第10話『折れた牙』

 俺は朝、点呼の前に起きてから瞑想をするようになった。生活リズムが朝型へと変わって日の出よりも前に起きられるようになったからだ。



 遂に俺だけが【充気】を会得してない状況となった。

 そして『戦闘訓練』では組み手で勝てる事が減って来た。とは言っても技術では勝っている事が多いため、勝敗は半々ぐらいだ。


『戦闘訓練』で勝てなくなれば恐らく俺はここに居られないだろう。

 その結果ただ放り出されるならまだ良いが、口封じに『処理』されるとしたら、今の俺に争う事は出来ない。


 そうならない為にも『戦闘訓練』、ひいては【充気】を身に付ける必要があった。


「スゥ、スゥ」


 瞑想が終えた頃に、自分以外の呼吸の音が耳に入ってくる。布団の中心でとぐろを巻いて眠る彼女の姿があった。





 点呼の後に食堂に集まり、子供達は食事を胃にかき込んでいた。基本的に朝夕の一日二食制なこのコミュニティにおいて、一日の活力は朝食で養われている。


 この場ではシスターも一緒に食事を取るが、彼女の皿には肉が乗っており、子供よりも上等な献立だ。


 これはシスター達大人が子供よりも高位である事を示すためだろう。

 こういった待遇の違いを明確に示すことは、そのまま立場の違いを潜在的に擦り込む事になる。




 ◆◆◆◆




「ふんっ、ふんっ、んっ!」

「…っ…っ…っ…」


 朝食を終えた後は、運動場で『断罪』の時間を迎える。

 1ヶ月の間、毎日『断罪』を受けている彼女はもう声を上げられなくなった。


 上げない、ではなく上げられなくなった。

 ある日の『断罪』の最中に彼女が咆哮を上げ、囲んでいた者達の鼓膜を破壊した事で、毎朝彼女は喉に酸を流し込んで焼かれるようになったからだ。


 さらに指先の爪は師範がその全てが剥がしてしまった。

 これも再生する度に『安全のために』剥がされている。



 毎日20人ほどが『断罪』を行っている。

 同期の子供たちはその殆どが『断罪』をおこなった筈だ。


 初めの方は男子が木剣を振るっていたが、今は女子が参加している割合の方が多い気がする。そこには綺麗な物を台無しにしたい汚い嫉妬もあるのかもしれない。


 俺は『断罪』にこれまで参加することは無かった。

 それは俺に道徳心があるからではなく、単に保身のためだ。


 流石の彼女も同室の俺の顔は覚えているだろうから、下手するとトラあたりよりも酷い報復を受ける。

 そんな理由だから大人から命令されれば俺は自分の命のために躊躇いなく全力で木剣を振る。



 喉を焼かれ、爪を剥がれた彼女は今、彼らに『バディ』と呼ばれている。




 ◆◆◆◆




『走破訓練』を終えた俺は部屋で自身の体を拭いていた。

 今までは他の部屋まで水桶を借りに行っていたが、彼女の影響で俺まで排斥されるようになったため、それが出来なくなった。


 どうやら彼らは『断罪』によって仲間意識を深めているらしい。

 中世の貴族が狩りをレジャーにしていたというが、それと似たような感じだろうか。その下衆な感性は俺も見習って精進したいものだ。


 恐らくもうそろそろ彼らは仲間でない俺に対して実力行使をしてくるようになるだろう。

 俺は【充気】を身に付けていないので複数人で来られると間違いなく詰むし、単体でもトラあたりの体格の良い種族が来ても敵わない。


 もしも彼らに襲われたとして、俺が大人に訴えても彼らが『断罪』される事はないだろう。そもそもあれは、竜人娘の心を折りたい大人達と、彼女を疎ましく思う子供達の意図が重なったから行われる儀式だ。




 彼女が大人達に従うようになれば儀式は行われなくなるだろう……ん?


 背後でガサリと布が擦れる音がして振り返ると、『断罪』に加えて折檻で受け傷を癒していた竜人娘が起き上がって来た。



「……」


 今日は珍しく静かだった。

 俺は不吉な予感がしてタオルを水桶にもどそうとする。


 瞬間、喉笛を掴まれて抵抗する間もなく床に押し倒される。


「……!!グッ!?」


 その時に頭を打ちつけた俺は思わず呻き声を上げる。


「つっ…どういう」


 どういうつもりなんだ、そう問いかけようとして彼女の表情が視界に入り、目を見開く。


 今にも決壊しそうな程の怒り、そしてそれとは真逆の弱さを感じさせる表情。


 同時にの心が急速に冷めていくのを感じる。


『コイツはもう折れかけている』


 その時点で彼女はの中でトラや他の子供達と変わらない所まで落ちて、興味の対象から外された。失望だ。


「この手を、離してくれないか?」


 その言葉が彼女の怒りを煽ると分かっていながらも冷たく告げる。


「…なんで、おまえまで……」


 俺から彼女に対する畏れが消えた事を感じ取った彼女は、裏切られたような、傷付ついたように眉を歪める。


 そして一転して顔を真っ赤にすると歯を食い縛り、両手に力を込める。


 ギリギリと首が締まる。

 彼女が俺を殺す勇気など無いと分かってはいるが無意識に体が暴れてしまう。


 太い血管が締められ視界が狭くなったところで彼女は指から力を抜いた。


「かはっ、ゲホッゲホッ、コホッ」


 涙目を浮かべながら咳をしていると、ダラリと俯いた彼女の顔に髪が掛かり、表情が隠れる。


「…おまえには、まける気がしないのに……」



 負ける気がしない『のに』、なんだ。

 大人には勝てない、勝てる気がしないとでも言いたいのか。


 彼女は自尊心と現実とのギャップに苦しめられている。その身の丈よりも高い誇りが、これまで折れる事を許さなかったのだろう。


「うっ……こんな気持ちになるなら…死んだほうが、ましだ」



 ……は?


 コイツ、今なんて言った。


『死んだ方がマシ』だと。


『死んだ方が』?


 死んだ事も無いお前がそれを軽々しく語るなよ。





「……っざけるなあああああぁ!!!!」

「…っ!?」


 俺の体から気が溢れ出る。


 尻尾の力だけで彼女ごと身体を跳ね上げる。

 彼女は今まで俺が見せた事ない力と、激情に驚いた表情を見せる。



 死んだ方がマシなら、そうしてやる。

 お前のそのくだらないプライドごと、ぶっ殺してやる。



「…っ!」


 俺は空中の竜人娘を真横に蹴り飛ばし、壁に叩き付ける。


 振動が部屋に響いたが、手応えが薄い。



「ガアアアアアア!!!」


 彼女も怒りに火が付いた。


 視界に腕が現れた瞬間、世界が回っていた。


 いや、衝撃を受けとめた事で縦に回転していた。



「プライドだけは一人前だな!!トカゲモドキがっ!!」


 壁に着地する。

 そのまま上を見上げれば、竜が吠えている。


「だまれっ!!ヘビモドキがぁ!!!!」


 彼女の爪が壁を抉るが、そこに俺の姿は無い。


「っ、どこに」


「ここだ馬鹿」


【瞬歩】で彼女の背後を取った俺は顔を掴むと地面に叩きつける。


「が」


 そのまま腹を蹴飛ばす。


「不思議か?俺がここまでお前と戦えるのが」

「…」


 立ち上がった彼女はますます怒りの温度を上げながらも、俺の言葉に耳を傾ける。



 気が使えても、元の身体能力も、気の量も彼女が上だ。

 それでも戦いの結果がそうならないのは、一重に研鑽があったからだ。


 そして、俺が彼女をずっと見てきたからだ。

 どういうときに怒り、どのように戦い、そしてどうして逃げなかったか。



「お前がバカだから、どう攻撃してくるか分かるからだよ!バーーカ!!!」


 だが、教えてやらない。


「…っお前ええええ"え"え"!!!!!」



 バキリと地面が割れて、彼女の姿が消える。

 俺は目で追うのを諦めて、全身の力を抜く。


「…ここ」




 目測を誤り、爪が掌を貫く。


 激痛に顔を顰める。


 痛い、が死にはしない。


「舐めるなよ」

「っ」


 この程度の痛み、、だろ?


 そのまま彼女の掌を握り込むと、残った気を全て身体に込める。


 力を込めて、引っぱり、俺の背を支点に彼女の身体が持ち上がる。


 そのまま一本背負いで彼女を地面に叩き付けた。


「くたばれぇえ!!!」

「ガッ…」



 そして、目を回した彼女を前に、俺はへたり込んだ。




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