第8話 大団円
「音が聞こえないことで、相手がどのように感じるのか?」
ということを分かる人がいる。
音に関して、敏感というか、まるで、
「目の見えないコウモリが、音に関して敏感だ」
というような感じである。
「特定の年齢以上になると、聞こえなくなるという特定の音がある」
ということを聞いたことがある。
特定の周波数で、一定の高周波だというのだ。
それを、
「モスキート音」
というのだという。
モスキート音の、モスキートというのは、
「蚊の飛ぶ音」
ということのようで、あの音も、近くにくれば本当に鬱陶しい感じだが、実際に少し離れると、音がまったく聞こえないという現象がある。
モスキート音というのは、年齢的に衰えてきた聴力を皮肉るような音ではないかと思われるが、しょうがないものとして、受け入れるしかないだろう。
ただ、最近、学者の中で、
「ある程度の年齢に達しないと聞こえないような音がある」
あるいは、
「年齢に関係なく、ある特定の人にしか聞こえないという音がある」
と言われているというのだ。
その音を、感じることができるのが、この事件の第一発見者である、
「新聞配達員の男」
であり、名前を赤坂史郎と言った。
彼がこの事件にどのようにかかわっているというか、まだ捜査員の誰も分からなかったが、それを分からせてくれたのは、表で聞き込みを行っていた、桜井警部補と、岩崎刑事が戻ってきてからだった。
「門倉さん、防犯カメラの方がどうですか?」
と桜井が訊ねると、
「ああ、桜井か。うーん、何とも言えないんだが、まあ、見てくれたまえ」
というではないか。
桜井警部補と、岩崎刑事も一緒になって、映像を見ていたが、一度見終わった時点で、桜井警部補は腕を組み、その様子を横からまじまじと見ている岩崎刑事の態度を見て、
「どうしたんだい? 何か気になることでもあったのかい?」
と言われて、
「ああ、そうですね、門倉警部も、三浦刑事も、初動の段階で、誰にも遭っていないんでしたね」
と桜井がそう言って、岩崎に目配せすると、岩崎刑事もそれを察してか、
「実はですね。そこに写っている男性。つまり、最初に話しかけられた男性なんですが、この男性は、第一発見者の男によく似ているんですよ」
というではないか。
それを聴いて、桜井警部補も、何ら否定をしない。それを見て、
「ああ、第一発見者が、犯行に関わっているということか?」
と感じた門倉警部は、何か、不思議なものを感じた。
「第一発見者も、最初から分かるようなことを、どうしてわざわざ疑われるようなことをしたというのだろう? これじゃあ、まるで、自分が犯人ですと言っているようなものではないか」
ということであった。
「これは一体どういうことなんだ?」
と最初に口を開いたのは、桜井警部補だった。
桜井警部補は、こんな時、いろいろなパターンを頭に思い浮かべて考えているはずであった。
つまり、その考えがまとまっていないということであろう。
それを考えると、
「とりあえず、あの時の第一発見者である配達員である、赤坂史郎を重要参考人として引っ張りますか?」
と、三浦刑事が言ったが、
「まあ待て、焦ることはない。まずは、この女の特定をしないといけない。この女が実行犯であることに間違いはないんだからな」
と桜井警部補は言った。
「じゃあ、赤坂を引っ張って、吐かせるのが一番手っ取り早いんじゃないですか?」
と、三浦刑事は鼻息が荒かった。
「でもね、こんなにあからさまに顔が映るかのような状態で、防犯カメラまで意識しているのを見ると、どう考えればいいのかな? もし、やつが犯人の仲間で、主犯にしろ、共犯にしろ、ここまで堂々としているのであれば、やつはやつなりに覚悟のようなももをしているということであろうな。それを思えば、今すぐに、彼を尋問したとしても、そう簡単には吐かないと思うんだ。それを考えると、今あの男に尋問しても、それは無駄なことではないだろうか? まずは、考えられることの裏を取って、相手が言い訳できないような状態にしてしまえばいいんだ」
と桜井警部補がいうと、
「だったら、今のうちに追い詰めた方がいいんじゃないですか? まさかやつも警察がこんなに早く、自分に辿り着くとは思っていないかも知れないので、その虚を突くと、相手も慌てるのではないですか?」
と三浦刑事は相変わらず鼻息が荒い。
「いやいや、やつは、きっと、こちらの質問の模範解答を用意しているかも知れない。やつは、わざとこちらに顔を見せているんだ。手ぐすね引いて待っていると思った方がいいんじゃないか?」
と。桜井警部補に言われると、急に溜飲が冷めたかのように、三浦刑事は、しょぼんとなってしまった。
「分かりました。では、この女は誰なんでしょう?」
と三浦刑事が聞くと、
「それこそ、やつのまわりを探ってみればいいんじゃないか?」
という桜井警部補がいうと、
「そうですね。そして、赤坂には、四六時中の尾行をつける必要はあるでしょうね」
ということであった。
その後、赤坂の現在や、過去のことがいろいろと捜査されたが、女の身元が分かることはなかった。
3日、4日とすぎていき、最初の防犯カメラの映像から、ある程度のことは分かっているにも関わらず、そこから先がまったく分かってこないのだった。
「どういうことなんでしょうね?」
ということが、話し合われ、
「まさか、このまま、お宮入りなんてことないですよね?」
ということになったが、ある時を境に、事件は急転直下となった。
それは、事件が発生してから、1週間が経ったことであった。
その時、同じ県ではあるが、事件現場から少し離れた岬で、女性の投身自殺があったという。
自殺の名所というわけではなかったが、一年に数人が身を投げるというその場所は、ある意味。
「密かな自殺の名所」
と呼ばれているところだった。
死体が上がったその時、身元捜査が行われそうになった時、門倉警部は、その自殺した女性を見て、さっそく、桜井警部補を呼んだ。
「おい、桜井。この女性を見てみろ」
という。
それを聴いて、
「何事だろう?」
と思って覗き込んだ桜井警部補だったが、彼も、思わず、
「わっ」
と声を挙げそうになって、思わず抑えた。一瞬腰が抜けてしまいそうになるのを、堪えていたくらいだった。
「まさか、自殺をしていたなんて、覚悟の自殺だったんですかね?」
というので、その現場を見てきた刑事は、
「そうかも知れませんね」
といった。
「遺書はあったのかい?」
と聞かれて、
「はい。ただ一言、「罪は償います」と認められていただけだったんですが、罪って何なんですかね?」
と言われたが、それ以上はその時には言わなかった。
三浦刑事、岩崎刑事も確認したが、
「間違いないですね。あの女じゃないですか?」
というのだった。
捜査本部に戻ると、皆口を開こうとはしなかった。
「重要参考人、いや、実行犯が死亡したということですか?」
と、三浦刑事がいうと、
「そうだな」
と一言桜井警部補は言ったが、そういって、言葉を続け、
「こうなると、もう残ったのは、赤坂しかいないだろうな。やつを引っ張ろう」
というのだった。
桜井警部補と、岩崎刑事が、引っ張ろうとやつの自宅に踏みこんだが、彼も自殺をしていた。急いで救急活動が行われ、幸いにも命はとりとめた。薬を飲んでの服毒自殺だったのだが、薬の量が、致死量に若干足りあかったのと、飲んでからすぐだったということが幸いしてか、医療の決死の治療もあってか、一命はとりとめたということであった。
彼は遺書を認めていた。そこにはある程度のことは書かれていたのである。
まず、女は、倉岡敦子という。彼女の姉が結婚詐欺に遭って、警察に相談したが、警察も動けないということで、泣き寝入りするしかなかった。相手に裁判を起こそうにもお金がなかったのである、
普段は風俗で働いていたのだが、相手の男は、そんな彼女の気持ちに付け込んだというダニのような男だったという。
それまでは教師をしていたのに、姉の死で、先生をしながら、復讐を考えていたところに、赤坂と出会ったのだという。
赤坂の方は、実は、ある組織から脅迫を受けていたという。ある商店街の放火殺人の罪を彼にきせようと、でっち上げた写真を撮られて、
「これを警察に届ければ、お前は確実に死刑だ」
ということであった。
相手は組織なので、
「俺たちのいうことを聞けば、俺たちが守ってやる」
ということだったのだ。
そして彼らは、赤坂に金銭を要求することはなかった。しかし、殺し屋の手下のようなことをしていた。自ら手を下すことはなかったが、殺害対象の相手を呼び出したり、脅迫者として表に出たりという役だったのだ。
そんな、どうしようもない状況の赤坂と、警察に不信感をいだき、さらに、結婚詐欺の男を憎んでいた敦子とが知り合った。
どこで知り合ったのかということは、ここではさておき、二人は意気投合した。
「復讐ができれば、もう命なんかなくなっていい」
というくらいに二人は思っていたのだ。
だから、事件が発覚して、捕まる前に死んでしまえばいいと思っているので、防犯カメラの映像も関係ないのだった。
だから、二人は、お互いの相手を二人で協力して殺すことを考えた。
しかも、やり方としては、
「交換殺人」
のようなイメージである。
ただ、それはお互いにアリバイを作る目的ではなく、
「警戒している相手を油断させる」
という意味での交換殺人であった。
つまり、
「殺人前交換の殺人」
とでもいえばいいのだろうか?
実際に、こんな犯罪があるなど、思ってもみなかった。
しかも、男には、
「逆モスキート音が聞こえる」
というような特殊能力があった。
そのことは書かれていたが、いかにして反応を行ったのかということは、詳細には書かれていなかった。
だが、
「この特殊能力があることで、今回の殺人前交換の殺人というものを成功せしめることができたのだ」
と書かれていた。
かくして、二人の目的は達せられたというべきか、実際に、マンションで死体が見つかった次の日に、
「一人のチンピラが死体で発見される」
という事件が発生していて、その男が、
「稀代の結婚詐欺師だ」
ということで、生活安全課がマークしていたところ、
「まさか死体で発見されるとは」
ということになったのだ。
被害者の目録もできていて、実際に、倉岡敦子の姉が被害者の中に含まれていて、その蘭に、
「死亡(自殺)」
と書かれていたのだ。
おおむね、赤坂の報告と同じで、信憑性があった。
さらに、この時の赤坂が疑われそうになった放火殺人事件というのは、岩崎刑事が追いかけていたが、迷宮入りしてしまった事件であった。
真犯人は分かってはいないが、裏にどの組織があったのかということは、赤坂の遺書で分かったというものだ。
赤坂の遺書のおかげで、迷宮入りだった放火殺人にも再度捜査の手が及び、それまで停滞していた捜査が一気に進んだことはいうまでもなかった。
赤坂は一命をとりとめてはいたが、後遺症から、記憶喪失になったようで、特殊能力も消えていたということだった。
「自分が誰か分からない」
ということを今の赤坂は、
「これこそが、彼の罪滅ぼしということになるのかな?」
と、門倉警部補が言ったが、まさにその通りだろう。
彼の記憶が戻ることは、
「あるかも知れないが、ないかも知れない」
と医者はいっていた。
まさにそんな曖昧な状態で進んだ事件であったが、二人お犯人の犠牲のおかげで、先に進んだこともあったのだ。
「俺たちは何もできなかったな」
といっている桜井警部補だったが、この事件を通して、
「誰が得をして、損をする」
という考えが犯罪捜査の基本だと思っていたが、それだけではないのだろうと、担当した人間は、皆、そう感じたのだった……。
( 完 )
殺人前交換の殺人 森本 晃次 @kakku
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