第3話『体力訓練』

「尊き彼の慈悲に感謝を」


 シスターがそう唱えると、俺を含む子供達はその作法を真似て手を組み、祈りを捧げる。


 シスターが祈りを解き、皿に手を付け始めると子供達はすぐに祈りを解いてバクバクとスプーンを動かして食事を詰め込んでいく。




 俺はあの部屋で倒れてからすぐ、外に連れ出された。

 最後あたりで見たナニカの正体は麻薬が見せた幻覚、だと確信している。


 記憶が怪しいが途中から、妙な臭いがしていたので、大方その時に気化させた薬物を流し込んで居たのだろう。



 彼等の目的は子供達の洗脳だ。


 だからこそ俺はあの部屋からは出れると知っては居たが、それでも極限状態に追い込まれると精神は簡単に屈した。

 人間の精神とはそれほど丈夫なものではないんだと痛い程に実感した。


 そして、ここにいる子供達は既に染まった側の者達だ。子供の精神ではなおさら暗闇と空腹の中で正気を保つことなど無理があるだろう。


 彼らの中には、俺が憑依している少年の記憶に引っかかる子供がチラホラ居るので、恐らく俺と同じ工程を経ていると思われる。

 そして、次の工程は教育だろう。洗脳して都合の良い信仰を植え付けた後はそれを利用して後ろ暗い仕事をさせる。自然な帰結だ。


 因みに、少年少年と言っているが、この体の持ち主は名前を持っていない。

 俺が目覚める直前の儀式で与えられていた『真名』が名前にあたるだろうが、『真名』という響きからして普段使いするものでは無いはずだ。


 明らかに不便であるにも関わらず名前を与えないのは、宗教的な理由かそれとも大人の事情かは知らない。



 そんな子供達が集められたのは、円状の壁に囲まれた空間だ。

 そこからは空から光が差している。


 どうやらあの暗い部屋から出てきたタイミングは子供ごとに違うらしく、ここを初めて見た子供達は興味深そうに周囲を見回していた。


「それでは『体力訓練』を始める。木刀を持て」


 そう低い声で命令をしてくるのは、ローブを着た男だ。

 彼の足元には、俺たちの人数分以上の木のナイフが入った箱がある。


 俺たちを暗殺者にでも育てるつもりだろうか。

 子供達が減ってきたところで、俺は余っていたナイフを拾い上げると、その時にローブの男と目が合ったのに気づく。


「…早く戻れ」


 声に聞き覚えがあった。確か、俺を儀式に連れて行った無愛想な男だ。

 俺はコクリと頷いて子供達の群れに戻る。



「一列に並べ。それから素振りを始める」


 慣れた子供達に習って空いているところに移動する。

 そうして男が初めにナイフでの素振りを見せる。


「左手は後ろか、前に持ってくるとしても胸元に当てておけ。振る時に邪魔になる。…そして、ナイフを使う時の基本姿勢は、こうだ。右手に順手で持ち、肘を曲げていつでも刺せるようにする。振っても突いても、この姿勢から始めて最後はこの姿勢に戻るようにしておけ」


 男は堂に入った構えから、突き、切り下ろし、切り払い、様々な角度での攻撃を見せる。


「まずは突きから始めろ」


「「「「はい!」」」」


 もちろん素直な子供である俺も、彼の指示に従い虚空に向かってナイフを振る作業を始める。


 前世の記憶でもナイフの振り方についての情報はヒットしなかったから、おそらく包丁しか握った事はないだろう。

 なので男の所作を思い出しながらナイフを振る。

 突きは出来るだけ、体から伸びる直線の軌道を意識しながら動かす。


「ふっ…ふっ…ふっ」


 体重が軽いせいか腕を振るだけでナイフの先がぶれる。

 それに、尻尾があるせいで体のバランスが前世の感覚からズレていた。


 そこで、尻尾の動きも意識しながら腕を振ると少しマシになった。

 代わりに丁寧に動きすぎて今度は一振りの速度が落ちる。



 木のナイフは子供の手に合わせたサイズで軽く、動きもそれほど激しくは無いが、こうも繰り返していると少しずつ疲労が溜まってくる。


「あっ」


 隣の少年がナイフを取り落とす。

 突きの勢いで飛んだナイフが地面の砂を少し散らす。


「……何をしている」

「な、ナイフをおとしただけで、ウグッ!」


 訳を説明しようとした少年は、男に蹴飛ばされて地面を転がる。


「早く拾え」

「うっ…はい」


 砂埃で身体を汚した少年は木のナイフを拾い上げる。


「構えろ」

「…はい」


 涙目でナイフを構える。


「力を入れて握りすぎだ。だから直ぐに疲れる。持つ時は小指と薬指だけ意識して握り込む。そして、突く時、切る時だけ手に力を入れろ」

「?はい」


 叱責が飛んでくると思っていた少年は、少し戸惑いながら相槌を返す。


「振ってみろ」

「こう、ですか」


「もっと力の入れ方に強弱をつけろ」

「はい!」


 そう言って何度か指導を受けながら振る度に彼の動きから無駄な力みが無くなっていく。

 それを自覚した少年の瞳は光を取り戻す。


「……ナイフは死んでも落とすな」

「はいっ」


 なるほど、よく分からんがナイフを落とすことが彼の逆鱗らしい。


 彼の返事に頷いたローブの男は、その場を離れていった。


 隣でその指導を聞いていた俺も男の言葉を思い出しながらナイフを振ると、これまでよりも少ない力で振ることができた。



 一心に振るっていると、男の足音が俺の後ろで止まる。

 …な、何だ。


「…ふっ…ふっ…ふっ」

「…」


 普通だったら、素振りを止めて何か問い掛けたり、後ろに視線を向けて様子を伺いたいところだが、生憎ここは普通じゃない。

 素振りを止めたら間違いなく殴り飛ばされるだろう。


 この貧弱な体では、手加減なしに殴られたら骨折どころじゃ済まない。


「…ふっ…ふっ…フっ…」


 内心でビクビクしながら素振りをしていると、止まっていた足音が動き出す。



 視界の端で子供が殴り飛ばされるのが見えた。

 ……うん。ロクな世界じゃ無いな。

 外の様子でも見れないかと思っていたがこの調子では許可なく出たら即殺されるなんてこともありそうだ。



 その後もぶっ通しでナイフを振らされ続けていた。


『体力訓練』の終わり際、ナイフを箱に戻した後の事だ。


「…そこの黒髪の蛇人族」

「……あ、は、はい?」


 一瞬誰のことを呼んでいるか分からなかったが、明らかに俺の方を向いて言っていたので俺のことだと気づいた。

 どうやら、蛇の特徴を持つ人間は蛇人族という種族らしい。

 俺以外にも顔や腕に鱗が付いている子供や、尻尾が生えている者も居るが、蛇の尻尾が生えていて黒の混じった髪を持っているのは俺だけだった。


 男が懐を漁ると、チャリ、と金属が擦れる。


「手を出せ」

「?…はい」


 俺は両手を器のように差し出すと、男が一枚のコインを俺の掌に置く。


「夕飯の時にシスターに渡せ。肉が出る」



 な、なるほど。

 褒美のような物か。そう思ってポケットにそれを入れると、周囲から「今日はアイツか」などとコソコソ言っているのが聞こえる。

 このご褒美コインはこれまでも毎日与えられていたんだな。


 ポケットに入れて手でコインの表面をなぞると、表面に何らかの記号が刻まれていた。これが貨幣で、表面に数字が刻まれているのか、それとも『肩叩き券』のように文字が刻まれているのかは分からない。

 このコインが、男の手作りで表面に『お肉』とか刻まれているのを想像してしまい、思わず笑いが込み上げるのを抑える。




「次は瞑想室で、操気訓練を行う」


そう言った男は子供達をもう仕事は終わったと言いたげに、運動場を去る。

操気とは?と疑問を抱く俺とは反対に、子供達は嬉しそうな気配を発していた。




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第3話『体力訓練』

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