第2話『教化』
——そして、俺は目覚めた。
「……ッハ!ここは、
腕にジクジクと鋭い痛みが走る。
部屋?の中は暗すぎて、自身の手さえも見えない。
そして部屋を調べる間も無く、この体の持ち主のこれまで記憶が流れ込んできた。
ただ、その記憶は酷く希薄だった。
何故ならこの5歳程の少年は外の世界を見た事が無かった
大人達が房と呼ぶ空間の中で、同じ境遇の子供達とこれまでの人生を過ごして来たからだ。
房から出て直ぐにあったあの聖堂さえも、初めて見たのだ。
同時に俺は前世を想起しようとする。が
(……何も思い出せない)
いや、思い出すことはある。
それは前世で最も衝撃的な、死の瞬間の記憶だ。
思い出すだけで……っ。
「ッハァ…ハァ…ハァ…ハ」
息が上がり、心臓を刺す痛みを錯覚して胸元を握り締める。
死の瞬間までに何が起きたかは分からない。
しかし、身体の芯から体温が失われていく寒さと、己の手から命が零れ落ちる恐怖だけは魂に刻み込まれている。
ガタガタと身体が震えてくる。
ベッドから落ちて石畳に四つん這いになる。
「大丈夫、ッハ、俺は生きてる、ッハァ、生きてる、死にたくない、…ぅ、ぉえ」
視界が涙で歪む。上手く息が吸えない。
「ッハァ、ハァ、ッハ、ッハ、ッハ、だ、れか——」
◆◆◆◆
俺は再び目覚めた。
どれくらい意識が落ちていたかは分からないが、腹の空き具合からしてそれほど経っていない。
とにかく、
下手すると今世の記憶さえも押し潰されかねない。多分前世の記憶は強烈な死の瞬間の記憶によって消し飛んでしまったようだ。
言語や知識は引き出して来れるが、思い出と言われる記憶は全く引っかからない。
「はあ」
出て来ないものは出て来ないと諦めて、目の前に目を向ける。
「何も見えん」
そして何も聞こえない。
本当に一切の光が入らない部屋だった。
取り敢えず、ペタペタと自身の周りを手で探る。
平たい台の上に布……。
「あぁ、ベッドか」
さっき自分から落ちたベッドだった。
ベッドの先には石壁がある。
右手を壁に触れながら左手を前に突き出してゆっくり部屋の中を探索する。
結論から言うと、この部屋は円柱形をしていた。部屋にあるのはベッドと用を足すための穴だけ。端的に言って牢屋だ。
そして、探った範囲では出口は無い。
寝てる間に放り込まれたのだろう。
ここがあの建物のどこに位置するかは全く検討が付かない。
ただ何を目的として放り込まれているかは予想が付いている。
予想が正しいならば、昨日聖堂に集められていた子供達は、俺と同じようにナイフで何かを刻まれた後、個別に暗闇の部屋に放り込まれているだろう。
いずれにしろ、相手に殺す気は無い。
俺は体力を温存するために、眠りにつくことにした。
◆◆◆◆
寝て起きてを三回ほど繰り返した頃、寝転がったまま天井に手を翳していると、ある事に気づいた。
「おかしいな、見えてる」
この部屋には光が入って来ていないのにも関わらず、俺には手の輪郭が確かに見えていた。
俺は瞳を閉じる。それでも手の輪郭は見えたままだ。つまり、視覚以外で見ている。
「!!」
ベッドから起き上がり、自身の身体を見下ろすと、手と同じように胸から下の輪郭が浮かび上がって見える。
そして、ベッドを見れば、小さな人の形の輪郭がベッドに残って見える。
ここで俺はピンと来た。
ピット器官だ、と。
ピット器官とはヘビが持つ、熱を視覚として見るための器官である。簡単に言えば生体サーモグラフィーだ。
そしてそれはまかり間違っても人間に付いている機能では無い。
つまり、俺は人間では無い。
というよりも、ホモサピエンスでは無い。
もしかするとこの世界の人間は熱源を見る機能を持っているかもしれないが、それよりも俺がこの世界特有の人型種族である可能性の方が高そうだ。
同じ房には竜みたいに太い尻尾の生えた少女や耳の長い少年も居たのだ。
その竜人の少女などは時々俺の尻尾を握り潰そうとしていた記憶すらある。
…俺の尻尾?
尾てい骨に手を伸ばすとヌラリとした鱗の感触が返ってくる。
今まで気づかなかったのがおかしなくらいに存在感のある蛇の尻尾。
細長い、蛇の尻尾だ。
蛇、だな。
そう意識した途端に神経が通ったように尻尾の感覚が鮮明になる。
動かそうと思えば、割と精密に動かすことができる。
触覚も鋭く、手の甲と同じぐらい繊細に感じ取れる。
長さは胴に3、4周巻ける位あるので身長と同程度は有るだろう。太さも力も足と腕の中間程。
成長につれて長くなるかは分からないがあまり伸びすぎると邪魔そうだ。これくらいのバランスのままで伸びて欲しい。
俺は尻尾と
◆◆◆◆
五度目の眠りから覚める。
既に空腹は限界に達していた。
まだギリギリ動くことは出来るが、体力は使いたく無い。
視線だけで見えない天井を睨み付けたあと、瞼を閉じる。
◆◆◆◆
六度目の目覚め。
もしかすると、俺がここにいることは誰も知らないのでは無いか。そう言う不安が頭に過ぎる。
爪を噛む。
少し空腹が紛れた。
◆◆◆◆
十、いや九度目の目覚め。
先程までステーキを食べる夢を見ていたせいで、酷く気分が悪い。
寝てる間に口に含んでいた石ころを吐き出す。
部屋の中は少し変なにおいがする、気がする。
喉も渇いた。
なにも、考えたくない。
◆◆◆◆
もう起きているか寝ているかも分からない。
ただひたすら、死ぬのがこわい。
あの……冷たく、寂しく、何も無い奈落に落ち続ける感覚……っ。
また思い出してしまった。
「ッハァ…ッハァ…ハァ、っ」
呼吸が乱れ始める。
「ヒュッ…ヒュー…ヒュ…ヒ」
上手く息ができずに苦しさで涙が滲む。
寒くて怖いんだ。
ああ、誰か、助けてくれ。
「『——————』」
微睡んだ意識の中で何か聞こえる。
何かが目の前に立っている。
「か、」
カラカラの口が勝手に開く。
「かれ、を」
「かれを、ヒュ…うたがうこと…ヒ-…なかれ、そは、ヒュ-…じひぶかきもの」
何故それを口にしたのか分からない。
しかし、口に出した途端に心が暖かな何かに包み込まれるような心地がした。
「かれを、さからうこと、っ、なかれ、そは、じひ深きもの」
目の前の存在がより近く感じる。
見えもしない、聞こえもしない。しかし彼はそこに在るのだと分かる。
「かれに、のぞむこと、なかれ、そは、たっときもの」
それの放つ暖かな感覚が俺の恐怖を優しく溶かしていく。
唱え終わる頃には俺の精神は平静を取り戻していた。
「あぁ、ああ!」
今度は感謝の気持ちから涙を涙を流す。
五体投地し、ひたすらに彼に向かって敬服する。
そして、俺は暖かな気持ちに包まれたまま、意識を失っていた。
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第2話『教化』
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