第27話『いただきますは魔法の言葉』

「クシュ」


 俺は炎に手を翳しながら身を震わせる。

 先ほどまでの逃亡劇によって唯一の猟課である〈鮭〉を失った俺は、竜人娘に拝み倒すことで彼女の戦果である〈兎〉の肉球の部分だけ譲られた。


 譲られた、といっても彼女が残したものを掠め取っただけなのだが。



 適度に腹を満たしたところで、ポケットの中を弄り、竜鱗を握り潰したことを思い出した。

 竜人娘はこの時点で明らかに他の子供よりも突出した気の才能を持っている。

 それが彼女自身の持つ才能である可能性もあるのだが、少なくとも気の量は竜の肉体に秘密があった。


 竜人の鱗は気を貯める性質を元から持っていた。

 彼女の放つ莫大な気の量はそれによって支えられていたのだ。


 しかし、鱗が持つ性質はあくまで溜め込むことだけだ。

 気自体の汲み出す量が増えるわけではない。


 彼女が瞑想の時に放つ気の量は俺が一日で放つ総量を優に超えていた。

 貯蓄量だけでなく、源泉の産出量でも竜人は異常ということだ。



「どうやら、俺たちの動きを〈狼〉達が嗅ぎ回っているらしい」


 だから気をつけろ、そう竜人娘に続けようと思ったが興味のなさそうな彼女の様子に口を閉じた。態々忠告するまでも無いか。


 俺はナイフと竹の破片を取って細工の続きを始めた。

 切断力を強化したナイフは簡単に竹の表面を削ぐ。毎日作業を繰り返したことで俺のナイフ捌きは目に見えて巧みになっていた。


 全ての行動を本気で、それが今世での俺のポリシーだ。例え手慰みに近いこの細工もきっとなんらかの形で生きてくれたら良い。


 竹の細工に耐久性を強化する仙器化を施す。仙器化もかなりスムーズに行えるようになった。


 出来上がったそれの表面に、胡桃に似た果実の油分を擦り付ける。

 仕上げを終えた細工を彼女の近くの丸太の上に恭しく置く。


「櫛だ」

「……?」


 彼女は丸太の上を見た後、こちらに視線を戻す。


 この表情は『だからなんだ?』ということか……、いやそもそも櫛がどういうものか分かっていないのか。


 俺が櫛を用意したのは髪に取り付いた虫を落とすためだ。

 この環境においては虫によって与えられる身体・精神への害、特に後者、は命に関わることすらある。


 俺は櫛を手に取ると、彼女の背後に回る。その間も彼女の視線は俺を警戒したままだ。


 月から輝きだけを取り出したような銀の髪を一房持ち上げて、ゆっくりと櫛を通す。サバイバル訓練でロクに手入れの時間など無かった彼女の髪は乱れていたが、数度櫛を通すだけで、整ってしまう。


 肩口より少し先まで伸びる銀の髪と、不思議な力強さを感じる爬虫類的な金の瞳は彼女の幼さも相まって神秘性が宿っているように感じる。

 もしかするとが彼女に対して信仰に近い感情を抱いていたのは、浮世離れした容姿も原因かもしれない。


 今の『俺』がそうならずに済んでいるのは、彼女の見た目と裏腹な暴性と口の悪さのお陰かもしれない。



 櫛の扱いのレクチャーを終えた俺は、彼女の掌に櫛を預けると、また竹を削り出す作業に戻った。

 今度は短冊状に裂いた竹をひたすら尖らせる。

 作るのはいわゆる千枚通しだ。これも『貫通強化』の付与をして使う。

 元となる素材が木製なので、仙器化しても性能は高が知れるが、眼球や気を纏っていない人間なら致命傷を与えれる程度の威力はある。

 それに使い道は武器だけでは無く、罠の解除に使ったりもできる。



 俺が作業を続ける横で、彼女は瞑想を行ったり、尻尾に生えるたてがみに櫛を通したりした後に寝床についた。




 ◆◆◆◆




 深い緑の埋め尽くす森の中に、朝日が差す。


 その中で一人の少女が姿勢を低くしたまま、森の中を駆ける。

 彼女の出す足音は酷く小さく、彼女が訓練を怠っていないことが窺える。


 彼女の容姿の中でも目を惹くのは彼女の頭に花束のように複数の草花が乗っていることだろう。実際は乗っているのでは無く生えているのだが、その花精族の特徴が似合わない大人の男が存在することを考えると、酷く同情する。


 花精族の少女は、俺たちの拠点の周りを何やら嗅ぎ回っているようだった。


 俺は彼女よりも精度の高い消音の歩法によって背後から彼女に忍び寄る。


「!」


 音は完全に消したにも関わらず、間合いまで後一歩というところで俺の存在に気づいたように素早く振り返る。


「っ、ぁぐ」


 しかし、気づくのが余りにも遅かった。

 俺は彼女をうつ伏せに地面に押し倒した後に、上から手綱のように首にワイヤーを引っ掛ける。


「動くな。気も纏うな」


 そのままワイヤーを握る掌を交差させれば、彼女の首にワイヤーが食い込む。

 本気で力を込めれば彼女の首は簡単に落ちる。


「少しでも動けば、この首が落ちるのは分かるよね」


 彼女はその瞬間にピタリと動きを止める。

 そうだよな、死にたくないよな、気持ちはよく分かる。


「君が動かして良いのは、喉だけだよ……返事は?」

「う……はい」


 立場を弁えた返事ができるのは大変偉いな、子供とはかくあるべし、だ。


「目的は、竜人であってる?」


「……はい」


 彼女の平坦な声色からは、その答えが真実かどうか、判断が難しい。

 彼女は子供達の中でもこの組織らしい性格を獲得している少女だ。

 立ち居振る舞いはシスターから人間性の強い部分を取り除いた絞りカスのような言動をする。簡単に言えば信心深い。


 さらに言えば彼女は竜人娘を襲撃した中の一人でもある。

 警戒せざるを得ない。殺すか?


「っ……わたくしは交渉をしにきました」


 俺の殺気を読み取ったように、彼女は口を開く。

 俺の不意打ちにギリギリで気づいたのと言い、彼女は妙に勘が良い。

 以前にコンジが言っていたように花精族には人の心を読み取る特性があるのだろう。彼女が賢しらなのもその特性の影響かもしれない。


「交渉?どんな?」

「ごうまんな竜人を殺す交渉です。もそれを望んでいる。そしてあなたも」


 こいつ、何も分かっていないな。


「あなたが、いつもあの竜人に対して殺意を抱いているのは分かっています。大丈夫です。あなたは一人ではなく、わたし達にも大いなる力が味方についている」


『大いなる力』とはシスターのことだろう。

 そして彼女が俺から読み取った殺意は、俺ではないのものだろう


 以前にコンジが、花精族の特性が表層を読み取るだけ、と言った意味も腑に落ちる。湖面に広がる波紋から投げ込まれた石の大きさを知ることはできても投げ込まれた石の色を知ることはできない。


 彼女はの感情の源泉を測ることはできないのだ。

 彼女は狂おしい羨望の先にある嫉妬を知らない。だからこそ、自分の中で最も近い感情である『殺意』をそこに当て嵌めた。


 目的は分かった。彼女が来たのはその特性が交渉において有利に働くと考えたからか。一人で来たのは警戒させないため、そして俺が交渉できる存在であると彼女が確信を抱いていたからだろう。


 は殺す。

 それはもう決めた。ならば後はどうやるか。


 生き残るために、掌の上にある命を有効活用する。

 骨の髄、魂の髄まで啜り尽くして己の糧にしよう。

 これは和の心、もったいない精神から来るものだろう。きっと、そうに違いない。



 花精族の特性は酷く厄介だ。不意打ちが通じづらくなる。

 そして、俺には花精族の血が流れているらしい。これまでも無意識下で行使していた可能性はある。


 ナイフを足首に振る。


「ンッゥ!!!」


 アキレス腱が断たれる。

 暴れる彼女の手首をワイヤーで縛り付ける。これでごく一部を除いた子供は無力化できる。


 貫頭衣をナイフで切り刻んで捨てた。

 既に彼女の瞳には涙が浮かんでいる。抱く感情は恐怖と怒り、だろうか。


 彼女は身を捩りながら、俺から逃げようと芋虫のようにもがいている。


 彼女の絶望を煽るように、俺はナイフをプラプラと揺らしながら半笑いを浮かべる。時折ピエロを思わせるよなコミカルなステップを踏んで見せる。


「ひぃ」


「ふんふ〜ん、ふふ〜ん♪」


 同時に鼻歌を聞かせるパフォーマンスを行う。別に楽しくは無い。

 感情を読み取る練習をするなら、初めはなるべく強い感情が良いだろう。


 彼女の尊厳が塵になる前に、俺が『読み取り』を習得することを願っていて欲しい。

 俺も精一杯、頑張るので。




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