第6話『二つの誇り』
今日も竜人娘は『体力訓練』の師範に丹念に叩き潰されて、訓練場を去っていた。
その時の反撃が師範のローブをかすめてフードが外れ、師範の顔が晒された。
見かけは金髪碧眼の人族だった。あの怪力から鬼人族あたりを想像していたので少し意外だった。力は気でカバーしているのだろう。
竜人娘がボロボロになるのを毎日見ていた子供らは、初めは毎度憂鬱そうにしていたが、段々と慣れて日常の一部となっていた。少なくとも大人に従順であれば、理不尽な暴力は自分に向けられないのだと気づいたのだ。
大人の期待した通り、『大人に従順な方が楽に生きていられる』という考えが子供たちに根付いた瞬間だった。
そんな彼らを尻目に俺は、自分だけは違うと目を逸らして、時間があれば瞑想によって自分の心を見つめ続けた。
そして、遂に、『操気訓練』の成果が出た。
夜に胡座で瞑想をしている時にズレていた何かが嵌った感覚がした。
「…ぁ」
視界が広がった気がした。
これまでは目に見えない気配として捉えていた第六感が、しっかりと見えて聞こえる五感へと変わった。
自分を見ると、ユラユラと蝋燭の火のように気が滲み出ている。
隣で寝る鬼人族の少年を見ると、僅かに気が漏れ出ている。
意識が無いと放出される量が減るらしい。
一頻り新しい感覚に触れた俺は、日中の『走破訓練』での疲れを癒すために、この日は早く寝ることにした。
◆◆◆◆
問題に気づいたのは次の日の『操気訓練』での事だ。
気の感知だけでは戦闘には役に立たない。
自身の奥底から気を引き出すか、体内を満たす事で
『操気訓練』では気を体の外に引き出す事を【放気】、体内を満たすのを【充気】という。
【放気】は単体では少しの強化しか出来ないが、これを習得する事で気の操作を練習することが出来る。
そして【放気】を足掛かりに習得する【充気】が肉体を強化する効果がある。
普通の人間は何もせずとも気を体外に放出している。俺もそうだ。
その量を意識的に増やすのが【放気】だが、俺にはこれが難しかった。
感知を習得した子供が、そのままストレートに【放気】を習得するのを歯痒い思いで俺は見ることになった。
皮肉な事に、逆に減らすのは簡単に出来た。それはそれで別系統の技術らしいが今は必要では無いものだった。
むしろどちらも出来ない方が分かりやすかっただろう。俺には気が操作できないと諦める事が出来たのだから。
気の量を意識的に減らす事が出来てその逆が出来ない訳がない。
俺は粛々と鍛錬を続けた。俺が役立たずだと知られれば、生きてここを出られるとは思えないから。
◆◆◆◆
往往にして、試練とは求めない時に与えられるものだと実感する。
苦しい時ほど人は冷たく感じるし、溺れてる時には藁すら投げられない。記憶は無いのにその実感はある。
彼が神ならば、彼はきっと極度の人間嫌いか、極端なサディストに違いない。
俺は【放気】を習得するべく静かな環境を望んでいた、最低限でも現状維持が好ましかったが……。
不平を訴えた一部の子供たちによって部屋割りが変わった。
俺は部屋割りは大人によって決められていると思っていたが、大人たちが決めていたのは同期の子供達が使う区画の割当であり、『どの部屋に誰が入るか』は子供たちが決めていたのだ。だから人数が偏り、手狭なところもあったらしい。
俺は知らなかったが、初めに自省部屋から出た子供達がバラバラに入り、後から来た子供達がどの部屋に入るかを、既に部屋を持っている子供たちが決めていたらしい。
同室の彼らがドラフトによって俺を選んでいたと知って、暖かい気持ちになったと同時に別れが寂しくもなった。
そして彼らが提案した割当に従って部屋を移動した時に、彼らの罠に気づいた。
同時に元同室の鬼人の少年の角を折り、猫耳少女の尻尾を引きちぎりたい気持ちにさせられた。
彼らの不満は人数に対して部屋が狭い事ではなかった。
「……押し付けやがったな…っ!」
——俺は『竜人ちゃん係』になった。
◆◆◆◆
その部屋の中の状況は惨憺たる物だった。
布団は散らかり中の藁や鳥の羽が散らばっている。
呆れて壁を見れば、斜めに並んだ四本の切り傷が走っていた。
…クマの縄張りに入ったような気持ちだ。
記憶にある中でも、これほど荒れていた時代は無い。恐らく師範にやられた後に八つ当たりしたんだろう。毎回瀕死になっているのに毎日元気に歯向かうことができるのは優れた治癒力を持っているから、か。
「はぁ」
そして、先程から存在感を訴える部屋の中心に目を向ける。もちろん溜め息を吐いたことは気付かれないように。
「……」
わぁ、しっかり見てる。
銀の髪と鱗、そして金の瞳を持つ竜人の少女だ。俺よりも太く、逞しい尻尾をゆらゆらとさせている。
彼女は奥の布団に横になって天井を向いていた。
そして横目でコチラを観察している。
恐らく俺が彼女の気分を害する存在か見極めているのだろう。
そしてその時点で彼女が俺を忘れている事が判明した。目をつけられていなくて良かったと思う反面、何故だか負けた気分になる。
だが、俺は彼女の扱いを心得ているので『俺のこと覚えてる?』なんて主張は絶対しない。
記憶から総合した彼女への対処法を、一言で表すならば、『触らぬ神に祟りなし』だ。
彼女の性格は良く言うと誇り高い、悪く言うと驕っている。
彼女はプライドを傷付けられるのを酷く嫌う。
例えば彼女から枕を奪ったとしよう。
勿論彼女はキレる。コイツなら盗んでも大丈夫と舐められるのが我慢ならないからだ。
逆に枕を持たない彼女に枕を差し出したとしよう。
これも彼女はキレる。可哀想と思われるのが我慢ならないからだ。
彼女と遭遇した場合、『はなす』『たたかう』『にげる』、どれを選択してもゲームオーバーだ。
正解はコントローラーを手放して震えながらコマンドが消えるのを待つ事だ。
今日は幸いにも彼女の機嫌は良い。
……俺の感覚では、睨みつけている様にしか見えないが、俺はそう判断している。
軽く頭を下げて、敬意をアピールしておく。
そうしないと無視されてると思われてキレる。身体に染み付いたお辞儀が自然と出る。どうやら《俺》は卓越したお辞儀の使い手だったみたいだ。
そして無事な布団を探す、が、彼女の下に4枚重なっているのが見えた瞬間に未練を断ち切る。
散らばった藁と鳥の羽をかき集めて、無理やり破れた布団に詰め込んだ。
そして切れ端で布団の切れ口を強く結んで中身が漏れない様にする。
そうして作った即席の抱き枕と共に俺は寝転がった。
彼女からの視線はいつの間にか感じなくなっていた。試験にはパスしたらしい。
彼女のプライドは依然高いまま、媚びず退かず省みず。ハリネズミの様に尖りに尖った彼女の気性がいつまで持つだろうかと思いながら、体力の消耗と緊張からくる疲労で眠りに落ちた。
————————————————————
第6話『二つの誇り』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます