第7話『小さな報復』


 次の日、食堂に着くと元同室の鬼人族の少年が申し訳なさそうな顔をしている。

 そんな顔をするくらいなら初めから謀らなければ良かっただろうに。


 俺は目を細め静かな怒りを表現してから、視線をそらす。

 騙し討ちのような真似をしたんだ。むしろここで怒りすら見せなければもっと調子に乗るだろう。

 予めきちんと相談されていれば……まぁ、断っただろうが。


 後で、何らかの形でやり返そう。




 ◆◆◆◆




『体力訓練』と呼ばれていた教育は、いつの間にか『戦闘訓練』へと名前が変わっていた。

 そして、組み手も寸止めを要求しなくなる。


「っおい…怒ってる、だろ、?」

「当たり前、だ」


 同時に放った突きを、受け流される。


「うぐ」


 突きを目隠しに放った蹴りが、太腿に入り頭が下った所で、首元にナイフを添える。


「つつ…俺の負けだよ」

「…もう一回やろう」

「はあ、ネチッこいな、お前」



 結局彼との組み手は俺が全て勝った。

 その日は運良く優等のコインを受け取る事が出来た。




 ◆◆◆◆




「うーん。不思議だねぇ」


 俺の肩を揉みながら、蛇人族の師範が唸る。

 やはり気の放出、【放気】が出来ないのにその逆はできる状態というのは少しおかしいらしい。

『操気訓練』で俺が瞑想している後ろにやって来た師範は、よくこうやって肩に手を置くのだ。



を信じるならば、そこで躓く事は殆ど無いはずだけどね?」


 肩を揉んでいた手が止まり、僅かに首元に寄る。



 ここで妙な反応を返せば殺される。俺の嗅覚がそう言った。


 俺はを信じている。俺はを信じている。俺はを信じている。俺はを信じている。俺はを信じている。俺はを信じている。俺はを信じている。俺はを信じている。俺はを信じている。俺はを信じている。俺はを信じている。俺はを信じている。



「そうですか。他に思い当たる原因はありませんか?早く【放気】を身に付けたいのです」

「…うん?そうだねぇ…」



 師範は可哀想なものを見る目をして、記憶を探るように目を伏せた。


 どうやらやり過ごしたらしい。

 そして、結局ロクなアドバイスは出てこなかった。




 ◆◆◆◆




「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”!!!!!」



 元気だな。

 夕食を終えて部屋に戻ると、予想していた通りの光景に遭遇した。

 ちなみに彼女は毎日朝の訓練の際に満身創痍にされているので、午後に行われる『操気訓練』にも『走破訓練』にも参加したことは無かった。


 毎朝彼女は『体力訓練』の師範に無理やり連れて行かれて、子供たちの前でボロボロにされて、治療された後この部屋に戻されているのだろう。


 しかし、治療も十分では無く、彼女の体に血が滲んでいる。

 そのせいで部屋に積まれた布団は赤く染まっている。


 なるほど、部屋割りの変更が提案される訳だ。


 流石に血塗れの布団では寝たく無いな。



「…なに、見てる」


 おっと。


「水桶とタオルを借りてきたけど、使う?」


 彼女はむくりと起き上がる。

 痛々しい傷が全身に残っていた。


「外にでてろ、蛇モドキ」

「わかった」


 相変わらず、あどけない声で辛辣な物言いだ。

 爆発寸前の彼女を刺激しないように、素直に従う。


 桶とタオルをその場に置き、後ろ手で扉を閉める。


「久しぶりに声を聞いたな」


 怒りの叫び声や、鼓膜を破く勢いの咆哮は何度も聞いていたが、まともな言語を聞いたのは『俺』になってからは初めてだった。



 傷だらけの彼女が使った後の水は血で汚れているだろうことは簡単に想像が付くので、隣の部屋に使わせてもらえないか頼むことにした。


 彼らは渋ったが、『怒り狂った竜人をけしかけても良いんだぞ』と仄かしながら頼み込んだら快く使わせてくれた。


 彼女の持ち物を奪って隣の部屋に放り込めば、俺諸共彼らは間近で咆哮を受けることになるだろうから、脅しは完全なブラフでは無い。

 そして、水桶の後片付けも彼らに任せた。


 俺は自室の方の後片付けをしないといけないからだ。



 俺が部屋に戻ると、彼女は貫頭衣を着直していた。

 桶の中を見ると、やっぱり真っ赤だった。



 まだ就寝するには早い。

 どうやら俺は蛇人族の特性のせいか、夜にあまり眠気を感じない。

 夜行性なのかもしれない。


 いつもだったら布団に潜り瞑想を始めているところだったが、この部屋の環境では集中が削がれそうだった。


 俺は、部屋を掃除するために、桶に水を汲み直すことにした。




「身を清めるための水は一部屋につき、一杯だけですよ」


 シスターはそう言って俺の頼みを断った。

 このコミュニティでは、同じ時期に洗礼を受けた子供の面倒を見る、担当の大人が決まっている。

 そして俺たちの学年?を担当しているのが、『体力訓練』の師範の人族の男と『操気訓練』と『走破訓練』の二つを担当する蛇人族の男と、生活面を見ているシスターの3人だ。


 ちなみに怪我をした際に、軽度のものであればシスターが見ることになる。なので竜人族の彼女が怪我をしていることは知っているはずだ。


「同室の子…竜人の子の血で部屋が汚れてしまっていて、掃除をしたいのですが……」


 俺は子供の可愛さを前面に押し出して、上目遣いでシスターに頼みこむ。


「ああ、アレですか。だから私は処分した方が良いと言ったのに…」


 こちらを一瞥もせずに、冷たく吐き捨てた。

 頼む相手を間違えたか。子供には甘いタイプだと思っていたが。


「…まあ、良いでしょう。その代わり自分で汲みなさい。私はもう寝ます」



 俺は井戸から汲み上げた水を持って部屋に戻る。

 すると、俺の部屋の正面の壁に一人の少年が倒れ込んでいるのが見えた。


 隣部屋の虎人族の少年だった。血塗れだった。


「あー…」


 とりあえず隣部屋の子供に彼の回収を頼んで、俺は自室に戻った。


 竜人娘は部屋に戻った俺の手元の水桶を見て怪訝な表情を浮かべる。


 一方の俺は、部屋の血痕が更に増えているのを見て苦々しい表情を浮かべる。

 俺は彼女の存在を気にしないようにしながら、部屋の掃除を始める。


 はそれ程綺麗好きでは無かった筈だが、俺は割と掃除が嫌いでは無いらしい。汚れが自分の手で消えていくのを見るのは気持ちが良かった。

 それに俺は知識として、健康のために衛生が重要であることを知っている。どうやらこの世界は外傷の治療には手厚いようだが、病気を治療できるかは怪しい。これも死を遠ざける自衛だと思えば苦にもならない。



 俺は、死が怖い。怖くて仕方が無い。

 死を避けるなら人生の全てを賭けることも、プライドをドブに捨てることも喜んでできる。他人が汚した部屋を掃除することなど、天秤に載せるまでも無い。


 そもそも、注意して自分でやるとは思えない。

 彼女は人の言うことを聞いたら死ぬタイプの竜人だ。



 しかし、愚かでは無い。


 そこで、怪我をした彼女が部屋を汚さないように、三度水を入れた桶を部屋に置いておくことにした。

 これで血に汚れたまま布団を使うこともないだろう。




 ◆◆◆◆




 次の日、部屋に戻ると血で汚れた水桶があった。

 俺は静かに頷いた。




 ————————————————————

 第7話『小さな報復』



 私は蛇といえば夜行性と思っていましたが、別にそんなことはないらしいです。むしろ昼行性の種類の方が多いとか…。

 ピット器官も人が肌で太陽の光を感じるように、強弱しか分からないと思っていましたが、視覚みたいに詳細なイメージとして知覚できるようですね。感動しました。

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