第13話『探り』

 彼女が訓練に参加したという事実は、彼女と敵対する子供にとっては悲報だっただろう。これまではただのサンドバッグで奴隷に過ぎなかった者が突然自分と同じ立場になるのだ。許せるはずが無い。


 そして、自分の立場が揺らいだものは得てして攻撃的になる。

 人間は下ばかり見ているから上がってきそうな人間を見逃すことはなかなか無いものだ。


 前世の人生経験が垂れ流す達観した世間の非情を脳内で聞きながら、俺はタライに水を汲んできた。

 もちろん今後も水汲みは俺の仕事だ。

 逆に竜人娘が水汲みに行って平穏に終わるように見えない。


 だが、俺の言葉のどこに感化されたのか分からないが、今の彼女は明らかにこれまでとは違うように見えた。

 丸くなったという表現が合うように見える。

 しかし、以前の彼女よりも今の彼女の方にこそ俺は恐怖を覚えている。


 いつか爆発しそうで怖い、といった単純なものでは無く、これまでは襲うことしか頭に無かった猛獣が隠れることを覚えたような、そんな恐ろしさだ。

 その牙の先に俺が居ないことを願う。

 そうならないように、彼女より遅くに寝て、彼女よりも早く起きる生活を今は続けるしかない。


 少し前だったらまだ部屋のトレードが辛うじて可能だっただろうが、竜人娘の子分と思われている今はもう腫れ物のように扱われるか蛇蝎の如く嫌われる未来しか見えない。

 ……そういえば、サソリの特徴を持った種族はまだ見たことが無いな。



 あぁ、そうだ。

 俺はふと、ある事に思い至って一つのドアの前に立つ。

 子供部屋の一つ、そのドアをノックすると向こうから一人の少女が顔を出した。


「……はーぃ……なに」


 見覚えは無いが、プレーンな人間の特徴を持っている。

 彼女はドアの向こうにいる俺を見た瞬間に心底嫌そうな表情を浮かべる。


「この部屋、蛇人族の娘がいるよね?……今朝のに参加してた娘」


 こういう時、相手の名前を知らないというのは不便を感じる。

 意思疎通を図らせたくないという大人たちの意図も分かるが、それならもっと子供同士のイザコザが起きないよう振る舞って欲しい。


「…いない、けど」

「あぁ、別に用があるわけじゃない」


「?」


 蛇人族の少女の存在を隠そうとしたのだろうが俺の目的は彼女を痛め付けること、ではない。

 まあ、第3の目ピットで見れば地面に尻尾の跡が残っているのでその隠蔽すら無意味ではあるが……。


 俺は見える範囲の子供達の顔をじっくりと見渡す。途中、その意図を悟った娘が顔を隠したようだが、後で彼女が俺の目的についての推測を広めてくれる事だろう。


「ありがとう、それじゃあ……おやすみ」

「……おやすみ」


 俺は満足げにお礼を言ってからその場を離れる。


 俺がやったのは牽制だ。


 散々『断罪』した竜人娘の手下である俺が部屋の中にいる人物の顔を確認しに来たのだ。

 まともな理性があれば彼女たちは自分たちの部屋が襲撃される可能性を考えるようになる。


 かなり上手くいけば彼女たちの分裂も狙えるかもしれない。

 まあ、『断罪』の人数さえ減れば良いか。


 俺が牽制を入れた事を竜人娘に教えるつもりはない。彼女は施しを嫌うからな。気を利かせるだけならまだしも、『あなたのためにこんな事をしてあげました!』などと言ったら耳元で咆哮を喰らうことになる。


 感謝はいらないので静かな環境をくれ。




「……ッ」


 自室の扉を開けると、息が詰まりそうな重圧が全身にかかる。


 この部屋での竜人娘の寝床は入り口から最も遠い場所で、俺は中央より入り口に寄った場所。


 彼女はいつも、布団を何枚も重ねた特等席で休息しているか、激怒しながら壁を殴っていた。



 だが今の彼女は布団の上にいるのはいつも通りだが、俺が朝の習慣としている座禅を組んでいた。


「…………」


 俺が入って来たのに気付いて、薄く閉じていた目蓋を片目だけ開けてこちらを一瞥する。

 姿勢は見様見真似なので俺とは微妙に違うが、それでも俺が座禅をしていた目的は理解しているようだった。


 静かにうねる気が彼女の周囲を取り巻いている。


 師範達が彼女を是が非でも従わせようとしたがる理由が分かる。

 単純に他の子供達とは格が違うのだ。



 朝、師範の攻撃を受けた時も、側から見ていた俺たちでは無く、彼女だけが師範が何をのにしたのか見えていたように思う。



 しばらくすると、息苦しい気配は消えて、彼女は俺の持つ水桶からタオルを取り上げる。


「なにみてる?」


 呆然としていた俺は、彼女の言葉で意識を取り戻してタオルを絞って彼女に背を向ける。


 一日の疲れと、垢を拭い落としながら先程の記憶を反芻する。


 おそらく彼女も師範が纏う気と自身の纏う気が異なるものであることを認識しているのだ。だからこそ気の扱いを伸ばすために身近にいた俺を真似た。彼女は真似たことなど認めないだろうが……。


 尻尾の全体を優しく拭いとる。

 手入れが十分で無いのか、最近尻尾の痒みを感じる。



 俺が少し強めに尻尾を擦っていると、水桶にタオルが投げつけられる。

 衣擦れの音の後に、彼女が横になる気配がした。


 肩越しに振り返ると、持ち上がった尻尾が彼女の周囲でとぐろを巻いて壁を作る。



 俺はタオルを水につけると、水桶を返しに部屋を出る。




 ◆◆◆◆




「あなた、コンジからなにを吹き込まれました?」


 俺を見つけたシスターに捕まえられて、近くの部屋まで連れてこられた。おそらく瞑想室のような部屋か、光が入らないようにカーテンがかかっている。


「あの、ここは?」

「貴方が知る必要はありません。」


 俺は第3の目ピット器官を意識しながらシスターを見据える。


「……コンジ、とは何でしょう?」


 温度から服の下に金属製の尖ったものが有るのを察しながら、疑問を返す。


「……『戦闘訓練』の師範の呼び名です。あの男が部屋に来たのでしょう?」

「いえ」


 やはり、大人も名無しという訳では無いか。

 しかし大人が他の大人の名前を呼んでいるのを見た事は無かった。


 おそらくシスターにとっても本意では無い筈だ。



 落ち着きのない右手がナイフのあるあたりを行ったり来たりしている。まずいか。

 よく分からないが、シスターにとって竜人娘の存在は疎ましいもののようだ。

 そして彼女の変化した理由が『戦闘訓練』の師範、コンジにあると思った。


 コンジは竜人娘の味方、ということか……分からない。


 組織内に派閥でもあるのか?それならば同じ子供を担当する師範は同派閥で合わせる方が良いように思うが……。


 シスターの手の揺れが収まり、ゆっくりとナイフの柄に触れる。


 何か言え。彼女の気を惹く何かを。



「俺に……『断罪』を任せるのですか?」

「ッ……何を言っているのですか?」



 彼女の感情が波立つのが見えた。

 体温も、少し上がっている。



「師範達に横着な態度を取ってるアイツを罰する為に、俺を呼んだのですね」



 シスターは自身の思惑に感づかれることを恐れている。

 ならば、少しずれた馬鹿を演じれば良い。



「えぇ……えぇ、そうよ。今日は貴方にアレの監視を頼もうと思ったのです」

「そういうことですか。……質問の答えですが、俺が見ているところでは『戦闘訓練』の師範とアイツが話している様子はありませんでした」


「そう…ですか。『戦闘訓練』の前なら……。……ふむ」


 冷静を取り戻したシスターは俺を見据えながら、唇に手を当てる。


 既にナイフから手は離れていた。


 動揺も消えている。所詮子供だと思い直したのか、それとも彼女にとっても子供を殺す事はリスクなのか、いずれにしろ死の危険は脱したのだろう。


「もういいです。部屋に戻りなさい」

「それでは『断罪』は?」


「それは忘れなさい。時が来るのを待つのです」


 取ってつけたようにシスターらしさを演出してくる。

 化けの皮はとっくに剥がれているぞ。


 精々利用してやる。



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