でもう二匹。

 彼女はカタカタと震える手を抑えながら、鞘から抜き放ったナイフをゆっくりと持ち上げる。


「フーッ、フーッ、フーッ」


 自身を鼓舞するように息を荒げる。

 牙を避けて首を切る。

 隙を突かれないように、右に左に回転しながら切っ先を向けて牽制する。〈狼〉達は円を描くように歩きながら、包囲を小さくしていく。

〈狼〉達は彼女の周りを回っている間も、姿勢は低く、視線は彼女から離れる事は無い。


 ジリジリと距離が詰まり、その瞬間、彼女が背を向けていた〈狼〉の一匹が飛びかかる。


「ガァアアアアアア!!」

「っはぁ!」


 間一髪、〈狼〉の牙をナイフで受け止めた彼女は、そのまま反撃を与えようとしたが、力が抜けて地面に倒れ込んだ。


 彼女が拠点の外に出て積極的に〈狼〉と戦っていたならば、それが感電という現象であることに気付いていたかもしれない。


 僅かに顔が傷付いた雷狼は苛立たしげに唸り、彼女の頭を噛み砕こうと小さな頭部の前で口を開いて牙を乗せる。


「ぁ、ぁあ」


 視界の左右から鋭い牙が迫り、彼女は自身の命の終わりを察する。


 怖い、怖い。

 死にたくない。

 まだなにも知らない。

 まだなにも見ていない。


 この世界にある幸せを知らない。

 この世界にはこの程度の不幸などあり触れているのだろう。

 それでも、その苦しみさえもまだ、知らない。



 ——生き、たい


「だれか、たす、け」


「——グル?」


〈狼〉の顎の動きが止まる。

 三匹とも、落ち着きなく周囲を見回す。


〈狼〉よりも感度の高い聴力を持つ風精族の彼女は、ビリビリとした低い振動を捉えた。


〈狼〉は気のせいかと思い直して、再び口を開く。



「しね」


 ぐちゃりと、粘着質な音を立てて一匹の〈狼〉の頭が踏み潰された。

 ペンキを撒き散らしたように真っ赤になった地面の中心で、ゆらりと竜の尾が波打った。


 上がった瞼の奥には闇の中でも光る金の瞳。縦に割れた瞳孔が〈狼〉達を塵芥のように無機質に睨みつける。


「ガァっ——」


 仲間の死を理解した雷狼が,風精族の少女から口を離して、吠えた瞬間、口より上が一刀の下に斬り飛ばされる。


 同時に彼女の尋常では無い速度によって轢かれたもう一匹の〈狼〉は木に背中を打ち付けて即死する。



「……」


 彼女は一度、少女の方を見下ろしてから、その場を軽く蹴って走る。

 二歩、三歩と地面に足を着く頃にはもう彼女の姿は見えなくなっていた。



 頭部が消えた狼の頸部から血が噴き出す。


「ぁ」


 頭から血の雨を被りながら、彼女が消えていった方を惚けたように見つめ続ける。


 苛烈で鮮烈で、見惚れるように美しい、銀。



「かみさま」


 キラキラとするものを少女は心に得た。




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第30話『影狼』

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