第16話『薬』

 シスターは俺を椅子に座らせると、棚から取り出した幾つかの壺と蝋燭を持って来た。


 シスターは壺の蓋を開けて、匙で中の粉末を掬い取って皿へと乗せる。壺によって掬いとる量を変えているので、適当に取っている訳では無いようだ。


 全ての壺の中身を入れたところで、彼女は皿を揺すって粉末同士を混ぜ合わせる。全体が均等に混ざったところで皿を差し出してくる。


「あの、これは?」

「睡死草の粉末です。精神を落ち着ける作用があります」


 名前に『死』が入る植物など、とても安全とは思えないのだが。


「過剰に摂取すれば、眠るように死に至ります」


 ほら。



「蝕念花の実も入っています。気の発生を助ける作用があります」


『蝕』の字に危険を感じる。


「これも、取り過ぎれば内臓が溶けて死にます」


 ほら。



「あとは乾燥させた飢呑蓮根です。これは有害な作用を持つ成分が体に吸収されないようにする役割があります」


 成程、これで上二つを害を抑えるという事か。


「ただ、取りすぎると消化器官の働きが弱まりすぎて餓死します」


 ほら。



「全て、通常は毒草とされるものですが、わたくしは毒と薬は紙一重のものと考えています。薬も病人でないものには毒であったり、用量を守らなければ体に毒となります。過度に恐れるものではありません。恐れるのは無知なまま遠ざけることです」

「仰る通りです」


 正論により逃げ場を失った俺は、シスターの言葉を肯定するしか無かった。


 皿を持ち上げて粉末を口に流し込む。


 味は分からない。

 腹を決めて、直ぐに薬を飲み込んだ。

 毒を飲んだかもしれない、という心配で気分が悪くなってくる。



 俺が粉末と格闘している間に、シスターは眼前の蝋燭に火を付けていた。


「さあ、【放気】をしてみなさい」

「はい」


 俺は体から力を抜くと、意識の殆どを気の操作に回す。

 そこまで意識を割く必要は無いとは思うのだが、折角一対一で見てもらえるのだからなるべく本気でやった方が良いと思ったのだ。

 それに態々実力を隠す必要も無い。……少なくとも、今は。



「確かに、出力には優れないようです。では、【充気】はできますか」

「はい」



 俺は最近習得した【充気】を行う。

 これは気を体の表層に纏うことで身体能力を強化することができる。


「……操作の方は出力ほど悪くは無いですね。それを集めることはできますか?手や足に」

「集める、ですか?」


 これまでは体の中心から気を遠ざけるイメージで動かしていた。

【放気】は体から出来るだけ遠くへ持って行く。

【充気】は【放気】よりも体に近い位置へ止めるようなイメージでの操作だった。

 折角中身は子供では無いのだから、もっと自由に気を応用させても良かったのにと、小さな後悔に苛まれる。


「初めてなら、手の方が良いでしょう」


 シスターは俺の手を取ると、親指の付け根あたりを軽く指先で押し込む。


「この辺りに気穴があるので、意識しながら気を集めてください」


 集める、というぐらいなので気を放出する場所を限定する、というよりかは【充気】で体表に集める気を手の方へ誘導するイメージだろうか。


 蝋燭の火のようにゆらゆらと体を覆う気が、意識して動かそうとすると、少し歪んだ。

 右手に、集めるように……。


 しかし、気は形を歪めるだけで、移動する気配は無い。


「……先に段階を踏んだ方が良いでしょうね。では、逆に右手だけ気を纏わないようにしてみてください」

「……はい」


 右手に集めるという事か。

 右手だけに集めるよりかはいくらか簡単そうだ。


 袋の中の水を動かすような心地で、右手の気を押し除ける。

 集める、とは若干違うだろうか。


「できています。……もっと気を纏う部分を狭めることはできますか」

「……っ、やってみます」


 既に限界近いが、気を動かすこの感覚に早く慣れたい。


 俺は苦心しながら、気を操作する。


 薬のお陰か、いつもより気の動きに集中できる気がする。



「その調子です。もっと体から力を抜いてください」


 シスターは俺の肩に手を置くと指先で一定の間隔で肩を叩く。


 ——トン、トン、トン


 俺はさらに気の操作へと意識が集中していく。


 ——トン、トン、トン


 体の形さえ忘れて、全身が気だけになったような心地がする。


 その感覚の中で体を動かすように、気を動かす。


 この世界では俺は赤子に等しい。からだを動かすことすらままならない。俺はもどかしさを覚えながらも、微調整を加えながら試行を繰り返す。



「わたくしの声が聞こえますか」

「……はい」



 蝋燭から目を離せないまま、俺はシスターの言葉に無意識に返事をした。



「『戦闘訓練』の師範と竜人の娘が隠れて話しているのを見たことがありますか」

「……いいえ」



 口が勝手に言葉を紡ぐ。まるで俺の体の制御が奪われたようだ。

 視線は微動だにせず、シスターを視界に入れることすらできない。

 俺の意識は淡々と気の制御を続けている。


「あなたは『戦闘訓練』の師範と話すことはありますか?」

「……一度だけ」


「何を話しましたか?」

「……優等のコインを受け取った時に、使い道を教えられました」


「そうですか……あなたは蛇人族の師範と話すことはありますか?」

「……あります」


「その時はどんな話をしますか?」

「気の、扱いを……相談してました」




「あなたは……あなたは本当にあの娘を殺すつもりが有るのですか?」

「……はい」


 俺の返答を聞いて、シスターは考え込むように俯いた。




 ◆◆◆◆




「ありがとうございました。お陰で気の扱いも上達できそうです」

「行き詰まったら、わたくしがまた見てあげましょう。貴方はほかの者よりも器用に気を扱うことに力を注いだ方が良いでしょう」


 シスターは何も無かったかのように振る舞っている。

 実際、ただ質問されて答えただけなので違和感に気づかない可能性もあった。

 しかし、答えるつもりの無い質問に答えさせられたのは確かだ。


 おそらく精神を落ち着ける作用のある睡死草とやらが、俺の思考能力を削いだのかもしれない。

 シスターに対して嘘を吐くといった思考さえできなかった。


 幸いにも聞かれたことは致命的な質問では無かった。

 シスターとしても前に俺が言っていたことが真実か確かめたかったのだ。


 シスターと別れて部屋へ向かう中で、俺は歯を食いしばる。

 これからは迂闊に嘘が吐けなくなる。




 どうやってシスターの追及を躱すかを考えながら、部屋の扉を開ける。


「ス……フゥ」


 日課となった瞑想を続ける竜人娘の姿があった。

 彼女の集中は日に日に深くなり、今では俺が出入りしても揺らがない程に深い集中を纏うようになった。


 部屋の中は心音がうるさく感じるほどに静謐で、息が詰まるほどに濃密な気で満たされていた。


 相変わらず今にも膝を折ってしまいそうなプレッシャーを感じる。



 このプレッシャーに気で対抗しようとすれば出力が足りずに押し流されてしまう。気と気では反発し合うのだ。出力を上げればスタミナ勝負になって、最終的に押し流される。



 なら発想を変える。


 俺は体の中の気の量を逆に減らす。

 すると、ある時点から気の流れが俺と反発するのではなく、俺を通過して、背後へ流れていくようになる。


 そうして反発も感じなくなった。



 気の抑制は、教えられるまでもなく使えた俺にとってはこの状態を維持するのはそれほど苦では無い。



 俺は以前より少しだけ近い位置に移動した布団に座ると、彼女と同じく座禅を組んだ。


 彼女が鍛えている時間は、俺も鍛えないといけない。

 そうしないと本当に追いつけなくなる。


 シスターの指摘によって俺の視野が狭くなっていることに気づいた。


 今も発想を変えることで一つの障害を乗り越えた。


 がむしゃらに高めようとするだけではきっと及ばない。


 時間を全て注ぎ込んで、思考を隅の隅まで回せ。

 全ての発想を試して手札を増やし続けろ。



 どこまで己を削れば……は殺せるだろうか。




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 第16話『薬』

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