第15話『祈祷室』


「ここが祈祷室だよ。の御前だから静かにね」


ある日の夕食の後、子供達が蛇人族の師範に連れられてやって来たのは荘厳に飾り付けられた大広間だった。


入り口からすり鉢状の構造をした空間が覗く。

すり鉢の底、中心部には箱型の祭壇、そこで恭しく祀られているのは見覚えのある歪んだ形のナイフだ。


そう……そうだ、あれだ。

あれで俺の身体に『真名』とやらが刻まれたのだ。不思議なことに、腕に刻まれた『真名』は自省部屋から出た頃にはもう見えなくなってしまっていた。



祈祷室の中心の祭壇を仰ぐように椅子が夥しく並んでいる。それらの椅子には俺たちとは別の子供達が疎に座り、熱心に祈っている。



師範に導かれてその一角に固まって座った俺たちは、彼に倣って両手を組んで祈りを捧げ始める。


俺は形だけは彼らを真似ながら、壁面に沿うように作られた小部屋に目を向ける。

部屋とは言うものの、懺悔室のように人一人が入るだけで精一杯のごく小さな箱のようなものだ。


何かに引き寄せられるように、俺は箱の中のごく小さな窓へと注意して目を凝らす。


「……」


一瞬箱の中の者と目が合う。


俺はそこからゆっくりと視線を逸らして祈りへと集中するフリを再開した。

この広間を囲うようにズラリと並んでいる箱の全てに人の気配を感じて、酷く気味の悪い感覚が背中を撫でた。


先ほどとは逆側へと目を向ける。

そちらは俺と同期の子供達が熱心に祈っている。

子供達は一人を除いて、との邂逅を経験している。

子供達にとっては幽霊のように存在の是非を問われるものではなく、確かに実在する偉大なモノなのだろう。


一方、腕を組んで子供達から一歩離れたとこから見下ろしているのは、我らが竜人娘だ。


彼女の視線は祭壇ではなく祈祷室全体を走る通路の方にあった。

ぼうっと眺めているのではなく、通路の床を辿るように視線を動かしている。


俺は持っている感覚へと意識を切り替えながら、その正体を探る。


視覚、ただの床だ。

聴覚、爪先で軽く叩いてみる。金属、では無いな。あまり音は響かない。裏に空間もないな。

触覚、足の裏からは冷感は伝わって来ない。温度を伝えやすい素材では無いか。

嗅覚、僅かに自省部屋で嗅いだものと同じ匂いがする。

味覚、は流石にここでは試せない。


第三の目ピット器官も違和感は拾って来ない。


最後の一つ、気を意識して感覚を広げる。


気を抑えると、自身の存在感が薄くなり、周囲の気が相対的に浮き彫りになる。


俺は盲人のように周囲の空間を手探りで探るイメージで探索範囲を狭めて精度を高めていく。


「……」


小さな流れが足下を流れているのが分かる。

気の流れは祈りを捧げる子供達からも僅かに漏れている、がその殆どは箱から流れ出ている。


おそらく、彼女はこの気の流れを見ていたのだと気づいた。


俺はうっすらと瞼を開くと、こちらを見つめる師範と目が合う。彼は何でもないように穏やかな表情で笑って見せた。

あぁ、全くもって油断ならない。



「今日から自由時間での祈祷を許可しよう」


自由時間とは、朝食前の時間と、夕食から就寝までの間の時間のことだ。後者に関しては清拭の時間も含まれるので、少し短くはなる。


俺たちは師範に連れられて祈祷室の出口へ向かう。


同時にに近づいていく。


そして、近くに来てやっと気づいた。

このは文字通り、箱だった。

部屋では無く、箱。


つまりは、扉が無かった。


なぜ扉が無いのかも、直ぐに分かった。

中にいる人間は手を組んで祈りを捧げているように見えた。


事実は違う。掌と掌の皮膚が癒着していた。



ああ……は大きな電池だ。

気というエネルギーを供給するための、巨大な電池。


電池には中の物を取り出すための蓋など取り付ける必要など無い。

使い捨ての電池であれば、電気が出なくなれば中身ごと捨てるだろう。


きっと、この箱も同じだ。

箱が作られるときには、既に中に人間が入っている。

人間が出入りするための扉は要らない。唯一、必要なのは呼吸をし、祭壇を覗くための窓だけ。


枯れ木の様に痩せ細りながらも、中の男は祈りを止めようとはしない。まるで、それだけのために生きているようだ。



俺の中で恐怖が首をもたげる。

もし、俺が致命的にしくじってしまったとしたら、心と意思を祈りを捧げて死んでいくだけの電池に変えられてしまうのだろうか。


思わず口を抑える。


死にたくない。


発作のように寒気が体を襲う。


「……そ」



「……其は、慈悲深きものなり」


が俺の背後に立っているのを感じる。

微かに感じる暖かさが、少しずつ俺の体から寒気を取り除いてくれる。


「……其は、見えぬものなり」


見えない、触れない、聞こえない……だけど、確かに感じる。

何処にも居なくて、何処にでも居る。

きっと、今も俺の後ろに居る。

呼吸が落ち着いて来た。



「……其は…ぅぐ」


もう一節唱えようとしたところで、背後から尻尾に叩かれる。


「じゃま。……早く、どけ」


尻尾の持ち主は傲岸不遜な態度で、一方的に命令してくる。


「す、すまない」

「……」


俺が壁際に避けると、彼女はジロリと視線をこちらに向けてから、俺の前を横切っていった。



「はぁ」


呼吸はもう落ち着いている。


がまやかしであることなど、分かっているのだ。

それでも、俺はこの寒さをどうにかしてくれるなら、誰だって良い。


死の恐怖を打ち消してくれるのは、死を超越した存在だけだ。


俺は、心の底からを信じている子供達を内心馬鹿にしている。同時に、子供達に信仰心を植えつけて利用している大人達を軽蔑している。


愚かな子供と、悍ましい大人たち。


だが、そんな彼らよりも俺の方が。


「お願いだ。助けてくれ」


の実在を心の底から望んでいる。

を必要としている。




 ◆◆◆◆




「脱皮の頻度はどの程度ですか?」


素材に目の眩んだシスターが俺に疑問を投げかける。

場所はいつも通り、就寝前の時間の瞑想室。


「……覚えている限りでは、3回ほどです」

「……年に一回くらいでしょうか」


それは分からない。房へと閉じ込められていた俺たちは日の登る時間も分からないし、カレンダーも無かった。そもそも一年が何日かも分かっていない。


いくつか疑問はあるが、あまり質問しすぎると彼女に怪しまれるので、投げかける質問は相手が質問して来たものに関係のあるものに絞る。


「前にお渡しした鱗で、どのような薬を作ったのですか?」


本当は毒について聞きたかったが、無駄な警戒を生まないように薬について聞いた。


「……あの後に調べたら、鱗よりも血液の方が向いているようです」


カブトガニも血液が薬に使われてるって聞いたことがあったな、などと関係のない事が思い浮かぶ。



「わたくしだけが受け取ってばかりなのも、良くはないですね。……そういえば貴方は、気の放出を不得手としているとか?」


「えぇ、そうです」


間違ってはいない。とっかかりが掴めるまでは気の放出は全くできなかったし、その後の成長速度も突出している訳では無いので、未だ同期の中では後ろから数えた方が早い。


「折角瞑想室に居るんです。わたくしが見て差し上げましょう」

「……」


シスターはゆっくりと歩き、近くの椅子の一つをクルリとコチラへ向ける。そして感情の読めない微笑みを顔に貼り付けた。


「さあ、座りなさい」

「……ありがとうございます」




————————————————————

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