いま水飴を舐められないなら絶対に壺の中身を覗かないで下さい。

惑星ソラリスのラストの、びしょびし...

第1話

 和尚さんは出かけ際、一休さんたちに言いました。

 よいか、儂の部屋に壺があるだろう。

 全体にモイスチャめいたモスグリーンがかりつつも、ところどころがエメラルドグリーンの光沢を放つ、和尚さんの部屋の、押し入れの天袋の左奥、大事に大事に仕舞われた、あの壺でしょうか。

 そうじゃ。あの中には1グラムで大の大人十五、六人は持っていかれるような、おそろしい劇薬が入っておるから、決して中を覗くでないぞ。

 しかし一休さんを始めとした弟子たちのあいだでは、和尚さんが夜な夜な、その壺を取り出してきては布団の上で胡坐をかき、壺を愛おしく抱きしめ、睦言を呟きつつ中に指を突っ込んでなにか粘っこいものを掬いあげ、恍惚とした表情でぺろぺろと舐めているのは周知の事実でした。

「あの壺の中身、なんだと思う?」

「ぼくは水飴と見たね」

「ははぁ、それで、ぼくたち弟子が留守中、勝手に中身を覗かぬように、劇薬だなんて嘘をついたのか」

「なんとかして、ぼくたちも中身をぺろっと、ぺろぺろっとやりたいものだね」

 一休の兄弟子が、イジリー岡田を思わせる動きで舌先をぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろぺろと高速で動かしました。一休は「うわっ」と思いました。

 しかし中身を知りたい、水飴ならば是非舐めたいと思ったのは一休も同じでしたので、自慢のとんちでひとつ一計を案じることにしました。


「みんな、指示通り、やってきたかい?」和尚さんの部屋に集まった弟子たちを前に、一休が尋ねます。

 ああ、おれは和尚さんのワイフを白昼堂々寝取ってやったぜ。

 おれは和尚さんの裏垢で将軍様の悪口を書いてやった。

 おれは掲示板に、あす正午、区役所を爆破する旨を和尚さんのPCから書き込んだぜ。

 おれは和尚さんの名義で消費者金融四社から限度額いっぱい引っ張り、つい今しがたオンラインカジノで全額すったところだ。

 おれは通りがかりの侍をひっつかまえて、ボコボコにしてやったぜ。

 そのほか、弟子たちは次々に自身の犯した罪を、半ば自慢げに開陳していきます。後半にかけては余りにおぞましく、流石の一休も一度厠で嘔吐し、暫くのあいだ休まねばなりませんでした。

「しかし一休、これと、あの壺の中身を舐めるのと、どういう関係があるんだい?」

 青白い顔をした一休が答えます。

「つまり、スキームとしてはこうだ。まず、ぼくたちがとんでもない悪事をはたらく。つぎに、ぼくたちは自らの犯した罪に対し、良心の呵責に耐え切れず、和尚さんから決して舐めてはいけないと言われた壺の中身、つまり劇薬をなめて、自ら命を絶とうとした。とまあ、こういう訳だよ」

 ははぁ成程。クリアーです。アグリーです。弟子たちは口々に一休さんをたたえました。

「では早速壺の中身をあらためようじゃあないか」


 果たして壺は、和尚さんの部屋の、押し入れの天袋の左奥に、大事に大事に仕舞われおりました。全体にモイスチャめいたモスグリーンがかりつつも、ところどころがエメラルドグリーンの光沢を放つ、不思議な壺です。

「これは、どういった材質のものだろう」弟子のひとりが壺の表面を撫でながら訝しみます。

 一休が壺口に巻きつけられた細い紐をほどき、紙を除き蓋を取ります。弟子たちが一斉に壺の中を覗きました。

「空っぽ?」「どうも暗くて見えないね」「いや、なにか、煌めいたような……」「おい、だれか灯りを、こちらへ」

 一休が灯りを手に、再び壺の中身をあらためると……うわっ。

 壺の底で、なにか、うなぎのようなものがその身をのたうたせています。いやうなぎにしては妙に太い。蛇か、つちのこのたぐいか。しかし眼がないのである。口も、鼻もない。黒っぽい光沢のある全身が、一休の持つ灯りに照らされ、ぬめぬめと妖しく光る。さながら馬鹿でかいナメクジ、というのが最も近いだろう。それの頭、いやそれが本当に頭かどうか、その場にいた弟子たちのだれ一人として確証を持ち得なかったが、とにかく頭部のような膨らみの先、かたつむりの“つの”に相当するような、あるいは烏賊の足だろうか、髭だろうか。おおよそ15cmから30cmほどの触手が十数本ほど、うねうねと動いているのである。


 しかしわたしはまぎれもなく人間そのものなのだ


「えっ」「なに?」「いまだれか、おれの耳元で」「おれじゃあない、きみじゃあないのか?」「いいやちがう、きみか?」「ちがうちがう」「でもたしかに」「そうだたしかに」「たしかに」「まぎれもない」「これは」「これは」「これは」

 壺の底で、それがぴくぴくと痙攣し、次の瞬間、どろっとした、白っぽい、粘っこいものを吐きだしました。

 一休さんは壺に手を突っ込み、その分泌液を指で掬い上げます。指先にねばりついたそれを見てしばし思案し、ぱくり。口の中へ運んだまま、一休さんはほんの一瞬固まりました。あるいは、固まっていた訳ではなく、長い時間をかけてそれを味わっていたのかもしれません。

 一休さんは再び動き出すと間髪入れずにまた壺のなかの粘っこいそれを指で掬い、舐め、指で掬い、舐め、指で掬い、舐め。

 ほかの弟子たちもまた、一休さんに遅れをとるまいと、めいめい壺の中に指を突っ込んだのはそれからすぐのことでした。


 火元がどこで、失火の原因が何であるかは定かではない。ともかく、その夜、寺は燃え尽きた。

 その場に居合わせた町人たちによれば、燃え盛る火の中で、何かを奪い合うものの姿が見えたとか、そいつらは火をものともせずに、いひひ、あははと笑っていた、笑っていたんだ、とか。あとから駆け付けた和尚が、周囲の男たちの制止を恐ろしい膂力で振り切り、火の中に突っ込んでいったとか。ああ、何かしきりに繰り返していたなあ。あれはわしの、わしの、と。

 その日の夕暮れ、町人たちがあらかた引き揚げたのち、二、三の男たちが金目のものでもないかと焼け跡を漁っていた。

 おい見てみろ。なんだいこりゃぁ。

 全体にモイスチャめいたモスグリーンがかりつつも、ところどころがエメラルドグリーンの光沢を放つ壺がひとつ。

 中身は空である。

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