第17話『特殊訓練』

 その日は朝から『走破訓練』ということだった。

 さらにいつもは蛇人族の師範が監督するところを、『戦闘訓練』の師範、コンジが監督をすることとなった。


 彼に連れられていつもとは違う道を歩く。


 辿り着いた先は、外だった。

 運動場のように壁に囲まれたものでもなく、目前には森が広がっている。


「今日は『追跡術』の指南を行う」


 子供達は新しい技術の習得に浮き足立つ。

 俺は彼らが緊張を失っているのが気にはなったが、それよりも今世では初めて見た森が安全なものであるかを確かめたかった。


「森にはが潜んでいる。注意して歩け」


 師範はそれだけを告げるとさっさと森に入っていく。


 子供達は我先にと彼を追って森に足を踏み入れる。

 俺も彼らに着いて森へ入った。


「……?」


 俺はその瞬間に違和感を覚えた。

 前世の森と目の前にある森の植生が異なるからだろうか。もしも俺に知識があったら細かい分析もできただろうが、生憎前世の俺にはその類の学が無かったらしい。


 少なくとも目の前に広がる森には人間を食べそうな牙のある植物も、ピンク色の葉を持った草も、根を使って歩く樹木も見当たらなかった。



「——〈兎〉の足跡は比較的対称な形をしている。見て覚えろ。この時、進行方向はこっちだ」


 初めて見る森に気を取られている様子の子供達を咎める気配もなく、師範はひたすらに知識を垂れ流す。そういえば彼らは地面に生えている木よりも、頭から葉っぱが生えている種族の方が馴染みがある位、植物を知らないのだった。


「そして、折れた木の跡を見れば体格も分かる。……これだ、膝より低い」


 師範は小さく折れた枝を指差す。


「足跡も慣れれば深さと土の硬さから体重を割り出すこともできる。他にも、……この足跡は右だけが深くなっている、方向を変えたからだ。天敵の存在を察知して逃げ出したのだろう。……こういうこともわかるようになる」


「生きる全てが痕跡を残す。音、体重、代謝、そして気。その全てを捉えて探せ。隠れる時はその逆だ、相手が何を頼りにお前たちを探しているかを考えて隠せ」


 師範の話も興味深いが、俺はそれよりもなぜ今回の『走破訓練』を彼が担当したのかに気づいた。


 彼が兎の足跡について説明を始めるよりも早く、俺にはその足跡が見えていた。第3の目ピット器官のお陰だ。


 兎の体が枝の葉を掠めて移った僅かな温度の変化を見れば、その先にいる兎の体格が両腕で抱き留められる程度のものであることも分かる。


 つまり、蛇が持つ感覚は追跡に向き過ぎているのだ。彼から教わらなくても森の中の兎を見つけられる程に。

 そして恐らく蛇人族の師範も同じものを持っているのだろう。


 だが、全ての種族が蛇人族と同じ感覚器官を持っているとは限らない。備えていない感覚までは教育ではどうにもならない。


 そこで最も癖のない種族であるコンジが『追跡術』を教えるのだろう。


 俺は静かに納得する。


 しかし、やはり俺も大人がいるからと油断していたのだろう。

 信頼出来ない大人であることを見落としていた。



「アァ”!!」


 兎を追っていた天敵が、子供という格好の獲物に噛み付いていた。


 それは黒いモヤのようなものを纏った、狼の形をした生物だった。


 子供の頭を超す程の体高を持つ狼が、犬人族の少女の首に牙を食い込ませていた。



 子供達の悲鳴が響く。

〈狼〉が首を振ってさらに牙を食い込ませると、少女が事切れて手足から力が抜ける。


「注意しろと言っていた筈だ」


 師範が一息に複数のナイフを〈狼〉の頭に刺す。

 吠える暇もなく、地面に崩れた〈狼〉の口から犬人族の少女が溢れ落ちた。


 倒れた〈狼〉の体から汚れが水で洗い流されるようにモヤが消えて、俺の知る狼の姿が現れた。


 さっきの姿は何だったのか、なぜ死ぬとモヤが消えたのか、師範からはその説明は無い。

 そしてやっと森に感じていた違和感の正体に気づいた。

 鳥の声が聞こえない。


 鳥が居ない訳では無いと思う。しかし、捕食者が近くに居ることを察知して潜んでいるのだ。



 師範は、〈狼〉の脳天からナイフを抜き取る。


を、施術室に持っていけ」

「はい」


 子供達の後ろの方へ声を掛けたと思ったら、師範と同じく黒いローブを纏った人物が現れる。声色からして若い男だろうか。


 そして死体を男に預けると、師範は再び『追跡術』の説明を再開した。もう、子供達の中の浮ついた空気は残っていなかった。



 俺はそれよりも、隠れ潜んでいた男に気を取られていた。


 蛇の性質を持つ俺の目を掻い潜って近くに潜んでいたのだ。

 コンジの決して大きく無い声が聞こえるほど、近くに。


 俺と同じく蛇人族の人間が居るくらいだから、その第3の目ピット器官の性質も、それを誤魔化す方法も知られてしまっているのだろう。


 逆に俺の方も他の種族の性質について知っておかねばならないということだ。やはり知識が得られないのはかなりキツい。

 誰にも見えず、聞こえない種族なんてものが存在したなら、俺は何の抵抗も出来ずに殺されることになりそうだ。




 ◆◆◆◆




 その後も数時間の講義を終えて森から戻ってきた俺達は『特殊訓練』というものに参加することになった。


『特殊訓練』の師範はシスター。


「この訓練では、人体の構造を知り、急所や弱点、それらの知識が戦闘と走破の訓練に生かされることを目的とします」


 彼女は一つの死体を前にそう語る。


、貴方達と同じ体格、年齢の体が用意出来たのでこの体を解剖して行きます」


 台の上に横たわる体の正体に気づいた子供の一部は口を押さえて絶句している。


 よくよく考えればおかしかったのだ。

 コンジが〈狼〉が迫っているのに気づかないはずが無い。

 もしかしたら子供達の油断している様子を見て、罰のつもりでわざと見逃したのかもしれない、など思っていたが、違う理由だったのだ。


『断罪』といい今回の〈狼〉の件といい、コンジは子供達が死んでも構わない、という思惑が見て取れた。


 シスターが以前俺にナイフを向けそうになっていた時と比べても、彼には命に対して何の価値も感じていないように見えるのだ。


「解剖の前に、全員【充気】を維持してください。死体は瘴気を放ちます。触れれば腐敗、最悪は壊死します。この死体はそれほど時間が経っていないので大丈夫でしょうが、今後死体に接する時には必ず【充気】か薄い【放気】を維持するようにしてください」


 死体に近づくと腐敗する、とは再び俺の知識とは異なる事象だ。

 シスターの口調の重さからして、単純に不衛生であるのとは訳が違うようだ。少し強めに【充気】を纏って死体に近づいた。



 シスターはまず死体の皮を剥いだ。

 その下にある筋肉と白い筋が露わになる。


「これが人間の体を動かす筋肉です。そして、筋肉の力を伝えるこの白い繊維が腱。手首を通る腱を引っ張ると、ほら……このように指が動きます。人体の動作は突き詰めれば骨、筋肉、腱の駆動で説明出来ます」



「犬人族の耳は外耳道が途中でこのように曲がり、中耳へと繋がっています。しかし中の構造は人族と変わりはありません。ここに三半規管があり、頭を揺らしてしまえば平衡感覚を奪うことができます」



「人体には大きな血管が通っている箇所がいくつかあります。首、太腿、心臓。心臓は肋骨に守られているので、狙うならば首の横か太腿の内側です。特に首は外側から簡単に狙うことができます。この死体も……」



 目の前の光景の残酷さに目を瞑れば、シスターの講義は非常に分かりやすく丁寧だった。

 そして、自身の肉体がどうやって動いているのか、逆に人の肉体はどうやって壊すのか、という目的を見据えた有意義な講義だった。


 そう思えるのはきっと、横たわる犬人族の少女に何の思い入れもないからだろう。

 逆に彼女と同室だった子供達は、シスターの講義が進むたびに湧き上がるものを抑えるのに必死で、ほとんど集中できていないようだった。


 そうしてシスターによる『解体術』の講義は終わった。




 ◆◆◆◆




 その日の夕食では子供達の手はいつもより遅かった。


 それ以来、不思議と自由時間に祈祷室へと通う子供の数が増えた。




 ————————————————————

 第17話『特殊訓練』


 狼のようなものを〈狼〉、兎のようなものを〈兎〉と記述しています。この時点では主人公は〈兎〉がどんなものか認識していないので思考の中では兎と呼んでいます。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る